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ヨシダソース創業者・ヨシダグループ社会長 吉田潤喜氏に聞く がん制覇戦略術(その1)

[公開日] 2017.11.30[最終更新日] 2017.11.30

目次

この記事はシリコンバレー在住のビジネスライターAyako Jacobssonさんが著す「特集:欧米がん治療事情」となります。Ayakoさんは脂肪肉腫のがんサバイバーであり、その体験記や海外のがん事情を月2回のペースで掲載していきます。今回、コストコの「グルメのたれ」で日本でも有名なヨシダソースの吉田潤喜氏への独占インタビューとなります。

ヨシダソース創業者・ヨシダグループ社 会長 吉田潤喜氏に聞く がん制覇戦略術(その1)

コストコで大人気、吉田家のFINE SAUCEことグルメのたれ。アメリカで1日約7万本生産される同ソースの製造元、ヨシダフードを設立したのが、 オレゴン州在住の吉田潤喜氏(67歳)だ。 テンガロンハットで知られる吉田氏は7人兄弟の末っ子として京都で生まれた。米国に憧れて69年に渡米し、シアトルで空手教室を経営。ワシントン州警察逮捕術主席師範を任され吉田逮捕術を教える。のちオレゴン州警察学校に移籍。しかし不況で空手道場の生徒も3分の1に落ち込み、生活が困窮になる。 そんな中生徒から贈られるクリスマスプレゼントのお返しが出来ず、教え子に自家製秘伝のタレを配ったところ 「買いたい」と評判が良かったため吉田ソースを即演販売。着物、ソンブレロ姿、果てはピンクのバレリーナのチュチュなどを着て、目立ちに目立ったため、地元テレビの料理番組にレギュラー出演するようになり、ヨシダソースは飛ぶように売れた。米中小企業局50周年記念のゴールデンアニバーサリーにインテル、フェデックス、HPと並んだ全米24社に殿堂入りするなど、吉田氏はアメリカン・ドリームを実現した。 そんな吉田氏が、がんのチャリティに本腰を入れ始めたのは、部下や家族を次々にがんで失したから。 片腕のマットこと、カリフォルニア州サクラメント出身の吉田グループ のマヒュー・ガスリー前社長(55歳)を腎臓がんで、有能な秘書のカン・ヨンジャさん(47歳)を 卵巣がんで、リンダ夫人の父親(66歳)を 結腸がんで亡くした。 「マットは謙虚な男で、飛行機はエコノミーだし、ランチは決して社費で食べない。顧客と一緒にやった10年前のゴルフのスコアを覚えとるし、コンピュータのような頭脳の持ち主だった」と吉田氏 。しかし、そんな優秀なマット氏は東日本大震災の起こった2011年6月に内臓が破裂して帰らぬ人に。 吉田氏はポートランドに一刻も早く帰りたかったが、東北の人々への義援金を集めるため、帝国ホテルで2000人を前に“日本を元気にする話”と題して、チャリティ講演会を行っていたのだ。「講演が終わった時は、いつも皆と握手するけど、その時はマットのことで倒れ込むように控え室で横になっちゃったんだ。彼は本当に立派な人間でね。ボストンからがんのトライアルの薬(治験薬)を手に入れたりして、12年間もがんと闘っていたんだ」と無念がる。 吉田氏は夫人のリンダ氏と非営利団体のソウルフル・ギビング財団(Soulful Giving Foundation)を設立し、コンサートのチケットを販売して、売上げをオレゴン州ポートランドのプロビデンス・キャンサー・リサーチセンターやランダル子供病院に寄付している。2016年は約2,700万円を寄付した。 同財団の理事を務めるリンダさんはオレンゴン州の新聞に「全米に組織を持つ大規模ながんの研究機関に寄付するより、私たちに身近な地元の財団と協力し、コミュニティを結衆して、巻き込む方がより大きな貢献ができるんです」と応えている。 吉田氏のモットーは、「Giving Back!!]。今まで、そしてこれから、がんとどう取り組んでいくのか。 オンコロは、そんな吉田会長に独占取材を行った。 Vol.2につづく
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Ayako Jacobsson

広島市で育ち、東京都立大学、英ケンブリッジ大学、コロラド大学ボルダー校で学ぶ。卒業後は「ウォール・ストリート・ジャーナルを読む」などの番組制作ディレクターを担当後、読売新聞英字新聞記者として通信、コンピュータ、テレビ、映画、ホテル、旅行業界を取材。99年からシリコンバレーに拠点を置き、取材・執筆活動を行っている。

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