甲状腺がん体験者 白石 大樹さん


  • [公開日]2017.03.27
  • [最終更新日]2017.03.27

年齢:31歳
性別:男性
居住:東京都
がん種:甲状腺がん

オンコロの体験談を書かせて頂く白石大樹と申します。これから自分の体験したことを紹介させて頂きます。この体験談で皆様のこれからの人生に少しでも参考になれましたらうれしく存じております。私にとって人生を生きていく上でどうすればいいのかを考えさせられた出来事についてお話ししていきたいと思います。

私の抱える二つの病気

まず私は、難病指定されている潰瘍性大腸炎という病気をもっております。この病気は24歳の時になりました。主な症状は下血、腹痛、出るものは出たのにまだ出そうとするしぶり腹などがあります。私個人は、しぶり腹が一番嫌いです。(笑)

この病気に完治はありません。服薬による症状のコントロールが大事なので毎日朝、昼、夕方の3回服薬します。服薬量がすごく多い時もありました。薬だけでおなかいっぱいになり、何でこんなに飲んでいるんだろうという空虚感も感じました。

症状が一番酷い時は2014年の年が明けてからでした。下痢がひどく体重が10㌔減って58㌔になってしまい、体力もなくなりへろへろ状態でした。ちょうどその時の仕事は製造業の技術者として働いており、機械の製作中で莫大な仕事量のため忙しい日々でした。帰りも遅くて納期に追われ精神的も限界で追い詰められ、考え方がネガティブな状態でした。現実逃避したくて当時付き合っていた彼女と旅行に行ったりして、すごく気持ち的には助かりました。彼女を幸せにするつもりが、いつのまにか自分中心に物事を考えていました。あの頃の私は、仕事や病気のストレスで周りをよく見ていなかったかと思います。

人生の転換期は失恋から始まった

潰瘍性大腸炎の悪化で激やせして本気で病気と向き合うようになりました。しかし、潰瘍性大腸炎に関しての本を買い読んで勉強したり、食事に気を付ける食事療法を開始して少しずつ回復してきた矢先に失恋してしまったたのです。

2014年6月ごろでした。失恋したことで正直身体とはともかく精神的に落ち込み、何がいけなかったのだろうか俺の性格がどの辺がいけなかったのかなどの繰り返し自問自答していました。ただその出来事は自分を振り返るきっかけを与えてくれました。彼女の中に葛藤もあったろうし彼女から別れを告げられてショックではありましたが彼女には感謝しています。ちょうど仕事もひと段落したときだったので、自分を見つめ直そうと会社を退職しました。転職先は、前から憧れていた職業である機械加工者という道でした。上司からバカと罵られ早く職人の道を究めたい、またもう一度彼女とやり直したい気持ちから仕事に従事しておりました。

あの頃はジムに通い始めて身体と心を鍛えようと自分磨きに励んでいました。少しでも性格や人間性を磨こうと努力していました。そのおかげでアスリートのような身体つきになりました。(笑)

そんな矢先に、会社の業績が落ちて平日休みとなってしまい週3日しか仕事をしないという生活になりました。そこで前に医者から甲状腺の腫瘍が気になるからと大学病院の受診を勧められたのを思い出し、紹介状を持って大学病院へ行き内分泌内科で受診しました。日付は12月8日のことでした。まず医者からの第一声が、「年内にすっきりした方がいいよね」と軽い感じで言われ胸騒ぎがしたことは今でも覚えています。

次の週の12月18日に検査前に内分泌外科の今の担当医である方と初めてお会いしました。そして、担当医が過去のデータ資料をみて私に言いました。

「これはほぼ間違いなくがんです」

といきなりのがん告知を受け、頭の中が真っ白になりました。医者からの説明が全然入らなくて段々血の気が引いてきて、すぐ近くにあったベッドで横になりました。その後詳しい検査の結果を知ることとなったのは、12月25日のクリスマスでした。やはり検査結果は悪性腫瘍であり、正式に甲状腺がんの告知を受けました。

そして人生のどん底!!

翌々日12月27日手術をするために会社に休職をお願したら、上司が「上に申請してみる」と願い出てくれました。しばらくしたら社長と総務の人が話を聞かせてほしいと私のところに来ました。会議室で社長と総務2人に病気が見つかるまでの経緯を説明しました。社長からの第一声が「正社員という話はなしにする」でした。すると総務の方が私の目の前にA4の紙を出してきました。それは退職届で、私の名前が書いてあり文章も用意されていました。用意周到でその時人間の本当の冷酷さを肌で感じました。告知を受けて間もなくということもあり、反論する力もなくしかたなくサインしてしまいました。

午後は検査のために早退することになっておりしかも仕事納めの日なので4か月でしたが、お世話になった方々に挨拶回りをしようしたら一番偉い人が「挨拶回りはしなくていいからそのまま帰りなさい」と自分としては歯切れの悪い感じがしました。

なぜあいさつ回りをさせてもらえなかったのは今となって思うのは会社から“がん”で解雇させられたことを隠すつもりだったのではないかと憶測ですがそう思います。

昼食を終えて帰ろうとタイムカードを打った時に同僚の人が近寄って
「あれもう帰っちゃうの?」
『ええ、そうなんです。用があるので!』
「そうか、じゃあ来年もよろしくな」と事情の知らない同僚の言葉に『俺、来年いないし』と内心思い、帰りのホームで泣いてしまった。今まで病気に対して強がっていた部分や仕事でバカと罵られながらも耐えていたこと、この一年、潰瘍性大腸炎の悪化により体重10キロ減、仕事の激務、失恋、転職、人間関係のトラブル、がん発覚、解雇、いろいろ起きて最後にこの仕打ちは何だろうという口惜しさがあったために涙を流してしまったんだと思います。

入院、手術、放射線治療、初めての経験をしました。退院してからハーフマラソンに参加し完走。その他大型自動車免許の取得など、自己研磨をして、自信を少しずつ取り戻しました。その後にヘルパーの資格を習得してから介護のデイサービスでパートとして働き始めました。利用者さんと接していると考え方が変わってきて、また人生設計も見えてきたこともあり、一つの冒険をしてみようと思うようになりました。

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作業療法士を目指す

仕事しながら学校へ行くことはハードな生活です。でも目標があるからハードな生活をこなすことができるし今までの経験に比べたら全然楽だと言えます。私が言える立場でもないのですが、人生は平坦な人生より山あり谷ありの道なりがあった方がいいと思います。考えを改めるきっかけを与えてくれるし自分の将来について考えるようになりました。また人に優しくしたり、思いやり、自分の行動を改めたりそして何より笑顔が増えたと認識しています。

平坦な人生だったら今の私はいません。今まで未熟だった人間が成長するための出来事だったと思います。自分という人間が成長し続けることで面白いことを発見できたり、感謝する気持ちが芽生えたり、社会貢献したいというあらゆることが出てくることで生き甲斐につながっていけると思います。しかし今、世の中が自分だけよければいいみたいな自己中心的な考え方が広まっている感じがして、将来どうなってしまうか心配してしまいます。私の将来は、患者さんと向き合い気持ちの寄り添える作業療法士になることで、またこういう医療者がいたらいいなって思える人になりたいです。

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最後に

がんや難病といった病気は、治療後の人生で苦労することが多いかと思います。頭の片隅に再発の不安や新たな病気が見つかるのではないかと考えてしまうときがあります。潰瘍性大腸炎は発症してから8~10年以上経過すると大腸がんになるリスクがあがるとされています。私も覚悟はしているつもりです。そういった将来の不安などで落ち込むことがありますが、それでも上を向いて青空を見ていこう思います。

「最後まで望みを捨てなければ必ず道は開ける。そしていつか良いことがある」と私は信じて今生きています。

ずっとは明るく生きていることは難しいです。気分の波があるのは当然だと言えます。自分ももちろんあります。でも少しでも明るい手がかりがあればそれに向かって進めて、結果が得られなくもその過程で得たことがあると思います。

長々とお読みくださりありがとうございました。私の人生もそれなりの経験をして得た人生観です。皆様のこれからの人生の道でこの経験が皆様の地図として参考になれば幸いであります。私も頑張っていますのでともに頑張りましょう。

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