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“その時”は突然やってきた-出会いに支えられた闘病


  • [公開日]2019.04.22
  • [最終更新日]2019.04.22

名前:小林 正和
年齢:58歳
性別:男性
住所:滋賀県東近江市
職業:無職(障害年金)
がん種:大腸がんステージⅣ、肝臓転移 2度の手術を乗り越えて、現在はリウマチ、強皮症の治療と並行しながら経過観察中で

偶然から見つかったがん

私ががんに罹患してると知らされたのは内科でもなく外科でもなくはたまた消化器内科でもなく、実はリウマチ膠原病内科でした。20014年に股関節の痛みから診察を受けリウマチと診断された、リウマチを治すべく教育入院という形でがんはみつけられました。

それは偶然であった。リウマチのドクターから生物学製剤の投薬準備のためにCT撮影を指示されその夕方にドクターから急の呼び出しそして肝臓に腫瘍があることを伝えられ、念のために大腸をカメラで検査約5㎝程の腫瘍が見つかったのです。CTに映った腫瘍は大腸がんからの転移であり、外科のドクターの診断ではステージⅣと言われ即抗がん剤投与の準備がはじまりました。

孤独ながんとの闘いが始まる

妻は結構のんきなところがあり「切れば治る」そう思ったそう。がしかし、私のこの不自由な体に、がんという重篤な状態、経済的にも先が見えないこともあったのだろう、些細な口論から妻は私のことに無関心になり家庭内別居がはじまりました。最近よく耳にする言葉「介護離婚」夫婦のどちらかが悪くなり、経済的負担や介護疲れが原因となって離婚する夫婦が増えているそうだ。

私のところもまさにその状態となりました。そこから私の孤独ながんとの闘いが始まったのです。

動かぬ体で、収入は傷病手当のみ、娘や息子はいるが負担はかけたくありません。自分の足で役所に行き、高額医療の申請、障害者の申請、そして私を大きく助けてくれることになった福祉医療受給、これら全てを一人でやった。

歩くと膝がカクカクなり痛みが走る、少し休んでは歩く少し休んでは歩くそうやって自分一人でどこまででも行った。というよりいかざるをえなかったか 誰も助けてくれるものなどいない泣き言は言いたくない。「弱音を吐いたら負ける」そう自分に言い聞かしていました。

2015年の1月から抗がん剤の投与が始まった。

辛いというものを超えていた、何が辛いか、それはやはり孤独という言葉 胸にVポートを埋め込み抗がん剤を投与したが退院する日に発熱、迎えは誰も来ない、一人タクシーに乗り込み 雪の降るプラットホームで一人で電車を待っていた、抗がん剤で凍え痺れる手でカバンを持つ、正直情けなかった。情けないという思いからなんだろう涙すら出ませんでした。

がんを知ることの大切さ

やがて 抗がん剤の副作用で味覚がなくなり手足が痺れ金属を触ると電気が走る。下痢や嘔吐を繰り返した、しかし、私は耐えた。同時に抗がん剤の勉強をして知識や情報収集に時間を費やしました。私の抗がん剤治療はmFORFOX6 オキサリプラチン白金製剤です。

後遺症というか副作用が今も残っているものの、私はこの治療をうまく利用し、自分で治療の計画を立てました。肝臓の腫瘍が3㎝ぐらいに小さくなった時、外科の主治医に大腸と肝臓の同時切除の依頼をしたわけだが、見事に断られました。このまま抗がん剤を続けることになると主治医は言うが、抗がん剤の副作用は限界を超えていた。

「このままでは俺は抗がん剤でダメになる」

そう思ったというか体がそう言っていました。即、私は主治医に抗がん剤の中止を申し出てこの病院では治らないと察した私は滋賀医大へと転院して、手術を受けることになりました。

ここで私が皆さんに伝えたい事は“医者の言いなりにはなってはいけないということ、あくまでも医者は患者のサポーターである”ということです。

高齢の患者さんは医者の言うことを神のお告げかのように聞き、抗がん剤にて衰弱していく、がしかし、自分で知識を身につけドクターと自分の病気の状態を共有する。そこからドクターに正しいというか、患者に対してリスクの少ない最善な治療方法を見つけてもらうことが大切ではないかな。

私が2回目の腫瘍を切除した時のドクターが言っておられた。

「私は小林さんをサポートするだけで、闘うのはあなた自身だと思います。」

なかなか、自分の思っている理想のドクターと出会うことはむつかしいとは思いますが、それも情報収集のひとつです。高齢でネットの使い方や情報の収取方法がわからない方は、身内に頼めばいいと思いますし、家族は患者のためにできる事をしてあげた方が良いと思います。

すこしでも患者の不安を取り除いてあげることが大事であり、根気よく、あきらめないで努力しないと自分や家族の望む結果は出ないです。そして家族は嫌がらずに患者の話をよく聞いてあげる事が大切です。

私の場合は話し相手も相談相手もいませんでしたから、話し相手がいるといないでは全然違います、身に染みて私が実感してますので間違いないですね。

研修生から人の温もりを知る

そして私は17時間47分という闘いに勝ちました。稀に見る長時間の手術だったそうです。10人の医師がチームを組んで私のがんを切除していただいたことには、「感謝」という言葉しかありません。その後、私は驚異的な速さで回復し、看護師の間では「奇跡の人」と呼ばれていたそうです。

とここまではがんになり抗がん剤を打ち普通の入院、手術の話なんですが、入院中に私は一人の研修生に出会いました。

私が入院と同時に、研修実習で看護学校の生徒さんをつけてもいいですか、ということで私に一人の研修生がついてくれました。初めは「まぁいいや。どうせ一人やし誰も見舞いなんて来るわけないから。」という感じで話相手になってもらおうと思っていました。

その時のことをブログでこう綴ってます。 (以下ブログより抜粋)

普通の看護師が俺にこう言ってきた。

「今日から○○さんの担当で研修生をつけてもよろしいでしょうか。」

年齢は20で優しそうな感じの子だったし、別に困ることはないのでオッケーした。初めのうちは研修生さんも話すことがないというより、何を話していいのかわからなかったと思う。

名前はSさん、看護師を目指してがんばってるって感じがする子。Sさんとは毎日出会うというより、慣れない手つきで検温、血圧、聴診器、この作業を毎日必ず行う、交代する看護師さんよりずっと一緒にいてる。手術が終わって病室に帰ってきたときの心配そうなSさんの顔。あの顔は看護師の顔ではなかったね。でも初めのうちはそれが大切なんだろうな。そうやって経験を重ねて立派な看護師になれるんだろうと思う。

数日Sさんと過ごしているうちに思った。

「この子は本当に優しい子なんだ。」と

一生懸命に俺のために何ができるのか、何をすれば俺が喜ぶのか、自分なりに考えてくれていたのがよくわかった。散歩もいろんな検査に行くのも一緒やった、楽しかった。

リウマチと抗がん剤の副作用で足がしびれていると言ったとき、Sさんは、温かいお湯をバケツに入れ、俺の足をもみほぐしながら暖めてくれた。研修生の研修作業だからと言ってしまえば終わりなんだけど、そのときの俺にとってSさんの手は暖かく、優しく、Sさんの作業は人の温もりという大切なものを甦らしてくれたような気がしたんや。

がんになってからというもの、なるべくというより自然と人と接しなくなっていた俺に、人と接することの大切さを自然と教えてくれたような気がしたよ。若干二十歳そこそこの研修生の手は穢れなく、俺のきったない足を揉むなんてもったいなく感じた。

それからというもの、Sさんは毎朝9時になると挨拶にやってくるんやけど、いつも時間があれば俺のしびれた足を嫌がらずに自然と普通に揉んでくれた。疲れた顔一つ見せず、いやな顔もせず、めっちゃうれしかった。

俺にとって、それはいつの間にか期待と楽しみに変わっていた。Sさんは土曜と日曜は休みやって、そのときは結構さみしかったな。ひょっとしたらSさんは、俺の手術が成功するためだけに現れた天使かな。

そんなことを言うと、Sさんは喜んで調子に乗るといけないので冗談や。退院する日、Sさんは1冊のファィルを俺にくれた。大腸がんと肝臓がんの術後の食事と体調変化等が手書きで書かれてあった、
うれしかった。俺は性格上、感情の表現がへたなんでわからんように、心の中で一人でにやにやしてたんやけどさ。

退院の日Sさんはエレベーターの前で目をうるうるさして泣いてやった。こんな俺のために、赤の他人が涙を流してくれる。感動やん。

以上が入院当時のことをにブログに残した内容です

Sさんをいつしか私は自分の娘のように感じ、またSさんも娘のように接してくれ、私の身の回りのことをほとんどしてくれ、入院中は必ず私のそばにいてくれました。そして がんと一人で闘い続けていた私の心に いつしか忘れかけていた人の温もりという光までも灯してくれました。

「この子はきっと良い看護師になる」

そう思った瞬間でした。

退院する時もエレベーターの前まで来てくれ、目に涙をためて

「元気で頑張ってくださいね。」

そう言ってくれた言葉は、一人で闘い続けてきて、自分の選択した道は間違ってはなかったんだと、頑張っていればきっと必ず良いことがあるんだと、でももっとSさんが教えてくれたことは私のがんを治してくれたのは「出会い」だということ、治ると信じ、自分の行動を信じ、そして出会った人達の思いが集約された結果だと思います

病院の受付からはじまり、看護師さん、私のためにチームを組んでいただいた先生達、Sさんをはじめ、さまざまな人との出会い、係わり合いの上で私という一人の人間の命を、助けていただいた、一人一人に本当はありがとうを言わなければいけないんだけど、本当に「ありがとう。」です。

自分ひとりで手術が成功したんじゃない、私は何もしていない。逆に、何もできなかったというのが本音ですね。入院している間、当然看護師さん達からもたくさんの人の優しさと温もりを感じました。本当にありがとう。  

感謝

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