患者団体に聞く!特別編 フリーアナウンサー(元フジテレビアナウンサー)笠井 信輔さん昭和のがん患者から令和のがん患者へ「脱・昭和患者のススメ」 -「我慢を美徳」としないがん治療-


  • [公開日]2023.12.08
  • [最終更新日]2023.12.08

はじめに

「我慢は美徳」。令和の時代にあって、そうは思わない人も増えてきたと思います。ただ、ことがん治療において、特にがん好発年齢の中高年以上の患者さんにおいては、まだそんな状況にある患者さんも少なくないかもしれません。
悪性リンパ腫に罹患したフリーアナウンサーの笠井 信輔さん。「先生、まずは痛みを取ってください」。笠井さんのがん治療は、「我慢を美徳」としないことから始まりました。
インタビュアーは、がん情報サイト「オンコロ」コンテンツ・マネジャーの柳澤が担当します。

闘病中の出会い

柳澤:笠井さんに初めてコンタクトをとったのは、まだ闘病中のときでしたね?

笠井:テレビ関係の知り合いから、がん情報サイト「オンコロ」というところからコンタクトしたいと連絡がありました。2020年の春頃でしたね。退院するかどうかという時でした。

柳澤
:オンコロでは、著名人の方ががんに罹患されたという報道があっても、すぐにコンタクトするということはないんです。ただ、今回は白血病を体験された共通の知り合いのご縁もあって連絡させて頂きました。辛い闘病中のこと、ご迷惑だったのでは?

笠井
:私は、そうは思いませんでした。フジテレビを退社し、フリーになってからの悪性リンパ腫の罹患、コロナ禍での入院治療。そんな時、オンコロさんと一緒に何か情報発信の取り組みをやりませんかとのオファーは、新たに自身の情報発信の拠点を持てると、とても嬉しく感じたのを覚えています。

柳澤
:私たちもコロナ禍以前は、年間50回程度のリアルセミナーを実施していたので、コロナ禍での新たな情報発信を考えている時でした。

笠井
:私も、退院間もない中、体力にも不安があるし、しかもコロナ禍での外出制限もあり、オンラインで情報発信ができるというのはとても魅力的でした。


※がん情報サイト「オンコロ」が笠井さんにコンタクトした2020年4月

患者視点での配信番組をスタート!

柳澤 :番組内容を具体化させていくのは、2020年の夏ごろでしたね。オンコロとご一緒に活動されることに不安はありませんでしたか?

笠井:知り合いの紹介ということで不安はありませんでしたが、罹患した後は、怪しげなところからいろいろコンタクトがあったのは事実です。私自身に不安はなかったのですが、所属事務所の方は、ちゃんと調べてましたね。「オンコロは、大丈夫ですと」(笑)。

柳澤
:良かったです(笑)。実は、私たちも笠井さんのブログ※やSNS(インスタグラム)※を拝見していて、とてもニュートラルで、患者さんだからこその視点での発信は、とても素晴らしいと思っていました。そして実際に笠井さんの発信がYahoo!ニュースに取り上げられるなど、大きな影響があることも知っていました。

笠井
:ありがとうございます。ネットでの情報発信については、妻や息子たちには、十分注意することってずいぶん言われていました(笑)。妻や息子たちに感謝ですね。

柳澤
:笠井さんは、発信をすることへの影響についてどう感じていましたか?

笠井
:実は、インターネットで自身の病気(悪性リンパ腫)のことを調べると、結構悪い情報に引っ張られるんですね。そこで、私はインターネットで調べることをしなくなったのですが、自身のブログやSNSでの発信への反応には、感謝することも多かったです。それこそたくさんの励ましを受け、闘病を続ける上でのアドバイスもいろいろと貰えました。

笠井さん公式ブログ 笠井TIMES(人生プラマイゼロがちょうどいい)
笠井さんインスタグラム


※笠井さんの闘病を支え、様々な情報発信の力になった奥様の茅原ますみさんと(元テレビ東京アナウンサー)

アナウンサー(司会)は天職

柳澤:ところで、笠井さんはどんな幼少期、学生時代を過ごされたのですか?

笠井:もう小学生時代から、いろんな催しの司会をしていました。放送委員会、児童会長、生徒会長と、しゃべるのが大好きでした。周りも「司会は笠井に任せとけ」みたいな感じですね。高校時代には、既にアナウンサーの道を考えていました。高校の先生の後押し、理解もあり、浪人しながらも早稲田大学に入学しました。

柳澤
:大学卒業後には、念願のテレビ局にアナウンサーとして入局するわけですね。私たちの世代にとって当時のフジテレビは、それこそ時代を先取りするテレビ局でした。

笠井
:ただ、実は、当時自分が就職したかった日テレやテレ朝には落ちて就職したのがフジテレビだったんですよ。フジテレビと言えば女子アナで、男性のアナウンサーにはそれほど大きな期待が寄せられていなかった中、元気と勢いが取り柄で入社できたのかもしれません。

柳澤
:フジテレビに入局してからの笠井さんは?

笠井
:入局直後は、怒られっぱなし(笑)。でも、小学生時代からの夢でしたし、何かを作っていく感じは、毎日が学園祭のようでした。まだ学生気分でもあったかもしれませんが、入社2年目には情報番組(タイム3)の総合司会にも抜擢されたりしました。


※学生時代の笠井信輔さん。

ボスである小倉 智昭さんの膀胱がん罹患と自身の悪性リンパ腫の罹患

柳澤:笠井信輔と言えば「とくダネ!」。小倉 智昭さんとの番組を思い起こす方が多いと思います。笠井さんにとって小倉さんはどんな存在でしたか?

笠井:それこそ毎日会うわけですから、ボスのような存在でした。20年近くそんな関係にあったわけです。

柳澤
:そんな時、小倉さんの膀胱がんが発覚します。その時のお気持ちは?

笠井
:糖尿病を長く患っていたので、頑張りすぎたのかなって思っていました。小倉さんが膀胱がんに罹患したのが2018年の冬。実は、その時、私は、フジテレビを退職し、既にフリーになる準備をしていたところでした。

柳澤
:私も脱サラをした笠井さんと同世代の身として、50代での独立は相当な決断だったと思うのですが、そんな時に、ボスが膀胱がんになるとは。

笠井
:そうなんですよ。フリーになるアナウンサーの多くは40代で決断をします。そんな中、私がフリーになると決断をしたのは50代後半。定年退職する人も多い中、周りからは5年遅いと言われていましたが、番組内での立場も変わってきて、もっともっとしゃべり続けたいとフリーへの転身を決断した時期でした。そんな時にボスの膀胱がん罹患。こんな時に、自分が辞めるのはどうかな?といった思いから退職を延期し、結局、退職したのは2019年の10月でした。


※『とくダネ!』のサブ司会兼メインアシスタント・ニュースデスクも担当。


※フジテレビ先輩の軽部真氏と。「男おばさん」とのコンビを組んでいる。


※「笠井 信輔のこんなの聞いてもいいですか」の小倉さんとの対談回。がんをテーマとした動画としては異例の40万回再生数となっている(2023年12月7日現在)。

最悪のタイミングで悪性リンパ腫に罹患

柳澤:50代でのフリーへの転身。さあ、これからという時に、自身も悪性リンパ腫と診断されるんですね。

笠井:周りからは5年遅いと言われたフリーへの転身ですが、意気揚々と仕事に臨む時期、一般的にはフリーになった後には他局への出演などの特需もあるのですが、そんなチャンスも逃してしまったという思いでした。辞めるのが半年早ければなどとも思ったりしました。

柳澤:診断までの経緯は、笠井さんの1冊目の著書「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」に詳しく書かれていますが、大変でしたね。

笠井:なにしろ、すぐに診断がつかなかったこと、それでも痛みなどの身体症状は続くんです。悪性リンパ腫とわかった時は、さすがにショックでした。ただ、主治医へは、仕事は続けられますか?いつから仕事ができますか?って話ばかりしていて、命を優先し治療にあたる患者さんが多い中、この人は大丈夫、死なないって妻は思ったそうです。

柳澤:実際に治療に入ってからはどうでしたか?

笠井:やっぱり辛かったですよ。実は、悪性リンパ腫の診断後、既にいくつか仕事も入っていました。大きな仕事だけをこなし治療に入るとも思ったのですが、事務所とも相談し、これからフリーになる身、信用が一番大事な時、全ての仕事をキャンセルし治療に入るか、全ての仕事をこなしてから治療に入るか?という選択で、私は後者を選びました。


「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」

2冊目で伝えたかったQOLのこと

柳澤:今回、2冊目の書籍「がんがつなぐ足し算の縁」を上梓されました。1冊目の著書「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」との違いは?

笠井:1冊目は退院直後、コロナ禍しかも緊急事態宣言中の時に書いたもので、自身の闘病記的なものです。2冊目は、それこそオンコロさんとご一緒したインターネット配信番組「笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか」で勉強したお役立ち情報を盛り込んでいます。

柳澤
:伝えたかったことはなんでしょうか?

笠井
:がん医療が進歩し、変わっていっているという情報だけでなく、それに応じて、患者サイドも変わっていかないといけないということも伝えたかった。私も、仕事の関係で、治療の開始が遅れ、痛みがひどくなっていました。治療開始にあたって、がん治療ではなく、まずは痛みをとって欲しい。その頃、私はQOLQuality of Life生活の質)という言葉を知らなった。医療者の間では当たり前の言葉なんだと思いますが、初めてがんに罹患した人は、こんな言葉を知らないし、治療初期からの緩和医療なんてことも知らない。昭和患者には、「痛いんです。まずは痛みを取ってください」、そんなことが言えないんですよね。1冊目ではあまり取り上げることができなかった、生きる上でとても重要なQOLを大事にすること、自分が変わるということを伝えたいと思いました。


「がんがつなぐ足し算の縁」

QOLはどんな患者にとっても共通言語

柳澤:最後になりますが、読者、そして闘病中の患者さん、サバイバー、ご家族にメッセージをお願いします。

笠井:QOLは、あらゆるがん種、どんな状況の患者さんにとっても、共通言語です。当初、出版社からは、がん治療の副作用に関して書いて欲しいという話もありましたが、副作用とそのコントロールも最終的には患者のQOLの改善と向上につながります。
QOLの向上には、痛み、吐気、脱毛などの容姿の変貌、精神的な苦痛、仕事など社会的不安などへの対処も必要です。実際、講演会でも、QOLに関する話への反響は大きく、皆さんあまり知らないけれど、聞いてみて初めてその重要性に気づかれます。
そして自身の経験から言えることは、がん治療も変わってきていますが、治療を受ける私たち患者も、その価値観を変えていかないといけないと思っています。
自分の価値観は古くないか?例えば、「我慢は美徳」。令和のがん患者においては、もうそれは古い価値観で良いと思います。年をとると、なかなか自身の価値観を変えられない方も多いと思います。
しかし、ちょっとした考え方、行動の変化が、皆さんのがん治療や療養をより良いものになることもあると知って欲しいと思います。新刊本「がんがつなぐ足し算の縁」は、そういった具体的なエピソードをたくさん盛り込んだ本なんです。

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