患者団体に聞く! 女性特有のがんの患者会「よつばの会」 原 千晶 さん同じ病気を経験しているからこそ、わかり合える -ひとりじゃないよ、仲間と繋がろう-


  • [公開日]2024.03.15
  • [最終更新日]2024.03.15

はじめに

今回お話を伺ったのは、子宮頸がんと子宮体がん、2つのがんを経験された、タレントの原千晶さん。最初に罹患した子宮頸がんの告知時は、まだ30代になったばかりの結婚前でした。その時は、医師から提案された子宮全摘出の治療をどうしても受け入れることができませんでした…。

30歳で子宮頸がんに

川上:昨年は、オンコロの配信企画「笠井信輔の、こんなの聞いてもいいですか?」*にご出演いただき、ありがとうございました。笠井さんの番組でもお話いただいていますが、最初の子宮頸がんがわかったときのことを教えてください。
*2023年12月21日配信 第39回「笠井信輔の、こんなの聞いてもいいですか?」
サバイバートーク編 女性特有のがんの問題とは?

原:子宮頸がんがわかったのは30歳のときでした。ずっと、月経痛が重く、不正出血などもあり気になってはいたのですが、病院に行くほどではないと考えていました。ところが痛みは日に日に我慢できないほどになり、友人からも受診を促され、重い腰を上げてやっと受診したんです。最初の病院から、大きな病院を受診するよう勧められ、大学病院で円錐切除をした結果、子宮頸がんの診断でした。2005年2月のことです。

川上:30歳という年齢でがんを宣告されるのは青天の霹靂だったのでは?

原:まさか!と、頭が真っ白になりました。結婚前でしたし、将来は子供も授かりたいと夢見ていたので、「がん」という病気の衝撃に加えて、子宮を摘出する手術を勧められたことが辛かったです。家族や友人は皆、手術をしたほうがいい、との意見で、私もいったんは手術を受け入れたのですが、直前に気持ちが大きく揺らぎ、手術をキャンセルしてしまいました。子宮を失うことへの抵抗感と、がんについての知識がなかったことが大きな理由です。

川上:そうでしたか…。私もその年齢で、結婚前だったら、子宮を摘出する手術を受けるべきか、とても迷うと思います。

原:主治医は私の選択を尊重してくれて、手術をしないかわりに1か月おきに通院し、経過観察していくこととなりました。手術を受けなかったこともあり、子宮頸がんになったことについては公表しませんでした。2年くらいはきちんと通院していたのですが、体調も特に悪くなく、だんだんと足が遠のいてしまったんです。そして最初のがん宣告から4年経過した2009年の年末に体調が悪くなり、受診したところ、再度、がんがわかりました。35歳のときです。

今度は35歳で子宮体がん、子宮全摘手術

川上:子宮頸がんが進行していたのですか?

原:いいえ、今度は子宮体がんでした。子宮頸がんの組織型扁平上皮癌でしたが、子宮体がんは腺がんで、全く別のものでした。既に進行していて、転移の恐れもあり、深刻な状態であるため、子宮だけではなく広範囲の手術が必要だと説明を受けました。命にかかわる状況であることを理解し「死にたくない」との思いから、今度は迷う余地なく、子宮と、卵巣など付属する臓器も摘出する「広汎子宮全摘手術」を受けました。
川上:進行していたということは、抗がん剤治療もされたのですか? お仕事と治療はうまく両立されたのでしょうか。

原:はい。抗がん剤治療は3週間ごとに6クール行いました。抗がん剤治療中にも収録に参加することがあり、脱毛していたので、事情を話せるスタイリストさんに担当してもらい、ウィッグを被ってカバーしていました。その姿が「ウィッグではないか」、とネットに書かれてしまったこともあります。

辛く泣き続けた日々から、公表へ

川上:ご家族は、がんになったことについて、どのような反応でしたか?

原:最初の子宮頸がんがわかったとき、両親は私以上に衝撃を受けていたように思います。実は、父方の祖母も子宮頸がんで若くして亡くなっており、その同じ病気に私もなってしまった、ということは父にとって大きなショックだったようです。子宮頸がんで心配をかけ、さらに子宮体がんにもなり、夫や家族を巻き込んでいることも本当に辛くて、泣き続ける日々でした。

川上:そんな辛い思いを分かち合える仲間はいましたか?

原:いませんでした。家族や親しい友人以外には公表していなかったこともあり、病室でも名前を伏せネームプレートを白紙にしたり、ほかの入院患者さんにも話しかけることができず、とても孤独を感じていました。

川上:原さんは著名人だから人一倍気を使わなくてはならなかったでしょうね。一般人でも、カミングアウトのタイミングは皆さん悩んでおられますし。原さんは、2010年11月にがんを公表されましたが、なぜ公表しようと思ったのですか?

原:先ほど、ネットにウィッグのことを書かれたり、とお話しましたが、そうしたことを機に隠すより公表しようと思い、抗がん剤治療が終わって体調が整ってきたタイミングで、結婚とがん罹患を同時に公表しました。

川上:ご結婚も!

原:はい。夫とは2007年に撮影現場で知り合いましたが、そのときはまだ子宮頸がんの経過観察中でした。子宮頸がん罹患を伝えたときは驚いていましたが、子宮体がんがわかってからも、ずっと寄り添ってくれて支えてくれました。

同じ体験を分かち合い仲間と出会える場

川上:がんを公表して、何か変わりましたか?

原:当時、ブログで日々のことを発信していたのですが、公表後に、同じ病気を経験をした方々からのコメントが多く寄せられるようになり、ネット上での交流が始まりました。次第に皆さんと会って話をしたい、という気持ちが芽生え、2011年7月に初めてオフ会を企画したところ、20名ほどが参加してくれました。なかには遠方から飛行機で来られた方もいて、初めて会ったとは思えないほど盛り上がり、熱を感じたんです。家族とはまた違った心強い絆が生まれ、開催して本当に良かった、と思いました。そしてこういう場が求められていると痛感し、女性のがんの患者会として「よつばの会」を立ち上げるに至りました。

川上:「よつばの会」って、とても素敵な名称ですね。

原:私は子供の頃から幸せの象徴である四つ葉のクローバーが大好きで、いつも探していました。踏まれても頑張っている感じがするでしょう? また、私は北海道の出身なのですが地元企業の「よつば乳業」の牛乳も大好きだったこともあって(笑)。

川上:「よつばの会」は、どのような活動をしているのですか?

原:活動を始めてから、不定期に東京やそのほかの地方都市でおしゃべり会を開催してきましたが、2020年以降はコロナ禍でしばらく対面で集まる機会がなくなり、オンライン等で細々と続けてきました。昨年末、3年ぶりに忘年会を実施し、また会うことができたので、今年は対面での開催を再開していく予定です。当初は、ブログにコメントを下さる方々とリアルにお会いしてみたい、と自分自身のために活動を始めた「よつばの会」ですが、参加された方々がお互いに繋がって、交流が広がっていく様子を見ていると、こうした場があることの意義を感じ、活動してきて良かったと思います。

川上:ご自身の体験を発信することから繋がったご縁が、女性のがんと孤独に向き合っている方に届き、温かい絆が広がっていく。素敵な活動ですね。最後に、読者の皆さんにメッセージがあればお願いします。

原:がんの診断を受けたとき、多くの人が暗闇の中にいるよう状況だと思います。それでも治療はしていかないといけません。わからないことだらけで一歩一歩を進めるご自分の歩幅の中で、合うようなら患者会をぜひ頼ってほしいと思います。がんになってから、人間関係が変わってしまうこともあるでしょう。それまでに感じたことのない、さまざまな不安と向き合うことにもなると思います。そうしたことを同じがんの仲間と一緒に話すことはきっと助けになると思います。私自身もそうだったように。皆様のご参加をお待ちしています。どうぞお気軽にコンタクトください。

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