【耳下腺・腺様嚢胞がん体験談】
平等に生活できる社会を目指して


  • [公開日]2019.08.24
  • [最終更新日]2019.08.24

柴田 敦巨さん
2児の母親でもある耳下腺がんサバイバー
現在、経過観察中
看護師の資格を持つ柴田さんにオンコロスタッフ中島がお話しをお伺いました。

突然の希少がん宣告

中島:まず病名を教えてください。

柴田:希少がんの『耳下腺がん』です。耳下腺がんには23種類もの腫瘍の種類があります。自分が罹患した種類は、腺様嚢胞がんと言われる種類です。2014年、初発の耳下腺がんに罹患しました。

中島:診断されるまでの流れを教えてください。自覚症状はあったのですか?

柴田:告知される15年ほど前の1999年に、左耳下腺あたりに豆粒大のしこりを自覚し、痛みも伴うため耳鼻科を受診することにしました。

その時は、医師より「炎症ではないか」との診断で、抗生剤を処方され、内服をはじめました。
しこりは内服終了後も症状が改善されず、そのまま時間は経過してしまいました。

2013~2014年頃から、そのしこりが徐々に大きくなってきて、チリチリした痛みも伴うようになりました。

気にはなっていましたが、痛みがあるということはがんではないな・・と自己診断してしまい、受診には行きませんでした。

2014年10月末、行きつけのサロンでフェイシャルマッサージをしていただいている時、左耳下にあるしこりについて、エステティシャンから「病院へ行った方がいいのではないか?」と勧められました。

意を決して再び耳鼻科の受診をしたところ、手術をすすめられました。

中島:治療はどのように進んでいったのでしょう。

柴田:当初、良性の腫瘍の可能性が高いと説明があり手術で取り除いて経過観察の予定だったのですが、術後病理検査をしたところ悪性だということがわかりました。主治医の判断で、しっかり取り切ることを目的に後日2度目の手術を受けました。

中島:精神的、体力的に大変でしたね。その後の経過はいかがでしたか?

柴田:しばらくは経過観察でしたが、2017年に局所再発しました。

中島:再発時の治療はどのように進めましたか?

柴田:腫瘍のすぐ近くに顔面神経があって、手術の時に一緒に切除しなくてはならなくなりました。そのため、腫瘍切除と同時に、形成外科の先生により顔面神経再建術を受けました。術後補助療法として化学放射線治療を受けました。シスプラチンは当初2回の予定でしたが、倦怠感が強く出てしまいQOLが著しく低下したため、1回で中止しました。放射線治療は、66グレイを33回に分けて受けました。

中島:再発時に自覚症状はあったのでしょうか。

柴田:物忘れが気になることがあり、念のため、主治医に頭のMRの撮影をお願いしたところ、手術した箇所にぼんやりとした「なにか」が写っており、PET検査CT検査でも微妙な集積が認められました。
3カ月後、再度CT検査をしたうえで手術をしたところ、局所再発だったことがわかりました。

中島:その時の心境はどのようなものだったでしょう。

柴田:すでに初発がんに罹患しているのだから仕方がないと思う一方で、初発の時よりショックでした。
希少がんゆえに標準治療が確立しておらず、化学療法もエビデンスがありません。

中島:その不安をどのように乗り越えましたか?

柴田:初発時に、たまたま浜田勲さん*のブログを見つけました。当時看護師として働き、がん患者さんの治療サポートをしていたにもかかわらず、まさか自分ががんに罹患するとは思っていませんでしたし、珍しい耳下腺がんのブログだったので病気について深く知るのが怖くなり、その時はブログのタイトルだけみて、すぐに閉じてしまいました。

初発の手術から1年ほど経ち、気持ちが落ち着いてきたころに、「そういえば同じ病気の人のブログがあったな」と、改めて読んでみることにしました。そこでいろいろな情報を得ることができましたし、オフ会で実際に浜田さんや他の同じ病気に罹患した人達に会い、「自分はひとりではないんだ」という、勇気をいただきました。

生きることは食べること

中島:最近、新しいビジネスを立ち上げられましたね。

柴田:はい、カトラリー(食卓用のフォーク、スプーンなどの総称)の開発です。耳下腺内に顔面神経が走行しているため、術後くちを開くことが困難になります。今までなんの意識もしなかったフォークやスプーンでは、幅が大きくとても使いづらいということがわかりました。他の病気の患者さんたちも、同様に感じている人たちが多いのかもしれない、と感じ、商品化に向けて開発を始動しました。アドバイスを一緒に出し合っている、愛称 猫舌さんの名前をとって『猫舌堂』という商号をつけました。

中島:具体的には、市販されているフォークやスプーンと、どのような違いがあるのでしょうか。

柴田:くちに運ぶたびに疲れるので、まず軽量化を目指しました。くちの中でスムーズに使えるように角を取って全体的に丸みをもたせています。厚みがあってもしっくりこないので薄めにしています。人それぞれに使いやすい柄の長さや丸みの角度があると思うので、将来的には数種類のデザインを開発したいと思っています。

先日インフルエンザに罹ってしまった時に、食欲が落ちてしまったのですが、自分が試作したスプーンを使ってみたら、すっとくちに運ぶことができました。

カトラリーの工夫で、介護食ではなく普通の食事を楽しめるはずです。


試作品の「猫舌堂」オリジナルカトラリー

中島:患者さんにとっては、すばらしいアイディアですね。今後、どのように販売していくのですか?

柴田:試作品はできたのですが微妙な改良部分を進めつつ、今は販路の市場調査をしています。ネット、店舗直販、チェーン雑貨店への卸、レストランチェーンへの卸などの流通を挙げていますが、まずはネット販売してみようかと考えています。今は、その準備期間です。

歯を磨くという大きなハードル

中島:他に商品化を考えていらっしゃる活動はありますか?

柴田:耳下腺がん患者にとって、歯を磨くことも大きな負担となっています。今は市販でさまざまな種類の歯ブラシが販売されているので、いろいろと試して自分に合うものを使っていますが、同じ悩みを抱えた人も多いと思います。ブラシ部分が小さければよいものでもなく、またブラシの毛が柔らかすぎても磨きにくいので、各自で使いやすい歯ブラシを選んでいるのが現状です。
いずれは、歯ブラシの開発もしたいと思っています。
口腔ケアは、現在化粧室など限られたスペースでまわりに気を遣いながらの作業ですが、精神的な負担がかからないような環境も作っていきたいです。

『ひとりではない』ことを実感してほしい

中島:柴田さんが目指す、最終目標をお聞かせください。

柴田:希少がんは情報が少ないですが、治療法がまったくないわけでもなく、また仲間からの情報が大きな頼りになります。がんに罹患することは特別なことではなく、『慌てず、焦らず、諦めず』の気持ちを大切に、自分らしい生活が送れることが願いです。

カトラリーや歯ブラシの開発など、ビジネスにするのが最終目標ではなく、開発した商品を通して、ひとりでは決してないんだということを感じていただきたいし、みんなが平等に生きやすい社会にしていきたいです。

また、患者さん達が気軽に集まれるスペースを設け、看護師の経験を生かしてピアサポートをしていきたいです。

話すことで、自分の気持ちを整理ができ、生まれ変われる気がします。できたら病院施設以外でそのような空間が必要かな、と感じています。

猫舌堂ホームページ

*浜田勲さん 体験談

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