オンコロな人インタビュー「国際医療経済学者 ステージIIIBのがんになる。」アキ よしかわ さん Vol.2
聞き手:柳澤 昭浩(がん情報サイト「オンコロ」コンテンツ・マネージャー)
医学の発展には、医師・研究者と患者、双方の力が不可欠です。医師・研究者でなければ気付きえない部分がありながら、当事者からしか見えない事実が存在しています。
Vol.1より引き続きお話をうかがうのは、国際医療経済学者でステージIIIBの大腸がん体験者でもあるアキよしかわさん。アキよしかわさんは、今年6月に新著『日米がん格差』(講談社)を出版されました。2回目の今回は、日米の医療を比較することで見えてくる“ニッポンの医療”を、がん体験者の視点、そして医療経済学者の視点からお話いただきました。(全3回)
第1回記事:
オンコロな人インタビュー「国際医療経済学者 ステージIIIBのがんになる。」アキ よしかわ さん Vol.1 を読む
日米の医療の違いは市場メカニズムに対する姿勢の違い
柳澤:1回目より引き続き、よろしくお願いします。医療経済学というと難しいイメージがありますが、アキさんの新著は、例え話を交えて説明されるなど、一般の読者にもとても分かりやすく書かれていますよね。まずは「日本と米国の医療制度の違い」を分かりやすく教えて下さい。
アキ:日本と米国では、医療における市場メカニズムのあり方に対する考え方が全く違います。経済学の教科書では、医療は「市場メカニズムの失敗例」としてよく使われます。医療は、供給側と需要側で情報の質と量のバランスが全然とれていないので、市場が機能しないと言われています。
少し極端に言うならば対応策としては二つあり、一つは日本のように「市場が機能していないから、国が全てを決めましょう」というもの。もう一つは米国のように「市場が機能しないのはなぜだろうか。情報のバランスが取れていないようだ。それなら情報を開示することによって少しでも市場メカニズムを機能するようにしよう」というものです。
その場合、米国政府は、病院における患者の症例、どんな治療法を行ったか、その後の合併症の発生率などの情報を収集し、国民に開示します。ですから、米国の消費者(患者や家族)が治療を受ける場合、あらかじめその病院はどの程度の治療経験があり、治療後の再入院や合併症の発生がどれくらいあるかなどを自分で確認することができます。
柳澤:米国の病院は治療ガイドラインの遵守率も高いようですね。
アキ:例えばがんの治療において、米国のがん拠点病院は、ガイドラインがどの程度守られているかの提示が義務付けられていて監査も行われています。そのため、非常に信頼のおけるデータとなっています。ですから、患者はかなり多くの情報を得たうえで病院を選択することができるのです。
柳澤:日本は開示されている情報が少ないですし、間違った情報に惑わされてしまう人も多いですね。
アキ:それは日本人特有の“考え方”によるものかもしれないですね。つまり患者は、国や医療者にまかせてしまい、国や医療者はまかされてしまう、「おまかせ医療」「おまかされ医療」という感じでしょうか。
例えば「診療報酬を誰が決めるのか」となった場合、日本では「国、つまり情報を持つ官僚と一部の専門家が決めるべきだ」となりますが、米国は「できるだけ情報は開示し、国や官僚は関与しない方がいい」と考えます。
データを開示することにしても、日本では「数字が一人歩きする」と言われることがありますが、米国にはそのような考え方はありません。もちろん米国にも、数字を見て間違った認識をする人もたくさんいますが、みんなその間違いから学習していきます。
もしも「数字が一人歩きして間違うかもしれないから、データを出さないようにしよう」と言ったとしたら、米国国民は「子供扱いするな!」と怒りだすでしょうね(笑)。日本のスタイルは、官僚・専門家依存がベースにあり、一方の米国のやり方は「まずは情報開示。そして少々荒っぽいが、市場メカニズムに委ねる」という正反対のものだと思います。私は、どちらか一方が正しいのではなく、双方がお互いから学ぶべきだと考えています。
柳澤:日本でも最近は、比較的易しい医療セミナーなどを行うと、「簡単すぎる。もっと深い医療情報を知りたい」と言う患者さんが増えてきました。がんの部位やステージごとに個別化された情報を、みなさん自分で探して学ばれるようになっています。
アキ:患者が消費者として目覚め、自分で積極的に、より正しく深い情報を得ていこうとしているのはいい傾向ですね。「おまかせ・おまかされ医療からの脱却」が重要だと思います。それに沿っていけるよう、情報を提供する国や企業などもがんばってほしいと思います。
柳澤:しかし、ひと口に情報を得ると言っても、世の中には正しいものだけでなく、怪しいものもたくさんあります。近年、「患者のリテラシー」という言葉が使われるようになってきていますね。
アキ:リテラシーというのは、怪しいものを見分ける力です。最近ではネットなどでさまざまな医療情報が出回っていますが、その中の「不確かな情報を信じない」ということです。例えば、新宿の裏通りを見ても「危ないから入らないでおこう」というのと同じですよね(笑)。ある意味、リスク・コントロールです。自分の身を自分で守るために持っておくべき大切な知恵と能力のひとつだと思います。
さまざまな問題が顕在化!日本の“医療費”問題
柳澤:日本では、医療費の高騰、高齢化、税負担者の減少という背景から、「医療費の削減が必要ではないか」という声が上がっています。一般の人を対象に、「あなたの寿命を1年伸ばすために幾ら払いますか」といったような費用対効果のヒヤリング調査を行うという話も出てきました。それについてどう思われますか。
アキ:これまで日本では、費用対効果などの調査をほとんどしてきませんでしたので、そのノウハウもデータも、分析できる人材も足りないのではないかと懸念しています。現在、高齢化のほかに日本が直面している問題に「医療の高度化」があります。どんどん高額な治療薬が登場していく中、それにどう対応していくべきか、ということですが、これは本当に難しい。
なぜかというと、“自分にとって最も大切な人”、たとえば自分の配偶者や子供であったり、恋人が病気になった時には「できる限りのことをやってほしい」と思うのが一般市民の考えだからです。しかし、“社会的な観点”、つまり“自分は知らないどこかの誰かさん”が病気になったのなら「社会的な負担はこのあたりを落としどころにしてもらいたい」というものがある。
それは、個人が“自分にとって最も大切な人”に対して行ってほしいと考えるレベルよりも低いところにあります。その「個人の“最も大切な人”と社会的見地からの“どこかの誰かさん”のギャップ」にどう折り合いをつけるかは、辛く厳しい問題です。今後、この問題は、米国よりも日本で大きな論点になってくると思います。
柳澤:なぜ、日本では大きな論点になるのでしょう。
アキ:米国は、オバマケアが実現するまで国民皆保険制度がなく、任意で医療保険に入らなければならないため、それぞれ個人が消費者として医療費のことを意識しながら暮らしてきたからです。米国人には医療に対して消費者として判断する、厳しさと権利の両方が根付いています。「自分の財産でどれだけの医療が受けられるか」を考えてきているんですね。
しかし、日本においての医療は水や空気のように“あって当たり前”に近いものでした。誰もが医療を受けられる。その中で、このような医療費の問題が浮上してきたわけですから。誰もが、「えっ、そんな問題があるの?」と意識し始めてきた段階ですので、いかに折り合いを付けていくかは、なかなか悩むことになるのではないかと思います。
柳澤:当事者の思いと、社会的な落ち着きどころのギャップはすごくありますね。今回行われるというヒヤリングは、患者など“当事者”ではなく、“世間一般の人”を対象としているらしく、医療費のことをさらに意識していない方が多いと思われます。そうなると「そんなにお金を出せないよ」という意見は、米国よりももっと多くなるのではないかと思っています。当事者の思いとのギャップがさらに広がりそうだと懸念しています。
アキ:そうですね。そのほかにもうひとつ、がん医療を考える上で忘れてはならないのが、「がんは長期間継続して治療費がかかる場合がある」ということです。現在、「がんの特効薬」と言われている薬の多くは、残念ながら“がんを治すための薬”ではなく、“がんに罹ったままの状態で、もう少し長生きできます”という薬なわけです。
完全に治すための薬だとしたら「治ったら終了」となりますが、がんの場合はそうでないことが少なくありません。がんを抱えて生きていくには、継続して医療費や社会負担もかかっていきます。バイオによる延命のためのがん治療薬の開発のような医療の高度化は、希望であると共に、社会的な観点からは大きな課題です。
経済的な価値や、テクノロジーアセスメント(技術が社会に与える影響の予測や評価)を考える上では、それも大切なポイントだと思います。ワクチンなど、そもそもがんにならないよ、という薬が出ればいいですけどね。アルツハイマーの薬も分りやすい例ですね。薬を使うことでもう一度頭がシャキッとして、再び働くことができるようになるならば、ものすごく経済効果があるでしょうね。
柳澤:いろいろな問題が顕在化してきていますね。それにはどんな背景があると思いますか?
アキ:日本の国民皆保険制度というのはとても素晴らしい制度なのですが、「このままの診療報酬の体制では、いずれ維持できなくなるであろう」というのは、30年ほど前から分かっていたはずです。それでも国が本格的な対策に乗り出せなかったのは、「国民皆保険制度はあまりにも素晴らしく、偉大な制度だから」ということで、変えていくことを考えられなかったのではないでしょうか。
しかし日本の医療経済の中には、「必要悪」と呼ばれてきた薬価差益(医療機関が請求する薬価基準に基づく価格と、仕入れ値との差額による利益)や材料差益のようなものが存在していたことは、官僚も医師も学者もみな、知っていたことだと思います。
しかし近年になり、経済の失速、少子高齢化、医療の高度化という3つの問題の中で、現状の医療制度は金属疲労を起こしているという現実が明るみになってきたわけです。また、「国民皆保険制度のあり方や診療報酬体制を変えていかなければいけない」という問題は、いずれの政治家や官僚にとっても決してバラ色の話ではないわけで、誰も手を付けようとしなかったというのもあるかもしれません。
柳澤:さまざまな問題がからみ合う中で、医療制度の問題がさらに大きくなってきたのですね。
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今回は、日米の医療を比較することで見えてきた「今、私たちが考えるべき日本の医療問題」をお話しいただきました。次回(最終回)は、「米国と比較した日本の病院」「フレーミング効果とは?」についてうかがい、アキさんの生き方や働き方についてもお聞きします!
アキ よしかわ
米国グローバルヘルスコンサルティング会長
大腸がんサバイバーの国際医療経済学者、データサイエンティスト
10代で単身渡米し、医療経済学を学んだ後、カリフォルニア大学バークレー校とスタンフォード大学で教鞭を執り、スタンフォード大学で医療政策部を設立する。米国議会技術評価局(U.S. Office of Technology Assessment)などのアドバイザーを務め、欧米、アジア地域で数多くの病院の経営分析をした後、日本の医療界に「ベンチマーク分析」を広めたことで知られる。
著書に『Health Economics of Japan』(共著、東京大学出版会)、『日本人が知らない日本医療の真実』(幻冬舎メディアコンサルティング)、『日米がん格差』(講談社)などがある。
柳澤 昭浩
がん情報サイト「オンコロ」コンテンツマネージャー
18年間の外資系製薬会社勤務後、2007年1月より10期10年間に渡りNPO法人キャンサーネットジャパン理事(事務局長は8期)を務める。先入観にとらわれない科学的根拠に基づくがん医療、がん疾患啓発に取り組む。2015年4月からは、がん医療に関わる様々なステークホルダーと連携するため、がん情報サイト「オンコロ」のコンテンツ・マネージャー、日本肺癌学会チーフ・マーケティング・アドバイザー、株式会社クリニカル・トライアル、株式会社クロエのマーケティングアドバイザー、メディカル・モバイル・コミュニケーションズ合同会社の代表社員などを務める。
(写真/文:木口マリ)