2020年7月9日に
日本初・患者会発案の医師主導治験のメディアセミナーが行われる。
書き手の私(鳥井)はオンコロスタッフとなって4年ほど。臨床試験には数限りなく接してきたが、解釈がこれほど難しいニュースは初めてだ。
患者会発案―?
通常、治験は製薬会社や医師が行うものだ。
一体何が起こっているのか―?
その本当の意味は何なのか―?
インタビューを通して、「患者主導で実施される治験」の知られざる舞台裏と、道なき道を進む医師や患者の思いが見えきた。
この試験は数万人存在するEGFR陽性・T790M陰性患者の“絶望”を解消するために実施される。実施するきっかけになったのが、2018年8月の
オシメルチニブ、 EGFR遺伝子変異陽性非小細胞肺がん1次治療の適応拡大承認を取得のニュースだ。
“適応拡大になったが、T790M変異陰性患者の治療が抜け落ちてしまっている”
そう感じた日本肺がん患者連絡会・肺がん患者の会ワンステップ理事長の長谷川一男さんは、認定特定非営利活動法人西日本がん研究機構(West Japan Oncology Group:以下WJOG)の理事長で、近畿大学医学部内科学教室腫瘍内科部門 教授 中川 和彦先生に、「患者会がお金を集めたら治験をやってもらえるのですか」と聞いた。その一言がきっかけとなり関係各所との調整など医師主導治験実施に向け動き始めた。
「奇跡」を「軌跡」に変えたい
鳥井:初めにKISEKI試験の名前の意味を教えてください。
長谷川さん:KISEKIには「奇跡」と「軌跡」の2つの意味があります。「奇跡」は患者・家族、医療者、製薬会社含めて実現に至ったのは、当事者の意志のもとに、縁、時代なども含め全てが結実した「奇跡」と考えられる。「軌跡」はその奇跡を奇跡に終わらせず、心を1つにして、道を残すこと(軌跡にする)を決意する。この2つの意味を込め、「奇跡」を「軌跡」に変えたいという思いからKISEKI試験と名付けました。
鳥井:具体的にはどのような試験ですか?
中川先生:第1・2世代EGFR-TKIチロシンキナーゼ阻害剤
※で 1次治療後、再発時にT790M耐性遺伝子がなくプラチナ製剤併用療法を実施された後の患者さんに対してオシメルチニブがどの程度効果があるのかを前向きに研究する試験です。
※第1・2世代EGFR-TKIチロシンキナーゼ阻害剤:イレッサ(R)(一般名ゲフィチニブ)、タルセバ(R)(一般名エルロチニブ)、ジオトリフ(R)(一般名アファチニブ)
コホート1は第1・2世代EGFR-TKIチロシンキナーゼ阻害剤で治療後に脳転移で再発した症例。コホート2は第1・2世代EGFR-TKIチロシンキナーゼ阻害剤での治療後に再生検でT790M変異陰性と判定され、病性進行が認められた症例に対して、行われます。
鳥井:KISEKI試験を行うに至ったきっかけを教えてください。
長谷川さん:2018年夏にオシメルチニブの適応拡大のニュースがありました。もともと2次治療で使われていましたが、1次治療で使用できるようになりました。しかしながら、2次治療またはそれ以降の治療では適応拡大前と同様にT790M遺伝子変異がない方は使えないままでした。その時に数万人いるT790M陰性の患者の方々は「効く可能性があるにも関わらず、私はオシメルチニブを使えないのか」と思ったはずです。以上のことからオシメルチニブが使えない状況を変えたく中川先生に相談をしました。
鳥井:なぜ適応拡大になる際に、T790M遺伝子変異の有無の基準が外されなかったのですか。
中川先生:オシメルチニブの安全性を評価する第1相試験の段階では、T790M遺伝子変異の有無は問わずに治験が実施されました。後にそれらの結果を解析したところ、T790M遺伝子変異が陰性でも20%の方に奏功していることがわかりました。ただ、前向きではなく後ろ向き研究であったため、T790M遺伝子変異無しの患者さんにまで適応拡大するには、データの信頼性が不足していました。
また製薬企業はそれぞれの開発薬剤についてストラテジー(戦略)を組んでいます。オシメルチニブはT790M遺伝子変異陽性の患者さんを対象に薬剤開発が進められてきました。つまりT790M陰性の患者はストラテジーから外れていたのです。
長谷川さん:他のEGFR阻害剤は脳へはたどり着きにくいですが、オシメルチニブは脳へたどり着く。ここが大きな違いなので、効果がある人はいると思っていました。承認の状況と患者の思いは大きくずれているなと思っていました。
※「KESEKI」の題字は、第55回日本肺癌学会学術集会のテーマ「Alliance for Lung Cancer」、題字「結心」を担当した書家:川尾朋子先生の作品です。
患者会がお金を集めたら治験をやってもらえるのですか?
鳥井:いつ頃、長谷川さんから中川先生へお話をされたのですか?
中川先生:WJOG主催の肺がんの市民公開講座で長谷川さんが登壇された時ですよね。その時に控室で長谷川さんから話がありました。
長谷川さん:はい、よく覚えています。2018年11月です。夏に適応拡大が起きて、ただ抜け落ちてしまっている患者さんが多くいました。何かできることはないかと漠然と考えている時に、中川先生とお話する機会がありました。たまたま、控室で中川先生(WJOG理事長)、山本信之先生(WJOG副理事長)、武田晃司先生(WJOG事務局長)、澤祥幸先生(岐阜市民病院)と私の5人だけになりました。
私は、“今がチャンスだ!”と思い、「患者会がお金を集めたら治験をやってもらえるのですか」と覚悟を持って聞きました。先生に対し「患者さんが困っています。何とかなりませんか」ではなく、私たちが本気でお金を集めたら治験を行ってもらえるのか聞きました。
すると中川先生は私の想いを汲みとってくださったのか、真剣な表情で「はい、2億円です。ただそれだけではない。2億円は運営費です。薬剤費も必要で10億円以上かかります」と言ってくださいました。あまりの額に卒倒しそうになりましたが、可能かもしれない、という思いも沸き上がります。
加えて相談する後押しとなったのが佐賀県NPO支援と日本IDDMネットワークが
ふるさと納税で7,000万円を集めた事例です。よって肺がんの患者会も覚悟を持って取り組めば不可能はないと思いました。何より自分たちの命にかかわる研究を医療者に任せっぱなしにするのではなく、患者自ら積極的に関わることが大切です。
鳥井:それからどのようなステップを経たのでしょうか。
長谷川さん:まず日本肺がん患者連絡会とWJOGの連名で製薬企業に対し、「T790M変異陰性患者・タグリッソ使用の治験に対する協力願い」という要望書を出しました。
中川先生:その要望書では「薬剤の無償供給」「治験薬の基本情報の提供」「資金を援助」等の支援ポイントをいくつか挙げました。すると製薬企業から部分的な援助はなく、全て援助するか、全く援助しないかのどちらかになるという返答をもらいました。
長谷川さん:私たち患者から、プロフェッショナルの先生方に交渉の舞台は移っていきました。
中川先生: その後治験実施計画書(プロトコル)を書いて、グローバル(ヘッドクオーター:本社)の審査を受けました。最終的にはメディカルアフェアーズや開発部門グローバルチームの承認を得て、今のプロトコルで実施することが決まりました。
医療者と製薬企業だけでは決して実現しなかった
鳥井:その他に治験を実施する上で行ったことはありますか。
中川先生:製薬企業と話し合いを進めるのと同時に、治験が正しくデザインされているか、医薬品医療機器総合機構(PMDA)に受け入れられるかどうかの意見交換の面談を申し入れました。幸運なことに質疑応答を何度か繰り返した結果、PMDAとの合意を得ることができました。
長谷川さん:患者側としてどんな関わりをしたのかをお話しします。PMDAとの面談では472万円の費用がかかります。治験デザインをしっかりと見ていただく費用なのですが、何もわからない私たちからすると驚きますよね。ただ、お金を集める覚悟を持って治験の話を中川先生に持ちかけたので、私たちが集めますと言いました。以前から思っていたのが、医療者や製薬企業が医療の発展のために動いてくれているのに、患者は待っているだけでいいのかと、だから今回の面談費用をなんとしても集めていこうと思いました。仮に集められなかったとしたら、患者には積極的に関わろうという意思はないのだろうとも思っていました。結果としてすぐに集めることができました。患者も「生きる」「治療をつないでいく」意志をもち主体的に関わろうとする姿勢を示せたと思います。
中川先生:費用の問題は今回の治験だけでなく、医師主導治験を行うたびに直面します。今回、お金が集まらなかったら西日本がん研究機構で拠出しようと思っていました。しかし長谷川さんがお金を集めると言って頂いたのは嬉しかった。そして実際に集められたと聞いて驚きました。この医師主導治験に関わる我々WJOG関係者の覚悟が改めて固まりました。
鳥井:日本初・患者発案のKISEKI試験の画期的なところを教えてください。
中川先生:医療者・製薬企業も治験の実施は困難だと思っていたところを実現させたところです。一般にすべての製薬企業はそれぞれの薬剤に関するスコープ(企業が取り組むべき研究領域)を研究者に公表しています。研究者はスコープに合う領域の中で臨床試験を企画します。世界中から応募された臨床試験の中から企業スコープ、オリジナリティ、コストベネフィットバランスに優れた一握りの企画だけが製薬企業からの運営費用を含めた支援を受けられるのです。企業が掲げるスコープに合致しない企画案は話にならないのです。しかしながら今回のKISEKI試験は企業側のスコープに合致していないにもかかわらず製薬企業の支援を受けることができたのです。
鳥井:製薬企業のスコープに合わない医師主導治験の企画はされないのですか?
中川先生:はい、企業のグローバル審査の対象にならないのでそもそも企画がされません。今回のKISEKI試験は、長谷川さんをはじめとする肺がん患者会の切実な意向に基づいて企画されたものです。「Patient First」を旗印に掲げる企業としては企業方針とは別の基準で判断する必要性が生じたのではと思います。医療者と製薬企業だけで交渉していたら決して実現しなかった試験を患者会が実現したのです。画期的なことだと思います。
長谷川さん:当然私たちはそこまでのルールについてはわからなく、ただ亡くなっていく仲間をどうにか救いたいという想いで声を上げました。2019年12月~2020年2月まで3ヶ月間で PMDAとの面談に必要な費用を寄付で集めました。その後8月に治験を実施しますと支援者の方に連絡をしたところ、治験開始を待っておられた5人ほどの患者さんが亡くなったとの連絡をもらいました。だからこそ亡くなった方の想いを引き継ぎ、企業のスコープに合致しないかもしれないけれど、奏功する可能性があるなら取り組まなければならないと思いました。
鳥井:なぜ今回のような取り組みが日本では起きてこなかったのですか?
中川先生:第一の理由は研究者が医師主導治験を実施する力を持っていなかったからです。西日本がん研究機構では今でこそ多くの医師主導治験をサポートしているので試験実施に関するノウハウがあります。しかし数年前まではたとえ患者さんから妥当性のある治験をやりたいと言われても、研究者に試験実施のノウハウがありませんでした。製薬企業は提案された医師主導治験の支援に関してはグローバルチームが決めるため、製薬企業の日本ブランチ(支社)には全くと言っていいほど決定権がありません。よって交渉するにもプロトコルを作成する際にも必然的に英語力が必要となります。今は医師主導治験を実施する具体的なノウハウと英語での交渉力、提案力もついてきたので、患者会からの提案についてももっと積極的に取り組めると思います。
鳥井:最後に、今後どのようにKISEKI試験が進められていくのですか?
中川先生:大体のことは終わりました。残りは、薬剤の搬入を待つのと、各医療機関の治験審査委員会(IRB)の審査待ちです。遅くとも8月の終わりごろには治験が実施されていくと思います。またできる限り早く終わらせて、できるだけ早く試験結果を公表したいです。だから患者会やオンコロにもご協力いただきながら進めていきます。
長谷川さん:バトンがまた私たちのところに来たなと思います。この治験の情報を多くの肺がん患者さんに伝え、自分事としてとらえてもらいたいなと思っています。結果として治験終了までのスピードアップができればと思っています。
そこで、これを読んでいるみなさんにお願いです。9日にプレスセミナーを行います。そこで全員が集合した写真を撮影し、社会にアピールするものとして使います。この治験のことを知ってもらおうと思っています。皆さんも一緒に行動してくれるとうれしいです。リンクに申し込みフォームがあります。よろしくお願いいたします。
KISEKI trial-「奇跡」をおこし「軌跡」にかえる-
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