目次
- 1告知から1ヶ月
- 22回目のがん闘病
- 3自己紹介します
- 4がん闘病のその後
- 4-1
- 5過労?いや、白血病!
- 5-1
告知から1ヶ月
この記事を書いているきょうは2017年の12月27日でした。すっかりクリスマスも過ぎてしまいました。みなさんはどんなクリスマスをお過ごしになられたでしょうか。ぼくはとある病院のクリーンルームという場所で、クリぼっち(クリスマスを一人で過ごすこと)を堪能していました。 クリーンルームというのは、きれいな空気を循環させて、空気感染を防ぐための病室です。ぼくはこの部屋に3週間ほど引きこもっています。この3週間、一歩もこの部屋から出ていません。あ、初日に一歩出て看護師さんに怒られました。でもそれからは本当に一歩たりとも出ていません。神に誓って。 なぜ24歳現役大学生の男がそんな寂しいクリスマスを過ごさなければならなかったのか。それはちょうど1ヶ月前に告知された、急性骨髄性白血病との闘病真っ最中だからです。
2回目のがん闘病
今回の企画では急性骨髄性白血病の闘病記を数回に渡り連載させていただく、というものなのですが、以前にもオンコロで闘病について紹介していただいたことがあります。前回の記事(https://oncolo.jp/mystory/human11)では、薬学ガールこと白石由莉さんに精巣腫瘍というがんの闘病についてインタビューしていただきました。 そう、実はぼくにとって今回の急性骨髄性白血病は2回目のがん闘病。前回は20歳、今回は24歳。20代前半にして2種類目のがんに罹患するというのは珍しいね、なんてお話から今回のお話をいただいたわけなんです。が、ぼくは医療従事者でも、その卵でも、しっかりした人間でもありません。 ですから、詳しい医療情報はご説明できないと思います。オンコロの方もそこは一切期待していらっしゃらないはずです。期待されても困りますし。なので、ぼくの目線で、本音で、治療中に思ったことを書いていけたらいいなと思っています。温かい目で見守ってください。自己紹介します
さらっとこの企画の主旨に触れたのですが、ここでぼくは一体何者なのか、自己紹介をしておかなければいけない気がしてきました。ぼくは佐藤崇宏と申します。24歳の現役大学生です。バブルの崩壊の最中にうまれ、ゆとり教育を全面に受けてすくすくと育ちました。 あだ名は「ぶーちゃん」。大きな体が特徴ですが、2017年2月から一大決心して始めたダイエットが成功。激しい運動と適度な食事制限によって、105kgあった体重は75kg(2017年12月27日現在)まで減少しました。それでもまだまだぶーちゃん感が拭えない、音楽と食事と野球が大好きなイマドキ風の若者です。 普通の人とちょっとだけ違うのは、2年間も大学受験浪人したこと。そして精巣腫瘍というがんを罹患したこと。2浪中の2014年1月、当時20歳のときに精巣腫瘍を告知されました。すぐに摘出手術をし、再発予防の目的で化学療法(BEP療法)も経験しました。治療のことは前回の記事に詳しいので、そちらへ譲りたいと思いますが、精巣腫瘍の治療後は、他の同年代と変わらず、むしろもっと元気に過ごしていました。がん闘病のその後
精巣腫瘍罹患時の治療歴
2014年1月4日:精巣腫瘍告知 2014年1月7日〜1月11日:入院・摘出手術 2014年3月5日〜4月15日:入院・抗がん剤治療(2クール) 〜2014年5月中旬:自宅療養 2浪中の1月に告知を受けたわけですが、受験生の1月というのは入試直前期で、当然大慌て。志望校を変更して、入試の負担が少ない大学を選択し、無事合格。晴れて大学生になることが出来る!と思っていたのですが…ここで2つ問題が起きます。 1つ目は、理解を得るのってむずかしいなぁということです。治療のスケジュール的に、入学式への参加や、その後行われるオリエンテーションへの参加は難しいことがわかっていました。そのため入学が決まった直後から、あらかじめ事務局と連絡を取っていました。いやぁ、我ながらしっかりとした浪人生です。そのとき連絡していたのは以下のこと。 1、大学への入学は決まったが、精巣腫瘍というがんの治療中である。 2、治療の影響で通学可能になるのは5月以降。それまでは入学式はもちろん、事務手続きのために大学へ行くことも不可能であることが予想される。 3、単位取得に関する配慮は不要であるが、事務手続き等は配慮してほしい。 4、事務手続きを含め、学生本人が対応しており、保護者は把握していないので、連絡は学生本人へしてほしい。また入院治療中のため、メールでご連絡いただけるとありがたい。 いやぁ、やっぱりしっかりしてますね。そんな不躾なお願いながら快く引き受けて下さり、安心して治療を受けていました。しかし、入院中の4月、面会に来た家族から衝撃の事実が伝えられます。 「佐藤さんが入学式やオリエンテーションに参加されていないのですが、どうしましたか?って連絡が“家電”に来たよ」 うーーーん。その後、担当教員だった先生のご尽力で事なきを得るのですが、治療について理解を得るのってむずかしいんだなぁと思った瞬間でした。 2つ目。入学後の人間関係の作り方問題です。大学へ通い始めたのが5月中旬。とあるまとめサイトには入学式直後の2週間で友だちができないと、キラキラキャンパスライフが「終わる」なんて書いてあって、スタート段階からつまずくことになります。しかもぼくは2浪。現役で大学に入る学生が多い中で2つ年上。さらには元来の大きな体に加え、治療の影響でスキンヘッド!そのテの人みたいな見た目です。 幸いぼくは周りにも恵まれ、人間関係には救われたのですが、同年代で治療を経験した人には同じような悩みを抱えた経験があるのだろうと思います。のちに、髪の毛が増え、友だちも急増したことを考えると、見た目とコミュニケーションの問題って大事なんだなと身に染みて感じます。その当時はアピアランスケアの存在を知りませんでしたが、今同じ状況であれば積極的に受けたかったと思います。 そんな障壁もありながら、基本的にはちょっぴり意識が高くて、かなり堕落した学生生活を全力で満喫。大学ではゼミに2つ所属し、忙しい毎日を過ごしていました。大学の外では、自らの闘病の経験を活かした活動も。若年性がん患者団体の「STAND UP!!」では、同年代でがん闘病を経験した仲間に出会うことができました。 また、「樋口宗孝がん研究基金」では、小児・若年性がんの啓発や支援のためにライブ等で募金活動を行っていました。自らの闘病経験を振り返る機会は多々あっても、元気に毎日を過ごしているうちに、再びがん闘病するなんて、ちっとも想像していませんでした。