
昨今のがん治療においては、治療法の進歩とともに、個々の患者に最適な治療を届ける「個別化」が重要視されるようになってきた。個別化治療の根幹を成すのがゲノム医療であり、がんの原因遺伝子に応じた治療薬をいち早く患者に届けることが重要だ。
しかしながら、日本のゲノム医療においては、包括的プロファイリング検査(CGP検査)のタイミングや回数の制限、その後の治療薬への到達度の低さなど、まだまだ解決すべき点は多い。
そこで今回、海外の状況にも精通している池田貞勝先生(東京科学大学 がんゲノム診療科 教授)にお話を伺い、この混沌とした日本のゲノム医療の現状を整理してみたい。
日本のゲノム医療の変遷と現状
浅野:まず日本独自のゲノム医療体制の現状について、CGP検査の立て付けを含めて教えてください。
池田先生:日本において、CGP検査を保険診療で受けられる体制がある、という点はまず評価できるポイントです。また、単に検査の実施にとどまらず、遺伝子異常と臨床情報を結びつけてデータベース化するC-CATという体制を国として整えています。もうすぐ10万人を達成するところで、研究開発促進の面で世界の中でも類を見ない優れた取り組みだと思います。
浅野:日本の検査体制はどのようにして進歩してきたのでしょうか?
池田先生:日本がCGP検査の必要性に気付き始めたのは、分子標的薬が開発の中心になってきた2010年頃だと聞いています。希少ドライバー変異を対象とした臨床試験の実施に先立ち、対象患者数を把握するためのデータが日本には存在せず、結果的に臨床試験から外れてしまう、いわゆるドラッグロスの懸念が起こり始めました。そこでドライバー遺伝子を網羅的に検査し、頻度をデータベース化する体制作りが始まりました。本邦独自の検査システムであるNCCオンコパネルを作り、がんゲノム医療推進コンソーシアムを立ち上げ、先進医療において臨床的意義を確認し、2019年にCGP検査が保険収載となった経緯があります。
ただし、2019年の時点での有効性のエビデンスは限られていたため、まずは一部の症例ではあるもののベストサポーティブケアと比べてCGP検査の有用性があると考えられる“標準治療終了後”の患者さんが対象となったわけです。しかしながら、検査結果の返却前に体調悪化等が原因で治療の機会を逸してしまう症例が多く、検査のタイミングが遅すぎることが分かってきたため、標準治療終了”見込み”も含まれるようになったと考えられます。
海外と日本のCGP検査に対する考え方のギャップ
浅野:海外でも検査のタイミングの縛りはあったのでしょうか?
池田先生:米国におけるCGP検査の普及は、2018年にメディケア(高齢者向け公的医療保険制度)において進行期がんを対象に保険償還されたことがきっかけでした。開始時点で検査のタイミングに関する制限はなく、予後不良のいわゆる進行がん全般に認められた検査でした。
浅野:スタート地点が日本と海外で違ったわけですね。検査の回数制限についてはどうでしょうか。
池田先生:CGP検査の意義は、腫瘍の性質を遺伝子レベルで理解することです。この目的に合致した場合、例えば治療抵抗性後に再度遺伝子変異を調べることで別の有効な分子標的薬が見つかる可能性がある症例など、必要性が確実であれば保険でカバーされます。
浅野:日本のような検査のタイミングや回数の縛りがなく、アメリカでは柔軟に対応されているのですね。ただその場合、日本で良く問題視される費用面はどうなるのでしょうか?
池田先生:アメリカではCGP検査の費用対効果を調べた研究がたくさんあり、
2016-17年頃には既にその結果が複数出ていました。その研究結果の中で、CGP検査に基づく治療を実施した方が生存期間が延びること、また一時的な医療費は検査や標的薬使用により高くなるものの、その後の長い社会生活を加味すると、CGP検査を実施した方が社会全体としてプラスの効果があることが分かっています。一方日本においては、残念ながら生存期間延長についての研究はありますが、費用対効果の研究は少数にとどまるのが現状です。
日本に求められる検査体制の改善
浅野:日本でも今後、検査体制が見直される可能性はあるのでしょうか?
池田先生:日本の実臨床の現場では、検査タイミングが遅すぎるということに、実は2019年当時から気付いていました。またアメリカでは、進行期がんの早い段階でCGP検査に基づく分子標的治療を使うようになっていったため、必然的に治験薬も早期を対象に開発されるようになり、海外と日本にギャップが生まれていきました。つまり海外では早い段階でCGP検査ができることを前提とした開発となってきているわけです。
浅野:海外とのギャップによる不利益として、最近では乳がんや前立腺がんの例をよく耳にしますが。
池田先生:早期治療ラインにFoundationOne CDx がんゲノムプロファイル(F1CDx)での検査が必要な前立腺がんにおけるタラゾパリブと乳がんにおけるカピバセルチブが問題となっています。日本でもF1CDxをコンパニオン診断薬として使うことは可能ですが、検査費用の一部しか償還できず、差額はエキスパートパネルでの検討および患者さんへの結果説明を実施して初めて償還できることになっています。そしてCDx検査の後のエキスパートパネルをどのタイミングで実施するかの基準が施設ごとに異なっていることもあり、医療現場で混乱を招いているわけです。まさにコンパニオン診断薬がCGP検査とは区別されている日本ならではの議論が起きています。
このような背景の中、日本臨床腫瘍学会・日本癌治療学会・日本癌学会が2020年に
「次世代シークエンサー等を用いた遺伝子パネル検査に基づくがん診療ガイダンス」を出しました。その中では、”治療ラインのみでがんゲノムプロファイリング検査を行う時期を限定せず、その後の治療計画を考慮して最適なタイミングを検討することを推奨する”と記載されていて、開発状況等に応じて検査タイミングを判断することが推奨されています。
そして先日の日本臨床腫瘍学会学術集会の厚生労働省の鶴田課長の発表にもありましたが、標準治療終了”見込み”の判断は主治医に委ねられていることが厚労省から通知されており、1次治療中から検査を行っても国の制度と矛盾がないことも明確になりました。これは日本の検査タイミングの問題の解決に向けて一歩前進したのかなと感じています。
検査の先に目指すべき高い治療薬への到達度
浅野:検査のタイミングが少しずつ改善されてきていることが分かりましたが、その次のステップである治療薬への到達の部分はいかがでしょうか?
池田先生:使える承認薬の数は、日本でも2019年当初に比べて確実に増えてきています。また治験検索の部分でも、遺伝子異常に対する治験検索ツールの開発や、アカデミア・アセンブリによる治験情報の共有などの取り組みが進んでいます。ただしドラッグロスを避けるためにも、治験の数自体を増やしていくことが根本的な解決策です。薬価引き下げの実施等、薬剤開発の足かせになる日本の体制自体が課題ですが、少しずつ見直しが進んでいるため、日本が薬剤開発において魅力的な環境になっていくことに期待したいです。
浅野:治験実施の数を増やしていく以外に、なにか取り組みはありますか?
池田先生:例えばがん種横断的にまとめて承認を取るためのバスケット試験の実施が挙げられます。2019年から現在までに、すでに6剤(MSI-HighあるいはTMB-Highに対するペムブロリズマブ、NTRK変異に対するエヌトレクチニブとラロトレクチニブ、BRAF変異に対するダブラフェニブとトラメチニブ、RET融合遺伝子陽性に対するセルペルカチニブ)の承認が達成されています。
また、分散型治験(DCT)の実施も試みられていて、愛知県立がんセンターで実施されたALK融合遺伝子陽性の進行固形がんに対するALK阻害剤の治験が、日本発のDCTの取り組みだと思います。現在は
HER2陽性の固形がんを対象とした拡大治験においても、同様の取り組みが進んでいます。地方の患者さんの治験参加のハードル解消につながるため、治験アクセスの改善策のひとつになると思います。
そしてもう一つ重要なのが、製薬企業による薬剤の無償提供システム「Compassionate Use」です。アメリカでは、適応外使用は医師の裁量に任されており、ごく一部は保険でのカバーが認められ、残りはCompassionate Useの適応となります。命にかかわる疾患であること、標準治療や治験ではカバーできないこと、科学的根拠があることなどの条件はありますが、申請すれば
約90%の確率で認められます。一方の日本では、製薬企業側はCompassionate Useの取り組みを取り入れているにもかかわらず、混合診療扱いになるハードルがあり、機能していないのが現状です。この適応外使用のハードルが日本で解消されれば、薬剤アクセスの大きな改善が見込まれます。私が経験したカリフォルニア大学サンディエゴ校の例では、
承認薬・治験・適応外使用薬の3つを併せて、CGP検査実施症例の約50%が薬剤にアクセスでき、病勢制御率は75%を達成していました。
浅野:アメリカで既に実現されている高い治療薬への到達度と有効性は、まさにこれから日本が目指すべきゴールになりますね。
適切な患者さんに適切なゲノム医療を
浅野:CGP検査はすべての患者さんに必須ではないと思います。海外では例えばESMOのガイドラインのように、がん種毎の検査の推奨度が細かく規定されていますが、日本においてはどうでしょうか?
池田先生:日本では腫瘍内科領域が発展途上であることもあり、各学会がガイドライン上にがん種毎の方針を載せていると思います。また、先ほど触れたガイダンスにおいても、今後の改訂の中で検討される可能性があります。
CGP検査の推奨に関しては、保険収載されている薬剤がある場合には必須だと思います。既存のコンパニオン診断薬はホットスポット以外の遺伝子領域が外されている場合も多く、偽陰性になることもあります(例:EGFR変異)。また、生殖細胞系列の遺伝子異常しかカバーできず、本来薬剤が効くはずの体細胞遺伝子異常の検出ができない検査もあります(例:BRACAnalysis)。つまりコンパニオン診断薬では限界があり、CGP検査を実施することでその不十分な部分をカバーできるようになるわけです。
あとは薬剤に紐づく遺伝子変異が見つかる頻度が問題になると思います。胃がんや食道がん、頭頚部がんのような治療に結び付く遺伝子変異頻度が現状では低いがん種では、全例にCGP検査が必須と考えるのではなく、患者さん毎に総合的に判断していくことが大切です。
浅野:保険収載薬がある場合には基本的にはCGP検査をすべきですが、個々の患者さんの背景も含め、検査を受けるメリットと検査費用等の負担とのバランスを考えて判断していくことが大切ですね。
池田先生:がんゲノム医療に習熟してくると、がん種毎にどんな頻度でどんな変異が出てくるか、どんな治療選択肢があるか、ということが事前に把握できてきますので、目の前の患者さんにCGP検査をやるべきかどうかを精細に判断することができます。ただし、我々のようながんゲノム診療科という専門集団では、その判断が可能ですが、なかなかそこまで見通しがつく医師はまだ日本には少ないように感じています。
浅野:今後日本においても、適切な患者さんに適切なタイミングでCGP検査が実施され、最適な治療薬を届けることにつながっていってほしいと思います。
見えてきた課題を皆で解決へ
浅野:最後に読者に向けたメッセージをお願いいたします。
池田先生:私はアメリカのゲノム医療を見てきたので、そのポテンシャルをよく知っています。日本は今はまだ発展途上ですが、この先ゲノム医療の恩恵を受ける患者さんがもっとたくさんいるはずです。CGP検査のタイミングやその後の治療アクセスは改善の余地がありますが、それは色々な取り組みをする中で分かってきたことなので、これからひとつひとつみんなで改善していく努力が必要です。そのためには、現場の医師や患者さんの声が変革の大きな力になると思いますし、規制当局の方も一緒になって社会の目で考えていくことで、より良いがんゲノム医療を受けることができる日本になっていくと思います。