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リンパ腫になって得た引き算と足し算の縁

[公開日] 2020.09.23[最終更新日] 2020.09.23

目次

認定NPO法人キャンサーネットジャパン(CNJ)が、8月29日~30日、「オンライン血液がんフォーラム2020」を開催し、「サバイバーズセッション」で、フリーアナウンサーの笠井信輔氏と米国MDアンダーソンがんセンター乳腺腫瘍内科部門教授の上野直人氏が講演。笠井氏は、昨年12月に悪性リンパ腫の一種の「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」と診断され、今年4月まで入院して抗がん剤治療を受けた体験を語りました。

告知の瞬間は「何で俺が」、「何で今なの」と

 びまん性大細胞型B細胞リンパ腫で、去年12月から今年の4月まで4カ月半入院していました。抗がん剤投与は6クールで、1クール120時間、合計720時間抗がん剤の点滴を受けました。さすがに副作用はきつかったです。

 去年8月に33年間勤めたフジテレビを辞めたのですが、実は体調の異変は、その前の7月頃からありました。排尿障害などの不具合が下半身に出ていて病院にもかかっていたものの、悪性リンパ腫と確定したのは12月です。入院後始めたブログに寄せられたコメントで分かったのですが、悪性リンパ腫の診断に時間がかかったのは私だけではないようです。私も3つ目の病院でリンパ腫だとわかりましたが、最初は前立腺肥大という診断で、2つの病院で「がんではありません」と言われていました。ところが、前立腺肥大の治療を受けても全くよくならず、CT検査で骨盤に影が見つかって血液腫瘍内科へ移って骨髄採取したところ、悪性リンパ腫という診断になりました。腰が原発だったのですが、ひどい腰痛に悩まされているのは、フリーになって会社から重い荷物を運んでギックリ腰になったと思い込んでいたのです。

 告知の瞬間は「何で俺が」、「何で今なの」と思いました。50代まで局アナをやったら定年まで勤めればいいではないかという世界なのですが、56歳でもフリーになって頑張れるということを世間にも後輩たちにも見せたいと考えていた矢先でのがん告知でした。ただ、そういう方が結構いると、入院して始めたブログで気づかされました。皆さん、いろいろな体験談を寄せてくださいまして、同じように「会社を辞めて独立したらがんになりました」、「子どもが小さくてこれから子育て頑張ろうというときにがんになりました」って。本当に、その方たちの気持ちがよく分かります。

PET検査の結果を見たとき「俺は死ぬのか」と

 さらに、私の場合は、PET検査の結果を見せられた時に「俺は死ぬのか」と思いました。PET検査ではがんのある部分が黄色く光りますが、全身、首から下がほぼ黄色く染まっていました。「ステージ4、4段階の一番上です」と主治医に言われ、次から次へと悪い情報しか出てきませんでした。もうだめかなと、そのときは思いましたよ。絶望的な気持ちになりましたが、これだけひどかったら後は這い上がるしかない、絶対に負けるものかという気持ちで入院生活を送りました。

 それができた一番の理由は、主治医の先生が、私の病気を完全に掌握しているという自信に満ちていたことです。もう一つ大きな助けになったのは妻です。妻は、がんと報告した瞬間から、「大丈夫よ。治るわよ。しっかりして」と言ってくれました。精神的にもろくて泣き虫なのに、私ががんになってからは、私の前では泣き言一つ言わず、泣き顔、涙も一切見せず、「大丈夫、治るから」って。これに助けられました。ご存知かもしれませんが、私は泣き虫で有名なんですよ。妻が泣いたら、一緒に巻き込まれて泣いてしまうパターンだったと思います。1回だけ妻の前で泣いたことがありますが、そのときも「泣いてもしょうがない」と言われましたね。だから、がんになって泣いたのはその1回きりです。

「食べることが闘いだ」をスローガンに頑張った

 入院時は全身の痛みと闘っていました。入院してから看護師さんにどうですかと聞かれて、「痛みを止めてからがんの治療を始めてください」と必死にお願いしていました。結局、抗がん剤の投与によって痛みもなくなっていきましたが、とにかく痛みを取ってほしかった。緩和ケアということがいかに重要か身をもって経験しました。

 そして、治療を受けながら思ったのは、いまの医学、血液がんの治療は本当に進んでいるということです。ただ、確かに、副作用はありました。私の場合は、倦怠感、手足のしびれ、味覚障害、食欲不振、不眠、口内炎に苦しみ、もう嫌だ、もうやめてくれと何度も思いました。最もひどい副作用は、食欲不振でした。おなかが全然減らず満腹感があって、1日中食べなくても平気でした。でも、抗がん剤の最も一般的な副作用である吐き気はほとんどなかったです。抗がん剤投与の前に飲む吐き気止め、点滴も含めて、それが見事に効いたからです。抗がん剤そのものの開発と共に、支持療法というんですか、副作用を抑える薬の開発も進んでいるなと実感しました。

 だからこそ、吐き気がないなら何とか食べようと、「食べることが闘いだ」をスローガンに挙げまして、とにかく頑張りました。食欲は全くなかったのですが、病院食は時間をかけてでも完食を目指し、病院食に飽きたら、カップ麺とかレトルトのカレーをコンビニで買ったり、ファーストフードや牛丼など息子に買ってきてもらったりして。意外とジャンキーなものが食べたくなるんですよ。「今日はペヤング焼きそばを食べました」と言っても、看護師さんたちはとてもほめてくれて、それも励みになりました。「とにかく口から入れることが大事だから」と言われていたので、頑張りましたよ。なぜそこまでしたのかというと、助かったとしても、やせ過ぎて悲壮感が漂った感じになると、テレビには復帰できないかもしれないという不安がずっとあったからです。10kgくらいやせてしまう人が多い中、7kg減までやせた時期もありましたが、何とか戻して退院時には目標だった5kg減に留まりました。本当にそこは自分で自分をほめたい部分です。

 「完全寛解」という言葉をいただいて先生や看護師さんたちには本当に感謝しています。入院中思ったことは、この後の人生を決めるのは治療法や薬だけではなく、「自分」の心のありようだということです。患者はいつも不安の中にいますが、心をうまくもっていくことによって厳しい治療にも耐えられるし先が見えてくる。それをとても強く意識しました。

悪いことが起きたからこそ生まれる縁がある

 そして、私が頑張れたもう一つの理由は、通院で抗がん剤治療を受けている皆さんの存在でした。抗がん剤治療は通院で受ける人が多いことを、リンパ腫になって初めて知りました。私の場合、抗がん剤治療開始後5日目が最もつらく、1週間は倦怠感がひどくて食べたくないし何もしたくありませんでした。その抗がん剤を投与し終わった後、家に帰って子どもの面倒を見たり会社へ行ったりして、子どもに心配かけたくない、会社の人に迷惑かけたくないから、つらいのを我慢している方がたくさんいる。抗がん剤投与したけど普通のふりして、でもやっぱりつらいから、迷惑かけてしまって仕事を辞めざるをえないとか、そういう話がブログにたくさん寄せられました。それを読んで、なんだ、自分はただ寝ているだけじゃないかと思いましたよ。きつかったら看護師さんや先生を呼べる環境にいて、寝ていればいい人が文句を言っちゃいけないと思いました。皆さんのほうが、大変だなあと思いました。

 私は東日本大震災の取材を、津波の2日目から1カ月ほど、現地で取材して中継を毎日していました。そこで、「引き算の縁と足し算の縁」という考え方を得ました。人間悪いことが続くと人の縁も切れて仕事も減って、どうしても引き算のことばかり考えてしまいますが、悪いことが起きたからこそ生まれてくる縁があるのです。病院で先生や看護師さんたちと会えた。そういった新たな縁は実は悪い体験をしないと得られなかったもので、アメリカの上野先生とつながったのもそうです。がん情報サイト「オンコロ」で動画インタビューの企画を始めたのも自分ががんになったからのご縁です。SNSでつながった皆さんにも本当に力づけられました。そういう縁を貯金し、スイッチの切り替えをしていくのがとても大事だということを東日本大震災の被災者の皆さんに教えられました。自分ががんになったことで、今度は自分がそれを実践する番だと思っています。

 気持ちの切り替えの一つとして、入院中は、年中行事を楽しむようにしました。12月のクリスマス、年が明けてお正月、節分は友達呼んで豆まきして恵方巻も食べました。バレンタインデー、ひな祭り、4月には福島県南相馬の農家の青年部の皆さんとオンラインでお花見をしました。本当につらいから、苦しんでいる姿も伝えなきゃと思って写真に撮りました。

がんの仲間は多く、がんにならない人が特別

 がんになってわかったのは、がん体験者はたくさんいるということです。自分の周りにも、「実はがんだったの」とカミングアウトしてくださった方がたくさんいました。日本人の2分の1ががんになる時代なので、私が特別なのではなくて、がんにならない皆さんが特別なんじゃないかと。こっちが王道ではないかというくらい、がんの仲間が多いと気づきました。今、本を書いていて『生きる力』という本を秋ごろ出版する予定なので、興味がある人はぜひ、手に取ってみてください。

 私は、40代以降は仕事一辺倒で、よい夫、よい父親ではありませんでした。がんになって、「少し歩みを止めてみなさい」と神さまからの啓示が来たと思ってるんです。家族との会話、一緒に過ごすなんでもない時間が増えて、こういうのが普通の幸せというのかなということを感じることが増えました。上野先生もおっしゃっていたように、がんになってよかったとは決して思いませんが、家族の再構築ができたこととか、がんになって得たものはとても多いので悲観ばかりはしておりません。

(取材・文/医療ライター・福島安紀) ※キャンサーネットジャパンの血液がんフォーラム「サバイバーズトーク」の動画は、下記サイトから視聴できます。  https://event.cancernet.jp/blood/session_a07/

キャンサーネットジャパン・オンライン血液がんフォーラム2020

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笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか「がんと新型コロナ」

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ニュース 悪性リンパ腫 びまん性大細胞型B細胞リンパ腫

医療ライター 福島 安紀

ふくしま・あき:社会福祉士。立教大学法学部卒。医療系出版社、サンデー毎日専属記者を経てフリーランスに。医療・介護問題を中心に取材・執筆活動を行う。著書に「がん、脳卒中、心臓病 三大病死亡 衝撃の地域格差」(中央公論新社、共著)、「病院がまるごとやさしくわかる本」(秀和システム)、「病気でムダなお金を使わない本」(WAVE出版)など。

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