年齢:32
居住:東京都
職業:研究職
がん種:脂肪肉腫
ステージ:II

きっかけは偶然だった

2012年5月、当時まだ大学院生であった僕は、学内での定期健康診断にて胸部X線画像によく分からないものが映っているとの連絡を受けました。大学病院でさらに検査をした結果、縦隔に腫瘍が見つかりました。しかし、その腫瘍が何であるかははっきりせず、いずれにせよ異常所見には違いないとのことで、手術にて取り除くこととなりました。

手術からリハビリまで

手術が決まっても、僕としては自覚症状もなく、随分と面倒なことになってしまったなあと思いながらも比較的普通の日常を過ごしていました。それでも8月の手術の日はとても緊張しました。それでも、終わってしまえば全てすっきりするだろうと思っていました。

手術後に麻酔から覚めた時は、痛みと呼吸の苦しさでパニックになりました。手術後の一晩は体を起こすことは禁止されていたので、ひたすら痛みを息苦しさに耐えながら、一晩ベッドの上で過ごしました。ただよく分からないものが見つかって、それを取り除いただけなのに、手術により体調的にはしんどくなってしまったわけですから、どうしてこんなことになってしまったのか理解できない気持ちでした。

翌日からリハビリで体を起こし歩くように言われたので、なるべく体を動かすようにしました。痛みや熱でフラフラでしたが、寝ているよりはましでした。退院まで5日くらいかかったと思います。退院になっても、痛みでまともに歩くことは出来ず、研究室に復帰するまで1か月ほどかかりました。

世界は突然変わる

退院してしばらく経った9月、病理検査の結果を外来で聞きました。最初は意味がよく分かりませんでした。言われたのは脂肪肉腫という悪性の腫瘍であったということ、とても珍しいもので、正直その病院でもほとんど診た経験がないこと、今後も経過を見ていく必要があるとのことでした。どういうことなのか事態が呑み込めませんでしたが、どうやら予想していた中で最悪の結果だったらしいということだけは分かりました。

診察室を出てきて、足をまともに動かすことができませんでした。ただ妙なものが健康診断で見つかっただけだったはずなのに、あんなに大変な手術を経験してやっと復帰したのに、その上どうしてこのような追い打ちをかけられなければならないのかと。

とにかく死にたくなかった

がんだと言われた直後は、すべてを投げ出したくなりました。いつ再発するか、転移するかも分からない、そんな恐怖を抱えながら生きていくのなら、研究などしていても何になるのだろうと思いました。そんなことを考えながらとにかく感じたのは、死にたくないという思いです。死を意識せざるを得ない状況に突然置かれると、こんなにも生きていたいと感じるのだということに、自分でも驚きました。

本当に目の前が真っ暗でしたが、その中でも冷静になろうとしました。まず、がんのなかでも珍しいものだということで、今後の観察をその病院に任せておくのは不安に思いました。そこで、肉腫の治療実績がある病院を探し、国立がん研究センター中央病院にてセカンドオピニオンを受け、そのまま転院することにしました。

また、これまでやってきたことをやめたところで、他にやることなどないことにも気づきました。このまま何も残せずに、人生を終わるのは悔しい。そう思い、研究も再開することにしました。こうして、がんと告知された時のネガティブな気持ちを、セカンドオピニオンや転院のための準備にうまく転換することで自分を保つことが出来たと思います。今思い出しても、どうしてそのような冷静な対応が出来たのか不思議に感じます。

とんでもない疎外感

がんと言われてまず困ったのが、周りになかなか理解されないことでした。僕の場合は誰にも隠さず、むしろ積極的に話をしました。ですが、早めに治ってよかったねとか、肉腫という病気が伝わらず、別に悪い腫瘍じゃないんでしょとか、また出来ても手術で取ればいいじゃない、などと言われるたび、悔しくて、情けなくて、怒りが湧いてきました。

今考えれば、若いのにがんで、しかも希少がんという状況は、伝わらないのは無理もなかったと思います。見た目には元気で、そんな人ががんと言われてもピンとこなかったのかもしれません。突然自分と周りの世界の間に、見えない壁が出来てしまったように感じました。

揺れながらも歩き続けた4年間

その後の経過観察で、検査を定期的に受ける日々が続きました。初めのころは行くたびに検査結果を聞くのが怖かったです。ですが、1年、2年と時間が経つにつれ、徐々に恐怖は薄らいでいきました。そのようにして、自分が脂肪肉腫であった、がんであったという事実が、徐々に過去のことになっていけば良いと感じていました。その間に研究の方でも学位を取得することができ、このまま何もなく終わるような気がしていました。

この間に新たに出会った人たちには、自分ががんを経験したことはほとんど話しませんでした。聞かされる相手に迷惑なだけではないか、日常会話の中で話題に出すにはあまりにも重いテーマではないか。そんなことを考え、ごく親しい一部の人たちを除き、がん患者であることをいつの間にか自分の中にしまいこんでいるようになっていました。

逃れられない運命

2016年の9月、いつものように検査結果を聞きに行ったのですが、その結果は予想していなかったものでした。新たな腫瘍が縦隔に見つかったのです。4年前の記憶が波のように押し寄せました。しかも、他にも転移の疑いありということまで言われたのです。

自分のなかでは過去のことになりかけていた病気に対して、あまりにも突然で、受け止めるには重すぎる事実でした。気づかないうちに涙がこぼれてきました。4年前、がんと初めて言われた時の気持ちを思い出し、先生に、治るためには何でもする、絶対に死にたくないと伝えました。自分はやはりがん患者であるのだということを、まざまざと突きつけられた瞬間でした。

時間の流れが変わった

そこから、見つかった腫瘍の特定、転移の有無をはっきりさせるための検査が始まりました。見つかった腫瘍はやはり脂肪肉腫。幸いにも転移はなく、4年前のように縦隔の手術を受けることになりました。

手術までの約2か月、特に検査で転移なしと分かるまでの1か月は生きた心地がしませんでした。何も分からず手術を受けた1回目の時よりもずっと大きな不安に襲われ、こんなにつらい思いをしてまでどうして生きなければならないのだろうと感じてしまうこともありました。再発から手術までの間は、それまでとは違う時間、空間の中で過ごしていたような気分でした。

そんな中でも、1回目の時とは違ったこともありました。再発のことを周りに伝えた時、その反応は1回目の時よりもダイレクトなものでした。うまく飲み込めない、理解できない、なんて反応してよいか分からないといった感じだった1回目と比べ、今回は周囲も事実を受け止めてくれていると感じることが多かったです。4年という時間をかけて、僕ががんであるという事実が徐々に受け入れられたのか、あるいは今回の僕のように、再発という事実を受けて、僕ががんであることを周りも実感してくれたのかもしれません。

新たに得られたもの

手術は順調に終了しました。術後の痛みも1回目の時ほどではなく、1週間後くらいにはほぼ普通に過ごすことが出来るようになっていました。とはいえ、治療後も再発の精神的ショックをしばらくは引きずっていました。

それでも、大きく変わったこともあります。それは同じ患者同士のつながりが持てるようになったことです。再発後に検査で入院した日、病棟で他の患者の方とお話しする機会がありました。がん種も年齢も全く違う患者同士でしたが、がんという病気と闘ううえで、思いは同じなのだと知ることができ、とても助けられました。その後も、病院で開いていた若い世代(AYA)のための集まりに参加したり、肉腫の患者同士で結成された患者会のたんぽぽに参加させていただいたりと、偶然のきっかけから多くの出会いがあり、かつての僕にはなかった大きな財産になっています。

再発時に実感したことの一つは、人は他者とのつながりの中でしか、自分自身を認識することが出来ないのではないかということです。初めてがんになった時、僕は自分の置かれた立場に戸惑いましたが、今では同じように苦しみ、悩み、それでもがんばっている仲間が大勢いることが分かりました。そして同じ立場の人たちのために何かをしようと思っている人たちが僕の他にもいる、そのことがとてもうれしく思いました。

もちろん、今後の不安は付きまといます。それでも、今をどう過ごしたいのか、自分自身がどうありたいのか、そのことに正直に向き合い、今できることを積み上げていきたいと思います。この一年で、世の中には想像以上にさまざまな患者会や支援団体があることを知りました。もし、これを読んでくださっている同じような立場の人たちがいたら、ぜひどこかへコンタクトを取ってください。自分一人で全てを抱え込む必要はありません。一緒にがんばりましょう。

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