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【子宮頸がん体験談】生きるって、いいことばかりじゃない。それが命。その中で見つけていく“自分の生き方”。〜後編〜


  • [公開日]2018.12.13
  • [最終更新日]2018.12.13

23歳で子宮頸がんが見つかった阿南里恵(あなみ りえ)さん。28歳のころから各地での講演活動を開始し、厚生労働省がん対策推進協議会委員を務めるなど、がんの経験を活かした活動を行っています。しかしその中でいつも心に持ち続けていたのは「これが私の生き方なのだろうか」という疑問でした。

様々な素晴らしい出会いと、人生への葛藤(かっとう)。その中で見つけていった“自分の生き方”とは—。聞き手は、オンコロ・コンテンツ・マネージャーの柳澤 昭浩(やなぎさわ あきひろ)です。

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“自分の人生”を生きる

柳澤:阿南さんは近々、イタリアへ留学されます。がんとはまったく違う分野へ目を向けていますが、その理由を教えてください。

阿南:がんの活動は「誰かのために」というもの。実は活動している間も、私の中には大きな穴があったんです。それは、「がんになったために、私は自分の人生を生きられなかった」という寂しさでした。「最後までこれでいいのかな」という気持ちがありました。この先何十年も、がんについて語っていくのは本当に自分の人生だろうかと思ったんです。

“がんになったからできている活動”ではなく、“がんを除いての阿南里恵”は、何だろうと。

そんな時、街でショーウインドウを見ていたら、友人に「ほんまに、そういうの昔から好きだよな」と言われて、確かにそうだと思いました。「次はこれをやってみようかな」と。

そこでインテリアコーディネーターの勉強を始めてみたら、それが面白くてしょうがなかったんです。でもデザイン系の大学を出たわけでもなく、なかなか就職が決まらなかった。入った会社でもインテリアコーディネーターとしてではなく働くことになって、「社会ってやっぱり甘くないな」と。

そんな時に、父が亡くなりました。それがとても大きくて。最期は、ずっと私が手を握っていたんです。父が私に、最期の瞬間を託していたようでした。

亡くなった時、兄から「お父さんにとって、里恵はずっと特別な存在だった」と言われました。そこでまた、「自分の人生を諦めて生きていくことは、やっぱり違う」と感じました。「それなら生きづらいと感じていた日本ではなく、海外に行ってみよう」と思ったんです。イタリアに留学して、ゼロからのスタートです。

柳澤:厳しいところに身を置く。新しい挑戦はすごいなと思います。勇気がありますよね。

阿南:以前は、「これだ」と思ったら気持ちだけで前に進んでいましたが、最近はめちゃくちゃ勉強するようになりました。勉強すればするほど見えてくることがあります。

次にやりたいことは「町長」!?

柳澤:将来はどんなことをしていきたいですか。

阿南:これからイタリアに行くのに、帰ってきてからのことを考えています(笑)。

北海道に移住したい。標津(しべつ)という町の町長をやりたいです。以前、講演でうかがった時にそう思いました。標津には、病院は少ないし、医者もいないし、「日本でこんなことが起きているんだ!」と思いました。それを何とかしてみたい。それに、標津ってとてもきれいなんです。「何てきれいなところだろう」と思いました。

イタリアに行きたいと思ったのも「常に美しいものに囲まれて生きよう」という思いからでした。建築も街も歴史も素晴らしいところで暮らしたいと。

いずれ、標津で観光ビジネスを始めたいので、イタリアにいる1年の間に、今後活用できるものをつかんでこようと思います。標津への飛行機は東京から1日1便ですが、観光客が増えて増便していけば、医師も来やすくなりますよね。

柳澤:イタリアに行く話を聞いた時は、素敵なイタリア人を見つけて住み着いてしまうのかと思いました(笑)。

阿南:最初は日本に帰ってくるつもりはなかったんです。でも標津に出会ってしまったので。一番の理想は、「イタリア人と標津に移住」ですね(笑)。

(文・写真:木口マリ)

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