乳がん体験者 御舩美絵さん


  • [公開日]2016.03.22
  • [最終更新日]2020.03.04

名前:御舩(ミフネ)美絵さん
年齢:37歳
性別:女性
居住:東京都
職業:ライター

 

病気が発覚するまで

・初めての乳がん検査
「これって、しこりかな?」。私が初めて左胸にあるしこりに気づいたのは30歳のときでした。当時フリーペーパーの編集ライターとして働いていた私は、乳がんについて取材することもあり、「乳がんは自分で見つけられるがん」と聞き、時々自分の胸を自己検診していました。「なんかある気がするなぁ、これがしこりっていうのかなぁ、うーんよくわからない、気のせいかも」、病院へはなるべく行きたくないのでしばらく放っていましたが、あるとき「スッキリさせたい」と、決心して病院へ行きました。

・病院で押された太鼓判
マンモグラフィ、超音波、触診を経て、医師から「少し石灰化はあるけど乳腺症のようなもので、出産して授乳したらなくなるでしょう。がんになるものではありませんよ」と太鼓判を押され、心の底から安心した私は、また仕事に没頭する日々が続きました。
左胸のしこりは、それからもなくならず、むしろ大きくなっているような気がして、時々ジーンジーンと痛むようになっていました。それでも、一度ちゃんと病院で調べた結果、問題なかったという大きな自信を得ていた私は、もう一度病院へ行くことはありませんでした。当時の私は、検査や検診の正確さは100%だと思っていたのです。あまりに無知でした。

・もう一度受けた乳がん検査
その後、結婚が決まり、結婚前にもう一度検査をすることにしました。そのときに受けた超音波検査で、ずっと気になっていたしこりの位置に超音波の機械が来たとき、素人の私でも明らかにおかしいと感じる真っ黒い塊が写っていて、嫌な予感がして血の気がスーッと引いていきました。そして明らかに焦り始めた医師の姿に、「これは大変なことになるかもしれない…」と思ったのです。
そのときに受けた細胞診の結果、乳がんと診断されました。最初の検査から1年4カ月が経っていました。「がんは5㎝ほどの大きさです」と言われ、胸の全摘手術を勧められ愕然としました。「乳がんになっても、現在は温存手術で胸を失わなくてすむ」、仕事がらそう聞いていた私は、自分も温存手術ができるものだと思っていたのです。「温存手術はできないのですか?」と聞いてみましたが、医師は「がんが大きすぎるので難しいです」と。

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病室での御舩さん

 

治療する上で一番大事にしたいこと

乳がんと診断された後、手術が受けられる病院へ転院しました。
当時31歳で、結婚式は2週間後。結婚後はすぐに子どもを希望していたため、最も気になったのは、「子どもを望めるのか」ということでした。主治医によると、治療後に妊娠を望むことは可能だけれど、それは再発を抑えるための薬の治療が終わる5年先になること、抗がん剤を受ければその副作用で閉経する可能性が30%~80%あるということでした。
「死にたくないし、胸を失いたくないし、将来子どももほしい」、失いたくないものだらけでした。私に提示された選択肢は二つ。一つ目は手術先行で全摘手術。胸はすべて失うけれど、病理結果によっては、抗がん剤治療を省けるかもしれない。二つ目は、術前化学療法をして、がんが小さくなれば温存手術が可能になるかもしれない。ただ、抗がん剤の副作用で、治療後に閉経するリスクがあることを説明されました。
主治医からセカンドオピニオンを勧めてもらい、計4人の専門医の話を聞きましたが、そのすべてを望めないと分かり、これから治療を受けるにあたり、自分が何を一番大事にしたいかを改めて考えてみました。もちろん一番は、「これからも生きたい」。その上で一番大事にしたいのは、「治療後、自分の子どもを持ちたい」という想いでした。なので、全摘手術を受け、その病理の結果によって抗がん剤治療をするかしないかを決めることにしました。

■主治医からの提案

治療を受けるにあたり、最初に主治医に、将来、妊娠・出産を希望していることを伝えました。主治医は、「あなたのこれからの人生にとって、子どもを持つか持たないかは大切なこと。将来後悔しないように」と私の意思を尊重してくださり、2つの提案がありました。
1つは「オンコタイプDX」という遺伝子検査で抗がん剤の有効性を調べること。もう1つは抗がん剤治療による閉経の可能性と治療後の年齢を考慮して、治療前に体外受精による受精卵を凍結保存することでした。
最初はよく理解できず、保険がきかないそれらの高額さにただ驚きましたが、そういった選択肢を知れたことはとても大きなことでした。
私は悩んだ末、当時47万円だった「オンコタイプDX」の遺伝子検査を受けました。そしてその結果によって、抗がん剤治療を受けないという選択をしました。そして5年間のホルモン治療を行うことにしました。

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5年間飲んだ薬の殻はお守りがわり

 

医療者に望むこと

私は、主治医が病状だけを見るのではなく、「将来子どもを持ちたい」という私のこれから先の人生にまで関心を示して、様々な選択肢を提案してくださったことに感謝しています。
病院では「患者さん」と呼ばれます。しかし、病院の外に出れば、個としての生活や人生があります。病気になった後も、患者の人生は続いていくのです。そのことを忘れないで治療にあたってくだされば嬉しく思います。

■これからの夢

手術が終わってすぐ、入院中に32歳の誕生日を迎えました。家族が集まって病室でお祝いしてくれて、先生や看護師さんにたくさんの「おめでとう」をもらい、これからもこうして年を重ねていきたいなぁと思ったのです。
あれから5年、まもなく治療が終わります。これからは、私が父と母から命をつないでもらったように、今度は私が次の世代に命をつないでいけたらいいなと思っています。

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入院中に迎えた誕生日

 

病気を経験して

乳がんが分かったとき、目の前の人生が真っ暗に思えました。今まで普通に仕事をして、遊んで、元気に過ごしてきたのに、突然「患者さん」と呼ばれるようになり、 肩を並べて一緒に仕事をしてきた同僚や、結婚して子どもを持つ友人たちから、取り残されたような気持ちになりました。
しかし5年経った今、私はちゃんとカラフルな毎日を歩んでいます。病気になったからこそ経験できたことや感じられたこと、出会えた方がたくさんいて、人生が豊かになりました。病気になってよかったとは決して思えませんが、病気とともに幸せに生きていける道があることを知りました。
5年前の私に教えてあげることはできませんが、今、真っ暗な中を歩いている方にそっと寄り添えたらいいなと、若年性乳がん体験者のためのサポートコミュニティを運営しています。

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病気を受け入れてくれた彼と結婚

 

「若年性乳がんサポートコミュニティ Pink Ring」の紹介

「若くして乳がんになっても希望を持って生きていけるように」、そんな思いで活動しています。
Pink Ring さんホームページ http://www.pinkring.info/
オンコロでの紹介ページ https://oncolo.jp/organization/pink-ring

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