
(ご提供写真/幡野広志撮影)
西 智弘(にし ともひろ)先生
川崎市立井田病院 腫瘍内科 部長、化学療法センター 所長。研修医時代に緩和ケアがもたらす変化を目の当たりにし、専門の道へ進む。現在は川崎市立井田病院にて「早期からの緩和ケア外来」で診療にあたる傍ら、一般社団法人プラスケア代表理事として、地域住民が気軽に立ち寄れる相談拠点「暮らしの保健室」を運営している。
がん治療と並行して受けられる「早期からの緩和ケア外来」
当院では毎週金曜日の午前中に、1人30分枠を確保して「早期からの緩和ケア外来」を開設しています。従来の緩和ケアは、抗がん剤などの積極的な治療を終了し、緩和ケアへ全面的に切り替える段階になって初めて利用できることがほとんどです。しかし当院の外来では、がんセンターや大学病院などに通院して抗がん剤治療や放射線治療を受けながら、並行して緩和ケアを受けることができます。 現状で対象となるのは、主に川崎市在住のステージ4の再発・進行がんの患者さんです。受診を希望される場合、まずは当院にお電話でご相談いただき、現在かかられている主治医の先生からの紹介状(診療情報提供書)をご用意のうえで、ご来院いただく流れとなります。 2010年に、海外研究において、「早期から緩和ケアを導入することで患者さんのQOL(生活の質)が向上し、さらには生存期間の延伸にもつながる」というデータが発表されて以来、世界的には早期介入が一般的になっています。しかし日本では、現在でもなお「緩和=終末期」という固定観念が根強く残っていると感じます。患者さん自身が緩和ケアを望んでも、「あなたはまだ終末期に該当しないから」と断られてしまう状況が存在するのです。 患者さんが受けたい医療を自由に選べないという「不自由さ」を解消し、ご自身が必要だと感じたタイミングでアクセスできる緩和ケアの窓口があるべきではないか。そうした思いから、この外来を立ち上げました。原点は、緩和ケアを受けた患者さんたちとの出会い
私が最初に「早期からの緩和ケア」の必要性を実感したきっかけは、研修医時代に目の当たりにしたがん患者さんたちの大きな変化でした。 元々は家庭医を目指して勉強していたのですが、必修の緩和ケア科を回る前の内科ローテーションで、多くのがん患者さんを担当することになりました。当時はまだ一般の医師に緩和ケアの知識を伝える仕組みも、「緩和ケア」という概念自体もほとんどなく、患者さんが終末期に苦しみながら亡くなっていくのが「当たり前」という世界でした。 そのような状況の中で、「がんという病気は本当に苦しいものなのだな」と感じていたのですが、自分が担当していた患者さんの中に、緩和ケアを受けることで非常に元気になられる方たちがいらっしゃいました。ご飯が食べられるようになったり、寝たきりだった患者さんが再び歩けるようになったりするような変化を目の当たりにしたのです。その姿を見たとき、「これまで苦しんで亡くなっていった患者さんたちは何だったのだろう」と思いました。「緩和ケアの技術を自分がちゃんと勉強して身につけないと、また同じように苦しむ患者さんを生み出してしまう。それは絶対にダメだ」と痛感し、本格的に緩和ケアの勉強を始めたのです。 その後、緩和ケアに携わる中で「早期からの緩和ケア外来」の設立に至ったのも、医療現場の仕組みへの問題意識があったからです。かつては私自身にも、患者さんから緩和ケアを受けたいと希望されても「まだがん治療を諦めていないですよね」とお断りせざるを得ない時期がありました。「それなら対象外です」と伝える医療者側としても心苦しかったですし、何より断られる患者さんにつらい思いをさせてしまっていたのです。 仕組みのせいで患者さんが必要なケアを受けられない。そんなもどかしさを抱いていた時期に、先ほど触れた海外の研究データを知り、「早期からの緩和ケア」の必要性を再確認しました。
「当たり前の日常」を守ることを大切に
日々の外来診療において私たちが最も気をつけているのは、がんの主治医の先生が行っている治療を邪魔しないことです。主治医による治療が「主」であり、私たちの緩和ケアはあくまで「サブ」的な位置づけだと考えています。私たちが処方したお薬の副作用によって抗がん剤治療が中断してしまったり、患者さんのQOLを下げてしまったりしては本末転倒です。処方内容や処置には十分な配慮を行い、主治医の先生に迷惑がかからない連携を徹底しています。 当外来に来られる患者さんの多くは、主治医には少し話しづらい悩みや、今後の生活への不安を抱えていらっしゃいます。私たちはそうした患者さんやご家族の声にじっくりと耳を傾けるようにしています。 一般的な緩和ケアのイメージでは、終末期に強い痛みなどに苦しむ患者さんに専門医が介入し、劇的に和らげるようなシーンが思い浮かぶかもしれません。それは患者さんやご家族に感謝されるような瞬間ではありますが、本来は「長く苦しむ期間そのものをつくらない」ことこそが重要です。 早期から介入していれば、苦しくなる前に予防的な対処法を提案できるため、激しい症状に悩まされることなく、穏やかな日常を保ちやすくなります。そのため、私たちの外来では、患者さんと楽しく雑談をして終わるようなこともよくあります。ドラマチックな治療ではなく、何事もない「当たり前の日常」を苦痛なく過ごせる環境を提供できていることこそが、患者さんにとって大きな支えになると考えています。数年先までの未来を逆算し、時間をかけて向き合う
早期から関わることの大きなメリットは、ある程度時間をかけて、数年先を見据えた準備や話し合いができる点です。外来でも「今後、どんな風に過ごしていきたいですか」と折に触れて確認するようにしています。現在の苦痛を取り除くことも大切ですが、未来の話もしておかないと、「もっとこんなことをしたかった」と後悔が残ってしまう可能性があるからです。 当外来には、長い方で3〜4年にわたって通われている患者さんもいらっしゃいます。例えば、受診当初はお子さんがまだ小さかったため、ご自身の病気のことを伝えていなかった方がいらっしゃいました。数年かけてお付き合いを続ける中で、お子さんが成長して小学校高学年になったタイミングで「そろそろ話そうかと思っている」とご相談を受け、どのように伝えていくのがよいか一緒に考えることができました。 これが余命わずかという逼迫した終末期になってからの関わりだと、ご家族へ気持ちを伝える時間も、心の余裕も残されていないかもしれません。医療者としての経験から「1年後にはこういう状況が考えられるから、今から準備しておきましょう」と未来から逆算し、「どうしたいか」というご本人の希望や価値観を尊重しながら進めていくことを大切にしています。



