はじめに
今回お話を伺ったのは、
CLL(慢性リンパ性白血病)患者・家族の会の代表、齊藤治夫さん。
2006年に、46歳という若さでCLLの診断を受け、経過観察、治療、経過観察、再治療、と長い年月向き合ってこられました。血液のがんのなかでも、CLLの罹患率は10万人に0.3人、と少なく、情報も、同じ病気の方との出会いもほとんどなかったなか、2020年に日本初となるCLLの患者会を立ち上げられました。
川上:はじめに、CLLの診断と治療の経緯について教えてください。
齊藤:たまたま受けた血液検査の結果、白血球の値が以上に高く、精密検査を勧められ、会社の近くの病院を受診したところ、慢性リンパ性白血病、CLLの診断を受けました。
その病院では、初めての患者だと言われました。診断はついたものの、当時の状況では治療はせず経過観察をしていく、とのことで、身の置きどころがないふわふわした気持ちで、自分でもいろいろと調べたり、同病の方の話を聞きたいと思い、血液がんの患者支援NPOが開催するセミナーに参加したり、いろいろな病院にセカンドオピニオンを受けに行ったりしました。
川上:経過観察と治療は、診断を受けた病院ではなく、別の病院で受けられたのですか?
齊藤:「血液情報広場つばさ」の代表の橋本さんにもお会いしてお話を伺い、現在は広島大学の血液内科の教授になられている一戸辰夫先生が、当時は京都大学におられ、そこで診ていただくことにしました。
2008年1月に、血小板の値が一気に低下したことで、治療を始めることになりました。
当時はまだ新しい薬剤であったリツキサンを使ったFCR療法(フルダラビンとシクロホスファミド、リツキシマブの併用療法)を6か月行って、寛解となりました。
川上:FCR療法は、効果はあるけれど、とても厳しい治療ですよね。
治療中、お仕事はどうされていたのですか?
齊藤:私は、製造メーカーの営業をしていました。
医師からは、CLLの患者さんは60代以上が多く、私はそれと比較して若かったため、治療には耐えられるだろうが、治療によって好中球が減少し、感染しやすくなるため、予防等の観点から仕事は休むように、と言われました。
治療中は、感染予防のために常時マスクをする必要がありました。今でこそコロナ禍で平常時でもマスクをすることは当たり前になりましたが、当時、顧客と対応する際にマスクをすることに対しての理解は殆どなく、その点からも仕事は諦めざるを得ず、自身のキャリアも諦めることになり、寂しく思いました。
川上:FCR療法だと、治療費もなかなか高額になりますよね。
齊藤:はい。治療中の6か月間は、傷病手当金を受給していました。
また、当時の社長が食道がんの経験者だったこともあって、治療への理解があり、感染症予防の観点からもしっかり休んで治療に専念するように、と配慮いただきました。
小さな会社でしたが、私の件をきっかけに闘病中の社員に毎月の手当金を支給する制度も作ってくれ、有難かったです。残念ながら社長はその後亡くなってしまいましたが、会社に復帰後は、社長や仲間に恩返しをしたい、と思うようになりました。
川上:治療・寛解後は、以前とは違ったモチベーションでお仕事や人生と向き合われたのですね。
齊藤:仕事の面では、新たな営業先を開拓するなど、会社に対してある程度の恩返しができたと思います。
闘病時は社会保障制度に助けられましたが、当時はあまり知識もなく、また将来の不安もあったため、改めてきちんと知りたいと思い、自分のために社会保険労務士の資格取得を目指し勉強を始め、2017年に合格することができました。
ところが、10年経ったところで血小板の値が急激に低下し、再燃してしまったんです。その頃には、新しい分子標的薬、イブルチニブも承認されていましたが、一生飲み続ける必要があることに不安があり、いろいろと考え、医師とも相談し、58歳で、前と同じFCR療法を受けることにしました。
川上:再度のFCR療法は効果がありましたか?
齊藤:はい。60歳の定年前に無事治療を終え、そこから6年経過しています。
2回目の診断を受けた2018年頃、ちょうど、治療と仕事の両立支援のことがクローズアップされていました。
治療を継続するということは、お金もかかることであり、治療と仕事の両立はとても大切なことだと思ったので、キャリアコンサルタントの資格も取得しました。
川上:社労士やキャリアコンサルタントなど、ご病気になられてからいろいろとチャレンジされて、素晴らしいですね。
患者会を立ち上げられたのは、2回目の治療の後ですか?
齊藤:2度目の治療が必要になったとき、情報収集のためにまた「血液情報広場つばさ」のお世話になりました。
治療を終え、自分は恩を受けるばかりで、会社には恩返しできたけれど、橋本さんや社会に恩返しするのも自分の使命ではないか、と思うようになりました。
そんなとき、代表の橋本さんから「CLLの患者会がないから作ったらどうか、自分が顧問になるから」と促され、これからCLLと向き合う方のために自分の経験や学んできたことを発信したいとも思っていたので、2020年に患者会を立ち上げました。
川上:それまで患者会が存在しなかったCLLの患者さんたちがやっと繋がれるようになったのですね。
患者会ではどのような活動をされていますか?
齊藤:立ち上げたときはコロナ禍の真っただ中でしたから、主にZoomを活用したネット上での活動が中心でした。
新潟薬科大学の青木定夫先生に顧問医になっていただき、CLLや標準治療について学ぶセミナーを開催したり、体験談を発信したり。血液がん専門の看護師さんに講義していただいたこともあります。
セミナーのほか、懇話会も定期的に開催しています。オンラインなので、遠方からでも参加していただけて、米国やドイツなど、海外からの参加もあり、セカンドオピニオンの取得が難しい地方の方が、実際に青木先生のところに行かれたり、ということもありました。なかには、30代で罹患された方などもいらっしゃいました。
今年5月、初めてオンラインではなくリアルのセミナーを開催しました。
川上:患者会そしてネットがなければ得られなかった情報や仲間との繋がりで、運命が変わった人もいそうですね。
いま、会員数はどのくらいいらっしゃいますか?
齊藤:登録してくださっている方は、患者さんやご家族等で60名ほどいます。懇話会などの企画に参加されるのは、10-15名程度でしょうか。
セミナーを開催すると、40-50名の参加があります。懇話会には参加しないが、セミナーで最新の情報を得たい、という方もいて、みなさんのペースで自由に参加いただいています。
川上:患者会の運営をするうえでのご苦労などはありますか?
齊藤:幸い、これといった苦労もなく運営できています。
活動資金については製薬企業から寄付金をいただき、その範囲でやりくりしていますし、懇話会で使用しているZoomも経費はかかっていません。
今年の5月に初めて、オンラインではなくリアルの企画を実施しましたが、その際にも製薬企業の方が会場の設営や受付を手伝ってくれました。先生方もボランティアでご協力くださっています。
活動資金はあるに越したことありませんが、できる範囲内でやっています。
年に1度の活動報告に関しては、LINEグループで議論を重ねて企画しています。強いて困ったことを言うなら、メンバーが元気な方ばかりではない、ということでしょうか。ほかのがんに罹患したり、亡くなられたり、で退会される方もいます。
川上:これは、がんの患者会でしたら、どの団体も直面されていることでしょうね。
齊藤:亡くなられた患者さんのご遺族ともやりとりがあり、支援できないものか、と、上智大学が開設しているグリーフケアの勉強会に参加して、2年間学びました。
私の居住地域である大阪にも学ぶ場があり、宗教学や心理学などを学びました。
グリーフケアは課題を解決するのではなく、悲嘆に対しどう寄り添うか、というアプローチのため成果は見えにくく、しんどく感じることもありますが、時々、メールでいただくレスポンスにやり甲斐を感じています。
川上:これからの会の活動の展望についても教えてください。
齊藤:会を大きくしていこう、とは思っていません。Zoomの懇話会も、現在ご参加いただいている10人程度の人数がちょうど良いと思っています。
さきほどお話したように、会を卒業される方もいらっしゃいますが、新たに入ってこられる方もいます。顔が見える状況で、お一人おひとり、丁寧に対応しつつ、グリーフケアなど、新しいことにも取り組んでいきたいと思っています。
川上:最後に、オンコロの読者の皆さんにメッセージがあればお願いいたします。
齊藤:CLLの患者さんがいらしたら、あなたはひとりではないですよ、仲間がたくさんいますよ、とお伝えしたいです。
不安かと思いますが、隣の方をみて、こんにちは、と距離を縮めてみてください。
私たちは、いつでもあなたをお待ちしています。