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~なかなかわからなかった病名~
H:がんが見つかった経緯を教えてください。 鷲見:私はウォーキングの趣味を持っていて、毎日沢山の距離を歩いていたのですが、ある時、急に物凄い倦怠感を覚えました。その翌日には発熱も始まり、かかりつけ医にかかりました。そこでは「肺炎」とのことで点滴治療を開始したのですが、熱は下がらず、通常は増えるという白血球数も増えていませんでした。医師の勧めで総合病院の呼吸器科へ転院した時には、既に朦朧としていたようです。あらゆる処置や検査を受けたのですが、熱も下がらず原因がわからないままでした。この間、記憶がはっきりしないのですが、このような状態が3週間ほど続いたと思います。そして、この病院に来ていた血液内科専門の医師の検査を受けて、ようやく骨髄異形成症候群であるとわかりました。~何故自分が~
H:がんの告知を受けた時はどのようなお気持ちだったのでしょうか。 鷲見:数万人に1人の病気と伝えられ、なぜ自分はこのような病気になってしまったのか、自分のこれまでの人生で何か悪いことをしてきたのか、あるいは親孝行をしてこなかったからなのかなど、頭の中であれこれと考えが巡っておりました。 また、特定できるいずれかの部位ではなく、血液のがんということの「得体の知れない感覚」であったことを覚えています。同時に、どのように治療するのかという大きな不安を感じました。~目標を持たなければ治療にも力は入らない~
H:病気が分かってからどなたかに相談はしましたか。 鷲見:私が発熱でぐったりしていた間に、病名は家族の方が先に知っていたということもあり、特には相談しませんでした。親族には、妻が連絡をすませておりました。 H:闘病中の気持ちのコントロールや発散などは何かされていましたか。 鷲見:特にはなかったように思います。ただ、私ががんとわかる1か月ほど前に初孫が生まれておりまして、「この子と話ができるようになるまでは頑張ろう」と思ったのは覚えています。また、東京オリンピックまでは生きよう、とも思っていました。 H:目標を持つことは前向きになる上で大切なことなのですね。 鷲見:他の方々がどうかはわかりませんが、大なり小なり何かしらの目標を持たないと、治療に力が入らないと思うんですね。
~骨髄移植をすることに~
H:治療について教えてもらえますか。 鷲見:最初は、抗がん剤治療でした。私の場合これは副作用が強く、特に吐き気がひどかったです。ただ、抗がん剤治療だけでは余命は短く、骨髄移植が必要と告げられていました。先ほど話した目標の事もありましたし、家族とも相談し骨髄移植をすることに決めました。 骨髄移植は、白血球の一種であるHLAがドナーさんと一致することが必須です。親族の中で一致する可能性もありましたが、皆高齢であったため、骨髄バンクのお世話になることにしました。幸いなことにドナーさんが見つかり、無事に移植手術に臨むことができました。 この時、大変に痛い思いをされて骨髄を提供してくださったドナーさんには、心から感謝しています。 ただし、この病気は根治が難しいと言われています。特に、移植後のGVHD(移植片対宿主病)や免疫力の弱さゆえに感染症への注意が必要で、現在も月に1回の外来診察を受けています。血液検査の結果を見ながら、複数の薬剤を服用しています。治療は、一生続くと思います。 ※GVHD(移植片対宿主病)とは・・・白血球は自分以外を敵と見なして攻撃する性質を持っており、移植されたドナーの造血幹細胞から作り出される白血球にとっては、患者の体は「他人」となります。そのため、免疫反応を起こして患者の体を攻撃してしまい、さまざまな障害が生じます。~保険に入っていてよかった~
H:経済面については如何でしょうか。 鷲見:幸いにも、通常の保険内容に加えてがんを含む三大疾病の特約を契約していて、入院費や通院費の多くをカバーすることができました。もしこれがなかったらかなり切迫した状況になっていたと思います。 また、高額療養費制度も利用できましたので、毎月の医療費の負担の最大額を認識できたことも安心につながりました。~最高においしい重湯~
H:病気になられて一番つらかったことは何でしたか。 鷲見:骨髄移植のために「無菌室」という個室に約2か月間ほど入っていた時が、身体的にも精神的にも最も辛かったですね。移植の“前処置”として大量の抗がん剤を1週間、また、移植の2日前から放射線照射を受けるのですが、ぐったりとして何も考えられませんでした。また、移植後も2週間くらいは食事が全くとれず、体調も悪い中、1人だけで気を紛らすこともできませんでした。 辛い出来事ではありましたが、一方でいいこともありました。ようやく食べ物を口にできるようになった時に、ただの重湯ではあったのですが、一口食べた時、「こんなにおいしいものがあるのか」と思いました。ただの重湯がです。大げさではなく、本当においしかったんです。生きているとは、こういうことだとも思いました。~妻への感謝~
H:どなたか感謝したい方はいますか。 鷲見:感謝の気持ちは多くの方々にありますが、一番は妻です。 長い入院になりましたが、身の周りの世話をはじめ、何をやるにもさりげない言動で応えてくれました。あと、私には今もこれからも食事制限があります。退院してから2年ほどになりますが、妻は今でも毎日の食事を工夫して、おいしい料理を出してくれています。あまり口には出しませんが、心から感謝しています。 また、看護師の方々にも大変感謝しています。私がどんなに苦しい時も慰めに入らず、たんたんと世話をしていただきました。私には、それがとてもありがたかったです。数々のケアや私のわがままに対応してくれるたびに、感謝しつつ本当に大変な仕事だと思っていました。