
軟骨肉腫の罹患、企業でのキャリア、そして50歳での起業。
前職のアクセンチュアでは執行役員として活躍しながら闘病を経験し、2025年9月に株式会社Rubicon9を立ち上げた市川博久さん。
30代(AYA世代:Adolescent and Young Adultの頭文字で思春期15歳から30歳代までの世代)での突然の病気、働くことへの価値観の変化、そして起業に込めた思いとは。がん情報サイト「オンコロ」コンテンツ・マネージャー:柳澤が、市川さんの“生き方”の本質に迫った。
軟骨肉腫体験と人生の転機
柳澤:まず、病気の話の前に、学生時代から前職のアクセンチュア時代までのご経歴を伺えますか。
市川さん:学生時代は将来の目的を明確に持っていたわけではなく、英文学を学びながらウィンドサーフィンを半分プロとして続けていました。スポーツで食べていくのは難しく、就活で出会ったアクセンチュア(当時はアンダーセンコンサルティング)に入社しました。説明会で社員の方が楽しそうに働いている姿を見て、「この人たちと働けたら面白そうだ」と感じたのが理由です。
最初の10年は泥臭いエンジニアリングの仕事ばかり担当していましたが、30代前半で新規事業の立ち上げに携わったことが転機となり、その後は新規事業の創出と運営を続けるキャリアになりました。
柳澤:そんな中で軟骨肉腫が見つかったのですね。当時の状況を教えてください。
市川さん:人間ドックで偶然見つかったんですが、最初の病院では「良性だから時間ができたら取ればいい」と言われ、1年ほど放置してしまいました。忙しさもあり、深刻さを理解しきれていなかったんです。
しかし別の病院でMRIを撮ったところ、「9割悪性」と言われました。最終的に、がん研有明病院の診断で軟骨肉腫と確定し、34歳で原発巣の広範切除を行いました。化学療法が効かないタイプで、幸い転移がなかったため手術のみで治療を終えました。
柳澤:仕事にも家庭にも重要な時期だったと思います。当時はどのように向き合いましたか。
市川さん:新規事業を立ち上げた張本人だったので、「自分が倒れたら事業が止まる」と思い込み、なかなか会社には話せなかったですね。ただ、2ヶ月の入院中にメンバーが重要案件を獲得してくれたことで、「全部自分が回している」という勘違いに気付かされました。
柳澤さんから教わった“キャンサーギフト”のように、支えられていたことへの気づきが大きかったです。
大企業で培ったキャリアとリーダーシップ
柳澤:前職のアクセンチュアでは執行役員を務められました。どんな強みが評価されたと思いますか。
市川さん:周囲の視線をあまり気にしないところだと思います。
他人の価値観より、自分の中にある課題感や悔しさを原動力に行動してきました。「どう見えるか」より「何をすべきか」に向き合ってきたことが、結果に繋がったのではないかと今は思います。
柳澤:コンサルティングの世界で得たものは、どんな点ですか。
市川さん:まず、物事を合理的に整理し、改善策を提示する力が徹底的に鍛えられました。一方で、合理だけでは動かない領域があることも強く感じました。公益性の高い活動やスタートアップには勝ち筋がありませんし、人の心が動かないと前に進まない。
だからこそ、「合理性」と「非合理性」の両方が大事だと理解するようになりました。CSR*に力を入れるようになったのも、病気がきっかけです。
*CSR:Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)
柳澤:病気を経験されたことで、働くことの捉え方はどう変わりましたか。
市川さん:仕事は昔から楽しく、プレッシャーはほぼ感じていません。ただ、病気を経て、「自分一人でできることには限界がある」と認められるようになりました。人と組んで挑戦する方が面白いし、より大きな価値を生む。そのことに気付けたのは大きかったですね。
なぜ“起業”という選択を?
柳澤:安定したキャリアから起業へ。背景にはどんな思いがあったのでしょう。
市川さん:理由は三つあります。
一つは「50歳で独立したい」という長年の夢。
二つ目は、日本の総企業数のうち99.7%を占める中小企業のITやデジタル活用の遅れは大きな日本の課題だと気づいたこと。そして、この課題解決のために、前職のアクセンチュアで大企業向けのコンサルティングを通じて獲得した経験・スキルを活かしたいと思ったこと。
三つ目は、経営の独立性を保つべく自らの資本で会社を運営し、さらなる資本を稼いで経済性の効きづらい社会課題分野やスタートアップ領域に自らの判断で再投資していきたいと思ったこと。CSR活動の経験が大きな影響を与えました。
柳澤:実際に起業してみてどうでしたか。
市川さん:期待外れかもしれませんが、めちゃくちゃうまくいっています(笑)。カルチャー形成の段階ならではの揺らぎはありますが、それも健全です。前職のアクセンチュア内で3度新規事業を立ち上げた経験が、確実に活きています。
柳澤:がん体験が挑戦の姿勢に与えた影響はありますか。
市川さん:生きていることへの感謝が強くなり、「思い立ったら行動しないともったいない」と感じるようになりました。一方、一人で成功しても寂しい。仲間と挑戦し、仲間と喜びたい。これは病気以降に芽生えた価値観です。
未来へのメッセージと実践的アドバイス
柳澤:今後のビジョンや、社会に対して果たしたい役割を教えてください。
市川さん:僕が大切にしたいのは“言行一致”です。建前ばかりの社会では若者が夢を持ちづらい。馬鹿正直でかっこいい大人の背中を見せたいんです。
ITやAIで企業を良くしていくことはもちろんですが、根本には「生き方を示したい」という思いがあります。
柳澤:最後に、AYA世代など若い世代やサバイバーの方へメッセージをお願いします。
市川さん:闘病中の方には、「出口のないトンネルはない」と伝えたい。向き合い方で景色は変わります。治療を終えた方には……「俺と一緒に筋トレしようぜ!」ですね(笑)。僕は体調改善を目的に45歳になってから本格的に始めましたが、自身と向かい合って日々の成長を実感できる筋トレにすっかり魅了され、今ではライフワークの一部となりました。体調改善のみならず、自分と向かい合う内省の機会にもつながるので、多くのみなさんにおすすめしたいですね。
あとがき】
筆者が市川さんと知り合ったのは、2011年7月。当時がん患者支援のNPOの理事・事務局長を務めている私に、Facebookを通じ、「軟骨肉腫に罹患し、闘病を経験しましたが、前向きに人のため、社会のために生きていこうと毎日を送っています」とメッセージがありました。もう15年近くの月日が流れました。
当時を思うと、今では思春期・若年成人のがん「AYA世代のがん」のがんという言葉も随分知られるようになってきました。AYA世代での軟骨肉腫の罹患、30代のキャリア形成、そして50歳での起業。市川さんの歩んできた道のりは揺れながらも力強く、働く世代にも、がんサバイバーにも確かな勇気を届けてくれました。
参考リンク:
株式会社ルビコン9