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【体験談】シングルマザーで乳がんステージ4~“今”を生きる~

[公開日] 2018.03.26[最終更新日] 2018.03.26

目次

桜林 芙美 37才 女性 神奈川県 乳がんステージ4。35才で乳がん告知。 左胸全摘出とリンパ郭清、術前術後抗がん剤、放射線、分子標的薬治療終了後に肺転移。再度抗がん剤と分子標的薬で治療中。

シングルマザーで乳がん

待機児童だった下の子が入園し、仕事にもつき、ようやく生活が整いそうという時、乳がんが発覚! 以前から体調不良になることが増えていました。 疲れやすいのは自分が甘えてるからだ!そう思い、気持ちを奮い立たせては、また体調を壊す、その繰り返しをしていました。 そんな時、乳頭が痛み、ただれるように…。 完全母乳の授乳後だから、デリケートになったのかなと思っていました。 ところがあっという間にしこりが現れ、どんどん拡大し乳がんを疑い、乳腺外科クリニックを受診しました。 その日のうちに、ほぼ乳がんが確定。 検査後、若年性乳がん・ステージ2b・リンパ節転移あり・HER2タイプと判りました。 恐らくもっと前より罹患していただろうとのことでした。 私にとって、これから!という時。 がんに罹患したショックよりも、そのタイミングの悪さに悔しみ、ひとり親である私は「子どもたちのこと、どうしよう…」 そればかり考えていました。

治療は楽しく前向きに

以前働いていた会社は、ピンクリボン運動をしていました。 そのため、20代でマンモグラフィー経験もあり、乳がんを経験した方と接する機会もありました。出会った方々は明るく前向きな姿で、中には全摘の傷を見せてくれる方もいました。 そのことから、乳がんだからといって絶望するような恐怖心はありませんでした。 〈せっかくならこの乳がんで何かを得たい!価値あるものにしたい!〉そんな気持ちでした。抗がん剤の副作用である脱毛は、「1度は丸坊主にしてみたかった!」と抜けていく髪の観察をしたり、子どもたちとウィッグでファッションショーをしたり。 吐き気の代わりに食欲増進しましたが、ここぞとばかりに好きなものを食べたり、味覚障害でピッタリ合うものを料理研究家のように探求したり。 手術入院中には、同じ病室の患者さんと仲良くなって、おしゃべりタイムを作ったり。 若年性乳がんの患者さんがいるコミュニティや、イベントに積極的に参加して、たくさんの同志、友だち、そして現在の親友にも出会いました。 もっと乳がんの事を学びたくて、BEC(乳がん体験者コーディネーター) にもなりました。 また抗がん剤中でも、趣味のタヒチアンダンスを続け、発表会にも参加。 加えて乳がんを機に、母が講師のフラダンスを子どもたちと一緒に始めて家族の時間を作りました。 ダンスは、リンパ郭清をして浮腫がひどい腕のリハビリにもなり、生きがいにもなり、あたたかく見守って応援してくださる方々との出会いにも繋がりました。 私にとってこの時期は、病気だけれど充実していて、感謝でいっぱいの毎日を過ごさせてもらっていたと思います。 子どもたちとフラダンス

ママの病気は〈がん〉

当時3才と5才の子どもたち。 親は私しかいません。隠すことはできないし、長く付き合っていく病気だから、小さいなりにでも受け止めてもらうしかなかったですし、子どもたちにとって私の病気はきっとプラスになる、そう信じてそのままを見せてきました。 「ママは、おっばいの病気。お薬や注射をして、髪の毛だって使って病気をやっつけるんだ!」 そんなふうに、治療の段階や子どもたちの成長に合わせて伝えてきました。 元々賑やかな子どもたちは、私と一緒に病気を1つのイベントのようにして過ごすようになりました。 ただ、今までしていた寝る前の絵本や、公園で汗をかくほど遊んだり、丁寧に子どもと向き合うこと、それがストップしてしまって、子どもの環境も変えてしまうことになりました。 私の病気に合わせた生活になってしまったこと、ごめんね…何度も思います。

治療完了!と思ったら再発

心待ちにしていた、分子標的薬ハーセプチン18回終了。 でも経過観察に入るのは不安でした。 少しして「私が私に戻ったー‼︎」というような、病気からの解放感でいっぱいになった頃。 治療後初のCT検査がありました。 〈肺に遠隔転移〉発覚。 両肺にキレイに写った水玉。 また治療に戻ることとなりました。 肺転移がわかり、CVポート埋込の入院時

何もかも変わった2度目の治療

週に1回の抗がん剤と、分子標的薬2種類の治療がスタート。 回数が進むにつれ、前回とは一転。 私の心はどんどん弱くなっていきました。 副作用が重かったこともあり、心も身体もボロボロに…。 続けるはずだった仕事もお休みし、日常生活も出来ず、ほとんどベッドで過ごしました。 子どもの世話も両親に助けてもらうことになりました。 私は綺麗なものを綺麗に見れず、素敵なことも素敵と思えず、短期間でどーんと暗闇に落ちていきました。 病気ではない人たちや、がん患者でも活躍している人たちが眩しすぎて、 自分には価値がないと…。 ネガティヴの固まりでした。 初発でちゃんとがんと向き合っていたつもりが、ただ悲しみから目をそらしていたのかもしれません。 この時になってようやく、〈がん〉であることの苦しみや本当の恐怖を実感しました。

子どもがいてくれるから生きよう

もう嫌だ!何もかもやめたい!つらくてつらくてたまらない‼︎ 副作用もひどいし、やりたいことができない。 叫びたくてしかたない日々でした。 予想外だったそんな私の状態を見て、情緒不安定になりかけていた子どもたち。 でもフォロー出来る気力が持てませんでした。 もし子どもがいなくて私だけなら、治療なんてしないで生きることを頑張らなくなっていいのに。止めたっていいのに。 どうしてちゃんと育てられないのに、子どもを産んでしまったんだろう。 こんな病気の私なんかじゃなく、もっと幸せになれる家庭に生まれてこれたら良かったのに… 子どもがいて病気になってしまった後悔を考えていました。 そんな中、隣の部屋から子どもたちの大騒ぎと、面倒を見ていた母の叱る声が聞こえてきました。 その時ハッとしたのです。 「そんなこと言ってられない‼︎ 何思ってんだ私‼︎」 この子たちには私しかいない。 母にいつまでも頼ってばかりいられない。 治療なんてこなして、生きれるまで生きて、この子たちと長く過ごしたい! 両親も若くはないし、私が死んだら路頭に迷ってしまう。 生きなくては‼︎ それから少しして薬の効果もあり、一旦抗がん剤が休憩になり、副作用も少なくなって気持ちも取り戻せるようになりました。 抗がん剤中のタヒチアンダンス発表会

ステージ4を生きる

「ママのがん治らないの?」 「治らないよ。でも、がんとお手手つないで仲良く生きてくの。」 そんな会話をしました。 根治は難しくても、叶えたい夢はたくさんあります。 子どもたちともっと過ごしたい。 ダンスをもっと深く学びたい。 仕事もバリバリしたい。 がん経験者として、思い描いている活動をしたい。 他にもまだまだたくさん。 ステージ4になってしまったし、再治療でつらい思いもして、これからもずっと薬が必要です。 でも、昔から病気に関わらずいつも思っていることがあります。 私の人生はいつも〈今〉が1番良いんです! 過去より今現在のほうがレベルアップしていて、大器晩成中だと。(笑) 乳がんになったことは決して最高ではないけれど、最悪でもありません。 ステージ2bに続き、ステージ4時代も 〈がん〉から得られることは、たくさん得たい! そしていつも〈今が1番良い!〉そんな人生にしていきたいです。 子どもたちの成長をしっかりしっかり、見守りながら。。 子どもたち
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