井上 裕香子さん(37歳)乳がんサバイバー。Pink Ring 西日本branch 代表

30代、AYA世代で乳がんになった井上 裕香子さん。治療の辛さを誰にも話せず、抗がん剤治療の最後のクールで、看護師の計らいで同じ治療を経験した先輩サバイバーに出会い、初めて心を開き癒された経験から、こんどは自分が「支える側」になりたい、と決意しました。それから2年。現在、若年性乳がん患者のコミュニティPink Ring の西日本branch 代表として、さまざまな活動にチャレンジしています。

良性だと思い込んでいたところにがん告知

川上:はじめに、ご自身の乳がん体験について教えてください。

井上:TVで乳がんの番組を観たのを機に自己触診をしてみたところ、左乳房の内側のシコリに気づき、病院に行ってマンモグラフィ、超音波エコー、組織診をしました。当初は良性のものだろう、と言われ、3ヶ月ほど経過観察をしていました。ところが徐々に大きくなってきて痛みも出てきたので、切除することになり、切除した腫瘍の組織を病理検査したところ、がんだとわかりました。

私自身も家族も、良性だとずっと思い込んできたので、がんであったとの結果をしばらく受け入れられませんでした。

川上:良性だと言われていたことで、むしろ、まったく心の準備ができていないところへの告知で、ショックだったことと思います。治療に入るにあたっては、どのように意思決定をされたのですか?

井上:手術については、「若いから」、という理由で全摘と言われました。また、抗がん剤もやります、と。私も、自分なりに乳がんのことを調べていて、同時再建という方法があることを知っていたので、全摘するならば同時再建をしたいと申し出たのですが、その病院ではできないとのことでした。

そこで、同時再建ができる東京の病院に転院したのですが、そこでは、全摘する必要はない、温存できると言われたのです。しかも、結果的に、ほとんど形を損ねずに綺麗に温存していただきました。

辛かった抗がん剤治療

川上:それは良かったですね。自分で調べて同時再建を希望して、行動した結果が吉と出ましたね。

井上:手術の後、放射線治療と抗がん剤を勧められていたのですが、私は、どうしても脱毛や妊孕性の喪失を避けたかったので、抗がん剤は、どうしてもやりたくなかったんです。一方で、病理結果から、やらないことは再発リスクが高まることも聞いており、抗がん剤をすべきか否かの判断材料に、マンマプリント(*注)を受けました。

結果はハイリスクでした。それで観念して、抗がん剤治療を受けることにしました。放射線治療は毎日通わないといけないし、抗がん剤も副作用のこともあるので、東京の病院に通うのは現実的ではない、と、広島の病院に転院して、放射線治療、抗がん剤と治療を行い、現在はホルモン療法をしています。

振り返ると、がんの告知のときはそれほどショックではなかったのですが、マンマプリント検査(*)の結果、抗がん剤治療を避けられない、と分かった時の方がショックが大きく、2回がん宣告を受けたように感じました。私は、手術より何より、抗がん剤が嫌でした。副作用に対する不安が大きく怖くて怖くて、治療が始まるまで1週間くらい毎晩、家で、一人で泣いていました。

実際に治療が始まってからのほうが気持ちは落ち着いたかもしれません。でも体はしんどかったです。本当に体は辛くて、自分だけが辛いのかな、みんな辛いなんて言っていないけど、自分が弱いのかな・・・、と、自信をなくしてしまうことばかりで、あまりに辛かったので、その頃の記憶がないくらいです。今思い出しても具合悪くなりますね(笑)。

弱音を吐けない性分で・・・

井上:家族も、度々「大丈夫?」と気にかけてくれていましたが、私は長女なので、つい「大丈夫」と言ってしまうんですよね。心配かけたくないですし。誰にも弱音を吐けませんでした。ところが、抗がん剤治療の最後のクールのとき、看護師さんから「調子はどう?」と尋ねられたときに、堰を切ったように、溜まっていたいろいろな思いがこみ上げてきたんです。

私のそんな様子を見て、看護師さんが「抗がん剤治療を終えて1年ほど経っている先輩患者さんが病院に来ているから、会ってみない?」と勧めてくれました。初対面の方ですが、抗がん剤の点滴を受けながらその方とお会いして話していたら、「わかる、わかる」「そうだよね」と、とても共感して聴いてくださって、新幹線で治療に通っていることを「遠くまで通って、こんなに辛い治療をしているのだから、しんどいのは当たり前よ、あなたが弱いからではないわ」と言ってくだって、それにとても救われました。

私がもっと早くSOSを出していれば、そういう(先輩患者さんと出会う)機会をつくってくれたのかもしれませんが、弱音を吐いていいのかどうかもわかりませんでした。最後のクールで、やっと救われました…。Pink Ringの皆さんと、この先輩患者さんとの出会いがあって、私は、治療が終わったら、「あっち側」(支える側)の人になりたい、と強く思うようになりました。

身近な人の反応は?

川上:がんになったときに、相談できる人はいましたか?

井上:最初はいませんでした。でも、幸運なことに、告知から2週間で、東京でPink Ringのイベントに参加する機会がありました。そのときに、同じ立場の人たちと話ができたし、ずっと先をいっている(乗り越えた)先輩たちにも会えました。励みにはなりましたが、東京での活動なので、日常生活上には、がんのことについて相談できる人はいませんでした。

川上:家族や職場にはどう伝え、どのような反応でしたか?

井上:私は、家族や職場、友人や習い事関係など、自分に関わる人たちには、告知を受けてすぐに、がんのことを伝えました。がんを伝える私の方があっけらかんとして、聞き手のほうがショックを受けて泣いてしまう、ということもありました(笑)。

仕事は事務職なのですが、医療系の組織なので、まわりは理解・支援してくれました。仕事を辞めることなく、制度をうまく活用して、同僚や上司に協力してもらい、助けられながら、治療と仕事を両立することができました。職場では、2人だけで事務をこなしていたので、できるだけ同僚に負担がかからないよう、長期休暇を取らずに仕事を続けたいと思っていること、一方で、副作用などが辛くて急に仕事を休むことや、早退することがある可能性もある、ということを同僚にも上司にも伝えていました。

川上:お仕事と治療はどのように両立されたのですか?

井上:私の場合は比較的小規模な職場でしたので、すぐ柔軟に対応してもらえましたが、大きな会社だと、難しい場合もあるかもしれません。それでも、患者は、求めることを口に出して伝えて行かないと伝わらないな、と思います。お金の話になりますが、毎日の放射線治療で、有給休暇を使い切ってしまったので、その後は欠勤扱いになってしまって、給与が減ってしまったことがありました。

治療でお金がかかる上に収入が減る状況に焦り、上司に相談したところ、がんの治療に関わる通院の場合に使える「特別休暇」という枠を整えてくれました。

川上:仕事以外で悩みや不安はありましたか?

井上:私は独身ですが、(抗がん剤治療の影響によって)これから子供が産めなくなるかもしれない、ということがとても気がかりでした。そのことが理由で治療を受けたくない気持ちがあり、随分悩みましたが、マンマプリントで再発リスクの高いがんだと分かった時点で、何よりも自分の命を最優先にしようと決めました。子供のことは自然に任せようと思い、卵子保存などもしませんでした。

なので、妊孕性を温存する方法についての情報提供はそれ以上特にありませんでした。当時はそれで治療をしましたが、「みんな当たり前のように子供を産んでいるのに、何で自分はもう産めないの?」と、悲しい気持ちになることはあり、今も完全に受け入れられているのか、というと、まだまだだと思います。

後編へつづく

*マンマプリント検査:病理組織の遺伝子検査から、手術後5年以内の遠隔転移のリスクを「ハイリスク」と「ローリスク」で判定する検査。

若年性乳がんサポートコミュニティ  Pink Ring

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