子どもががんになると、妻(母親)と夫(父親)は自分ができることを引き受け、子どもの治療に立ち向かっていきます。しかし、治療が長期化すればするほど、夫婦関係にもさまざまなすれ違いが生じ、それがお互いに大きなストレスにつながっていることも少なくありません。どこにもいえない悩みだからこそ、どのように対処すればよいのか困っている人も多いはずです。そこで、長年カップルセラピーに取り組み、家族心理学にも詳しい東京HARTクリニック臨床心理士の平山史朗さんに“夫婦の危機”をうまく乗り越えていくためのアドバイスをいただきました。
治療が長期化すればするほど、夫婦の危機は高まる
子どもががんになると、家族の生活も一変します。多くの場合、妻(母親)が病気の子どもに四六時中付き添い、看護を一身に背負います。そのため、共稼ぎの家庭では妻が仕事を休職したり辞めたりしなければならなくなり、それだけで年収が激減します。加えて病院に連日通ったり泊まり込んだりする生活が続くため、目に見えない出費もかさんでいきます。
子どもの病気や治療のことが気になっても家計の負担を減らすべく仕事に専念せざるを得ない状況に夫(父親)が追い込まれる中、「子どもの治療のことはすべて私にまかせきりで、夫は病院に来ることもないし、仕事に逃げている――」と孤立感を深める妻も少なくありません。治療が長期化すればするほど、こうした夫婦の危機は高まります。
「両親はどちらも子どものために自分ができることを引き受けて懸命に立ち向かっています。しかし、自分とは違う行動や感じ方をされてしまうと、相手のことが理解できず戸惑ってしまいます」と、家族心理学に詳しい臨床心理士の平山史朗さんは病気の子どもを持つ夫婦の関係について説明します。
たとえば、病院で孤軍奮闘している妻は夫が自分をもっと助けてくれることを期待しているので、夫にそのような行動がみられないと失望し、それが激しい怒りにつながり、「あなたは何もしてくれない」と夫を責めてしまうといいます。しかし、夫にしてみれば「一家の大黒柱である自分が妻の傍で悲しんでいるわけにはいかない。しっかりしなければ……」と折れそうになる気持ちを奮い立たせて現実に立ち向かっていることも多く、家族のために頑張っていることを認めてもらえないと深く傷つき、どう対応してよいのかわからなくなるのだそうです。
男女の思考や感じ方には大きな違いがあることを知る
「こうしたすれ違いが起こる背景には“夫婦だから言葉にして伝えなくてもわかってくれているだろう”という思い込みがあります」と平山さんは指摘します。しかし、それは幻想に過ぎず、「自分がなぜこういうことをしているのかという意図は言語化しないかぎり、相手に伝わらないことをまず認識すべきです」と平山さんはアドバイスします。そのうえで、自分の気持ちや行動を言語化して相手に伝える努力をしながら、同時に「それぞれの関わり方に違いはあるけれど、子どものために二人とも懸命なのだという合意を持つことが夫婦の関係性を取り戻すためにはとても大切です」と平山さんは示唆します。
一方、「男性と女性の思考や感じ方には大きな違いがあることを知っておくと、相手の行動が理解しやすくなるので、相手の言動にイライラしたり困惑したりすることが少なくなるでしょう」と平山さんはいいます。一般に男性は女性よりも感情をしっかり感じることが少なく、感情を表現することも下手です。たとえば、ある女性は自分の子どもと一緒に入院していた病児が亡くなったことにショックを受け、そのつらい気持ちを夫と分かち合いたいと思いましたが、夫は“かわいそうだね”と慰めてくれたものの女性が期待するような反応はなく、寂しい思いをしたそうです。
「女性は共感してもらうことを求める傾向が強いため、夫の態度にがっかりしたのでしょうが、男性は感情を分かち合うことより問題解決することを考える傾向が強いため、“自分にできることは何か”ということに関心が向きます。この場合、“自分にできることはない”と夫が判断してしまったので、このような反応になった可能性があります」と平山さんは解説します。しかし、円満な夫婦関係を築くためには、この場合、夫は“〇〇ちゃんが亡くなって、君はすごく悲しいんだね”と共感するような言葉を妻にかけるのがよいそうです。「それでは問題が解決したことにならないと考える男性もいますが、妻は自分が悲しんでいることを理解してもらいたいので、このような対応のほうが望ましいのです」(平山さん)。
相手が変わることを期待しても状況は好転しない
また、治療法を選択し決定しなければならない場面で、夫に相談して一緒に考えて決めたいのに的外れな意見が返ってきてまったく頼りにならないことを嘆く妻も少なくありません。しかし、「それは夫に対する相談の仕方が間違っている可能性があります」と平山さんは指摘します。前述のとおり男性は問題解決型の思考をする人が多いので、妻から感情的な問われ方をされたり要領を得ない説明をされたりすると、自分に何を求められているのかわからなくなり、的確に対応できないのです。
「現在の病状と状況、それに基づいた治療の選択肢、それぞれの治療法のメリットとデメリットをできるだけ落ち着いて筋道を立てて説明します。そして、“あなたの意見を聞かせてほしいの”と持ちかければ、夫は妻が求めていることを理解し、判断しやすいでしょう」と平山さんはアドバイスします。そして、このとき妻が気をつけたいのは夫の意見に対して感情的に反応しないことです。妻が感情的に反応すると、夫の意欲を削いでしまい、治療の選択や決定に関わろうとしなくなるおそれがあります。
夫婦の足並みを揃えるためには相手に対する関わり方を変えていくことが必須ですが、相手の態度や対応が悪いのだから向こうが変わればいいと考える人はとても多いそうです。「しかし、お互いにそう思っているかぎり、関係性を好転させることはできません。自分が変わると相手も変わることを認識したいものです」(平山さん)。それは決して大げさなことではなく、声かけ一つからでも変えていくことが可能です。
たとえば、普段は病院に来る時間を取ることも難しい夫が“治療の選択・決定をする大事な話し合いの場だから”と同行してくれた際には、それが父親として当然の行動だと思ったとしても「あなたが来てくれたから心強かった。おかげで先生にもしっかり質問できたわ」といった感謝や思いやりの言葉をかけるようにしたいものです。「夫は自分が同行したことに意味があったと前向きに受け止められるので、そのことをきっかけに以前よりも積極的に治療にかかわるようになることも考えられます」(平山さん)。
「夫婦の危機」に対して医療者ができるサポート
とはいえ、子どもの治療に懸命になっているときは心に余裕がなく、自分の態度や対応を変えるのは難しいものです。そこで期待したいのが医療者とくに看護師のサポートです。「現状を変えようとする前に、第三者が夫と妻それぞれの行動の奥にある“思い”を理解し、肯定的な意味づけをすること(リフレーミング)によってお互いの捉え方が変化することを期待できます」と平山さんはいいます。たとえば仕事にのめり込んでいる夫の行動について看護師が「あなたが安心してお子さんの看病に専念してもらえるように、ご主人も懸命に働いていらっしゃるのですね」と意味づけしてあげると、夫に対する妻の捉え方が“家庭を顧みない人”というマイナス評価から“家族のために頑張っている人”というプラス評価に転じていきます。
「この支援において医療者が心得ておきたいのは両者の言い分をしっかり聞くということです」と平山さんは指摘します。看護師の中には看病に疲れた妻の不満を聞いているうちに同情してしまい、見舞いに訪れた夫に向かって「お父さんもお子さんの病気にもっと関心を持ってもらわないと困ります」といった声がけをする人がいます。しかし、夫は責められたような気持ちになり、さらに病院から足が遠のいてしまう悪循環に陥ることがあります。「妻を通して語られる夫の姿はあくまでも妻からみたものであり、実像とかけ離れている可能性があることを留意しながら夫にかかわることが重要です」(平山さん)。
このような医療者の働きかけを通して、それぞれのやり方で子どもの治療に向き合っていることに夫婦が気づけると、お互いの違いを認めたうえで、その夫婦や家族にとってよりよい関係性を再び取り戻すことができるそうです。
取材・文/渡辺千鶴(医療ライター)
「夫婦の関係性を取り戻すためには、関わり方に違いはあるけれど、子どものために二人とも懸命なのだという合意を持つことが大切です」と臨床心理士の平山史朗さんはアドバイスする。