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【上顎洞がん体験談】生きる気力を失いかけても前向きに生きたい~ステージ4頭頸部がん、試練の連続~

[公開日] 2018.06.05[最終更新日] 2018.06.05

目次

歯槽膿漏?花粉症?

今から2年ほど前のことでした。左上の歯茎がジュクジュクして痛くなってきたので、近所の歯医者に通院しだしたのが始まりでした。 そこでは歯槽膿漏と歯周病ということで、左上の最も悪い歯を一本抜きブリッジを入れて痛みはそれで治ったのですが、昨年初めぐらいからそのブリッジ付近の腫れが酷くなって再び痛みもでてきました。 尋常ではない歯茎の腫れを不審に思った歯医者は、近隣の大学病院の口腔外科へ紹介状を書き、昨年4月からそこに転院しました。口腔内のレントゲンを撮った結果、膿がたまっているので鼻口腔炎か蓄膿症だろうということで化膿止めを処方されましたが、今度は左目の下が目に見えて膨れてきました。 さらに、左目の涙と鼻水が止まらなくなり、最初は花粉症かな?と思っていたんですが、それにしても昼夜止まらず、鼻水は透明でしょっぱくなんだか変だと思い始めたら、仕事先で左の鼻からいきなり鼻血が出ました。 「なんで不具合が全て左側なんだろう?」 そう思って、自分でネットで調べた結果「上顎洞がん」を疑って自ら耳鼻咽喉科へ行きました。 「先生、私って左上顎洞のがんじゃないですか?ビンゴでしょ?」 そう私から切り出すと、とにかくすぐに精密検査を受けなさいとのことで、総合病院へ紹介状を書いてアポも取り、その日の午後から検査の段取りが始まりました。 CTスキャン・MRI・PET・細胞摘出・胃カメラ等の検査をやって、8月下旬に結果が出ました。左上顎洞がんのステージ4aで、左頬の空洞であるべき箇所にゴルフボール大の腫瘍があって、首リンパにも4箇所転移がある状態。 さらに、腫瘍が歯茎のベースになる骨を溶かし、それが歯槽膿漏っぽい症状を引き起こしていたのです。

がん治療開始

がんを宣告された瞬間はある程度覚悟していたものの、いざ現実なると仕事やこの先の生活の不安が募り、1週間ほどは眠れぬ夜が続きました。 9月上旬、入院初日に妻同席の説明があり、このがんは5年間生存率は高い(約61%)が、進行すると失明と脳麻痺の可能性を示唆され、改めてショックを受けたものです。抗がん剤で脱毛すると聞かされ、そんな無様な思いをしたくなかったので、入院前日におもいきってスキンヘッドにしました。 最初の措置は抗がん剤で、ドセタキセルとデカフールを24時間4日連続で点滴しました。点滴中は尿の量を尿瓶で測定しなければならず、個室でしたがトイレがなかったので、点滴台を引きずってのトイレ往復が非常に億劫でした。 それに、病院食がまずいのでお見舞いの差し入れを食べ過ぎ、それが仇となって激しいむねやけと吐き気に悩まされました。 点滴中の4日間は、胸焼けだけでなく点滴の針や体にペタペタ貼られた心電図センサーの違和感もあり、一睡もできなかったです。点滴が終わって針を抜いたら体は自由になりましたが、今度は激しい便秘に見舞われました。下剤をもらって、トイレで汗をかき鼻血を垂らしながら猛踏ん張りして、やっとのことで最初の塊が出た時は、通便ってこんなに嬉しいものなんだと思いました。 このように、1回目の入院は初めてのことばかりで何かと不安で憂鬱な10日間でした。さらに、いつもいっしょにいる妻と離れて生活することが、こんなにも寂しいものかと実感しました。そんな荒んだな心を癒してくれたのが娘のけなげな手紙で、おもわず男泣き。改めて家族の大切さを再認識しました。

後ろ向きにならないための工夫

退院後2週間は自宅で過ごし、2回目の入院が始まりました。 2回目ともなれば病院生活のパターンは察しがつくので、まず暇潰し用にiPadとパソコンを持ち込みました。Facebookでは治療経過を発信し、それに対する励ましの言葉をたくさんいただき、孤独な病院生活の唯一の救いになりました。 さらに、レンタルDVDをたくさん借りて勇気づけられる映画を毎日見たり、ふだんは読まないような雑誌やノウハウ本を読みまくったり、退院後の楽しみを作るべくネットショッピングや海外旅行の計画を立てたりしました。便秘・吐き気・食欲不振の3点セットはあいかわらずでしたが、とにかく自分が後ろ向きにならないように常に先の楽しみを作り、苦痛で退屈な入院生活をしのぎました。 3回目の入院では看護婦さんともすっかり仲良くなり、病院生活には慣れっこになりました。あとは、とにかく暇で何もすることがないと滅入ってしまうので、いつも忙しくしているのが退屈な病院生活を乗り切る秘訣だと思います。

想像以上にキツかった放射線の後遺症

※放射線治療用のマスク 3クールにわたる抗がん剤治療により、ゴルフボール大だった腫瘍がパチンコ玉ぐらいまで小さくなったので、今度は放射線療法に移行しました。それと同時並行で、「アクプラ」の通院点滴と内服薬「TS-1」2週間分を処方されましたが、度重なる抗がん剤で食欲不振に陥り白いご飯が食べられなくなりました。 さらに吐き気止めがあまり効かなくなり、入院していた時よりキツかったです。 12月になると通院の放射線治療が始まりました。回数はなんと30回!ノバリスTXという大きな機械でピンポイント照射をするため、最初はプラスチックのマスクを温めて成形しました。放射線治療は少し熱く感じる程度で痛くもかゆくもありませんが、苦痛だったのは照射時間はたった5分程度なのに、待ち時間が精算も含めて1時間以上!これがノルマをこなすように、毎日毎日続きました。 新たに放射線照射による過度の乾燥により重度のドライアイになってしまい、目ヤニが酷くなり、寝起きに目ヤニが固まって上下の瞼がくっついて開けられなくなりました。 照射10回目ぐらいからは激しい口内乾燥に襲われるようになり、加湿器をつけていても喉がカラカラで毎晩3回ぐらい起きてしまいました。味覚障害もそれぐらいから酷くなり、何を食べても味が薄くて美味しくなくなりました。 オーラルケアには気を使っていましたが、照射20回目ぐらいからついに上唇裏などに大きな口内炎が3箇所できてしまい、とにかく痛くて痛くて何も食べられない状態になり、56年間の人生の中で、最悪のクリスマスと正月を過ごしました。 年が明けてからは眼の障害が酷くなり、左目の視力が極端に落ち眼鏡をかけてもボンヤリとしか見えなくなりました。原因は固まった目ヤニが角膜を傷つけてしまった角膜炎でした。 放射線治療終了後も「重度の口内炎」「口内乾燥」「味覚障害」「視力障害」などの後遺症による過酷な日々が延々と続き、がん発病前は73kgあった体重は59kgまで減り、あまりにも酷いので3日ほどプチ入院しました。 口は強烈に痛いわ、食べ物は美味しく感じないわ、左目の視力がどんどん落ちるわといったがん闘病中最悪の状態になってしまい、生きる気力も半分失いかけました。 家にいても後ろ向きで悶々とするだけなので現実逃避するしかなく、この時期はとにかくスキーやゴルフに行きまくって気晴らししていました。 ※抗がん剤治療後

生き地獄の摘出手術後

さて、放射線によって表面上のがんは死滅したものの、歯茎を支える骨が腫瘍で溶けてしまい、そこにがんが潜んでいる可能性があるということで、とどめの摘出手術をすることになりました。 放射線治療終了後、2ヶ月経過しないと施術できないらしく、手術は2月下旬でした。 職場の病気休暇は最長6ヶ月間なので、この時期から病気休職せざるを得なくなり給料が8掛けに減ってしまいました。経済的な不安がよぎる中、6回目の入院が始まりました。 担架に乗せられ手術室に入り、眩しいばかりの光線と大勢の医師や看護師に囲まれた光景はハッキリ覚えていますが、手術中は全身麻酔をかけるので全く記憶にありません。 気がついたら病室に戻っていて、私を起こすために看護婦さんが名前を連呼していました。麻酔が切れたのか、その声が突然耳に入り目が覚めましたが、その瞬間左上歯茎から脳天を突き抜ける痛みと、鼻の奥と喉の奥と膀胱の激痛に襲われました。 歯茎は手術で切削した骨の痛み、鼻と喉は鼻から通されたチューブ(胃管)、膀胱は尿管のせいでした。人工呼吸マスクも装着して苦しい上喉が強烈に痛くて喋れないので、痛みの表現や自分の意思をメモで伝える状態でした。 それから毎日、点滴・座薬・内服薬のトリプル痛み止めで凌ぎましたが、術後4日ぐらいは喋ることが全くできず、非常に苦しかったです。また、食べることも一切できないので、鼻から胃管を入れて味もそっけもない栄養剤を注入してるだけの生き地獄でした。 術後10日目にして離乳食のようなものならなんとか口から飲食できるようになり、胃管を外して退院しました。

悪化するQOLと精神状態

退院したとはいえ、残念ながらQOLが著しく低下しました。 切除した骨の部分を覆う人口歯茎を生成するため、新たにA大学病院を紹介され通院し始めましたのですが、2つの病院に掛け持ちで通院するのはかなりのストレスになりました。 手術の後遺症も半端ではなく、顔の左半分の感覚は全く無くなり、連日鎮痛剤を飲んでも激しい痛みはおさまらなくなりました。 また、がんもろとも鼻と口の間の、歯茎のベースになる骨を切除したため、油断すると飲食時に飲み物が鼻から逆流するようになり、空気が漏れるので呂律も回らなくなりました。 一番の不安感は手術痕の激痛で、6時間おきに一錠の鎮痛剤がだんだん効かなくなり、服用間隔がどんどん短くなりました。最終的には2時間おきに飲んでいましたが、それでも痛みが治まらないので禁断の2錠ずつ飲んでいました。 たまる一方のストレスに加え、「このまま鎮痛剤が効かなくなるのでは?」という恐怖感でうつ病になりかけ、自殺を考えるようになりました。そんな最低最悪の生活が2ヶ月ほど続きました。

まともな生活のきざし

GW明け、手術の傷跡がだいぶん良くなってきたとのことで、A大学病院で上顎洞や歯茎のクリーニングしてからは痛みがおさまり出し、鎮痛剤の感覚が正規の6時間おきに戻りました。 今の課題は、手術によって骨が2箇所露出していることで、そこが自然治癒で覆われるまでは人工歯茎を挿入できません。でも、人間には順応性があって、口から鼻へ逆流させない食べ方・飲み方を会得できたので、日常生活にはさほど支障がなくなってきました。 がんに関しては3ヶ月おきにCT検査があり、経過観察中です。手術直後に比べればまともな生活ができるようになってきましたが、まだ完治したわけはないので職場には復帰していません。 また、暇だとどうしても再発とか転移など後ろ向きのことを考えてしまうので、なるべく所用を作って考える時間を無くし、前向きに生きるように頑張っています。
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大貫駿介

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