突然、ステージ3Aの乳がんと診断されて。
モデル、タレントとして活躍する梅宮アンナさん。2024年5月にがん告知を受けてからその治療状況について積極的に発信し続けています。
前編では告知までの経緯、告知を受けた時の心境や治療に対する思いを伺いました。
【 #乳がん 】「笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか on the WEB」2025 #54 ゲスト:梅宮アンナさん(前編)
がんと診断されるまで
去年の5月に異変を感じて、自分の体を見たら左右の胸のサイズがなんでこんな違うんだろう、というところから始まったんです。その日、会話の中で娘に「実はサイズが違うんだけど」と伝えたら、写真を撮ってくれと。(その画像を)送ったら、これは明らかに異常だ、すぐに病院に行った方がいいと言われて。忘れもしない2024年5月20日の会話です。
すぐに病院に連絡したらどんなに早くても10日後と言われて。でも変な痛みはあったんですよ。がんって痛くないって言われるから違うよね、なんなんだろうと。乳腺炎か、それに近い何かなのかなと思って……。
5月30日に病院へ行きました。そこでマンモグラフィーとエコーをやったら、先生が不思議な顔をなさっていて、「分からないの?」と思い……。今まで人間ドックだったら普通に撮っていたのに、そのときは何回も何回も、「どうしたの?」っていうぐらい撮られたんですよ。「こんなに放射線を浴びていいのかみたいな」と、まだそういう知識もなかったから、色々なことが嫌だなって。
その後、検査の結果を聞きに行ったら、腫瘍マーカーの数値が高いので、次の段階に入りますということで生検をしました。通常2か所なんですけど、4か所取りますって。そこから2週間後に乳がんだと診断されました。
診断されたのはステージ3Aの浸潤性小葉がんという、聞いたことがない名前で。通常の乳がんだとしこりがあるんですが、私の場合はもう乳房全体に散りばめられてると。胸全体ががんになってるので、全摘をしないとダメですと言われました。やはりがんなので、がん専門の病院でセカンドオピニオンを受け、今はその病院に通院しています。
がんと診断されたことについて
やっぱりがんの治療がディープなことは、私は小学生の時から父を見ていたし、梅宮一族が結構がんになっているんですね。なので、がんという言葉は遠くなかったんですよ。とくにパニックもしなかったし、「ああ、私の順番が来たな」と。打ちひしがれるような感じもなくて、「あ、そうなんですか」、みたいな感じで、ピンとこないのもあるんですよ。
がん治療について
でも、治療が長いというか放射線とか抗がん剤とか、「なんか嫌かも」って最初は思って。セカンドオピニオンに行った時の先生との最初の会話は「先生、私治療しないと死ぬんですか?」とストレートに聞いたんです。やはり死に直結するような病気であることは理解していたので。
やっぱり「治療したくないかも」って思ったんですよ。もう50年生きたし、何年かかるかわからない、自分に合った治療法に莫大なお金がかかるのかもしれない、もう娘も20歳を超えて母も81歳だしとか色々と考えていたら……。本当に嘘じゃなく、長寿と言われている世の中で、100歳とか言われているけども、100歳なんて生きる気がそもそも私にはなくて。父が81歳で他界して、その闘病生活がすごい大変なのも見ていたから、本当に治療やめようかなと思っていたんですよ。
なぜ心変わりしたのか
ある友達から「あなたお母さんだよね。22歳でお母さんが死ぬ娘の気持ちを考えたことがあるのか」ってすごく怒られたんですね。私の中ではもう成人したからもう大丈夫かって思ったんですけど。そう言われた時に、私が22歳の時に親を亡くしてないので、「そうだよね」、「あの子には私しかいないんだもんね」と思って。一瞬で「よし」という気持ちが生まれて、それで標準治療をまず選ぶことに(しました)。私にはもう試練でしたけど、「あなたはこれをやりなさい」「人生の中でこれをやる期間があなたにとっては必要なんですよ」と、神様に言われてるのかなと思って、考えが変わりました。
どのような治療か
私はまず、抗がん剤から始めました。抗がん剤が終わったら手術をして、その後、放射線が始まる日から分子標的薬を同時に飲み始めました。分子標的薬は2年、放射線治療は16回やる予定で、16回が終わった時点からホルモン剤を10年服用します。
ただ、最初のAC療法という強烈な抗がん剤で、私は肺炎を起こして緊急入院をして。肺炎による入院の後、すぐ手術になったんです。手術は2つの抗がん剤が終わってからと言われていたものが、前半の抗がん剤で状態は変わったんですよね。だから効かなかったわけではないし、ちゃんと大人しくなっているので、という判断で手術が先になりました。びっくりしたのが、手術をして1ヶ月もしないうちに抗がん剤が始まったんですよ。「そんなに早いんですか」みたいな感じで、無駄がないようにやってくれて。
信頼できる医師との出会い
少し話しが戻りますけど、私が1番最初に先生にした「治療しなかったら私死ぬんですか」というその質問に対して、ちゃんと刺さるような言葉を言ってくれる先生だったんですよ。
「梅宮さん、死ぬかどうかは神様しかわからない。この病気に何が大事かって、やっぱり治そうという気持ちが治ってくんだよ」って。治療を山登りに例えるねと言われて、「自分が決めたルートで行こうと思っても途中で雨が降ったり、天候が急に変わったりして、避難しなきゃいけない時があって。これ以上、上に行くのか、ルートを変えるのか、下山するのか。明日何が起きるかわからない。だから治療法も途中で変わるかもしれないから、ちゃんと思うようにすんなりはいかないよ」と言われて、すごい分かると思って。私も山登りをしていて途中で天気が悪くなってやめたことあるし、無理して行くとやっぱりいいことないなとか。山登りをするには知識と装備が必要なので。
先生に言われたんですけど、「この病気のことをなるべく勉強してください」「治療する薬もなんでこれを使うのかを理解してきてください。そうじゃないと前に進まないから」と。ただ、(その時、先生に)「まず1つお願いがあるんですけど、ネットを見ないでください」と言われたんですが、私の場合はネットの怖さとか、判断が結構できていて。例えば、「これを食べるとがんになっちゃう」とか、「これを食べたらがんが治る」とか、そういうのがいっぱいあるんですが、私はその中で「この人、言ってることがまともだ」っていう先生がいたんですよ。その先生が私とほぼ考え方が一緒で、「罠にはまってはいけない」と。そういうまともなことを言っている人を探すようにしました。
自分の主治医の先生にも、「なんか食べちゃいけないものってあるんですか」「やっちゃいけないものってあるんですか」と聞いたら、「基本ないよ」と。自分の好きなものを、バランスよく食べてくださいという教えだったので。勉強をするにあたっても、まともなことを言っている先生のことを聞いていました。
自身のがんについて発信を始めた理由
自分の発信をやることにしたのは、“病気な感じ”でいきたくないというのがすごく強かったんだと思うんですね。(例えば、)髪の毛がなくなるということに対して、髪の毛がなくなっちゃう、髪の毛がないところをアップしてる方は多いんですね。でも私は自分のイメージを崩さずに、こういうウィッグがありますよっていうことをみんなに教えてあげようと思ったんです。
私はまず、発見時にステージ3Aだったということを喜ばなきゃいけないなと思ったんです。治療法を先生から差し出されて、「梅宮さんフルコースですよ」って言われた時にはすごいショックを受けたけれど、でも世の中にはもう発見した時が遅くて、もう治療法がないと言われる方もいて……。その人たちのことを考えれば、抗がん剤が嫌だとか、治療が辛いとか言っちゃいけないんだなって。治療法、治療薬があるということを、本当に喜ばなきゃいけないなってすごい思ったんですね。ステージ2、ステージ1という治療がディープじゃない、治療期間も短い人たちにもっと希望を与えたいなという思いがすごくあって。がんというものは、こういう治療法をして、こういう生活ができるというところも見せたかったのもあって、SNSで公表しているんです。
(後編へ:
https://oncolo.jp/blog/250319_interview02)
