今回のインタビューはオンコロスタッフのHAMA(以下H)が担当します。

H:本日は宜しくお願いします。まず初めに簡単な自己紹介をお願いします。
鷲見さん(以下敬称略):鷲見 収造と申します。年齢は62歳です。59歳の時に骨髄異形性症候群という病気になり、現在も治療を続けています。

~なかなかわからなかった病名~

H:がんが見つかった経緯を教えてください。
鷲見:私はウォーキングの趣味を持っていて、毎日沢山の距離を歩いていたのですが、ある時、急に物凄い倦怠感を覚えました。その翌日には発熱も始まり、かかりつけ医にかかりました。そこでは「肺炎」とのことで点滴治療を開始したのですが、熱は下がらず、通常は増えるという白血球数も増えていませんでした。医師の勧めで総合病院の呼吸器科へ転院した時には、既に朦朧としていたようです。あらゆる処置や検査を受けたのですが、熱も下がらず原因がわからないままでした。この間、記憶がはっきりしないのですが、このような状態が3週間ほど続いたと思います。そして、この病院に来ていた血液内科専門の医師の検査を受けて、ようやく骨髄異形成症候群であるとわかりました。

~何故自分が~

H:がんの告知を受けた時はどのようなお気持ちだったのでしょうか。
鷲見:数万人に1人の病気と伝えられ、なぜ自分はこのような病気になってしまったのか、自分のこれまでの人生で何か悪いことをしてきたのか、あるいは親孝行をしてこなかったからなのかなど、頭の中であれこれと考えが巡っておりました。
また、特定できるいずれかの部位ではなく、血液のがんということの「得体の知れない感覚」であったことを覚えています。同時に、どのように治療するのかという大きな不安を感じました。

~目標を持たなければ治療にも力は入らない~

H:病気が分かってからどなたかに相談はしましたか。
鷲見:私が発熱でぐったりしていた間に、病名は家族の方が先に知っていたということもあり、特には相談しませんでした。親族には、妻が連絡をすませておりました。

H:闘病中の気持ちのコントロールや発散などは何かされていましたか。
鷲見:特にはなかったように思います。ただ、私ががんとわかる1か月ほど前に初孫が生まれておりまして、「この子と話ができるようになるまでは頑張ろう」と思ったのは覚えています。また、東京オリンピックまでは生きよう、とも思っていました。

H:目標を持つことは前向きになる上で大切なことなのですね。
鷲見:他の方々がどうかはわかりませんが、大なり小なり何かしらの目標を持たないと、治療に力が入らないと思うんですね。

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鷲見さんの好きな椿の写真①。ご自宅の椿が花をつけました。

~骨髄移植をすることに~

H:治療について教えてもらえますか。
鷲見:最初は、抗がん剤治療でした。私の場合これは副作用が強く、特に吐き気がひどかったです。ただ、抗がん剤治療だけでは余命は短く、骨髄移植が必要と告げられていました。先ほど話した目標の事もありましたし、家族とも相談し骨髄移植をすることに決めました。
骨髄移植は、白血球の一種であるHLAがドナーさんと一致することが必須です。親族の中で一致する可能性もありましたが、皆高齢であったため、骨髄バンクのお世話になることにしました。幸いなことにドナーさんが見つかり、無事に移植手術に臨むことができました。
この時、大変に痛い思いをされて骨髄を提供してくださったドナーさんには、心から感謝しています。
ただし、この病気は根治が難しいと言われています。特に、移植後のGVHD(移植片対宿主病)や免疫力の弱さゆえに感染症への注意が必要で、現在も月に1回の外来診察を受けています。血液検査の結果を見ながら、複数の薬剤を服用しています。治療は、一生続くと思います。

※GVHD(移植片対宿主病)とは・・・白血球は自分以外を敵と見なして攻撃する性質を持っており、移植されたドナーの造血幹細胞から作り出される白血球にとっては、患者の体は「他人」となります。そのため、免疫反応を起こして患者の体を攻撃してしまい、さまざまな障害が生じます。

~保険に入っていてよかった~

H:経済面については如何でしょうか。
鷲見:幸いにも、通常の保険内容に加えてがんを含む三大疾病の特約を契約していて、入院費や通院費の多くをカバーすることができました。もしこれがなかったらかなり切迫した状況になっていたと思います。
また、高額療養費制度も利用できましたので、毎月の医療費の負担の最大額を認識できたことも安心につながりました。

~最高においしい重湯~

H:病気になられて一番つらかったことは何でしたか。
鷲見:骨髄移植のために「無菌室」という個室に約2か月間ほど入っていた時が、身体的にも精神的にも最も辛かったですね。移植の“前処置”として大量の抗がん剤を1週間、また、移植の2日前から放射線照射を受けるのですが、ぐったりとして何も考えられませんでした。また、移植後も2週間くらいは食事が全くとれず、体調も悪い中、1人だけで気を紛らすこともできませんでした。
辛い出来事ではありましたが、一方でいいこともありました。ようやく食べ物を口にできるようになった時に、ただの重湯ではあったのですが、一口食べた時、「こんなにおいしいものがあるのか」と思いました。ただの重湯がです。大げさではなく、本当においしかったんです。生きているとは、こういうことだとも思いました。

~妻への感謝~

H:どなたか感謝したい方はいますか。
鷲見:感謝の気持ちは多くの方々にありますが、一番は妻です。
長い入院になりましたが、身の周りの世話をはじめ、何をやるにもさりげない言動で応えてくれました。あと、私には今もこれからも食事制限があります。退院してから2年ほどになりますが、妻は今でも毎日の食事を工夫して、おいしい料理を出してくれています。あまり口には出しませんが、心から感謝しています。
また、看護師の方々にも大変感謝しています。私がどんなに苦しい時も慰めに入らず、たんたんと世話をしていただきました。私には、それがとてもありがたかったです。数々のケアや私のわがままに対応してくれるたびに、感謝しつつ本当に大変な仕事だと思っていました。

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鷲見さんの好きな椿の写真②。寒い冬が、名実ともに過ぎ去っているようです。

~骨髄バンクの普及を願いたい~

H:国や医療に対する意見をお願いします。
鷲見:私の立場で国等に大きなことを言える立場ではありませんが、骨髄バンクの広報活動にはもっと工夫が必要ではないかと感じます。骨髄バンクのありがたみは、お世話になった人でなければわからない構図で、私自身もそうでした。ですので、健康な方々には是非登録してほしいと思いますが、その方々の心に響く何らかの方法が必要だと思います。私もできる範囲で考え、実践していきたいと思っています。

H:他にはありますか。
鷲見:私が罹患した骨髄異形性症候群のワクチンが現在、治験実施中であると聞きました。治療の新たなオプションとして、早期に国の認可を得られるように期待したいです。

~感謝して生きていく~

H:現在目標にしている事はありますか。
鷲見:私は、本当に痛い思いをしながら骨髄をご提供していただいたドナーさんに、生かせていただきました。「ドナーさんに感謝しながら生きていくこと」、これが第一の目標です。
それから、私は長い入院生活中にこれからの仕事の事、生活の事、趣味の事など、考えていたことをメモに取っていたのですが、それがこれからの生き方をデザインする上で、参考になっています。そこから出てきた発想を形にしていくのが、現在の目標のひとつになっています。

~体験談は一種の処方箋~

H:皆さんに何かメッセージをお願いします。
鷲見:どなたにでも当てはまることではないかも知れませんが、特にこれから治療に入られる方々には、「セカンドオピニオン」の実践をお勧めしたいと思います。私は、最初に入院した病院からセカンドオピニオンを勧められました。自分で情報収集し、実際に医者から治療方針、治療期間、費用などの見通しについて説明を受け、家族とともに納得して、これからの治療を託す病院を決めることができました。
がん治療の場合、退院後の通院も必須ですので、病院が通院できる範囲内にあるということも、病院を決める上で大きな要素かも知れませんね。

H:セカンドオピニオンを受けて良かったという話は確かに良く聞きます。

鷲見:また、どのようながん種であれ、罹患してしまった不遇を嘆くことは、年齢や性別を問わずごく自然のことだと思います。でも、僭越ではありますが、その後は早期に「いかに生き抜いていくか」に考えを切り替えていく方が良いのではないかと、私は体験から感じました。医療者、家族など、周囲に応援していただける人が必ずいます。その方々に対して本当に感謝できる生き方ができるように思います。
また、医師から教えていただくいろいろな日常生活の留意点は、これまでに同じ病気に罹患された多くの方々が残していただいた、一種の「処方箋」とも言える貴重な情報でもあると思うんですね。私も最大限に参考にさせていただいていますが、今回お話したような私自身の事例も、何かしらのご参考になれば誠にありがたいと思います。

H:がんを体験していない私にとっても、とても参考になるお話でした。本日はどうもありがとうございました。

がん体験談


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