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【連載】急性骨髄性白血病と闘った”みぃみ”の記録~PART.6~


  • [公開日]2019.08.27
  • [最終更新日]2019.08.26

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2017年2月 最終章

2月4日 SLは諦めてサーキットへ

最後にお出かけしたのは桶川サーキット。
「パパのバイクみたいから」と。

旦那くんが走行する姿を車の中から見て満足すると、サーキットから自宅へ。

「ほんとはSLもしんかんせんも、のりたかったよー。」と言っていましたが、身体は動けず・・・

2月6日 これが最後の記録です。

サーキットから戻り、自宅でゆっくり。
はるくんやいつきをはじめ、たくさんの友達が来てくれました。
酸素が必須なのでうまく動けないなか、それなりに楽しんだみぃみ。

夜中はずうーっと抱っこを求められた私。
「ママ、二階にいきたい」
「ママ、おふろ見たい」

優れない体調の中、やりたいことはたくさん。

「ママ、・・・みぃみ、びょういんにかえる」

2月5日の明け方、病院に戻りました。

病院の配慮で無菌室からは出して貰って、電車の見える病室へ。

通常、子供は入れない病棟ですが、今回は特別、ほずみさんも入れました。

そうです。みぃみといられる時間も残りわずかと医師が判断したからです。

最後まで、笑顔を絶やさず頑張り続けてくれた、みぃみ。

みぃみの闘病日記はこれが最後です。

2017年2月6日 みぃみは天使になりました。

あとがき

私達がみぃみと一緒にいられた時間はわずか3年と2カ月でした。
でも、この短い時間の中でたくさんのことを伝え、学ばせてくれたみぃみ。

みぃみも患った急性骨髄性白血病も含め、小児がんは治る病気になってきているものの、みぃみのように命を落とす子供たちもたくさんいます。

ねぇねのほずみさんは、レモネードスタンドを開催し、売上を寄付することで小児がんの研究支援を始めました。
「病気の子供がひとりでも多く家族のもとにかえれますように」と、願いを込めて。

旦那くんは骨髄ドナー登録をし、献血も定期的に行くようになりました。
そして今年、ドナーとして骨髄提供もしました。
「みぃみが使った輸血の量は多すぎて全部は返せないけど、すこしでも今病気と闘っている人のために」と、感謝と応援の気持ちを込めて。

おばあちゃんは骨髄ドナー登録の説明員の資格をとり、献血会場でドナー登録を呼びかけ、埼玉県内のドナー数を増やしています。
「なにか、自分にできることをしたいとおもって」と、みぃみへの深い愛情を表して。

じぃじは今までも毎年3回の献血を欠かさず行ってきましたが、65歳以上になっても献血を継続してくれています。

友人たちは「骨髄ドナー登録した!」「献血した!」「地元のレモネードスタンドへ参加した!」など連絡をくれるようになりました。

これらは、ちいさなみぃみが急性骨髄性白血病と闘い 頑張りぬいた結果が生んだ、大きな力だと思います。

いつか、急性骨髄性白血病が100%治る日がくるように。そして、病気に罹る人が減るように・・・。

そう願いを込めて、みぃみの分も笑顔で生きていきたいと思います。

母 たにかわ まりこ

専門医よりみずき君へ

小児がんは年間2,000~2,500人が罹患し、そのうち白血病が最も多く3分の1を占めます。

みずき君が病んだ急性骨髄性白血病は小児白血病の20~25%を占め、最も多い急性リンパ性白血病に比べて治りにくいですが、それでも抗がん剤治療および治りにくいタイプに造血幹細胞移植を行うことで70%以上に治癒が期待できます。

しかしながら、みずき君の白血病は続けて3回の移植治療を行ってもなお、白血病細胞が増えてきており、治すことが極めて困難なタイプだったと思います。

みずき君は3年2カ月の短い生涯でしたが、白血病と闘って精いっぱい生きたことで、ご家族をはじめ周りの人たちに命の大切さを伝えて白血病克服への支援の輪が広がっています。

みずき君が生きた証として確かな足跡を残してくれたことに、感謝と感動を覚えます。

国立病院機構 名古屋医療センター
上席研究員、小児科顧問
堀部 敬三




姉 ほずみさんのインタビュー

瑞騎くんの闘病を、近くで見守っていたほずみさん。病気が治る薬ができる願いを込めて自主的に寄付活動を始めたほずみさんへインタビューをしました。

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編集:中島 香織

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