講演タイトル:『患者・遺族の声を聴く』
登 壇 者 :勝俣 範之先生、岸田 徹氏、轟 浩美氏、西口 洋平氏、長谷川 一男氏
日 時 :12月26日(水)
場 所 :日本橋ライフサイエンスハブ8F D会議室
今月は、患者・遺族の声を聴くをテーマにご来場頂きました。
クローズドセミナーであるため全ての情報は掲載できませんが、ポイントとなる情報をお伝えしていきます。
1,若くしてがんになるということ、そして・・・
このテーマでは、胚細胞腫瘍体験者でNPO法人がんノート 代表理事の岸田 徹さんにご登壇頂きました。
生殖能力の温存
胚細胞腫瘍は、通常精巣や卵巣にできやすいがんですが、岸田さんの腫瘍は頚にできていました。検査の結果、すでにがんは全身に広がっていたそうです。 そして抗がん剤治療を開始する前日、主治医から精子を採っておくか尋ねられたそうです。抗がん剤治療により、妊孕性(にんようせい/子供をつくる能力のこと)が失われる可能性がある為です。 岸田さんは精子を保存することを決め、その時に精子凍結(生殖医療)は自費診療だということに気づいたそうです。
情報が大切
岸田さんが辛かったことは、手術を終え、退院後に術後の後遺症として射精障害になってしまったことだそうです。主治医に相談すると、「様子をみよう」と言われ、それが一時的なものか、治らないものなのか分からず、途方に暮れたそうです。 インターネットで情報を探しましたが、当時はとても少なく、やっとの思いで同じ経験をされている方の闘病ブログを見つけることができました。 その方に問い合わせたところ、自然に治癒したとの情報を得る事ができ、暗闇の中に一筋の光が射し込み、「情報」は大切だと痛感する(大きな)きっかけとなったそうです。 AYA世代(Adolescent and Young Adult)と呼ばれる、15歳から30歳前後の思春期・若年成人の患者さんの多くは、主にインターネットから情報を入手します。 そして、若い世代は治療以外の情報も多く求めています(保険・就労・進学・恋愛・友達・性のことなど)。岸田さんは自身の経験から、これらの情報を知っているのは患者さんなのではないか…と考え「がんノート」の活動を始めました。 がん経験者の情報を今、闘病中の方へ届けたいというテーマで発信を続けられている岸田さんは、今後がんノートで1000回を迎えるという新たな目標で活動を続けられるそうです。 NPO法人 がんノート
2,予後不良の肺がんになるということ、そして・・・
このテーマでは、肺腺がん体験者でNPO法人肺がん患者の会 ワンステップ理事長の長谷川 一男さんにご登壇頂きました。 尚、気持ちの面を話すとなるとすべて子供の事になるので・・・と今回は「肺がんゲノム医療と免疫チェックポイント阻害剤の波が流れ込んでいる中、右往左往する患者の今。今後どのようにするか」についてお話頂きました。
死ぬ瞬間より、“どう生きるか”
長谷川さんは発症当時、余命10カ月と言われたそうですが、薬も8つ使用して現在も治療を続けられています。5年目で患者会を設立され、全国にある肺がん患者連絡会と横の繋がりを持ったり(日本肺がん患者連絡会)、アドボカシー活動(主に政策提言)をされています。 長谷川さんはある時、複数の在宅医に「死ぬときに立派な人はいますか」と質問をされました。 質問は、『「きちんと死ぬ」にはどうすればいいのか?在宅医なら知っているはずだ。教えてもらおう』という意味です。ところが在宅医の答えは意外なものでした。 誰も答えなかったそうです。唖然とした顔をしていました。なぜ誰も答えないのか…唖然とする在宅医の顔からある答えが浮かんできました。 「死に立派かどうかという概念は存在しない。身の周りのことができなくなり、立つこともできなくなり、食事もとれなくなり、目をあけることもできなくなる。そして命が尽きる。死とはそういうものだ」。この答えに行きついたとき、長谷川さんは「死」についてこだわり、とらわれるのをやめようと思ったそうです。 死ぬときは3カ月辛いと言われます。自分の歳の47年分の3カ月は短い。だから、そこにこだわるより、それまでにどう生きるかが大切だと考えたそうです。 そして、「どう生きるか=納得の治療」につながり、ワンステップでは治療を学ぶことに重きを置くようになったそうです。
納得の医療のために
では、納得の医療のために、どうすればよいでしょうか。肺がんゲノム医療はトップランナーであり、とても速いものです。治療の認識を根底から変える必要があります。 「治療」と「研究」は同時に進んでおり、簡単に言うと治験も治療の選択肢として考える。そうでないと自分の命が短くなる状況が起こっているのではないか、と長谷川さんは仰いました。 まず、原因遺伝子が複数あることが分かっています。原因遺伝子を個別に治療、薬が開発されます。現在、パネル検査をして治療にたどりつける人は10%と言われています。 長谷川さんは、この数字は全く少ないと考えておらず、生き延びる機会があると考えているそうです。 ①HER2←DS8201a 1つの薬で14カ月生存延長が見込めるそうです。 ②ROS1←エヌトレクチニブ 承認済みの既存薬では19.2カ月の無増悪生存期間(PFS)でしたが、未承認のエヌトレクチニブでは、30カ月というデータが半年前に出たそうです。 ③EGFRエクソン20←TAK-178 今迄薬が無かったが、TAK-178が今年2月頃から日本でもフェーズワン(治験の第一相試験)が走るそうです。 ④世界の潮流 世界では患者会が頑張っているそうです。例えばROS1の遺伝子異常はとても少ないので、22か国の患者が集まり、一つの患者会を作っています。ALKも希少がんになるので41か国、1,200人の患者が集まり、国をまたいで活動されています。 そして、それらの患者会は入会時に聞き取りで治験を紹介するシステムもあり、治験を加速させている、と長谷川さんは締めくくりました。 長谷川さんの体験談はこちらからもご覧いただけます。 NPO法人肺がん患者の会 ワンステップ
3,子を持つ親ががんになるということ、そして・・・
このテーマでは、胆管がん体験者で一般社団法人キャンサーペアレンツ 代表理事の西口 洋平さんにご登壇頂きました。
子供にどう伝えるか
西口さんは自身ががんと診断された際、子供にがんを話す機会が欲しいと考えたそうです。そして、子を持つ患者世代も自分と同じように子供にがんを話す機会が欲しいはずだ、と考えキャンサーペアレンツの構想をされました。その際、今迄経験はなかったそうですがインターネットから仲間を集う方法を選択しました。 そして現在、2年8カ月でキャンサーペアレンツは会員数3,000人となりました。
幼い子供を持つ世代ががんになるということ
幼い子供を持つ世代ががんになるということは、様々な問題があります。それは、30,40代は社会との接点がとても多い世代である事からも言えます。 子供だけではなく、患者さんのご両親へのケアも必要です。 ご両親やご兄弟も不安を感じていたり、義理のご両親へ再発を言えない方もいらっしゃるそうです。会社の中では、どの範囲の人まで話すかなどの悩みもあり、また金銭面でも収入は半分になり、治療費は高額であるという問題もあります。 また、病院の待ち時間の負担や地域との関わりも、問題になってきます。このように、この世代ががんになると、色んな人を取り巻いているので、これらの環境が変わることでも生きづらさを感じる、と西口さんは指摘されていました。 西口さんの体験談はこちらからもご覧いただけます。 一般社団法人 キャンサーペアレンツ えほんプロジェクト「ママのバレッタ」
4,遺族になるということ、そして・・・
このテーマでは、スキルス胃がん患者遺族でスキルス胃がん患者家族会 認定NPO法人希望の会 理事長の轟 浩美さんにご登壇頂きました。
夫は私のために、私は夫のために
突然の宣告、「スキルス胃がん、ステージ4。治療法がない。手術は不適応、治療は延命。」命は数カ月、と考えてください。と医師に告げられました。轟さんは、絶望。の一言を感じ、日常が音を立てて消えていくような、孤独を感じたと仰いました。 この人を喪うかもしれないという想いは誰にも話せない・・・。 そんな中、ただでさえ絶望を感じている時、疎遠だった人から「お墓参りはしてきたの」「何食べてたの」「玄関の位置が悪いのでは」と言われ、このような言葉が突き刺さり、とてもつらかったそうです。 「夫は私のために。私は夫のために」。これが病と向き合う、私たちの状態だった、と轟さんは仰いました。ご主人は「我慢。自分のせいで、妻を悲しませている。妻の気が済むために、やることを受け入れていこう」という状態で、轟さん自身は「突進。病院で治せないなら、私が治す方法を見つけ出す!」と、情報の波におぼれていたそうです。 つまり、お互いが相手を思うがゆえに、夫婦の心がすれちがっていったそうです。 そんな中、ある日轟さんはご主人のブログの一文を読みました。そこには、「何のために治療をするのか」と書かれていました。別れることが確実であるならば、遺していく日を一日でも先延ばしにしたい、というメッセージでした。 それを読み、目が覚めた轟さんは覚悟を決め、ご主人の最後の日まで精一杯寄り添うと決心したそうです。 そして、せめて最後まで自宅で過ごさせてあげたい、と在宅医療を決めたそうです。しかし、想像を絶する痛みと呼吸苦で轟さん自身もギリギリの状態だったそうです。 家で看取るということにこだわっていたそうですが、「家に帰る、という本当の意味はなにか」と考えたところ、「大切な人といたい」ということであれば・・・と考え方を変えたそうです。 そして病院に入院しました。そうすることで、介護は専門スタッフに任せることができ、轟さんは会話をする時間が増えたそうです。この時間があったから、今、そしてこれからも私は生きていける…と仰いました。
医学は科学、医療は物語
そして、轟さんは遺族になりました。ふとした瞬間に、失った日常を感じるそうです。また、励ましているつもりかもしれないが「いつまで悲しんでいるの」と言われ、月日が経つにつれて気持ちを出せる場がどんどん無くなっていくのを感じたそうです。 轟さんは、ご主人が亡くなった一年目より二年目がよりつらく、いつまで悲しんでいるのかという目にさらされてもずっと悲しいのが真実だったそうです。そして、何のために生きているのか、自分も死んだらこの悲しみから逃げることができるのか、患者会の名前は「希望の会」なのに、どこに「希望」があるのかと昨年まで思い詰めていたそうです。 そんな中、再びご主人の言葉に救われたそうです。 「“希望”・・・どんな状況になっても希望を捨てない、というか希望を持つ。・・・絶望しかないじゃない、と思うかもしれないけれども、覚悟を決めれば、そのあとの人生はやっぱり希望を持てる。・・・別に後ろを向いてるからっていって、毎日が楽しくなるわけでもないし、病気が良くなるわけでもないんだったら、前を向いて希望を持って、そして自分らしく生きる。」(轟さんのブログより)] これを読んで、轟さんは今いる場所で与えられた日々をいきていこう、ともう一度思えたそうです。 そして、もう一つ轟さんを救った言葉、京都大学名誉教授の心理学者である河合隼雄さんの「医学は科学、医療は物語」という言葉です。 「人間はそれぞれ、自分の「物語」を生きていると言うことができる。・・・治療が不可能な場合や、高齢者のケアのようなときは、それらの事実を踏まえて、患者がどのような「物語」を生きようとするのか、それを助けることが医療のなかの重要な仕事になる。 ここで大切なのは、そのような「物語」を医者や医療スタッフが見つけ出すのではなく、患者が自ら生み出してくるのを受けいれる態度が必要なことである。」(「ナラティブ・ベイスト・メディスン 臨床における物語りと対話、推薦の辞より」) 轟さんは「きっと、それぞれの命に意味がある。きっと私は自分の物語を作ったのだろう」と仰いました。何かを決断する時、自然とご主人の言葉を思い出すそうです。 「夫がいなくなったとしても、完全に私の中からいなくなった訳ではない。命はまだ、続いており、生きてきたという証は消えません。 それでも悲しみは消えません。乗り越えるものでもないと思います。 しかし、夫と歩んだ日々は私の未来につながっていく、というのが私の「遺族になって、そして・・・」です、と語ってくださいました。 認定NPO法人 希望の会 轟さんへのインタビュー記事はこちらからご覧いただけます。 【スキルス胃がん患者家族】 変化を乗り越え、常にチャレンジ〜命をつなぐために 〜前編〜 【スキルス胃がん患者家族】 変化を乗り越え、常にチャレンジ〜命をつなぐために 〜後編〜
5,トークセッションとQ&A
トークセッションとQ&A では、日本医大武蔵小杉病院 腫瘍内科教授の勝俣 範之 先生も加わり、ご回答頂きました。
Q.グリーフケア(遺族ケア)を受けたか?
この質問は、轟さんが答えてくださいました。 轟さんがある、グリーフケアを訪れた際、「悲しいのなら、なんでも話して」という雰囲気で悲しい音楽が流れている施設で、メソッドを受けたそうです。しかし、求めているものと違う、と感じたそうです。 しかし、最近ある映画を見た際、生きていこうと思えたそうです。グリーフ=悲しいのでしょう!?という事ではなく、その人が何かを感じるきっかけ(空間)があることが、大事なのではないかと思ったそうです。
Q.周りの人からの非難はどう乗り越えたか?また、なぜ一般的な医師は発信しないのか?
この質問は、西口さんが答えてくださいました。 西口さんは「無視」が一番だと仰いました。売られた喧嘩を買う代わりに、無視をしながら、いかにこちらのルールに引き込めるかが勝負だそうです。 また、「勝俣先生は情報発信をされているが、なぜ他の医師は発信しないのか」といった問いに対しては、他の医療者にも、真実を言いたいという人もいると思うが、診察室で病人として患者さんと話せても病院を出ると苦手、という人もいるそうです。 勝俣先生は、約20年患者会に参加されていますが、白衣を脱いで普通の人間として接することで、患者さんから学ぶことはとても多い。もっと開かれた医療にしないと、信頼されない。まだ、医療不信はとても多く、更に発信しなければいけない、と仰いました。
Q.心の起伏が激しい、考え方が否定的な患者とはどの様な話し方をすれば効果的か?また、かけられて嬉しかった言葉はあるか?
この質問は、皆さんが答えてくださいました。 まず、勝俣先生は「患者さんは起伏が激しくて当たり前。落ち込む、泣きたい時も怒る時も嬉しい事ある。がんという病気を抱えていると、色んな事があります。」という前提だそうです。 第三者が気持ちをわかるなんて、おこがましい。まずは聞く、聞くだけで患者さんも安心します。と、アドバイスを下さいました。 続いて、登壇者の方にお答えいただきました。 岸田さんは「戻るまで待っている」と職場の取引先の方に言われた事だそうです。戻る場所があるというのは有難く、戻るために頑張ろう!というモチベーションに繋がったそうです。 長谷川さんは、「自分の人生をディレクション(編集)しろ」と言われ事だそうです。ご職業が、テレビディレクションだったそうで、職場の方から頂いたメッセージです。自分の人生は、まだこれからも続くんだ、という励まし方に力づけられたそうです。 西口さんは、言葉ではないが、奥様のがん罹患前と変わらない日常の態度が嬉しかったそうです。 轟さんは、闘病中は周りは温かかったが、遺族になり、冷たくなることも感じ、そこから抜け出したくて利き酒師の勉強をし、資格をとったそうです。それを何人かの方が、がんとは関係なく「あなたらしいじゃない!」と喜んでくれたことが、とても嬉しかったそうです。 当日ご聴講された方々より、「本音の言葉に胸を打たれた」「自分がやるべきことを考え直すきっかけになった」「企業側の人間だが、本当に患者さんやご家族のためになる社会を作っていきたいと強く感じた」など、多くのご感想が寄せられました。 今回のテーマは、患者さんやご家族の方だけではなく、医療者や医療業界の方々にとっても、とても響く内容だったと思います。皆さんがそれぞれの想いを持ちながら行動される姿に、奮いだたされ、自分は何ができるかを考えるきっかけになりました。 登壇者の皆様、本当にありがとうございました。 (赤星)
次回、1月30日(水)は国立がん研究センター中央病院 先端医療科 先端医療開発センターの北野 滋久先生をお迎えし、『がんに対する免疫療法』をテーマにご講義いただきます。
次回は通常と異なり水曜日開催です。ご注意ください。会場は「日本橋ライフサイエンスハブ8F D会議室」です。皆様のご参加をお待ちしております。