【子宮頸がん体験談】生きるって、いいことばかりじゃない。それが命。その中で見つけていく“自分の生き方”。~前編~


  • [公開日]2018.12.11
  • [最終更新日]2018.12.13

23歳で子宮頸がんが見つかった阿南里恵(あなみ りえ)さん。28歳のころから各地での講演活動を開始し、厚生労働省がん対策推進協議会委員を務めるなど、がんの経験を活かした活動を行っています。しかしその中でいつも心に持ち続けていたのは「これが私の生き方なのだろうか」という疑問でした。

様々な素晴らしい出会いと、人生への葛藤(かっとう)。その中で見つけていった“自分の生き方”とは—。聞き手は、オンコロ・コンテンツ・マネージャーの柳澤 昭浩(やなぎさわ あきひろ)です。

ベンチャー企業で「水を得た魚」のように。そんな時に見つかった「がん」

柳澤:阿南さんに出会ったのは、杉並区立和田中学校でのがん教育の講演がきっかけでした。その時に、体験者が言葉を伝えることの強さを知りました。

阿南:あれからもう9年も経ってしまいました。当時は、がん経験者が人前に出て話すこと自体、ものすごくレアでした。時代は大きく進んできていますね。

<よのなか科NEXT- 「『命』の授業」「がんの告知」について>
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柳澤:様々な活動をされている阿南さんですが、がんになる以前はどんな方だったのでしょうか。

阿南:両親が共働きだったため、生後7ヶ月から保育園に預けられていたんです。そのためか、自分で何でも決めるような子供でした。我が強いし、人とあまり群れることもなく、お世辞なども言えない。そのまま大人になったような感じです。

大企業に就職したけれど、しがらみや立場のあれこれが合わずに1年半で辞めてしまいました。次にベンチャー企業に移ったら、水を得た魚のように働くことができたんです。しかし入社から1ヶ月後くらいにがんであることが分かりました。

柳澤:どんな治療を行いましたか。

阿南:抗がん剤でがんを小さくした後、手術と放射線治療を行いました。手術では、子宮、子宮を支える靭帯、リンパ節を取りました。医師が、「卵巣を残すかどうかは自分で決めていい」と選択肢を与えてくれたため、取らずに残してあります。

大切なのは「生きること」よりも「どう生きるか」


柳澤:活動を続ける中で、阿南さんを支えているものは何でしょうか。

阿南:治療後は後遺症が残るなど、突然、生きづらい社会に放り込まれたようなでした。ちょっとがんばると熱が出たりして、動けなくなってしまう。それが悔しくて。ベンチャー企業だと、みんな「結果を出す!」という意気込みがあります。それができなくなってしまったことで、もがいていた時期がありました。自分で起業してみたりもしたけれど、うまくいかなかったり。

がん発覚の5年後に講演活動を始めた時、「これがやりたかった!」と思ったんです。がんになることはとても大きな壁ではあるけれど、それよりも「どう生きるか」ということを伝えたいと気付きました。よく世の中では、「命の大切さ」を言われていますが、私は「どう生きるか」の方が100倍大事だと思うんです。

「生きるって、いいことばかりじゃない」それが命。「命があるだけで満足」という思いは全然ありません。それどころか、経過観察が終わるまでの5年間は、死んだ方が楽だったんじゃないかと思うような時間を過ごしてきました。「いつまで生きなきゃあかんのやろ」と思っていたんです。命があるとかないとかは、自分で決められない。それならば「どう生きるか」の方が大事だろうと思いました。

柳澤:「息を吸って吐いて、ただ生きている」と「どう生きるか」はまったく違う意味を持っていますね。講演活動のほかには、どんな活動をしていましたか。

阿南:実はそのころ、生活がとても苦しかったんです。講演は不定期に依頼が入るため、定職につくことが難しくて。講演を続けたいから貧乏だった、みたいな(笑)。でも「リレー・フォー・ライフ」に参加したことをきっかけに財団法人 日本対がん協会から声をかけていただき、就職することになりました。経験を活かせる仕事ですごく楽しかったです。その間に、がん対策推進協議会委員のお話もいただきました。

「子宮頸がん」に付随する悩み、様々な想い

柳澤:子宮頸がん予防のHPVヒトパピローマウイルス)ワクチンが話題になったことで、逆に「セックスでがんが感染する」などの誤った認識を持つ人も増えてしまったように思います。残念なことですね。

阿南:私も親に「経験が多かったのか」と言われました。でも、その時に何も答えられませんでした。「そんなはずはない」と思ったけれど、何がどうなってがんになったのかは分からなかったですし。

柳澤:阿南さんは生殖医療の分野でも活動をされていますね。興味を持った経緯を教えてください。

阿南:手術をしてくれた医師と再会したことがきっかけです。当時は、「命が助かるのに、子供を産めなくなることで悩むなんて贅沢」という考え方がありました。私も、「そんなことで悩んではいけない、思いを抱いてはいけない」と、自分の気持ちを押し殺していました。でもその医師は、患者の妊孕性(にんようせい/子供をつくる能力)についてとてもがんばって研究してくれていて。

「そういう医師たちがいる」ということに救われたんです。「それを伝えていきたい!」と思いました。そのころは、「もう、がんの活動はやらなくてもいいかな」という気持ちがあったのですが、改めてやる気が湧きました。

柳澤:子宮頸がんに対する誤った知識で傷つく人もいますし、妊孕性への理解や研究も、がん治療そのものと同様に重要な課題となっています。たくさんの人に伝わっていくといいですね。

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