(学会場、受診する病院近くでのインタビュー)
「見えにくいがん」と言われるスキルス胃がん。その患者会「希望の会」を立ち上げ、10年にわたり活動を続けてきたのが轟浩美さんです。夫を支えた経験から始まった歩みは、ご自身のがん罹患を経て、新たな「胃がん全体の会」設立へとつながっていきます。患者として、支援者として、社会に声を届け続ける轟さんに、これまでの軌跡と未来への想いを伺いました。
過去と歩み-スキルス胃がん患者会の10年
(第1回目の薬物療法を終えた直後での轟さんへのインタビュー)
川上:まずは、患者会(希望の会)を立ち上げられたきっかけから伺いたいです。
轟:スキルス胃がんに関する情報は、「予後が悪い」という程度しか一般にはありませんでした。夫はステージIVで、必死に情報を集める中で「自分が旅立った後も、後に続く患者の役に立ちたい」と願いました。その思いを受け継ぎ、私は会を立ち上げました。
川上:ご主人の強い願いを引き継がれたのですね。設立当初の心境はいかがでしたか?
轟:正直なところ、私は夫の命をまず大切にしてほしいと願っていました。同時に「なぜスキルス胃がんなのか」という悔しさもありました。ただ、夫が「人生を意味ある形で終えたい」と思っていることを理解し、次第にその思いを尊重するようになりました。
川上:大切な人を支えながら活動を始めることは並大抵ではなかったと思います。この10年で特に印象に残る出来事を挙げるとしたら?
轟:いくつもあります。まず、設立と同時に全国がん患者団体連合会に加盟し、がん対策基本法改正のロビイングに参加しました。「小児がん・希少がん・難治性がんへの対策強化」を訴えたことで、夫と私が難治性がんの当事者・配偶者として活動している姿が報道され、注目を浴びました。
また、設立当初は医療者に支援を求めてもなかなか受け入れてもらえず、厚生労働省(厚労省)の会議を傍聴したり、セミナー終了後に出待ちして名刺をいただいたりしました。粘り強く連絡を重ねる中で、国立がん研究センターの堀田理事長(当時)から直接ご連絡をいただき、そこから冊子「もしかしたらスキルス胃がん」が生まれました。当時の研究所所長であった中釜先生、副所長の落合先生に監修いただき、このことが医療者に認知される転機となりました。
川上:その粘り強い行動が、会の信頼を築いたのですね。患者さんの声から学ばれたことも多いのではないでしょうか?
轟:ええ。スキルス胃がんは、医療者が意識して検査していたかどうかで診断時期が大きく変わります。また、若い女性、とくに30歳前後の方が多く、小さな子どもを残して亡くなる現実があります。だからこそ「スキルス胃がんを見逃さない認知」が大切だと強く感じています。
川上:運営面でも大変なご苦労があったと思います。
轟:日本胃癌学会の先生方と信頼関係を築くのに3年近くかかりました。諦めずに挨拶を重ね、学び続け、知識を持って対話を続けることで「希望の会の存在は医療者にとっても有益だ」と思っていただけるよう努めました。
自らのがん罹患-胆嚢がんとの出会い
(スキルス胃がんの会「希望の会」でもご一緒してきた川上 祥子)
川上:ここからはご自身のお話を伺います。胆嚢がんと診断されたとき、どのようなお気持ちでしたか?
轟:「二人に一人ががんになる時代」と言われていますから、動揺はありませんでした。年齢的にも落ち着いて受け止められたのだと思います。ただ胆嚢がんはまったく想定しておらず、「希少がんなのか」と感じました。転移の状況から手術は難しいと悟り、薬物療法の選択肢があるかを考えました。
川上:冷静に状況を受け止められたのですね。支援者から患者となって、見え方はどう変わりましたか?
轟:これまで厚労省や東京都のがん対策協議会の委員を務めてきましたが、それは現場から遠い議論だったのだと感じました。また「患者経験がない」「遺族の意見はネガティブ」と言われてきましたが、実際に患者となり、その言葉が私を10年間追い立てていたのだと理解しました。患者になった今、肩の荷が下り、自分に向き合えるようになりました。
川上:実際に「告知される側」となり、必要だと感じたサポートはありましたか?
轟:私は10年の活動で医療用語を理解できていたため、告知や治療選択の際に動揺は少なかったです。しかし、夫の告知時には大きく動揺しました。その違いは「言葉がわかるかどうか」でした。だからこそ、患者が「安心して動揺できる伴走者」の存在が必要だと思いました。
川上:とても共感します。では、日々大切にしていることは?
轟:私は「がん患者としての人生」を生きているのではなく、自分の人生を生きています。その日の体調に合わせて一日をどう過ごすかを考える。先の不安に囚われず、医師と対話を重ねながら積み重ねる。そして大きく変わったのは断捨離です。命の限りを見つめると、必要なものと不要なものがはっきりします。人間関係も同じで、自然とキャッチすべきことと流すべきことを分けられるようになりました。
新たな会の設立-「胃がん全体の会」への想い
(川上がプレゼントしたウィッグをつけて)
川上:ここからは未来のお話を。なぜ今「胃がん全体の会」を立ち上げようと思われたのでしょうか?
轟:夫はスキルスに特化することにこだわっていましたが、活動を続ける中で、スキルスに限らず進行再発胃がんの方も同じように苦しんでいると感じました。実際、定款上はスキルス胃がん患者会でしたが、活動は胃がん全体を対象にして、日本胃癌学会と情報発信をしていました。
また、希望の会を立ち上げた時から「いつか患者会が不要になる社会を」という願いを抱いてきました。そうした話し合いを重ねる中で、日本胃癌学会が2025年に患者会員制度を設立することを決定しました。これを機に希望の会は10年を節目に解散し、
新しい会を立ち上げることにしました。私のがん罹患と時期が重なったのも運命のように感じています。
川上:ご主人の願いとご自身の想いがつながっているのですね。新しい会の特徴は?
轟:胃がん全体を対象にし、予防や検診、術後障害(の情報発信)も積極的に取り入れていきます。スキルスでは治療開発を願ってきましたが、今後は早期発見や予防にも力を注ぎたい。さらに国際的な活動の継続や、患者家族が体験を発信できる人材育成も進めたいと考えています。
川上:とても幅広い展望ですね。キーワードになる想いはありますか?
轟:これまでも掲げてきた「知ることは人生を生きる力になる」。これは今後も変わらず、大切にしていきたい言葉です。
未来へのメッセージ-轟さんが伝えたいこと
(治療を進める病院でのプレスセミナーを前に)
川上:最後に、がんと向き合う方々に伝えたいことをお願いします。
轟:告知されて狼狽するのは当たり前です。無理に頑張ろうとせず、不安を表すことで支える人とつながり、最適な治療やケアにつながります。そして「がん患者の人生」ではなく、これまでの人生の延長に「がん」があるだけです。がんと闘うのではなく、一日一日を充実させることが大切です。
川上:支援する側・される側の関係についてはどう考えますか?
轟:支援する人が「上から目線」になりやすいことがあります。特に資格を持つサポーターは、頼まれてもいない助言をしてしまうことがある。私ががんを公表してから、その傾向をより強く感じました。支援とは自己満足ではなく、不安や弱さを安心して表せる空気をつくることだと思います。
川上:本当に大事な視点だと思います。医療者や行政にはどんなことを期待しますか?
轟:10年間の活動で感じたのは、対話が「私」を「私たち」に変える力を持つということです。与えるのではなく、現場の声を知り、対話の場を大切にしてほしいです。
川上:では、轟さんにとって「生きる」とはどのような意味を持ちますか?
轟:これまで追い立てられるように全力で生きてきました。それが必要な時期もあったし、精一杯やったという達成感もあります。これからは心地よいこと、納得できることだけを見つめ、次代の芽を応援できる生き方をしたい。新しい会を通じて学会と患者会の境がなくなる未来を願っています。そして私は、上手にフェードアウトしていきたいと思っています。