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【乳がん体験談】ステージⅣの薬剤師である私が伝えたいこと


  • [公開日]2021.08.24
  • [最終更新日]2021.08.20

田中 美穂さん
薬剤師
大学卒業後、現在はドラッグストア内の薬局の薬剤師としてフルタイムで就業されている田中さんに、オンコロスタッフ中島がオンラインでお話をうかがいました。

他人事のように受け止めた診断結果

中島:診断時について教えてください。どのような過程で診断が下りましたか。

田中さん(以下:田中):3年前にさかのぼります。その前の年、4年前の健康診断では、オプションを追加して詳しく検査をしていただいた結果、どこも悪い所見はなかったため、安心感を持って生活していました。その1年後の、今から3年前、床に寝た状態でテレビゲームをしていたところ、ゲームコントローラーを自分の胸に落としてしまいました。

その瞬間、痛みが走り、念のため自分の胸を触診したところ、かりんとうのような硬さのしこりに触れました。

「これはいったいなんだろう?」と不安を抱いたので、持病であるB型肝炎ウィルスキャリアの治療で通院していた病院内の、乳腺外科を紹介していただき、検査をすることになりました。

中島:具体的には、どのような検査を受けられましたか。

田中:約1カ月をかけて、血液検査、CT、MRI、マンモグラフィ、超音波エコーをまず検査していただきました。

私の悪性腫瘍は、胸の深い場所に発症したようで、画像では写りづらかったようです。

針細胞の検査も、腫瘍が深くて針が届かず、麻酔が効かない箇所は痛かったですが、検査が1度で済むよう、お願いしました。

その結果、最初の診断結果は、手術を前提にしたステージⅠでした。

中島:手術は、実際に受けられたのでしょうか。

田中:主治医からの提案で、最終治療計画を決める前に、念のため骨シンチグラフィの検査を追加したところ、明らかな白い影が自分の骨の数カ所に写っていました。

ずっと画像をみていた主治医に、「これ、転移ですよね?」と聞いたところ、私が薬剤師という医療に従事している仕事に携わっていることを知っているので、まわりくどい説明はせず、「これは、ステージⅣの状態で、手術ができない状態ですね。」と単刀直入におっしゃいました。

診断の3カ月ほど前に風邪をひいて咳が出ていました。咳をするたびに、肋骨に痛みを感じ、寝返りもうてない状態でした。

骨シンチグラフィの検査結果でわかったのですが、がんが転移している箇所に骨が折れていた痕跡があったので、咳からの骨の痛みはその理由からだったということです。

肝臓にも、小さな転移腫瘍があります。

中島:その結果から、どのように治療は進まれましたか。

田中:主治医の治療方針の説明では、「効きそうな内服薬が2種類あるので、まずその中から1種類を服用してみましょう。その内服薬が効かなくなってきたら、もう1種類の別の内服を試して、進行が止まらないようだったら点滴の抗がん剤に切り替えましょう。」と提案がありました。

診断時は、今の企業に転職したあとすぐに発覚したばかりの時でした。診断を聞いた当時は、一緒に結果を聞いていた母が先に泣き出したので、「自分のことなんだから、私が先生と話さないと!」と気を引き締めました。主治医と話しながら、今後の仕事のこと、生活のことを考えました。

内服薬はアピアランスの副作用の影響はないので、もしその2種類の内服薬が効かないとわかったとき、点滴の抗がん剤で起こるであろう副作用は大丈夫だろうか、仕事は続けられるのか、という今までの生活の継続の心配が、まず頭によぎりました。

余儀なくされた治療計画変更

中島:実際、内服薬の効果はいかがでしたか。

田中:1番最初に服用したお薬は、腫瘍マーカーが上昇しはじめるまで、約1年服用を続けました。

2種類めのお薬は、服用後2カ月経っても、腫瘍マーカーの数値が下がらない状態の時点で、主治医の判断により中止することにしました。

中島:その後、点滴の抗がん剤に切り替えたのですね。副作用の影響はありましたか。

田中:多くの支障が出ました。指先の痺れは、薬剤師として1包ずつお薬を入れる作業が容易ではなくなってしまいました。足にも痺れがあり、主治医からは「転倒すると、脆くなっている骨が折れ、特に大腿骨を骨折すると車椅子になる可能性が高くなります。」と、注意を受けていました。浮腫みもひどく、体重は、3~4Kgは毎日変動していました。爪も二枚爪状態で、全体的に白く変色してしまいました。

私の場合、特に味覚障害が1番重い副作用でした。点滴日の1~2日前はかろうじて食べられる状態になりましたが、水の味が甘く感じ、合成甘味料を1日中口に含んでいる感覚で、食事を楽しむことができませんでした。唯一口にできるものは、濃い日本茶だけでした。

中島:生活の質QOL)が落ちてしまったのですね。不安はありませんでしたか。

田中:仕事に支障が出てきたことは、とても辛かったです。主治医と相談し、点滴治療はその副作用により、約1年でいったん中止することにしました。

主治医はとても慎重に診てくださり、遺伝性乳がん患者さんに処方できる内服薬があるという理由から、念のために遺伝子検査の受診を勧めてくださいました。

私の母親や親族は、婦人科がんに罹患しておらず、半信半疑ながらもいい機会なのでその検査を受けてみることにしました。結果はHBOC(Hereditary Breast and Ovarian Cancer Syndrome:遺伝性乳がん卵巣がん症候群 *)と、意外なものでした。遺伝子は持っていたけれど、血縁関係にある代々の親族が発症しなかったのか、私がたまたま初めての発症だったのかは不明です。主治医からも、「治療計画を見直します。」と説明があり、新しい第3の内服薬に切り替えたことは、副作用が少なく日常生活への支障が軽減されました。

* HBOCについて詳細は、特定非営利活動法人日本HBOCコンソーシアムの「HBOCとは」をご参照ください。

私には、まだ幼い姪が2人います。彼女達に遺伝していないかが、将来の心配です。

中島:現在は、その内服薬で治療をされているのですね。

田中:はい。手足の痺れはまだ残っていますが、浮腫みが全体的に引いたせいか、体重も、自然に10Kgも減量しました。

「仕事は辞めない」という選択

中島:点滴抗がん剤治療中は、お仕事との両立が大変だったと思います。

田中:仕事中は、真夏の季節は、通勤時のみ帽子を被り、仕事場では脱毛したままのスタイルで窓口に立ちました。現在は、内服薬に変更したため、髪の毛が生えてきた状態なので、ケア帽子を被っていることが多いです。

名札に、治療中とわかるよう胸につけているので、ご高齢の数人の患者さん達から「大変だね。」、「私もがんに罹患したけど、大丈夫。あなたも頑張って。」と声をかけてくださる方もいらっしゃり、店頭で良いコミュニケーションを取ることができています。

中島:診断後、仕事を続けられた理由を教えてください。

田中:治療が実際に始まって想像していたより元気に過ごせるのであれば、焦って辞める必要はないと判断しました。

診断時、現在の職場に転職してまだ4カ月でした。「副作用が強く、勤務が困難になって辞めさせられたらどうしよう」という心配もありましたが、治療費もかかりますし、家にいて何もせず24時間病気のことを考えているより、業務に集中すれば病気のことを忘れられる気持ちを持つことができます。

同僚も理解を示してくれており、繁忙時間が落ち着いたら座ってできるPC作業を勧めてくれたり、私の顔色が優れない日は、窓口業務ではなく、奥での調剤作業にまわしてくれています。現在もフルタイムで働いており、結果的に仕事を続けて良かったです。

薬剤師という立場として

中島:ご自身ががんに罹患され、薬剤師としてそれまでの患者さん達への接し方に変化はありましたか。

田中:処方されたお薬を予定通り服用されていなかったり、治療に対して不信感を抱いている様子の患者さんに対しては、治療に積極的ではないのではないか、と一方的に結び付けていました。

実際に自分が治療される側になってみて、医師の指示通りお薬を服用されていないのは、副作用が辛い、検査値が思うようにいい数字にならない、飲みにくい、などの背景があるのではないか、と考えるようになりました。

患者さんは、病院から外に出ると、最後に接する医療従事者は院外薬剤師です。「何か気になることはありますか?」など、一言ワンクッションをおき、その理由からご一緒に対策を考えて、「他のお薬に変更したいご希望などを、次回の診察時に主治医に相談してみては?」など、患者さんと共同作業のような形になりました。

患者さんは、その罪悪感から主治医にお薬を飲んでいない事実や、不安を打ち明けることができない人が多いです。がまんしなくていい、無理しなくていい、ご家族や主治医にも言えない悩みを、医療従事者の誰でもいいのでお話をされると、心が軽くなるものです。

誰かに悩みを伝えたら出口がみつかるかもしれない、出口がみつからなくても一緒に伴走してくれるかもしれません。

薬剤師には、患者さんごとに「薬歴」という、お薬のカルテがあります。処方したお薬の服用に不安を伝えてくださった患者さんが後日ご来店された時は、心配事がその後軽減されたか気になりますので、なるべく自分が窓口対応するようにしています。短い時間でも私と話をすることで、悩みが軽減されることを期待しながら業務にあたっています。

処方箋の薬をただ提供するだけでなく、寄り添ったコミュニケーションを取りながら、薬剤師として最良の医療を提供できたらと思っています。

AYA世代のサバイバーとして伝えたいこと

中島:田中さんは、AYA世代のサバイバーでもありますね。

田中:ここ数年で、AYA世代のがん患者さんが増えてきたというより、健康診断の体制がしっかり確立されて、早期発見のための土台ができてきたように感じます。

AYA世代の患者さんは、ご自身の親御さんやご親戚、ご友人などに病気のことを打ち明けていない人が少なからずいらっしゃいます。心配させたくない、というお気持ちや、さまざまなご事情があるかとは思いますが、ご自身が反対の立場だったら、どう感じるでしょうか。

治療が始まる前に自分の病気についてきちんと説明し、大切な人達と時間を過ごす、そんな心の準備をお互いに持っていて欲しいです。

私の場合、両親との仲はとても良好で、同じ集合住宅の違う家でそれぞれ生活しています。母は、毎晩一人暮らしの私の部屋に来て、一緒に就寝してくれます。それだけで、とても大きい安心感を与えてもらっています。

抗がん剤治療中の期間は、コロナ禍の影響もあり、毎回の通院に父が車で送り迎えをしてくれました。現在の通院も往路は車で送ってくれています。両親が全面的にサポートしてくれている理由は、診断時から立ち会ってくれ、私の治療に理解があるということが大きいです。家族に、早い段階で自分の病気について話しておいたことは、全面的にサポートしてくれる結果に繋がっています。

3年後を目標に

中島:最後に、オンコロの読者の皆さんにメッセージをお願いします。

田中:東京でのオリンピック・パラリンピックが、コロナ禍により1年延期されました。2020年を目標に、治療を前向きに受けていた患者さんは大勢いらっしゃったと思います。私もその一人です。チケットも当選し、楽しみにしていましたので、今年に延期・無観客開催されたことは残念ではありましたが、次の目標ができました。

3年後に開催されるパリでのオリパラを、私の体験談を読んでくださった皆さんと共に、観戦したいですね。

治療を前向きに受けられている皆さんが、3年後もお互い頑張っていることを共有することができればとても嬉しいです。

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この記事に利益相反はありません。