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【連載】急性骨髄性白血病と闘った”みぃみ”の記録~PART.3~

[公開日] 2019.08.15[最終更新日] 2019.08.15

目次

今回、ご縁があってブログに記載したみぃみの闘病についてを連載していただけることになりました。 とっても強かったみぃみの病気。急性骨髄性白血病 “M2”。 同じ病気と闘っている人が一人でも多く、家族の元に帰れますように。 そして、家族が笑顔で過ごせる日が来ますように。 みぃみの頑張りが私達だけでなく、たくさんの方に届きますように。 母 たにかわ まりこ PART.1はこちらから PART.2はこちらから

2016年10月 骨髄移植

10月1日 運動会

10月1日はウイングシティ保育園の運動会の日。 保育園の先生からメダルを頂きました。 場所は違えど、頑張っているみぃみにご褒美。

10月6日 頭を冷やす

「みぃみ、おねつがあるのー。つめたいやつちょうだい」 とナースコールを押して看護師さんにお願いしたみぃみ。 もらうと、いきなりこの使い方(笑)

10月15日 食欲の秋

抗がん剤をしても食欲は落ちなかったみぃみ。 本当によく食べてくれました。 夏はスイカ、とうもろこし。秋はバナナやみかん。

10月19日 いよいよ骨髄移植

いよいよ骨髄移植が近づいてきました。 ドナーは私。 みぃみは無菌室に入るため、こうやって窓越しにもねぇねに会えなくなります。 骨髄移植、30日で結果がでて、うまくいけば100日以内で退院。 親族からの骨髄提供だからきっとうまくいく! みぃみが帰って来る!!誰もがそう信じていました。

10月23日 最後の大部屋

みぃみはこの大部屋が大好きでした。 1号室=「1号さん」とよばれ、みぃみのほかに、しょうちゃん、たっくん、やまちゃん、ゆかちゃん、りなちゃんが居た賑やかな部屋。 1歳から4歳の子で年齢も近いため、一緒にお話したり、歌を歌ったり。 これから無菌室生活が始まります。

10月25日 個室と放射線治療

個室にうつり、骨髄移植の準備が始まりました。 放射線治療です。 無菌状態でストレッチャーで運ばれるみぃみ。 不安そうなみぃみでしたが、「飛行船にのって行こうね!」と言うと目を輝かせて、楽しみにしてくれました。 何事もポジティブなみぃみに感謝でした。

10月26日 いよいよ骨髄採取

☆今後骨髄ドナー登録する方、現在ドナー登録していて依頼が来る可能性がある方には是非読んでいただきたい体験談です☆ ☆長文です☆ 私は10月26日に入院して、27日採取。28日には退院。二泊三日でした。 今回は親族がドナーということもあり、同じ病院で、病棟と主治医は違いました。 これは決まっていることで、子供の近くにいると、頑張り過ぎてしまう可能性があったり、主治医が同じだと、平等にみるとはいえ、どちらかの患者を優先してしまう可能性があるからだそうです。 まさか、30歳過ぎてから小児科の診察券をつくるとは・・・ まさか、点滴の針を止めるのが、くまちゃんがいるテープをつけることになるとは・・・ まさか、すっぴん・ツインテール・ジャージ姿で息子の病院をうろつくことになるとは・・・ ツッコミどころは満載です(笑) 26日に最終の血液検査をし、全身麻酔の説明を改めて聞き、翌日を迎えるのみ。 意外と小心者な私はあまり眠れませんでした・・・ 27日は旦那くんも時間には来てくれて、手術室までは自分の足でテクテク。 手術着は3L(笑)だって子供が基準だから。 旦那くんに「行ってきます」と言い、手術室には入り、手術台に自分で登り、先生が来たなー、麻酔が入るなー、と思ったら、あっと言う間に麻酔で眠りました。 前日あまり眠れなかったせいか、日頃の疲れがたまっていたせいかぐっすり。 麻酔をかけてから体制を整え、腰のあたりから骨髄を採取。(と説明を受けました。) 気がついたら自分の病室。そしてなかなか起きられず(笑) 「起きるまでは付き添いを」と言われたらしく無駄に旦那くんを付き合わせました。 みぃみ、1人にしてごめんね。 起きたら先生がきて「予定より多く取りました。すこし骨髄液が薄かったので。でも、400 ミリしっかり取れましたので大丈夫です!」とのこと。 安心安心。 心配していた痛みはほぼ無く、痛み止めも特に追加せず。 想定以上にあっけなく終わりました。 色々な骨髄ドナー体験談があると思いますが、これも一つ。 デメリットといえば、何回か病院へ足を運ばなきゃならなかったり、全身麻酔だったり・・・。 でも、この小さな行動が1人の人間の一生を左右する。 ドナーが見つからず、移植にチャレンジできないまま時間がすぎる人もいる。 骨髄ドナー登録、各献血ルームで簡単にできます!!

10月27日 骨髄移植

私の骨髄がみぃみの身体に入る時。 100日過ぎたら治る!頑張れ私の骨髄!そう思っていた。 ・・・そして、意外と400ミリを採取した身体はフラフラ。貧血のため自分の病室で休みました。

11月 末梢血幹細胞移植

11月5日 医師からの説明

「みずきくんの白血球がなかなか増えてきません。これはお母さんの良い細胞とみずきくんの悪い細胞が戦って相殺してしまっているからと考えます。援護射撃の位置付けで、もう一度、移植をさせてください。今度は末梢血幹細胞移植です。通常、移植にはたくさんのリスクも伴いますが、みずきくんの全身状態がよいことを考えれば、なるべく早いタイミングで移植をしてあげたいのです。」 「お願いします。」 「それでは、11月21日に末梢血幹細胞移植です。20日に入院してください。」

11月20日 母再び採取へ

大切な親友ひぐっちゃん結婚式の当日。 私は挙式だけ参列し、みぃみの病院へ入院。

11月21日 母、末梢血幹細胞採取

☆こちらは骨髄ドナー(末梢血幹細胞移植)登録を考え中の方に是非読んでいただきたい内容です☆ 21日、22日の2日間で末梢血幹細胞採取。 採取前の白血球を増やす注射を2~3日打ちます。順調に増えていることを確認した上で採取です。 左腕から血液を抜き、機械で必要な成分を遠心分離して採取。右腕から戻すという工程です。 毎日注射をすること。しかも3ミリ。意外とこれが痛かったです。 こんなこと言ったら失礼かもしれませんが、先生の上手下手が顕著にでました(笑)。 間違いなくみぃみの主治医の先生が一番上手でした(笑)。 当日、私の血管は結構太く立派なので安心していた先生方。 しかし、血管が曲がっているらしく、長く太い針だとうまく採取が出来ず、続々と先生が集まってきました。 今日、採取できなければ、みぃみの今後に大きく関わることを感じます。責任重大な私と先生たち。 結果、針を細くして、時間をかけて採取することに変更。これはうまくいきました。 2日間で必要な量の10 倍の細胞を採取できました。 痛みは全くなく、血を抜かれる感覚が不安だった私でも全く貧血にはならず、全く副作用なし! しいて言うならば、採取中は両手がふさがっているためご飯が食べられないことが不便なくらい。 骨髄ドナー登録は、献血ルームで簡単に行えます!!

11月22日 先生からの衝撃の言葉

先生からの衝撃の言葉が。 「先程、みずきくんの検査結果がでましたが・・・。 お母さんの細胞はみずきくんの中に残っていませんでした。要するに拒絶されました。 拒絶される確率は10パーセント以下とお伝えしてましたが・・・。」 すごくがっかり話す先生。 「それだけ、みずきくんの白血病細胞が強い事は間違いありません。今回、お母さんから通常いれる量の10倍の細胞が採取できています。とにかくいれましょう。」 そう、1回目の移植は失敗。 2回目も私からの移植・・・。旦那くんやほずみさんのほうが拒絶される確率が高いと判断されていた為、選択としては間違いは無いけれど・・・。この判断自体が間違いではないか?? とはいえ、2回目ができることは稀なこと。機会を貰えただけでもありがたいと思わなければ。 本人はこんなに元気なのに・・・。 〜PART.4に続く〜 PART.1はこちらから PART.2はこちらから

姉 ほずみさんのインタビュー

瑞騎くんの闘病を、近くで見守っていたほずみさん。病気が治る薬ができる願いを込めて自主的に寄付活動を始めたほずみさんへインタビューをしました。 編集:中島 香織
体験談 白血病 小児 急性骨髄性白血病

中島 香織

広告業界、放送局業界、コンサート・舞台企画業界を経て1年間渡米留学。帰国後は、外資系企業に就業。イベントマネージャーとしてPR,マーケティング業務に携わる。がん情報サイト「オンコロ」では、主にイベント運営、Webサイトの更新、コラム投稿に従事。宣伝会議コピーライター養成講座修了、乳がん体験者コーディネーター(BEC)11期生。

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