【家族の闘病記】母の闘病でわかったこと~希少がんを家族で支える~


  • [公開日]2018.03.13
  • [最終更新日]2018.03.13

母の闘病でわかったこと、そしてこれからをどう過ごしていくかということを、今回2か月という短期間の入院でしたが振り返ることができました。がん患者・家族・医師との連携についても考えさせられたと思います。

(名前)岡部 佐有里
(年齢)42歳
(患者)母 74歳
(居住)千葉…母 船橋市 娘 八千代市
(職業)母…無職  娘 専業主婦
(がん種)十二指腸部 GIST(消化管間質腫瘍)

はじめに…「希少がん」を理解するまで

6月の中旬、父から電話がありました。ガサゴソと音がしている中、「お母さん、がんがあるから取らなきゃらしいよ。まだ病院だから後でまたかける」と電話を切りました。以前から咳がひどいものの画像診断・血液検査も異常なし。そんな母ががん、信じられませんでした。その後、母からの電話があり、驚くことになります。

母:「腸の方に大きな悪性腫瘍があるんだって。それがすごく珍しくて、症例がないから難しいらしいの」
私:「ずいぶん急だね。」
母:「…緊急手術なんだって」

…このとき、まだ母は無症状で、食欲も普通にある状態でした。私が何を聞いても「先生たちにもあまり経験がないがんって言われた」と繰り返すばかり。70歳を超えた母には戸惑いもあったでしょう。「なんで私が?」という問いにも答えられませんでした。

その後、詳しい検査の結果、「GISTの可能性が大」、「このままでは腫瘍が大きくなるばかり」「とにかく手術だ」ということで入院の予約を取り、短期間で準備を進めていくことに。

入院準備をする母を見ていて「この病院でよいのか」、「手術は急がないといけないのか」、「もっと詳しく病気のことを知りたい」という思いが残ったのを覚えています。当時、母はまだ元気で無症状でしたから、その気持ちは本当に大きく、日々強くなるばかりでした。

その時に病気に対する情報があれば、母に説明して安心して治療できるよう説明ができたのではないかと思っています。まだ情報が少ないこともあり、調べても調べきれないことはたくさんありました。

もし、「希少がん」と医師から言われたとき、先生や薬剤師さん、看護師さんにわからないことは聞いて解決しておくことが患者や家族の立場からできる治療の第一歩です。これにより、本人・家族とも安心して入院・手術と進める準備を始めることができ、治療を受けるうえで大切な土台となるのでは、と今は思っています。

理解することは決して怖いことではなく、安心の第一歩となると気が付きました。

治療の意欲を高めるために行うこと

入院から手術まで、母はいくつかの検査や診察を受けました。私は時間の許す限り同席し、わからないことを説明したり、一緒に看護師さんに聞いたりしていました。その中で、手術前の診察だけで疲れてしまうことがあるのだな、と母を見ていて感じました。

わかりにくい専門用語などが出てくると、「これって何?」「私はどうすればいいの?」と母が一つ一つにとても悩んでいたからです。「あ、それは後で説明するよ」とか「またゆっくり聞こうね」と言ってひとまず収まっても、「~しないと手術難しくなるの?」「なんで~ってなるの?違う病気があるの?」と手術自体に拒否反応を示してしまうことも数度ありました。

最後には「私、本当に手術しないといけないの?」と言われてしまい、「もう手術の準備してるんだけど…」と落ち込んだこともあります。根気よく、ゆっくりと話をして納得してもらうということは、治療の中で一番大切なことです。

今はインターネットで検索すれば有益な情報が得られますが、逆に詳しすぎて伝えられないようなことも載っています。情報を伝えて母自身の理解につながれば…と思いましたが、伝えすぎるのも本人の治療意欲を知らない間に削いでしまうことにも気が付きました。知りたいことが知りたくないことに代わってしまう、家族はこのことを頭の片隅に置くべきです。

それでもどこからか情報が患者本人に伝わることがあります。私たちは不安な時ほど負の情報にとらわれがちです。もし気持ちの修正ができないようであれば、先生や看護師さんなどのメディカルスタッフに相談をし、正しい情報をインプットしてもらうことが必要かと思います。

このことを行わないと抗がん剤を含め後々の治療にまで影響することになりかねません。

再手術、その時のフォローを考える

GIST自体の手術は成功、部屋に戻ったのはいいものの、何かがおかしいとの事。切除部分が癒着してしまったとわかったのは3週間絶食後の胃カメラでした。

「もうすぐご飯が食べられる、メロンジュースが飲みたい」と言いながら検査に行った母がぐったりして帰ってきたのは3時間後くらいだったでしょうか。父・母・私が呼ばれ、癒着した部分を再建するため胃を切除する手術を緊急に行わなければならないという話でした。

「腫瘍だけって言ったのに!」と言って泣き崩れた母の言葉を聞きつつ、大きなタオルはまだあるか、売店の閉店時間は何時か、荷物があるので主人に病院に寄ってもらえるか…私はそんなことしか考えませんでした。
「先生が執刀をするって言ってるし…で、いつ?」
「明日手術室押さえました」
「急すぎる…」

後に母も「あの時は何が何だかわからないままだったわ」と笑って話してくれています。術後に関して「まれに起こる」はまれではなく「起こるときは誰でも起こってしまう」のです。

人によって経過は様々ですし、比べることはできません。しかし、GISTはどのような経過をたどるのか、どういう術後の変化が起こるのか、もう少し知識があればよかったかもしれません。誰かに置き換えることは簡単です。

でも、置き換えたところでそれはあくまでも一例に過ぎない、母のような場合もある、と感じるようになりました。そして「GISTは希少がんなので、何が起こるかわからない」と最初の先生の一言をかみしめながら翌日の手術の準備を私はしていました。

退院後の問題点を洗い出し、解決するには

胃の切除も終わり、食事もたくさん食べてしまい先生からびっくりされるほどになった頃、やっと退院となりました。「入院2週間って言ったのに…」と言いつつも、退院後の生活に少しの不安を残して。

退院前から心配していたのは食事でした。父は軽度の糖尿病なのでカロリーは低め、母は少しずつ分けて食べる、今までにない食事の方法に戸惑った時もあったようです。私は退院前の栄養指導に同席したり、一緒に術後の食事に関する本を読んでいましたので、介護用品のカタログや薬局の介護コーナーで高カロリーゼリーや飲料の準備をして、母におやつとして食べるように冷蔵庫にストックしてもらいました。

食欲のない時は無理にご飯を食べず、ゼリーにする。おなかが空いたらしっかり食べて休む、と当時はうるさすぎるくらい伝えていました。でも、母は嫌な顔もせず実行に移してくれました。薬に関しては、「変なことがあったらすぐに病院の薬剤師さんにお話しするんだよ」とかなり強く伝えていました。

薬の副作用、特にがんに関する治療薬は色々な副作用があること、その時にどうすればいいかは勝手に判断しないこと、小さなことでも違和感があったら医師・薬剤師さんに連絡して指示を仰ぐことをかなりうるさく言っていました。ところが、服薬当初にかゆみ・発疹が起こり、薬の副作用ではと検査をしてもらいました。

結果、血液検査の異常は見つからず、「かゆい時はがんの薬を飲まなくていいです」と先生からの指示があり、一時、薬も飲んだり飲まなかったりとなってしまいました。入院中であれば看護師さん、薬剤師さんに相談していたのかもしれませんし、勝手に薬を飲まないなどなかったと思います。薬に関しては私自身も知識や理解が当時あまりなかったことを反省しています。

退院後は人それぞれの生活があります。母のように少しゆっくりできる人、社会復帰する人とそれぞれです。自分の体調を理解するのはとても難しいですし、コントロールも退院したてではうまくいかないことが母を見ていてわかりました。自宅で過ごしている時や就労時など、ほんの小さな体の異常でも、きちんと相談できる人を持つことが長期の服用についてはとても大切ではないでしょうか。

もちろん、一番身近な家族の中でもきちんと相談できるような連絡の取り合いをすることは重要です。

おわりに…将来のケアを考える

半年を過ぎ、母は「なんとなく」元気です。やはり気候や気分によってなんとなく元気がなかったり、美味しいものを食べたりしたときはなんとなく元気そうです。薬に関してはやはり副作用で中止、定期的に画像診断をするものの、納得しない部分もある様です。

今考えれば「緊急」・「希少がん」という言葉に踊らされ、疑うこともなく手術を行いました。あの時はまだ無症状の段階でしたので、セカンドオピニオンや病院の再選択といった、より良い治療を選ぶことができたのではないかと振り返っています。また、母の入院ということで父の生活をどうするかということも同時進行で考えなければなりませんでした。

結果、ケアマネージャーさんやデイサービスの施設がスムーズに決まったのですが、説明が足りず、父に嫌な思いをさせてしまったことも併せて反省しています。よく学生のころ、父が私に「ゆっくり 焦って考えなさい」と言ってくれていたことを思い出します。

流れを見ながら、でも何かするときは少し急いてでもやるべきことをやりなさい、ということと理解しています。今回の母の治療はまさに「ゆっくり、焦って」も良かったと今になり強く思うようになりました。また、「これは主治医にしっかり伝えないと」、というところで伝え落としたところもあります。

母自身が中心のはずの治療がそうではない場面もありました。そうならないためにも、今は病院選びから母にもう一度考えてもらっています。なるべく体力に負担がかからないよう、薬の選択なども74歳の母でもわかるように説明してもらえるところがいいね、と言っています。

手術が終わってからで遅いかもしれませんが、現在は情報を得て講演会等で他の患者さんのお話を聞いたり、最新の治療について勉強を始めました。今回の治療では予備知識のなさが混乱を招いたのかもしれません。けれど母はまだ元気です、そして元気でいてほしいです。

そのために今、家族で頑張って母を支えられるような体制を作っていこうと思っています。


母はぬいぐるみが大好き。入院中はこの小さいくまさんが一生懸命看病してくれました。夜や検査の後にちょっと話しかけたりすると心が休まったそうです。私自身も「NPO法人 日本ぬいぐるみ協会」の会員で、ぬいぐるみさんの存在がとても大切だと勉強になりました。


執筆者本人です。母と同じく動物好きで、気晴らしに動植物園など行っています。母の入院中ほぼ毎日病院に通い、いいダイエットになりました。ただ、やはり「看護うつ」のような状態になってしまったのも今となれば「そうだったなぁ」と思います。

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