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はじめに
AYA世代とは、Adolescents and Young Adultsの頭文字をとったもので、15歳~39歳の思春期・若年成人世代をさします。
がんの罹患は、40歳代後半から50歳代にかけて上昇し、60歳代以降に著しく上昇します。現在、日本では毎年約100万人ががんと診断される中、AYA世代のがんの罹患者数は約2万人。
今回お話しを伺った樋口さんも、看護師として働く中、AYA世代で甲状腺がんに罹患したひとりです。甲状腺がん罹患後に、がん専門看護師の資格を取り、富山でAYA世代のがんに特化した患者会を立ち上げた樋口さんに、お話を伺いました。
インタビュアーは、がん情報サイト「オンコロ」コンテンツ・マネジャーの柳澤が担当します。
がんに罹患してからがん専門看護師に
柳澤:このシリーズで以前ご紹介した井本 圭祐さんを通じて樋口さんにはご挨拶させていただきました。最後にお会いしたのはコロナ禍前になりますので、随分経っていますね。では始めに、この記事をご覧いただいている方々に自己紹介をお願いします。
樋口:現在、富山大学附属病院のがん看護専門看護師として外来化学療法室に勤務しています。がん専門看護師は、がん医療に深く関わりたいとがんに罹患してから資格をとり、生殖外来やアピアランスケアのチームの立ち上げにも関わっています。
柳澤:樋口さんのお名前をいろんなところで拝見するのですが、お仕事以外の活動ではどんなことをされていますか?
樋口:プライベートでは、自身もAYA世代の患者として患者会を立ち上げて代表を務めています。2年前からは、厚労省のがん対策推進協議会委員に拝命し、AYAがんの医療と支援のあり方研究会では理事としての活動もしています。
看護師であった樋口さんが甲状腺がんに罹患
柳澤:樋口さんのがん罹患について教えて頂けますか?
樋口:当時看護師として働いていました2012年12月27歳の時に、甲状腺がんと診断されました。甲状腺がんは、一般的には穏やかながんとされていますが、私の場合、腫瘍が大きかったため、手術で食べられない、喋られなくなるかもと心配していました。
柳澤:甲状腺がんに対してはどんな治療をおこなったのですか?
樋口:2012年12月の初回手術、半年後に再度手術、そして一昨年には再発手術も受け、合計3回の手術を受けています。また、放射線の内照射治療を2回受けました。甲状腺と副甲状腺を摘出しているため、一生薬を飲まないといけない状況です。
現在は、仕事を続けながらも、お薬の心臓へ負担を考慮し、お薬のコントロールのため、3か月に1度のフォローアップの受診、外科には半年に1度受診しています。
地元に根ざした「つながり」を大事にする会として発足
柳澤:この「患者団体に聞く!」シリーズでは、様々な患者会についてお話を伺っています。樋口さんが代表を務める会について教えて下さい。
樋口:富山に拠点を置く、AYA世代(15歳~39歳)のがん患者を対象とした「富山AYA世代がん患者会Colors」という任意団体の代表をしています。対象は地元のみで、現在37名の会員となっています。
柳澤:どのような活動をされているのですか?
樋口:主たる活動は交流会で、オフ会として会員でどこかに出かけたりしてコミュニケーションをとっています。普段はLINEのグループを作っていて、ちょっとしたことを聞いたり、つぶやいたりできるようにしています。
対面で会いたいと思う人もいますが、一方でつらいことを口にするハードルが高いと思う人、自分のことはまだ話せるまでにはいかない人にとって有益です。何かの時のためにつながっていたいというニーズもあるようです。
柳澤:AYA世代のがんは、がんの好発年齢を考えると少なく、また富山、地元での活動となると対象者が少ないと思われますが、どうして立ち上げようと思ったのですか?
樋口:Colorsを立ち上げる前は、若年性がん患者団体 STAND UP!!に参加していました。STAND UP!!の会合は、東京で開催されることが多く、時間と経済的余裕がないとなかなか継続的に参加、関わることは難しいと感じていました。
加えて、都心と地方の状況の違い、医療の面でもAYA世代のがん患者への支援の遅れも実感していました。同じ環境にある地元のつながりが大事だと感じるようになり、待っていても始まらないというのが立ち上げた背景です。
「富山でも患者会を!」と集まった仲間でスタート
柳澤:患者会を立ち上げるにあたってご苦労も多かったのでは?
樋口:この患者会を立ち上げたのは2020年、コロナ禍の真っ只中でした。病院では、対面での支援もすべて中止になり、頼りになる物がなくなりました。それらならば自分たち自身で患者会を立ち上げて支え合っていこうと思いつきました。また個人的な理由ですが、趣味であったミュージカルの観劇など、すべてがキャンセルとなり時間ができたということもあります。
柳澤:0(ゼロ)からのスタートは大変だったでしょうね。
樋口:私自身が、AYA世代のがんに関わる講演会やイベントに参加してきた中で、いろいろなネットワークができていました。
そんな経緯もあって、「富山では医療側の意識も遅れているよね」「自分たちで自分事として始めないとね」「富山にも患者会が欲しいよね」と、数人が集まってのスタートでした。
中心的なメンバー数名も働きながらこの会に関わっており、WEB、SNSなど分担して進めています。私以外には医療者はいませんが、この会の活動にあたっては、医療者ではありますが、患者として関わるよう意識しています。
柳澤:スタッフ皆さんが働きながらの活動、どんなご苦労がありますか?
樋口:Colorsのスタッフで言えば、AYA世代(15歳~39歳)というと、本業であったり、家庭であったりの役割が主で、その合間をみて患者会活動も行うというのは大変なことです。
皆が多忙な時は、交流会ができないこともあり、皆もがきながらやっている感じです。そんな時でも、富山の病院関係者に知ってもらうことや、なるべくSNSは動かすようにしています。
運営資金は、助成金や寄付を頂くための事務的労力が十分ではなく、交流会の場所を無償提供していただくなど、できる範囲での活動に注力しています。
患者会に必要なサポートは「フラットな関係」との理解
柳澤:このシリーズでインタビューした皆さんに伺っているのですが、患者会にはどんなサポートが必要だと思いますか?
樋口:会員からは「同じ世代の患者に会えなかった」という声も多いので、医療機関、医療者にはパンフレットを設置するだけではなく、対象の患者さんには、タイミングを見て、必要な場につないでほしいと思います。
最近では、企業・製薬企業も「患者さん中心の」「患者さんのために」というメッセージを掲げることも多く、実際私たちにも「何かあればいつでも言って下さい」と言われます。
ただ、具体的に事を進める場面になると「患者さんと接することができない」「患者会との連携には制限があり」など、活動や支援につながらないということもあるので、このあたりはもう少し改善されないかと思っています。
私は患者でもあり、医療者でもあるので、医療者(医療機関など)、患者(患者会など)への対応が異なることがあるのも目にしているので、フラットに一緒によりよい支援のために活動できる社会になったらよいなと思います。
柳澤:私も製薬企業に勤務し、その後NPOにも関わったので言わんとすることはよくわかります。
樋口:いろいろなところで、講演させていただく機会があるのですが、支援に繋げるための同じような講演でも、看護師として、患者としての講演料が異なっていたり、後は「患者様」って言われるのは、溝を感じ、違和感があります。
これは他の患者も感じる「あるある」です。
富山だけでなく、全国との連携も
柳澤:これからからのColorsは?
樋口:富山でがんに罹患しても、居場所があるということを大事にしたいです。富山は、全国一持ち家率が高く、オンラインだと周りに家族がいて患者になりきれなという声もあります。そのような事から、対面の交流会も用意し、またつながりだけでいいという人のニーズを満たすため、いろいろなアクセスを用意しておきたいと思っています。
柳澤:樋口さんは、その他にも大きな活動に関わっています。そういった活動との関わりは?
樋口:富山でのAYA世代のがん患者会の活動を、その枠を超えて大きなムーブメントにつなげていきたいと思っています。そして、全国的に活動するAYAがんの医療と支援のあり方研究会などとも関わりをもっていきたいと思っています。
柳澤:それはどういった思いからですか?
樋口:富山(地方)のAYA世代のがん患者の声が、実際の支援につながってほしい。また、他の地方でも患者会を立ち上げたいと思っている方々とも情報交換もしたいといった思いがあります。実際に、そのようなネットワークも作られてきています。これらを通じ、何か活動を始めようという人たちが報われてほしいと思います。
だからこそ動きたい
柳澤:最後に、この記事を読まれる方、AYA世代のがんの皆さんへのメッセージをお願いします。
樋口:がんに罹患して、治療を受けた方には「何もできないんです」という人もおられます。しかし、私は「がんと向き合うこと」だけでもすごいことだと思っています。
治療を受け、副作用に対処し、生活の再構築を模索する。それはなかなか出来ることではありません。
がんに罹患し、多くの困難に直面し、生きづらさを感じても、それは自分が悪いのではなく、仕組みが整っていないため起こることもあります。
AYA世代のがん患者を支援する仕組みや制度は、未だ十分とは言えません。普段患者として、看護師として様々な方の姿を見せていただいているからこそ、そんな状況を患者さんの実際の声からよくしていけるように動きたいと思っています。