がん研究会(東京都江東区有明、以下、がん研)が、昨年10月にがんプレシジョン医療研究センターを開設。同会が運営するがん研有明病院の患者を始めとする国内のがん患者を対象に、がんのゲノムや遺伝子発現(RNA)などの解析を行い、プレシジョン・メディシンを提供する準備を進めています。がん研のがんプレシジョン医療研究センターが目指すのはどういった医療なのか、がん研研究所長で同センター所長を兼任する野田哲生先生にインタビューしました。
― がんプレシジョン医療(CPM)センター開設の経緯を教えてください。
野田先生 がん研では、2001年にゲノムセンターを開設し、がんの本態を理解することを目的に、次世代シークエンサーを活用して、がんのゲノムDNAやRNAの解析を行い、特定のがんの原因を同定したり、治療法開発を行ったりする研究を進めてきました。すでに約800人の患者さんのがんのゲノム異常(DNA)や、遺伝子発現(RNA)の解析データが集まっています。
一方、現在の医療でも、患者さん自身にそれぞれのがんの遺伝子情報に合った情報をいち早く患者さんに返すことで、治験情報を含めた最適な治療の選択肢を提示していくプレシジョン医療(高精度医療、あるいは精密医療)が求められる時代になってきました。そこでがん研では、昨年10月にゲノムセンターを組織改編してがんプレシジョン医療研究センターを開設し、研究の枠を超えて、これまで研究で培ってきた経験やビックデータを活用し、実際に患者さんにプレシジョン医療を提供することを目指して、そのための準備を始めることにしました。
具体的には、特任顧問として、がんのゲノム研究やペプチドワクチン療法の研究で知られる米シカゴ大学医学部教授の中村祐輔氏を迎え、中村先生の指揮のもと、新たな人材をリクルートするとともに、米国の臨床検査(CLIA)法に準拠した国際標準のラボを整備するなどの準備を進めています。
― 患者さんに提供するプレシジョン医療はどのようなものを想定していますか。
野田先生 CPMセンターでは、クリニカルシークエンス開発とリキッドバイオプシー診断開発の二つを、大きな研究開発の柱として考えています。
1つ目のクリニカルシークエンス開発研究では、手術や生検によって採取した患者さんのがんの組織のゲノムDNA(現在は、タンパクに翻訳されるゲノム配列であるエクソーム部分)やRNAなどを、次世代シークエンサーによって解析し、その結果から一人ひとりの患者さんに最適な治療や治験の候補を提案する予定です。治験の情報は、がん研で実施しているものに限らず、国内の他施設、場合によっては海外で実施されているものも提供したいと思います。
提案する治療や治験の候補としては、がんの増殖・進展の原因となっているドライバー遺伝子を標的にする分子標的薬治療にとどまらず、免疫療法の効きやすさを見極めるネオ抗原予測によって最適な免疫療法の提案をしたり、あるいは、副作用の出やすさや抗がん剤の効きやすさを予測することによる最適な化学療法を提案したりすることも考えています。ネオ抗原とは、免疫療法の効きやすさをみるバイオマーカーのようなものと考えられており、がんのゲノムDNAおよびRNA解析と、造血幹細胞移植でも活用されているHLA(ヒト白血球抗原)情報に基づいて同定することになりますが、将来的には、その腫瘍組織の浸潤リンパ球(TIL)のT細胞受容体の解析の結果で、さらなる絞り込みを行うことも考えています。
次世代シークエンサー解析では、その時点で保険診療での実施が可能となっているがんの遺伝子検査よりも、さらに幅広い遺伝子やRNAなどの情報を解析することが可能なため、個々の患者さんに合ったプレシジョン医療を実現できるのではないかと思います。そのため、保険診療になっていない治療法に関しては、医師主導治験や患者申出療法制度などを活用し、将来的に保険承認申請につながるようにしていきたいと考えています。
もう一つの、リキッドバイオプシー診断研究では、主に、再発リスクの高い患者さんの血液、尿、唾液などのサンプル中のゲノム情報などを解析することによって、画像診断ではまだ分からないくらい超早期の段階で再発診断を行う方法の開発を目指します。次世代シークエンサーを用いたゲノムDNAやRNAなどの解析には、ある程度の量のがん組織が必要なので、手術や生検で組織を採取する必要があります。これに対し、高感度なリキッドバイオプシーが確立されれば、血液や尿、唾液などを用いてがんゲノム(遺伝子やRNA等)などの解析ができるので、患者さんへの負担が少なく簡便だという利点があります。
一方で、次世代シークエンサーに比べると感度(陽性的中率)が低い点が難点なので、超早期の再発診断に本当に役に立つのか、超早期再発診断ができたとして本当にその段階で薬物療法などを開始したほうが生存期間は伸びるのか、臨床試験を行い検証していく必要があります。患者さんにご協力いただきながら、リキッドバイオプシーを用いた超早期の再発診断法が確立できればと考えています。
― 患者さんたちが、プレシジョン医療が受けられるのはいつからの予定ですか?
野田先生 2018年度中には、がん研有明病院の患者さんを対象にプレシジョン医療による診断を始める予定です。最初は、乳がんと肺がんの患者さんを対象にし、徐々に対象になるがんを広げていければと考えています。
― プレシジョン医療を受けるための費用は?
野田先生 次世代シークエンサーによる遺伝子などの解析やリキッドバイオプシーは、研究でもあるのでほとんどの部分は研究費で賄い、一部、患者さんにも自己負担をお願いする予定です。患者さんの自己負担額は、恐らく数万円だと思いますが、現時点では未定です。
― がんプレシジョン医療センターでは、人工知能(AI)も活用するそうですね。
野田先生 CPMセンターでは、次世代シークエンサーで解析した遺伝子情報をもとに、その患者さんに最適な治療や治験の選択肢を提供しますが、最新の論文・学会発表、国内外で実施されている治験などの情報を組み合わせ、その患者さんに合った情報を選別する際に、AIを活用できないかと考えています。がんのプレシジョン医療を進めるツールの一つとして、今年1月に、人工知能エンジン「KIBIT(キビット)」を開発したFRONTEOヘルスケア社と共同研究を始めたところです。さらに、患者さんのがん医療を支援するために、2021年度末完成を目標に、AIが患者の理解度に合わせた説明を捕捉するIC(インフォームド・コンセント)支援システムの開発も進めていく予定です。
― 国立がん研究センター東病院を中心に進むSCRUM-Japanとの関係は?
野田先生 がん研有明病院も、SCRUM-Japanの参加施設であり、SCRUM-Japanの対象になるものは、そちらで実施します。ただ、SCRUM-Japanやいくつかの大学病院などで、現在、実施されているプレシジョン診断は、主にドライバー遺伝子をターゲットにした分子標的薬治療を想定しており、実際に新規の治療や治験の対象になる患者さんは、がん患者全体の10%程度に過ぎません。われわれの研究は、もっとプレシジョン医療の対象になる患者さんの割合を増やせる方向で進めたいと考えていますし、前向きに治療の選択肢を増やして、プレシジョン医療の活用によって、生存期間が延びたりがんと共存できたりする患者さんを、もっともっと増やせればと考えています。
(取材・文/医療ライター・福島安紀)
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