吉田夏子さん
1児の母
2014年トリプルネガティブ乳がん告知。
現在は無治療・経過観察中。
美容業界アパレルメーカーのマネージメント職などを経て、現在はフリーアイリスト(まつ毛エクステシャン)。
目次
突然 当事者になった
2014年8月終盤、34歳。医師から告知を受け突然がん罹患者となりました。
私の場合、HER2 もホルモンも陰性、更にはグレードが最も高い「若年性トリプルネガティブ乳がん」。
様々な検査を受け1ヶ月後に手術をしましたが、その勢いは驚くほど速く、リンパ節転移ありのステージⅡaと診断されました。
そもそもトリプルネガティブは予後が悪く、ホルモン陽性に比べると再発率が高い。ネットで検索しても前向きな情報はほとんどない状況でした。
手術後、抗がん剤8クールと放射線25回の標準治療を行いました。
家庭と、治療と、そして仕事復帰
抗がん剤は、想像していたより副作用も軽く、脱毛・軽い吐き気・だるさでした。
前々から抗がん剤によって引き起こされる副作用は、家族や周囲には共有しており、もちろん当時小学2年生の娘にも話していました。
悪いばい菌が身体の中にいて闘わないと生きれないかもしれない、決して誰のせいでもなく移らない、と。
治療中は決して強がりませんでした。
家族には包み隠さず、感情を伝えていました。
そうすることが正解なのかは、今でもわかりません。
しかし一番心配していた娘の情緒は不安定になるどころか、共に闘うサバイバーのように協力的で、脱毛が激しい時はすぐに帽子を持ってきてくれたり、励ましの手紙を何通も書いてくれたりしていました。
私たちは、いつしか闘うことさえも共有していました。
抗がん剤7クール目を終えた頃、治療に専念するため、と一時退職した会社から、どんな状況かと連絡がありました。
意外と元気な私に驚いたのか、それなら少しずつでもいいから復帰しないか、と誘いを受けました。
大変有り難いことでしたが、正直不安の方が大きかったです。
免疫力の低下から、突然体調が悪くなる可能性もあります。
私は、思い切って条件を提示しました。
抗がん剤投与後の一週間の休養、突然休むこともある可能性、残された放射線治療を受けてからの出勤。
断られる可能性の方が高いと思いながらも、それでも受け入れてもらえなければ、他の仕事を探せばいい、と開き直っていました。
しかし、上司の言葉は迷いもない「イエス」。
抗がん剤7クール目で、職場復帰することとなります。
今思えば仕事内容は結構きつかったですが、それ以上に働ける喜びが大きく、副作用は全く感じませんでした。
そして、こちらの条件も全て受け入れてくださった会社に、今でも感謝しています。
無治療期間
トリプルネガティブ乳がんは、標準治療が一段落すると、無治療の経過観察になります。
それは、とても不安で仕方がなかったです。
今思えば、異常なほどに神経質になっていました。
骨の出っ張りが腫瘍に感じたり、背中が痛めば骨に転移してるのではないかと考えたり、この時期に初めてまだ全てを受け入れられてないことに気付きます。
そんな時、一番に相談していたのは主治医でした。
しつこく来院する私に半ば呆れた様子でしたが、「僕だって、当事者であれば同じように気になると思う」。
その言葉で、主治医への信頼が、絶大なものになりました。
罹患して見えたもの
今までの私は、とにかく働きたくて育児の時間でさえも早く終わらないか、と思っていました。
周りから認められるように、誰よりも仕事をしていたと思います。
しかし、治療中に支えてくれたのは家族。ここで皮肉にも家族の大切さを知ります。
最初に泣いたのは主人でした。
全く動じず協力的な娘。
この家族で、治療中にたくさんの感情を共有しました。
それは、恵まれた環境でもありました。
治療中であっても受け入れてくれた会社、話を聞いてくれる友達、まさに人の温かみを最も感じた瞬間でした。
生きていかなければ-。こんなにも自分を必要としてくれている人がいるのだから。
それと同時に、私以外の罹患者はどのような状況にあるのだろう、と疑問に思うようになり、この経験を活かす方法があれば発信していきたい、と主治医へ相談しました。
まさに全て受け入れることが出来た術後5年目の夏です。
主治医の提案がきっかけに
昨年秋、定期健診のため病院へ行った時のこと。
主治医が「こんな会に参加するのも勉強になるよ」と、1枚の紙を渡されました。
患者会です。
実は、ずっと避けていました。
共有してどうなるの?という先入観から、絶対に行かないと決めていました。
しかし、この時の主治医と私の信頼関係は絶大なもので、主治医の勧めで足を運びました。
そこには、現在治療中の人、何年も経過した人、再発転移した人、話す人がいなくて泣いてしまう人、様々な事情を持つ罹患者がいました。
更に会話を交わすうちに、共有することが精神面の大きな変化に繋がることを知りました。
最初は緊張した空気でしたが、帰る頃には全員が仲間となり、情報を共有することがとても重要なことだと気づきました。
しかしながら、それはネットや個人で調べたものであって、個々の情報に相違があったのは事実です。
正しい情報を得るために
私は患者会への参加を主治医へ話し、非常に良い経験になったと伝えました。
自分の環境は恵まれたものであって、当たり前ではない。
この経験を通して出逢えた人たちもいる、私にとって宝物です、と。
何か出来ることがあるはず、そんな想いと共に「CancerX summit2020」へ主治医と参加しました。
ここで私の人生観は大きく変わります。
登壇者の方々は多業種にわたり、罹患者やそのご家族の方も。
ただ共通していたことは、登壇されている皆さんがとても活き活きとしており、話の内容に強いメッセージ性があること。
人間って本当に伝えたいことがある時は、こんなにも情熱的で感染力があるのだ、と大きなパワーを感じました。
そこでキーワードとなったのは「体験者の声」です。
体験者の声【私の場合】
実際、私は「体験者の声」としてスピーチをしたことがあります。
昨年の春、美容学校に勤務していた頃です。
罹患していたことは、校長はじめ幹部しか知らないようでした。
それまで私は病院で何度か休んでいましたが、次の日に「経過観察は異常なし」と、校長へ必ず報告していました。
その度に、2人で喜びを共有していました。
そしてこの大切さを広めたい、という想いが強くなっていきました。
退職日当日のこと。
何事もなく朝礼が始まりましたが、最後に自分の伝えたいことを伝えなさい、と時間を与えてくださいました。
乳がんになったこと、2人に1人ががんになる時代であること、検診や早期発見の大切さ、突然当事者になること、そしてこれまでお世話になった御礼。
短時間だったので全てを深く話すことは出来ませんでしたが、その後先生方から多くの激励のメッセージが届きました。
先日校長から連絡があり、検診を受ける先生が増え、休みが取りやすい環境になったということです。
私が発した短い時間での言葉が、小さな社会ですが少し動きました。
さらに、ここへがん教育も取り入れていただけたら、と、今でも校長と連絡を取り合っています。
体験者の声の必要性
私たちは、「がん」であることを隠す傾向にあります。
それは、周りに迷惑をかけたくない、などさまざまな想いからです。
2人に1人ががんになる時代。
5年前の私のように、突然当事者になることは、珍しくない時代になりました。
医療従事者は、経験やデータをもとに患者に話します。
罹患者は、告知や治療中に理解されない、と投げやりになってしまうことも、当然だと思います。
金銭面の不安、家族のこと、治療が終わってもそれからの精神面、様々な問題が起こって当たり前です。
それらを解消するのが、体験者の声だと思います。
共有・共感は、体験者の発言が圧倒的に説得力があります。
全く同じ道ではなくとも、共感出来る部分はたくさんあります。
また、体験者は罹患されていない人は知らない世界を見ています。
その意味では、寄り添うことの大切さを備えているのではないでしょうか。
医療従事者と取り組み、正確なデータと経験者の声を組み合わせることで、より信憑性のある確固たるものになるのは間違いないと思います。
そして社会がそれを必要としているのも確かです。
気兼ねなく立ち寄れるサロンを
私は、長年美容師として働いていました。しかし、広背筋からの同時再建により、腕を肩より上に挙げ続けることが出来ません。
これは、美容師にとって致命的です。
天職と感じていた美容師が出来ないことは、どん底へ突き落とされたようでした。しかし、私は違う居場所を見つけます。
それは、アイリスト(まつ毛エクステシャン)です。
治療中は、爪の黒ずみやウィッグのカットに対応していないサロンがまだまだ多く、治療後については体毛の薄さ、特に睫毛や眉は元に戻るまでに、とても時間を要します。
やはり人間は、どんな状況でもきれいでいたいものです。
しかし、患者会でわかりました。
罹患者は、どこか引け目を感じています。
ウィッグのゴム部分が気になる、爪が薄すぎて施術してもらえない、など不自由な事項に直面します。
また、ウィッグをカットするのはハサミが痛みます。
それを理由に取り合ってもらえない。
また、それを営利目的にするサロンも存在するそうです。
私に何ができるのか。その答えに時間がかかりませんでした。
人間は年齢に関係なく、常にきれいでいたい。
そのようなサロンが、まだ少ないのも事実です。
そうであれば、自分が作ればいいじゃないか。
実際私の職場に、遠方から足を運んでくれている人がいます。
彼女は私と同じタイプの乳がんで、施術中に不安を吐き出すように話し続けます。
帰る頃には、必ずスッキリした表情になるのです。
私は、関西に医療と提携した患者さんが気軽に来店できるようなサロンを、3年後をメドに設立する予定です。
抗がん剤中の困ったことを少しでも解消できるように、治療中でも気分転換で精神面の負担を軽減できるように、また罹患者の情報共有の場となり仲間が広がるように-。それが目的です。
私は体験者ですが、全てにおいて正しい知識を持っていません。
現在、医療従事者や乳がん団体のアドバイスのもと、乳がんアドバイザーの資格を取得したり、自身の技術をもっと深く掘り下げるため、現職を退職し この春からスクールに通う予定です。
アピアランス(見た目)において美容業界を通じ、罹患者が治療中も治療後もキラキラできる場所、また仲間を作れる場所、医療従事者の正しい知識が聞ける場所として社会へアプローチしていこうと考えています。
社会への貢献を
私は、自分を脅かした病気をこんなに知りたいとは、当初全く思っていませんでした。
情報は錯誤し、何を信じていいかわからぬまま、無治療期間をただただ生きることに集中してきました。
『がんになっても働く社会へ』。
国がこのような方針を出しているにも関わらず、残念なことに罹患すれば、離職へ追いやる企業はまだ存在しています。
まさに、当事者意識の希薄さです。
それを解決するためには、私たち体験者の声はとても必要とされています。
この体験には、付加価値があると信じています。
何も引け目を感じることはない、むしろどんどん発信していくべきだと感じています。
実際に、「トリプルネガティブで再発転移なく5年経ちました」というと、とても驚かれ、希望の光が差し込んだかのような反応をされます。
きっと悪い情報が注目されているのでしょう。
まずは主治医と少しずつ、周りに少し話すだけでも発信です。
やはり正しい知識を広めることは、がんになっても動じない社会を作ることへの貢献だと考えます。
気持ちが整った時でいい、体験者として社会貢献していきたい-まさにこれから。
(文責:中島 香織)
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