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腹痛が罹患のサインだった
中島:はじめに、罹患時について教えてください。どのように診断に至ったのですか。
吉田:2年前の36歳の時です。2人めにあたる長男を出産して1年経ったころ、自分のお腹が膨れていることには気がついていましたが、「産後太りかな?」程度の意識でした。
ただ、うつ伏せになると下腹部にゴロゴロとした違和感がありました。妊娠5カ月の頃、卵巣嚢腫の手術を受けていたので、その影響もあるのかもしれない、と思っていました。
ある日、長男が遊びのつもりで私のお腹に頭をぶつけてきた時、強烈な痛みが走りました。
異常な痛みだったので「子宮筋腫なのかもしれない」と、かかりつけの婦人科クリニックへ、1人では痛くて行けず主人に連れて行ってもらいました。
エコーで診察した結果は、「腹水が溜まっている状態」で、地元の市立病院に紹介状を書いていただきました。
グレーな診断結果
中島:市立病院では、どのような検査をされたのでしょうか。
吉田:CTとMRIの検査を受けました。その結果、卵巣が腫れている状態で、画像で見る限りボコボコとした影が写っており、医師からは「悪性腫瘍の可能性がありますが卵巣は術前の生検ができないので、手術で卵巣を摘出し、細胞検査をしてみないと、最終の診断はつけられない。」との説明がありました。
医師からは、「画像で診る限りでは、顔つきが悪いようなので境界悪性腫瘍の可能性が高いが、ステージなどはわからない。」、「開腹しないと診断が出せないので、もしステージが進んでいたら子宮、両卵巣、大網、骨盤内のリンパ節を摘出することになります。そうなると、大きな手術になります。」と、その場で様々なケースの手術法を説明されました。
卵巣茎捻転(らんそうけいねんてん)を起こしていることが原因でおなかが痛い状態のため、「放置すると痛みはもちろんのこと、血液が行き届かなくて卵巣が壊死しますよ。」との説明もありました。
生検は術後とのことで、術前の診断はグレーだったということです。
中島:いくつもの予想の結果を受けて、動揺されたのではないでしょうか。
吉田:想像もしていなかった内容で、頭の中ははてなでいっぱいでしたが、自分にとって今のベストな治療は何だろうと考えた時、家族にとって一番良い選択をしようとすぐに腹を決められました。
この1カ月ほどに、キャリアカウンセラーとして事業を立ち上げたばかりで、そちらも気になりましたが、まずは家族の為にしっかり治して、動けるようになるのが一番大事だと自分に言い聞かせました。
「わかりました。手術で再発リスクが上がる両卵巣・子宮全摘出をお願いします。」と、その場で自分の決断を伝えました。大事な家族のために今後の再発リスクを最小限に抑えるために、悪いところはすべて取ってもらおう、子宮も摘出してもらおう、とシンプルに考えた結論でした。
付き添ってくれた主人は、医師からの説明に驚いていたようでしたが、「自分の身体のことだから、自分で選択して決めていいよ。」と声をかけてくれました。
すでに腹痛は強くなってきており、セカンドオピニオンを考える余裕はありませんでした。
中島:手術方針を決めてから、術後までの経過をお聞かせください。
吉田:画像診断では、9cmもの大きさの影が写っており、破裂する可能性もあると説明を受けたので、医師から説明があった日から4日後には手術を受けました。
入院初日 病室のベッドにて受け入れ先がないもどかしさ
中島:入院が決まりどのように行動されましたか。
吉田:まず、待機児童だった長男の事が真っ先に浮かびました。
主人は長時間家にいないバス運転士として働いています。早朝は4時から夜は1時過ぎまで帰ってこない日だってあります。
両親も遠方に住んでいたり、仕事を持っていたり、高齢で自分自身も患者だったりと気軽にお願いできる人は思い当たりませんでした。
一番初めに、長女が利用していた保育園の一時預かりを利用できないか保育課へ問い合わせたところ、「預け先はどこも定員いっぱいで、緊急対応してもらえる施設はありません。ファミリーサポート制度を使ってください。」と言われました。
ファミサポは、ボランティアベースで朝早くや夜遅くはなかなか手伝ってくださる人がいないとの事で、だめでした。民間のベビーシッターサービスも同じ理由で適任者が見つからず断念。
また、県が管轄している「一時里親制度」があり、その制度を利用しようと問い合わせをしましたが、「ひとり親でもなく、子どもが虐待されたわけでもない。親戚が近所に住んでいる。その人が末期がんで子供の世話が頼めない状態でも、利用できる対象にはならない。税金で運営しているので受け入れる事はできません。」という理由で名前も聞かずに電話を切られました。
「名前を聞かないということは、この電話の内容の記録も取らないんだ。」と、驚いたことを覚えています。
結局、入院から退院後のしばらくは、主人が2週間休職し、家事全般を担ってくれました。
急な長期休みを取らせてくれた主人の会社には感謝しかありませんでした。
その分収入はなくなりますが、貯蓄があったのでなんとかその後数カ月の生活は乗り切りました。
また、75歳を超える初老の父も遠方から来て泊まり込みで子どもの面倒をみてくれました。2人がいなかったら、私はがん治療が受けられなかったと思います。
子どもの預け先を探した行動を通して、がん患者の生活をサポートする為の日本の制度や環境が整っていないということを痛感しました。
その後、手術を受けて開腹したところ卵巣の中にできていた卵巣嚢腫(成熟嚢胞性奇形腫)の一部に分裂速度のはやい神経細胞が混じり、腫瘍が大きくなっていたけれど、悪性腫瘍の割合が少ないうちに発見出来たのでリンパ節まではとらず、両卵巣、子宮と、転移しやすい体網を摘出する術式になり、5~6時間で終わりました。
前年、妊娠5ヶ月の時、その時も卵巣茎捻転の痛みで気がつき12cmに肥大した卵巣嚢腫を摘出したばかりなのに、短期間でこんなに大きくなり、一部がん化していたというのには驚きました。
術後の治療方針
中島:術後の結果はどのような説明を受けましたか。
吉田:2週間ほどの入院期間に、生検結果は出ませんでした。
今回私が罹患した卵巣がんは、卵巣の袋の中にある腫瘍がどれだけ悪性腫瘍化しているかで、グレードが決まります。
私の最終診断は退院1週間後に、「境界悪性腫瘍ステージⅠの卵巣がん」でした。
実は、中学3年生の時と、2人めの長男を妊娠中に、良性の卵巣嚢腫の摘出手術をしています。
卵巣腫瘍ができる原因は不明と言われていますが、特別珍しい病気ではないそうです。
卵巣腫瘍では、子宮内膜組織が卵巣で増えてしまうチョコレート嚢胞なども有名です。
意識して検査に行かないとトラブルが見つけられない部位で、不妊の原因にもなりかねないものです。
チョコレート嚢胞もがん化しやすいものだそうなので、女性には意識して自主的に検査を受けに行って欲しいです。
主治医は、「卵巣境界悪性腫瘍ステージⅠ(卵巣がん)のガイドラインに沿ってはいないけれど、罹患年齢が若いので、今後の人生を考えれば術後の抗がん剤治療を受ける価値はあります。」とのお考えでしたが、主治医の上司にあたる先生は、「ガイドラインから外れるので、抗がん剤治療を受ける必要はない。」と、ここでご意見が分かれました。
「もし抗がん剤治療を受けるとしたら、副作用もあるだろう。特に大変な早朝、遅晩に子ども達をお願いできる何かサービスや頼れる人がないと生活が成り立たなくなる。」という事が最初に頭に浮かびました。
術後、病室のベッドにて中島:術後抗がん剤の治療は受けたのでしょうか。
吉田:主治医とその上司の医師との意見が分かれていたため、自分でも決めかねていました。
このタイミングで、がん専門病院でセカンドオピニオンを受けました。
「大丈夫。今とるべき最善の治療を受けています。もし抗がん剤を受けずに新たにがんが見つかったら再発ではなく、新たながんになったと考えてもいいと思いますよ。」と、元気づけるように明るい説明を受けて、自分の中で決着がつきました。
でも本音では、子どもを預ける環境が整っていたならば、きっと抗がん剤治療を受けていたと思います。
献身的に支えてくれた主人と長男浮かび上がった制度問題
中島:その環境によって、治療方針が決まったのですね。
吉田:今回の場合、役所の職員さんが悪いのではなく、病気になった親が安心して治療を受けるために利用できる制度がないのが問題だと思います。
役所などの公的機関は、民間企業が提供できないものを提供して、住民が安心して暮らしていく事をサポートするのが役目だと思うのです。
新たな託児サービスなどを導入するのは大変かと思いますが、診断直後の方が利用出来るサービスや制度を、一つの相談窓口に聞いてもらえるようにするなどの業務改善はできると思うのです。
誰もが、自ら電話をして同じ情報を何度も伝えられるほど、体力気力時間があるとは限りませんから。
中島:そのような経験をされた事が、今のご活動に繋がっているのですね。
吉田:動機は、一時里親制度の担当窓口の対応に異議を唱えたかったからです。
私のような周りにサポートを頼める人が少なく、子どもを抱えて仕事を持つ女性が、安心して治療を受ける体制に改善してもらうきっかけになればと、議会議員へ相談することにしました。
幸運にも男性の議員さんが私の面会時間を設けてくださり、話を聞いていただくことができました。
私の話を聞いていただいた回答は、「体験した人でないとわからない事が多いだろうから、吉田さんが自ら声をあげていく事が効果的だと思いますよ。」という提案でした。
「社会に言葉を発信するには、まず法人団体を立ち上げてみてはどうでしょうか。」とのアドバイスもいただきました。
せっかくキャリアカウンセラーの資格を取ったのだから、ここで「がん」という病気を勉強し、がんになった方の相談にもちゃんとのれるキャリアカウンセラーとして活動していこう、と漠然なプランが頭に浮かびました。
認定NPO法人キャンサーネットジャパンが運営している「Over Cancer Together」という、がんサバイバーさんがご自身の体験を社会に発信するための研修セミナーを見つけ参加しました。そこでとても衝撃を受けました。
「がんに罹患しても、こんなに元気に活動している人達が沢山いるんだ!」と、受講者の皆さんとお会いして、目から鱗状態でした。
自分の体験も世の中に伝え生かしていこう、と強く感じました。
当時の悩みが行動へ
中島:具体的には、どのように行動に移されたのでしょうか。
吉田:欲しい情報にリーチできない、ヘルスリテラシーの情報収集の弱さ、まわりに相談者がいない、治療と仕事、家庭の両立が難しい、実は会社の上司や人事労務担当者もがんの事を知らないから正しく対応できていない可能性がある、などがんに罹患し明瞭になった問題点を、がんに罹患する前の人達に伝え、いざなってもがんショックにならない人を増やしたいという想いで活動を始めました。
手始めに、地元で毎月1回、キャリアカウンセラーに無料相談が出来る患者会を開いてみました。 仕事と治療の両立について相談できる場を、自ら設けたかったのです。
その後、共通した想いを持ったメンバーと共に、一般社団法人 がんと働く応援団を設立しました。
中島:その団体での活動を教えてください。
吉田:社員ががんに罹患した時、その相談窓口である総務や人事の方々へ、相談対応スキルを身につけるための研修を行っています。
がんやがん治療の基礎知識から、傾聴をベースとした両立支援法などを学んでいただきます。
上司や人事担当者の方がうまく対応できないと、罹患社員はがん治療と仕事の両立をどうやっていいのかわからず、一人で悩み離職してしまいます。
双方の円滑なコミュニケーションを助長するためのプログラムを設けたり、罹患者向けの「復職前ワークショップ」を実施しています。
その他にも、大人のがん教育「がん防災セミナー」で周囲の大人のがんリテラシーをあげ、両立しやすい風土をつくったり、がんに対する知識を持った相談員が、会社の窓口担当者が時間的に厳しい個別相談や両立支援サポートをおこない、継続就労をサポートしています。
今は、2人に1人が生涯でがんに罹患すると言われている時代です。 「がんが見つかったの?早く見つかって良かったね。」と言えるような世の中になって欲しいと思っています。
そして、がんに罹患されたことで、自分は傷がついて質が落ちた人間と感じてしまう方もいますが、決してそうではありません。
社会や企業ににどのように自分ががん体験を通じて得た視点や、役割意識を還元できるのかを意識して、さらに飛躍していただきたいです。
患者さんは罹患直後はショックで、治療中の制度設計を立てることが難しいです。
団体メンバーには、社会労務士や、産業カウンセラー、臨床心理士、ファイナンシャルプランナーなどがおります。 リクエストがありましたら個別相談にものっています。
罹患者は問題を抱えていても、どこに相談していいのかわからないケースが多いです。
相談窓口もわからないでしょうし、お金の問題、仕事の問題、家庭の問題など、モヤモヤした気持ちで何をどう伝えていいかもわからなかった、という声をよく聞きます。
相談できる専門家は沢山いるのに、何から相談していいかわからないし、どこにいったら会えるのかもわかりにくいので行動に移しずらいのだと思います。
通院の時、「病院は治療していただいて帰宅する」というマインドなので、がん相談支援センターを利用しなかった、もしくは主治医も誰も教えてくれなかったので知らなかった、という声を沢山聞きます。
どこでも大丈夫です。悩んでいる事、ちょっと吐き出したい事があったら1人で抱えず、周りにあるサービスをうまく使って欲しいと思っています。
中島:団体としての目指す指標は、どのような事でしょうか。
吉田:私たちは、「がんに負けない組織・人を増やす」をマニュフェストに掲げ、サポートする相談員とがんで悩む方達を結びつけるハブのような存在になることを目標にしています。
1人で悩むがん患者さん、ご家族、経営者や人事担当者が、その時必要なサポートや情報を迷わず届けられるようにしていきます。
初期のがんは痛みがないタイプが多いので、自覚症状がありません。社会での役割が多い働き盛りの人達には、是非定期的な検診を受けてほしいと思っています。
卵巣がんは最初にお話ししましたが、手術してみないとわからないがん腫なので、女性は近所でかかりつけの婦人科を探して、定期検査を受けてほしいです。
自分の身体の状態を知ることは、意外と楽しいものです。
わからないことがあったら、前向きに医師に質問し、正しく病気について理解することが大切だと考えています。
そして配慮が欲しい場合は、怖がらずに、ちゃんと主治医を含め、周囲の人に言葉で伝える事を勧めたいです。
団体関係者との新年会「知る」「理解する」ことの大切さ
中島:まわりの方には、ご自身の病気についてどのように説明されたのでしょうか。
吉田:自分には幼い子どもがいますが、病気のことを伝えることは重要と思い、理解できるように伝え続けました。
丁寧にコミュニケーションをとっていくと、子どもでも「がんは怖い病気ではない。悪いところを取るために手術をする。」ということを理解してくれます。
「がん」という言葉の響きに、人間の脳は無意識に防御反応を起こしているのだと思います。
大人も子どもも、がん教育は必要な社会になっていくのではないでしょうか。
やんちゃ盛りの長男個人相談や個別カウンセリングを受けるというのは、日本にはその文化がないでハードルが高いものととらえている人が多いと感じています。
しかし、知識や経験を豊富に持ち、かつサポートしたいと思っている専門家は沢山います。いざというときは、専門家を頼っていただきたいです。
銀行や信用金庫の窓口でも、無料で家計相談ができるケースが多いです。
また、社会福祉協議会の窓口にはソーシャルワーカーが常駐していますので、様々な相談にのって各種制度の紹介や手続きサポートをしてくれたりします。
メンタルヘルスのプロの臨床心理士さんがいらっしゃるところもあります。
市町村ごとに制度が違う場合もあるので、どんな情報があるのか地元の行政機関を見に行くのもいいですし、窓口で声をかければ手助けしてくれるケースが本当は多いのです。勇気をもって、一言自分から声をかけることも重要です。
がんに負けない組織や人が増え、正しくがんを理解し、オープンに病気について言える環境や人間関係を増やしていく。そんな手助けができればと、これからも活動を継続してまいります。
セミナーの講師として 一般社団法人 がんと働く応援団HP:https://www.gh-ouendan.com/