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【乳がん体験談】ことばで繋ぐ100通りのストーリー

[公開日] 2019.07.25[最終更新日] 2019.07.25

目次

豊増さくらさん 中小企業診断士。2児の母親。乳がんサバイバー。術後の抗がん剤治療、5年のホルモン療法を終え、現在は無治療・経過観察中。 人気ブロガーである豊増さんは、ご自身のブログを一冊の本にまとめ出版されました。ブログへの想い、出版までのいきさつを、オンコロスタッフ中島がお話しをお伺いしました。

マンモグラフィーでは写らなかった腫瘍

中島:まず病歴について教えてください。 豊増:38歳の時、左胸に自分でしこりを見つけました。人間ドックで触診とマンモとエコーの検査も受けたところ結果は「異常なし」。その後、1年半しこりは消えることなく、痛みなどはなかったのですが、念のため近所のクリニックで再度マンモグラフィー検査を受けたところ結果は「異常なし」。「念のためエコー検査もしてみましょう」と、そのしこりのあたりを診ていただきました。結果、2cmほどの影が映り、より詳しい針生検を受けるために、大きい病院へ紹介状を書いてもらいました。 中島:「異常なし」から、「要精密検査」とは、ご自身も動揺されたのではないでしょうか。 豊増:はい。40歳の誕生日をまたいで、検査結果が出ました。決して初期ではない2cmのがんは、マンモグラフィーでは見つけることができなかったのです。マンモグラフィー検診は残念ながら100%万能とは言い難いので、エコーと組み合わせた診察、また気になる場合はセカンドオピニオンを受けることをお勧めしたいです。 中島:診断後、お仕事はどうされましたか。 豊増:私は自営業だったのである程度の時間の調整は可能でしたが、病気が発覚した時は、さすがに仕事への意欲が失せました。迷惑をかけたくなかったので仕事関係の方々にはすぐに連絡をして、代わってもらえる仕事は人にお願いしたり、代わりの人がいない仕事はキャンセルしたり。 中島:焦燥感のようなものを感じたりしたのではないでしょうか。 豊増:はい。自分だけが置いていかれるような気がして、だけど新しいことには意欲が起きず、仕事仲間のブログやフェイスブックは読むことができず、自分のSNSのアカウントも削除してしまいました。 中島:しばらくされてから、仕事は復帰されましたね。どのようなお気持ちの変化があったのでしょうか。 豊増:時間を置くと、焦りから前向きな気持ちへと変わっていくのがわかりました。術後の抗がん剤治療中でしたが、自分でも不思議なぐらい「働くこと」に前向きになっていきました。何かに取り組んでいなければ、自分の気持ちを保てなかったのかもしれません。治療が一番しんどい時に仕事を復帰した形となりましたが、後悔はありません。仕事をして、人から感謝されたりして、それがずいぶんと励みになりました。「働きたい」という意欲のある方は、仕事と治療のバランスがうまく取れることを願っています。

自分の体験が誰かのために

中島:乳がんの診断後、ご自身の病気に関するブログを始められましたね。 豊増:手術が終わって間もないころです。仕事もしていなかったので時間もあり、昔から文章を書くことは好きだったので、始めてみました。 中島:とても読者人数が多い人気のブログになりましたね。 豊増:私もいろいろな方のブログを読んで、体験者の話しは医師との会話とは参考のなり方が違うな、と。だったら自分自身の経験が誰かの役にたてればいいな、と思ったのが始まりです。たとえば手術を初めて受ける方には、「痛い」イメージがあると思いますが、実際は全身麻酔で意識がない状態ですから「体感時間は10分」、術後はベッドで安静にして寝たきり状態、ではなく「思っているよりすぐ回復する」など、体験してみないとわからないですよね。小さな情報かもしれませんが誰かの役に立つのであれば、の気持ちでブログを配信していました。言葉で表現することによって私自身の気分転換にもなり、感情を溜め込みすぎることを回避することができました。 中島:読者からは、どのようなコメントが多かったですか。 豊増:子育てをしながら仕事をしている私と同じような環境の人たちが、周りには同じような境遇の友人はいないけれどこのブログを読んで参考になった、というコメントや、治療に関わる副作用の質問も多かったです。自分と環境が同じようなブロガーを探して私のブログに辿り着いた方が多い印象を受けました。 中島:逆に、気分を害するようなコメントはありませんでしたか。 豊増:民間療法を勧めてくる方や、抗がん剤治療を否定される方もいましたね。主張したいことがあるのであれば、私のブログを介してではなくその方がブログを開設して発信すればいいことなので、途中から書き込みコメントは承認公開制にしました。 中島:二人の男の子の母親でもありますね。お母さんの病気に対し、お子さんたちの反応はいかがでしたか。 豊増:もともと明るい性格なので、落ち込んだり、動揺するような状況にはなりませんでした。女の子だったら、お母さんの脱毛をみてショックを受けるかもしれませんが、お子さんそれぞれの性格にもよるかもしれません。 私自身、小学校6年の頃に父が大病を患いましたが、幸いなことに父は精神的にはとても健康だったので、家族が落ち込む雰囲気は家の中にはありませんでした。父の病気をみてきたので、良い意味で小さな頃から「病気」慣れをしていたのかもしれません。

参考になった体験談

中島:ご自身が罹患された乳がんについては詳しく勉強はされましたか。 豊増:熱心に調べることはしませんでしたが、同じ乳がん罹患者の体験談は非常に参考になりました。また、治療でわからないことがあったら箇条書きにして、診察時に主治医に聞きながら理解していきました。 中島:ブログを通じて、実際に読者とお会いしたことはありますか。 豊増:はい。名古屋、大阪、東京とオフ会を開催したことがあります。お互いに治療方法や、サブタイプや、ステージは違っても、ひとつでも共通点があると非常に話しが盛り上がります。同じ病気でもさまざまな状況下にある人たちから実際に体験された話しを聞くことが、私にとって大きな勉強になりました。

ネットの世界から書籍の世界へ

中島:2014年に、ブログをまとめた本を出版されましたね。 豊増:私は、さまざまな体験談を多くの人たちから聞くことができ、結果非常に役に立ちました。副作用の緩和の仕方といったテクニック的なことから治療の選択肢、自分だけじゃないというメンタル的な面などです。私たちの体験をまとめると、もしかしたら誰かの役に立つかもしれない、と思ったのがきっかけです。ブログを読んでいない人たちや、何らかの事情でオフ会に参加できない人たちへ、本という形でメッセージが届けば嬉しいな、と。すでにオフ会で100名近い人たちと交流をもつことができていたので、皆の体験を1冊の本にまとめたら内容も豊かで読み手にも通じるなにかを感じてくれるのではないか、と考えていました。 それまで体験者の本は、芸能人の著書や予後の悪い方の著書など、センセーショナルな内容の本しか販売されていないのが現状でした。ブログはどうしても情報が埋もれてしまうので、書籍として残すことで、後に続く方に役立てて欲しいと思うようになりました。でも本を出版するにはどう行動すればいいのかわからず、まったくの素人でした。 中島:実際にどのようにアクションを起こされたのですか。 豊増:まず本屋で「出版の仕方」なるハウツー本を購入し、その内容のセオリー通りに行動してみました。まず、『健康、出版』でネット検索し、一番上に表示された出版社に電話でコンタクトを取りました。コンセプトは『100人の乳がん患者がいたら、100通りのストーリーがある』。「企画書を送るので、目を通してもらえないか」とお願いし郵送したところ、その出版社の社長が賛同してくれました。 中島:出版まではとてもスムーズにいきましたね。発売後の反響はいかがでしたか。 豊増:発売初日、amazonで書籍販売の上位に入ることができました。残念ながらその直前にオリンピックで金メダルを獲得した羽生結弦選手の本には負けましたが(笑)。その後も順調に版を重ね、ついこのあいだ、第八版が出版されました。医療技術は私たちが治療を受けた時から確実に進歩していると思いますが、それでもがんと宣告されたときのショック、治療中のちょっとした工夫や気の持ち方など等身大の気持ちが読み継がれているのかと思います。 豊増さんの著書は、乳腺科に配架されている病院も多い 中島:印税は団体へ寄付をされていると聞きました。 豊増:本を出版することが決まってから、売り上げはどこかへ寄付をしよう、と漠然と決めていました。ただどこへ寄付をしたらふさわしいのか迷っているとき、たまたまお店でチャイルド・ケモ・ハウスのチラシを手にする機会がありました。自分も二人の子どもがおり、オフ会で出会った友人たちも育児と治療を両立している人が多かったことから、いま病と闘っている子ども達やそのご家族のお役に立って欲しいという気持ちから決めました。 また、印税の一部はかわいいハンカチを買ってオフ会の時に配ったり、仲間が開催するイベントの開催費に寄付したりなどもしています。

「何もしない」勇気

中島:いま闘病中のかた、これから治療を始めるかたへメッセージをお願いします。 豊増:今振り返ってみて良かったなと思えることは、治療を始まる時に何もやる気が起こらず、その気持ちに従って『何もしなかった』ことです。 新聞を読むこと、テレビを観ること、ラジオを聴くこと、など情報が入ってくることがとても苦痛でした。「家族のためにもつらい治療でも頑張ろう」と思う一方、活躍している同業者のように前向きに仕事に取り組むことができず自分自身を責め続けていました。何もしないとネガティブな思考に落ちてしまうのでレンタルまんがを大量に借りて時間をやり過ごしたり図書館でぶらぶらしたり、うまく人生をさぼったことが良かったと思っています。無理をして「自分は大丈夫」とがんばり続けていたら、早い段階で自分は壊れていたと思います。 アスリートだって、練習の合間に休憩を取る。それと同じことで、ショックを受けたらうまく休みを取ることがいいのではないでしょうか。無理にがんばりすぎてご自身を責める人がいますが、やりたくないことは思い切ってやらなければいいと思います。自分自身をまず落ち着けて、精神や体力に力をつけて冷静さを取り戻せば、正確な情報を選択することもできるでしょうし、ご自身で決めた選択肢に納得がいくはずです。 私の場合、主人は家事を代わりにしてくれていましたし、子ども達は、完璧でなくても周囲に起こった事項を柔軟に学んでいました。「こんな病気になって家族に申し訳ない」と落ち込んだり、やる気がないことを責めたり、自分をどうか卑下しないで欲しいです。『がんばりたくなかったら、やめる』勇気を持って欲しいと思います。

今後の野望

中島:今後、また本を出版する予定はありますか。 豊増:まだ企画の段階ですが、『病気の人にどんな言葉をかけたらいいか』体験を交えた内容を考えています。大切な人が病気になったとき、よかれと思ってかけた言葉が、ひどく傷つけていたり迷いを生じさせたり、逆に気を遣われすぎて、いらいらする言葉もあるかもしれません。言葉の受け止め方は人それぞれですから、臨床心理士さんなどに意見をいただきながら、企画をまとめていけたらと考えています。 (文:中島 香織) 豊増さんのブログ:bambi*のゆったりしっかり乳がんブログ 豊増さんの著書:乳がんと診断されたらすぐに読みたい本 ~私たち100人の乳がん体験記~
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中島 香織

広告業界、放送局業界、コンサート・舞台企画業界を経て1年間渡米留学。帰国後は、外資系企業に就業。イベントマネージャーとしてPR,マーケティング業務に携わる。がん情報サイト「オンコロ」では、主にイベント運営、Webサイトの更新、コラム投稿に従事。宣伝会議コピーライター養成講座修了、乳がん体験者コーディネーター(BEC)11期生。

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