次世代シークエンサーを使って、がんの組織の遺伝子変異(異常)を調べ、一人ひとりの患者に最適な薬を選ぶ「プレシジョン・メディシン」が注目を集めています。日本では現在、国立がん研究センター東病院を中心に「SCRUM-Japan(スクラム・ジャパン)」と呼ばれるプレシジョン・メディシンのプロジェクトが進んでいます。スクラム・ジャパンのこれまでの成果と4月から再スタートする消化器がんのプロジェクトについて、事業代表者としてプロジェクトを統括する国立がん研究センター東病院長の大津敦先生に聞きました。
前回記事:国立がんセンターを中心に進む全国プロジェクト「SCRUM-Japan」(上)
肺がん対象のマルチプレックス遺伝子診断薬の有効性を確認
― 2013年から始まった肺がんのプレシジョン・メディシンのプロジェクト「LC-SCRUM-Japan」の成果を教えてください。
大津先生 これまでの成果は、主に2つあります。一つは、スクラム・ジャパンの遺伝子スクリーニングで希少肺がんの
RET肺がんの患者さんを特定し、国立がん研究センター東病院を中心に行った医師主導治験「LURET試験」によって、分子標的薬のパンデタニブ(商品名:カプレルサ)が
RET融合遺伝子陽性の肺がんに有効であることを世界に先駆けて確認したことです。パンデタニブは、進行性の甲状腺髄様(ずいよう)がんの治療薬として2015年に薬事承認された薬です。現在、製薬企業が、
RET融合遺伝子陽性肺がんの患者さんにもパンデタニブが使えるように適応拡大申請を行う準備をしているところです。
前回もお話ししたように、
RET融合遺伝子は、国立がん研究センター研究所ゲノム生物学研究分野の河野隆志分野長らが12年に同定した、一部の非小細胞肺がんの増殖・進展に関わるドライバー遺伝子です。同センター東病院呼吸器内科の後藤功一科長を中心とした遺伝子診断ネットワーク「LC-SCRUM-Japan」では、13年2月~15年3月に、全国の進行非小細胞肺がんの患者さん1536人のがんの組織や胸水の遺伝子解析を行い、
RET肺がんの患者さん34人(2%)を特定しました。
そのうち、治験の参加基準を満たした19人の
RET肺がんの患者さんにパンデタニブを投与。奏効率は53%でした。世界に先駆けて、
RET肺がんにパンデタニブが有効であることを確認したわけです。この医師主導治験の結果は、昨年11月、英医学雑誌「The Lancet Respiratory Medicine2016」に掲載されました。
非小細胞肺がんについては、
RET融合遺伝子に有効なパンデタニブだけではなく、
ROS1融合遺伝子、
BRAF V600遺伝子変異に対する薬も承認申請がなされているので、近い将来、保険診療で、希少肺がんの治療が急速に進むことになると思います。
それから、もう一つの成果として、スクラム・ジャパンで遺伝子スクリーニングのために使っているマルチプレックス遺伝子診断薬についても、有効性を証明するデータが集まったので、この診断薬を肺がんの患者さんが保険診療で使えるように承認申請中です。スクラム・ジャパンの研究では、約140種類の遺伝子を一度に解析していますが、薬事承認申請中のマルチプレックス遺伝子診断薬は、約50種類の遺伝子を解析するようなパネルです。承認が得られれば、現在は、
EGFR遺伝子変異、
ALK融合遺伝子など、一つ一つ段階的に調べているドライバー遺伝子を一度に調べられるようになり、遺伝子検査にかかる時間と費用の削減が期待できます。
― スクラム・ジャパンに参加しなくても、肺がんについては、複数の遺伝子の解析が同時に受けられ、さらにプレシジョン・メディシンが進む可能性があるということですね。
大津先生 世界初のマルチプレックス遺伝子診断薬なので、承認審査には時間がかかるかもしれませんが、保険承認されれば、非小細胞肺がんの患者さんに関しては、いまよりも迅速に
EGFR遺伝子変異以外の遺伝子の異常が分かり、プレシジョン・メディシンが進む可能性があります。
一方、いくつもの遺伝子異常が重なってがんになっている人には、分子標的薬よりも免疫チェックポイント阻害薬が有効である可能性が高いのですが、現在、肺がんや悪性黒色腫などに承認されているニボルマブ(商品名:オプジーボ)は、どういう人に効果があるのかが分かっていません。どういう人に効きやすいのか、あるいは、どういう人に副作用が出やすいのか、スクラム・ジャパンに協力いただいた患者さんたちの遺伝子スクリーニングデータを使って解析を進めているところです。
大腸がん、胆道がんなどのプロジェクトも4月から再開
― 消化器がんのプレシジョン・メディシンのプロジェクト「GI-SCREEN-Japan」(研究代表者:東病院消化管内科・吉野孝之科長)は、4月から患者さんの募集を再開するとのことですが、どのようながんが対象ですか。
大津先生 食道、胃、大腸、肝臓、胆道、膵臓がんといった消化器がん全般です。特に治験が多いのが大腸がんで、大腸がんの増殖・進展に関わることが分かっているドライバー遺伝子は、
RAS、
MSI-H(マイクロサテライト不安定性)、
BRAFなどがあります。例えば、
MSI-H陽性の大腸がんには、ニボルマブなどの免疫チェックポイント阻害薬の効果があることが分かっているのですが、胃がんで
MSI-H陽性の人にも同じように免疫チェックポイント阻害薬が有効なのか治験で検証する必要があります。
― 胆道がんは、有効な治療薬が少ないがんですが、どのようなドライバー遺伝子が分かっているのですか。
大津先生 胆道がんは、胆管や胆のうに発生するがんです。国立がん研究センター研究所のがんゲノミクス研究分野の柴田龍弘分野長らのグループが、国際共同ゲノムプロジェクト「国際がんゲノムコンソーシアム」の一環として、260例の胆道がんの患者さんの
DNAと
RNAの解析を行ったところ、肝内胆管がんでは
FGFR2融合遺伝子、
IDH1、
EPHA2などのドライバー遺伝子が同定されました。肝外胆管がんでは
PRKACA/PRKACB融合遺伝子、
ELF3など、胆のうがんでは、肺がんと同じように
EGFRなども同定され、胆道がんの40%に、治療標的のあるドライバー遺伝子が存在するとみられています。
2012年に胆道がんと診断された人は、全国で約2万3000人と、胆道がんの患者数自体がそれほど多くないうえに、それぞれのドライバー遺伝子を持つ患者数は非常に少ないので、GI-SCREEN-Japanで全国的な遺伝子解析を進め、ドライバー遺伝子が見つかった患者さんには、対象となる治験があればそれに参加していただき、治療薬の開発につなげられればと考えています。
― 今後の展望を教えてください。
大津先生 肺がん、消化器がんの遺伝子解析を進め、治療標的となる分子標的薬があれば、その治験をできるだけ早く進めて有効性と安全性を検証し、保険診療で使える分子標的薬を増やしていきたいです。スクラム・ジャパンの事業を肺がん、消化器がん以外に拡大するとしたら、個人的には、血液がんが第一候補ではないかと考えています。
それから、スクラム・ジャパンに参加していただいた患者さんたちのデータベースを国際標準に変換した「患者レジストリ」を構築し、そのデータを新薬の開発に利用できるように整備しているところです。一般的には、薬の治験は、第3相試験で無作為化比較試験を行い、標準治療と比べて有効性と安全性が高いのかを検証するのですが、
RET肺がんに対するパンデタニブのように、患者数の少ない希少ながんに対しては、比較試験を行わずに第2相試験の後、承認申請されることが多くなっています。
第2相試験の有効性や安全性を検証する際に、患者レジストリを活用し、治験に入らなかった人のデータと比較することで、ある程度比較性が保てるようになります。数でいうと、世界トップクラスの患者レジストリになる予定です。スクラム・ジャパンで遺伝子スクリーニングを受ける患者さんの多くは、ドライバー遺伝子が見つからず、参加する治験がない可能性が高いのですが、一人ひとりの患者さんのデータが、将来の患者さんの治療に役立つ社会貢献でもあると考えていただければと思います。
(取材・文/医療ライター・福島安紀)