年齢:60歳
居住:千葉県
職業:出版営業
がん種:類上皮肉腫近位型
ステージ:ステージ3

得体の知れない不安

股間(会陰部)に出来たしこりが気になりだしたのが57歳の夏でした。恥ずかしい場所だけに病院に行く気にもなれず、そのうち治るだろうとやり過ごしていましたが、しこりは次第に大きくなっていきました。とてつもない恐怖と共に不安な気持ちは増すばかり、意を決して年末に総合病院に行くことにしました。

泌尿器科でCT検査やエコー検査を受けたもののしこりが何なのか判らず、医師から「うちの病院でもっと詳しい検査をする事は出来ますが、悪いものであった場合、その後の治療などを考えると最初から専門病院で診てもらった方がいいですよ」と専門病院を紹介してもらうことになりました。自分は総合病院でも手に負えない病気なのか?!と更なる不安が襲い悶々とする日々が続くのでした。

がん告知は誰だって受け止められない

とにかく私は早くこの嫌なもやもやした気分から逃れたい一心でした。
がん専門病院で詳しい検査をしてもらったが腫瘤(しこり)は何だか判らず、腫瘤をすべて摘出し病理検査をしてもらうことになしました。術後2週間で退院し、それから1週間後に病理検査の結果を聞きに病院に行くと、何故か受診前に血液検査、MR検査などの検査を受けるような指示がありました。不思議に思いながらも検査を受けましたが、その後に待っていたのは医師からのガンの告知でした。

それも今までに聞いたこともない類上皮肉腫と言う悪性度の高い希少がんの一種でした。自分の身に何が起きたのか理解できないまま肉腫専門の科へ移ることになり、その日のうち骨軟部腫瘍科の医師の面談を受けました、医師からは「非常に稀ながんであること。化学療法は効果がなく治療は広汎切除手術が望ましいこと。手術によって陰茎、睾丸は残せず尿路変更が必要であること。12時間位の手術となり場合よっては人口肛門になるかもしれないこと。」と、医師は気を使いながら時間をかけてとても丁寧に説明して下さいました。

しかし私は心底恐ろしく自分のことを言われながらも、まるで他人事のように聞いていました。面談後、病院のソファに座り込んで、いったい何で自分が「がん」になるんだと複雑な気持ちでいっぱいでした。この時、一緒に来てくれた妻も私の折れそうになる心を一生懸命支えようと声をかけてくれました。そして骨軟部腫瘍科の看護師さんも、「医師からの説明は理解できましたか?医師に聞きずらいことがあれば看護師に何でも言ってくださいね。一緒に病気を克服しましょう」と声をかけてくれました。
家族がいる、親身になってくれる医師や看護師がいる、私は一人じゃないと思うことで少しだけ心が和らぐのを感じました。

セカンドオピニオンは患者として当然の権利

がん告知を受け、あんな恐ろしい手術はやりたくないという気持ちから手術以外の治療はないかとネットで「類上皮肉腫」のことを調べたが、そもそも症例自体が少なく自分が知りたい情報はなかった。医師を信頼してない訳ではないがセカンドオピニオンを受けたいと思い、失礼かと思いつつも勇気を出してセカンドオピニオンを受けたいと申し出たところ、当然と言うように「何通でも紹介状を書きますよ。ご自分が納得して手術を受けられることを私も望んでいます」と温かい言葉を頂けて、自分の主治医は信頼できる方だと確信しました。

その後、セカンドオピニオンを2人の医師から受けましたが両者とも「今、手術を受けないでどうするの、命を繋ぐための最上の選択ですよ」とのことで、背中をポンとおされた気持ちになり、自分に言い聞かせるように手術に臨みました。

手術から社会復帰まで

長い手術を終え、家族の顔をみたとき、安堵から涙がとまりませんでした。
初診から手術まで支えてくれていた妻や弟たちのためにも、まだまだ生きていきたいと思いました。それに父や母よりも先に逝くことはできないと思っていました。
しかし、広汎切除手術により、ぽっかりあいた部分に広背筋と血管を移植手術をしたために外転禁止で寝たきりとなり、排泄による傷口への感染症を防ぐために食物は一切口に出来ず、手術後も肉体的にも精神的にも辛い日々が続きました。

2週間後にようやく、食事が取れるようになり、外転禁止が解かれてリハビリが始まりましたが、体液を出すためのドレーンが6本も体に埋め込まれており、脊椎への痛み止めや尿路管など併せて8本の管を付けての歩行訓練は血尿が出たり痛みの連続で地獄のようでした。リハビリや医師たちの懸命な治療により約2か月で退院ができましたが、仕事復帰には程遠く6月の手術から翌年3月までの9か月間を休職しました。フルタイムの勤務は無理でしたが会社の理解もあり無事に復職できて本当に嬉しかったです。

心のオアシス

私は現在、肉腫の患者会に所属しています。
2015年発足の肉腫に特化した患者会で、がん専門病院内で院内の患者さんが参加できるように毎月患者会を開催しています。肉腫は多種多様なため、同じ病名で同じ部位に発症した患者さんには中々お会いできません。

しかし「肉腫」と言うキーワードで集まる患者さん同士で、辛い経験をした人にしか分からない気持ちを共有できる事は幸せなことで、一緒にいるだけでとても心強いです。最近は患者会の皆さんと「キャンサーフォーラムジャパン」や「リレーフォーライフ」への参加をしました。肉腫だけでなく多くのがん患者会の方々と接することで生きる勇気をいただいています。

手術によって障害者となり出来なくなった事はたくさんありましたが、ウクレレを始めた事により新たな夢もできました。出来なくなったことを嘆くより出来ることを見つけることが大切なことだとつくづく感じました。


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