乳がん体験者 ミスリーナゆきえさん


  • [公開日]2016.06.02
  • [最終更新日]2020.03.04

今回の「オンコロな人」は、以前「オンコロな人」に登場した若年性がん体験者の佐藤崇宏(さとう たかひろ)がお届けします。
佐藤崇宏さんの体験談はこちらから

佐藤:今回はオンコロインタビューにご協力いただきありがとうございます。インタビューをさせていただく、精巣がん体験者の佐藤崇宏と申します。まず自己紹介からお願いいたします。
ゆきえ:ミスリーナゆきえです。ベリーダンサーは本名と年齢を公開しないことが通例となっているので伏せさせて下さい。今はベリーダンススタジオの代表をしています。2011年に乳がんが見つかり、摘出手術と抗がん剤(ハーセプチン)治療を行いました。

■フリーランサーとして受けるがん告知

佐藤:まずがんが見つかった経緯を教えて下さい。
ゆきえ:私は以前弁護士事務所で働き、その傍らベリーダンスの講師をしていました。働いていた弁護士事務所が閉鎖されることをきっかけに独立、ベリーダンススタジオの経営を始めました。法律事務所で働いていたときは女性が私だけだったこともあり、乳がんの検査に行けるような空気ではありませんでした。独立して初めて受けたマンモグラフィで乳がんの疑いがわかりました。

■最初は嘘だと思った

佐藤:乳がんと告知されたときはどのようなお気持ちでしたか?
ゆきえ:検診センターへ結果を聞きに行った際に、乳がんの疑いがあることを伝えられました。最初は嘘だと思いました。自分に乳がんの疑いがあるということを否定し続けていました。しかし、検診センターでは結果が出る前にほぼ間違いないと伝えられ、検診センターから紹介された病院でステージ1であることがわかりました。

■相談はしない

ゆきえ:最初は自分ががんであることを否定していましたが、次第に一人でがんばろうという気持ちに変わってきました。特に家族にも相談せず、妹に「自分は乳がんかもしれないから入院して手術をすることになるかもしれない」という報告をしただけに留まり、他に誰かに相談することもありませんでした。

ミスリーナゆきえさん2

■長い治療期間

佐藤:治療中についてお話をお聞かせ下さい。
ゆきえ:まず外来で約一ヶ月に渡り検査を行いました。当初温存療法を行う予定でしたが、検査を続けていく中で、全摘手術を行うことになりました。術後の病理検査でHER2であることがわかり、抗がん剤治療(ハーセプチン)をすることになりましたが、術後の合併症でなかなか治療が始められませんでした。外来で抗がん剤治療を始めた後もスムーズに治療が進まず、その時々で治療が先延ばしになったため、想定よりも長い期間を治療に費やしました。

■解決できない経済問題

佐藤:経済面はどのように解決しましたか?
ゆきえ:経済面はほとんど解決できていません。というのも、仕事ができずに収入が入ってこない中、ベリーダンススタジオのレンタル代や、一年契約にしていた高額な広告費が大きな負担になっていました。その上、医療費もかかります。保険は20代の頃からずっと加入していましたが、検査を受けたときは更新のタイミングで、検査後に新しい保険に加入し、加入直後に告知を受けました。そのため、乳がんでは一切保険が下りないことになってしましました。当時は弁護士事務所の退職金を切り崩しながらどうにか治療をしていました。費用を抑えるために実家に戻りましたが、現在も苦しい状況は続いています。治療を振り返っても、経済の問題が一番辛かったと思います。

■わかっていても

佐藤:経済面以外で辛かったことはなんでしょうか?
ゆきえ:髪の毛が全て抜けてしまったことはとても大きなショックでした。抗がん剤治療の副作用で髪の毛が抜けることはわかっていましたが、いざ抜けたときは動揺しました。私にとって、片方の胸を失ったことよりも辛かったことを覚えています。

ミスリーナゆきえさん3

■アーティストからもらった勇気

佐藤:どなたか感謝したい方はいらっしゃいますか?
ゆきえ:私のことを支えてくれた方々や、愛犬にももちろん感謝しています。中でもINSPiというアカペラグループには大きな勇気をもらいました。以前からよくライブに行っていたのですが、抗がん剤治療中に握手会に参加し、自分の病気のことを伝えました。すると、「僕たちはいつでも歌っているから、体調が良いときにいつでも来てね」と言ってくれました。私が治療を終え、元気になった後、そのメンバーの一人ががんに罹患しました。そのときも、彼らのラジオで私について話をしてくれました。私は母を病気で亡くして以来、自分のことでは泣かないと決めていたのですが、彼らのことになると唯一泣いてしまいます(笑)。思わず号泣してしまうほど、大きな勇気を彼らにもらっています。

■フリーランスのつらさ

佐藤:国や医療に対してご意見はございますか?
ゆきえ:私は自分でベリーダンススタジオを経営する、いわばフリーランスです。フリーランスという立場はとても辛いです。仕事ができなければ一切収入がない。また会社勤めの方のように病気になっても保障などもありません。がんに限らず、難病になったフリーランスにも保障を手厚くしてもらいたいと思います。

■サバイバーとベリーダンスで世界に

佐藤:何か目標にしていることはありますか?
ゆきえ:がん患者とその家族でベリーダンスのチームを作り、世界ツアーをするという夢を持っています。がんになっても元気でいられるよ、がんになっても塞ぎ込まなくてもいいんだよ、ということをベリーダンスを通してみなさんに伝えたいと思っています。そのためにベリーダンスを一緒に楽しめるようなコンサートを世界、特にアメリカで開催するのが大きな夢です。

■笑ってればいいことあるさ

佐藤:最後に、このインタビューを読んでくださっている方に伝えたいことはありますか?
ゆきえ:前向きにいきましょう。なんでもプラス思考でいる方がうまくいくと思います。できないことはできないと認め、今自分ができる最高のことをやっていきましょう。笑っていればいいことあるさ。

■インタビュー後記

今回は乳がんを経験されたミスリーナゆきえさんにお話を伺いました。私もがん経験者として深く共感したのが、アーティストから勇気をもらったこと。その形は様々ですが、多くのがん経験者が音楽を通して勇気をもらっています。ゆきえさんはベリーダンサーとしてその勇気をさらに広めていきたいとおっしゃっていて、そこにゆきえさんの強さを感じました。
ゆきえさんは乳がんの経験を男性である私にもわかりやすく、情熱的にお話して下さいました。今回のインタビューを乳がんに罹患された方に限らず、そのパートナーの方、ご家族、ご友人など性別の境なくご覧いただけることを楽しみにしています。
ミスリーナゆきえさん4

佐藤崇宏

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