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「医者を目指さないと後悔する」悪性リンパ腫を経験し、31歳で仕事を辞め医学部受験を決めたAYA世代サバイバーの決意

[公開日] 2021.05.14[最終更新日] 2021.05.14

1年間に約2万人がAYA世代と呼ばれる15〜39歳でがんに罹患します。AYA世代でがんに罹患すると治療以外にも進学・受験・就職・結婚・妊孕性(にんようせい)などの問題と直面します。一方で若い時期に医療との大きな関わりが生まれることで、将来医療職を志す、小児・AYA世代がん体験者が一定数います。今回は、24歳で悪性リンパ腫に罹患し、再発、治療を経て31歳で仕事を辞め医師を志し、現在は医学部6年生として学生生活を送り、また北海道旭川で患者会を運営する松浦美郷さんをインタビューしました。

治療にあたって不安はそこまでなかった

鳥井:悪性リンパ腫が判明した経緯について教えてください。 松浦さん:当時は美術系の大学で空間デザインを学んでいました。アルバイトや部活動や大学の製作などの忙しい生活が続き、提出期限が迫っているときは2〜3日徹夜することもありました。よって体調が悪い時もありましたが、忙しいせいだろうとそこまで気に留めませんでした。しかし、しばらくして疲れが取れない状態が続き、また肩こりもひどかったので大学病院の整形外科を受診しました。すると先生に「肩こりは整形外科ではなくマッサージを受けてください」と言われました笑 ただ、「念の為血液検査を受けてください」と言われ、採血されました。すると後日血液内科の先生から電話があり、検査結果を聞きにいったところ、悪性リンパ腫の告知を受けました。 鳥井:その時は悪性リンパ腫などの重い病気にかかっているかもしれないと想定はしていましたか? 松浦さん:いえ、全くそんなことを考えずに風邪だと思って検査結果を聞きに受診しました。また当時はがんに関する知識が全くなく、“悪性リンパ腫”を聞いたことがなかったため、驚くことはありませんでした。 鳥井:悪性リンパ腫ですと、一般的に厳しい抗がん剤治療を行いますが、治療にあたっての不安はなかったのですか? 松浦さん:不安はあまりありませんでした。抗がん剤の副作用の説明を受けても「私なら大丈夫でしょう!笑」と根拠のない自信がありました。逆に周りの友達の方が心配してくれたほどです。 しかし、実際の治療に入ると想像以上につらかったです。2週に1度の抗がん剤治療を計8ヶ月間受けました。 鳥井:治療中はどのように過ごしていましたか? 松浦さん:抗がん剤治療後1週間は免疫が下がり身体もだるかったため、寝て過ごしました。その後の1週間は地元の友達と会ってクレイアニメ(粘土を用いたアニメーション)を作って過ごしていました。 鳥井:ちなみにその8ヶ月間、友達は仕事や勉強や遊びに全力だと思います。そういったのを見てつらさなどはありましたか? 松浦さん:かなりありました。私の場合は2年時の春に病気が発覚したので、4月に立てていた1年の計画を全く進めることができませんでした。また毎週末ダイビングに行くほど部活に力を入れていましたが、それもできなくなってしまった。一方で大学の同期や後輩が新しいことにチャレンジをしている姿を見て、置いて行かれている感じがありました。よって、途中からは積極的に連絡を取らなくなったり、大学とは別の友達と過ごしたりしました。

がんになったことの意味づけをしたい

鳥井:治療を終えていつ復学したのですか? 松浦さん:翌年の春に復学をしました。しかしその1年後に悪性リンパ腫を再発して、治療を受けました。初発よりも再発の方がショックでした。というのも初発は病気のことも何も分からずに治療を受けましたが、再発の場合は治療もある程度わかっているため、「2度とやりたくないと思った、あの治療をまた受ける必要があるのか」と思ったからです。 鳥井:落ち込んだ気持ちをどのように切り替えたのですか? 松浦さん:定期検査で再発がわかり、それを主治医から告げられ一瞬泣いたのですが、そのあとすぐ切り替えて治療に臨みました。1度治療したことで再発がショックであった反面、どんな治療なのか見通せたことが大きいと思います。また実際の治療中も病棟には同世代の女性がいたので、気持ち的に救われました。 鳥井:同じ病棟の同世代の方とはどんな交流があったのですか? 松浦さん:コンビニで買ったおやつやお見舞いでもらったものをシェアしたり、他愛もない話をしたり、注射が上手くない研修医が来たときはみんなで寝たふりをしました。入院中でも日常を感じることができた事が大きかったです。 鳥井:治療を終えてから医師を目指し、実際に医学部に入学されました。どうして医師を目指したのですか? 松浦さん:学生時代は空間デザインを勉強していたので、入院中に過ごす環境を改善することで患者さんの気持ちが変わってくるなと、悪性リンパ腫の治療を受けて感じました。ただ、デザイン側から病院を変えようと思っても医療者が動いてくれないと変えることができないといったハードルはある。だったら、医療者の立場として、患者さんが入院する空間を変えていきたいと思ったのがきっかけです。また寛解してからAYA世代という言葉を知ったのですが、進学や就労や妊孕性などAYA世代の多くの課題は実際に私が直面した課題でもあったので、それも解決したいと思い、28歳で再発の治療を終えて、数年働いてから医師を志しました。 鳥井:30歳を過ぎての、改めて受験勉強をするのはとてもハードなように思いますが、実際はどうでしたか? 松浦さん:いざ受験勉強をしてみると、「こんなにも何も覚えていないのか」と思うくらい大変ではありましたが、でも久しぶりの勉強が楽しくもありました。原動力となったのが、ここで医療者を目指して受験しないとのちの人生で後悔するだろうとの思いと、がんになったことには意味があるんだと自分自身で意味づけをしたいとの思いでした。 鳥井:ちなみに医師を目指した時と、6年生の今でギャップはありましたか? 松浦さん:大きなギャップはありませんが、想像以上に現場は忙しく、日々の勉強に飲み込まれて、本当にやりたかったことを見失いがちになってしまうところに大変さを感じます。またどこの病院に行けば自分のやりたかったAYA世代に関わることができるのか、模索中です。 鳥井:医療者として将来はどのようなことをしたいですか? 松浦さん:AYA世代の医療に従事したいのと同時に、医療と空間デザインをつなげること、また全国で少しずつ広がっているAYA世代病棟を増やすことに貢献したいです。一方実際に医療現場で実習をしていると、AYA世代病棟を用意することが難しいこともわかりました。というのもAYA世代病棟は世代で区切っていて、疾患で区切っているわけではありません。医療従事者の立場からすると、同じ科の患者さんが同じフロアに集まっているとケアしやすいといったことも現場で実習することで見えてきましたが、これらの課題をクリアしていければと思っています。

知ってもらうことで現状を変えていけるのではないか

鳥井:医学生の傍、旭川AYA世代患者サポート「AYASHIP」の代表も務められていますよね。いつ立ち上げたのですか? 松浦さん:「AYASHIP」は約2年前の2019年3月に発足しました。数年前に道内の患者会に参加した時に「旭川でも患者会やったら?松浦さんが立ち上げたらはじまるよ」と言われ、患者会を立ち上げることにしました。北海道独自の問題ですが、旭川だと札幌の患者会に参加するのも片道1時間半かかります。よって身近で同世代の交流ができればと思い旭川で運営することに決めました。 ※AYASHIP Webサイト 鳥井:SNSでは交流会の様子が定期的にアップされていますが、その他にどのような活動をしていますか? 松浦さん:患者会活動の一部を大学の部活動にして小児の入院患者の学習サポートをしています。というもの私の通う大学病院では訪問学級はありますが、院内学級はありません。よって、入院中の中学生は週3回しか授業を受けることができません。また高校生になるとそうした場すら与えられていません。よって、訪問学級の先生とも協力をして、小児病棟や入院中の中高生に対して学習サポートをしています。 鳥井:継続性を担保するという点でも患者支援活動を部活動にするという発想が素晴らしいです。 松浦さん:私は来年で卒業なので、ちょうど後輩に引き継いでいるところです。そしていずれは私もAYA世代ではなくなるので、部活動が続いて同世代の学生がAYA世代患者をサポートすることは大切だと思います。 鳥井:また直近活動で、3/20にAYA世代啓発のためにAYAship主催で花火を打ち上げられました。その経緯を教えてください。 松浦さん:もともとはAYA世代啓発週間である、AYA Weekに合わせて何かやりたいと思っていました。AYA Weekのキャッチコピーが“知ろう、一緒に”だったので、一般の人たちにAYA世代を知ってもらおうと思い、企画したのが花火でした。 鳥井:外部に発信することは患者会や他の組織でも行っていることですが、花火という発想はなかなか出ないですね。 松浦さん:東京であれば東京タワーやスカイツリーのライトの色を変えて発信していますよね。しかし旭川ではシンボリックなものが思い当たらず、一般の人が一目で認識できるものは何かと考えて、花火にしました。 鳥井:花火の打ち上げに際し、クラウドファンディングも活用されましたが、ご苦労された点や資金集めに成功した秘訣などを教えてください。 松浦さん:基本的には地元企業への協賛で費用を賄い、足りない分をクラウドファンディングで補おうと考えていました。資金集めがうまくいった要因はクラウドファンディングの業者選定をしっかりと行った点だと考えています。私たちはfind Hという北海道新聞が運営するクラウドファンディングの活用を決めました。手数料は安くはないのですが、北海道でよく読まれているメジャーな新聞なので、それを活用することで新聞からの取材を得られるのではないかと宣伝効果も考えました。実際にプロジェクトをはじめると北海道新聞から取材依頼をいただき、それがきっかけで資金を集めることができました。 ※掲載された北海道新聞の誌面 鳥井:花火を打ち上げる目的であるAYA世代の啓発といった点でも、クラウドファンディングの活用や取材を受けることは合致していますね。打ち上げてからの反響はいかがでしたか? 松浦さん:患者さんやご家族からは「勇気をもらいました」「元気が出ました」であったり、協賛いただいた企業や病院の方々からは「今回初めてAYA世代という言葉を知りました」といった声をいただきました。AYA世代を知らないにもかかわらず協賛いただくこともあり、知ってもらうことで現状を変えていけるのではないかと思いました。 鳥井:AYASHIPでの今後の展望を教えてください。 松浦さん:大きな目標ではありますが、コロナ禍においても学習サポートをオンラインでもできるように病院にWi-Fiを完備する活動をしていきたいと思っています。他にも食欲が落ちた患者さんでも食べたいと思う食事や環境づくりのために、研究し、論文を書こうと動き出しています。患者会活動の継続と、AYA世代の認知が進んできたため、これからは個々の課題の改善に向けて動いていきたいと思っています。
特集 悪性リンパ腫 AYA AYA世代

鳥井 大吾

法政大学経済学部 卒業後Webマーケティング会社に入社。営業、SEO施策、Webサイト解析、制作ディレクション業務を行う。社会人2年目で粘液型脂肪肉腫に罹患するも治療を経て復職。2016年4月に自身のがん体験を活かすべく3Hクリニカルトライアルに転職し、2019年10月までオンコロの運営に携わる。

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