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はじめに

 みなさん、初めまして。今回オンコロさんに体験談を掲載させていただくことになりました吉川 佑人と申します。僕は現在29歳の会社員です。がんの経験をしたのは、23歳の時でした。がん種は「胃がん」で、ステージはⅡ。治療は胃の全摘出及び脾臓、胆のう、食道の下部を摘出し、手術後は再発予防としてTS-1という抗がん剤を約1年間服用しました。

 胃の全摘出ということもあって一切何も食べられない時期を経験しました。また、罹患当時は新卒社会人3ヶ月目というまだまだ余裕のない時期でしたので、自主的に退職をしてしまいました。そのため「がん患者」として、また胃がないという「見えない障害を持った若者」としての再就職活動も経験しました。

 しかし現在、手術から5年以上経過しがんは完治。正社員として再就職し、何とか自立することもできました。摘出した臓器はもちろん戻ってきませんが、リハビリにより食事量も戻りましたし、体力は病気になる前よりもむしろ付いた程で、問題なく働いたり遊んだりすることができています。

 当然ながらつらくて苦しい経験であったため、最近まではこの経験を人前で語ることは少なく、むしろできるだけ人に知られないように生きてきました。しかし今回掲載を決意したのは、先程述べた通り今は通常の生活を取り戻すことができていることと、自分の経験を社会に還元したいという気持ちが強まってきたためです。現在闘病している患者さんの何かのきっかけになってもらえることはもちろんですが、がんをまだ経験していない一般の方にも何かを感じて貰い、共に良い社会を造っていく小さなきっかけになればいいなと思っています。

 そして僕の治療を支えてくれた全ての医療従事者のみなさんにも心からの感謝を込めて、この体験談を記載したいと思っています。退院当時は痛みにより挨拶ができないままでした。どこかでこの記事を読んで貰い、「彼を治して良かった」と思ってもらえたらこれ程嬉しいことはありません。

 前置きが非常に長くなってしまいました。早速僕のがんが見つかった経緯から説明させていただきます。

発見までの経緯と手術まで

 新卒社会人になったばかりの頃、食事が喉に詰まるというちょっとした違和感がありました。ただ、水で流し込めば喉を問題なく通り、痛みもないため不思議に思っているだけでした。それからだんだんと胃に疲れを感じるようになってきていたのですが、毎日満員電車でしたし「社会人って疲れるんだな」としか思わず、環境のせいにしていました。

 会社で3ヶ月間の新人研修が終わった時に、いいタイミングだと思い気になっていた喉の詰まりを調べて貰うために近所のクリニックに向かいました。仕事が忙しくなる前に薬をもらって、ちゃちゃっと治しておこうという感覚だったのですが、診断後すぐに生まれて初めての胃カメラを飲み込み、CTスキャン、バリウム検査を立て続けに行って、「紹介状を書くので、来週必ず大きな病院に行くこと。」と言われました。

 後日仕事の休みをもらい、言われた通りに指定された大病院で診察を受けました。この時に医師から「吉川さんはもう大人なので、言いますね。落ち着いて聞いて欲しいんですが、病名は胃がんです。」といわゆる「がん告知」をされました。何となく感じていた嫌な予感が当たったような気分でした。ですが落ち込んだり取り乱しているヒマもなく、そのまま病状の説明と今後の流れを説明してくれたので、とりあえず全神経を集中させてしっかりと自分の病状を聞きました。

 腫瘍が比較的大きいことや、進行度も初期ではないこと、治療は胃の全摘出手術になること、などなど割と厳しいことを言われていたのですが、先生がとても冷静かつ熱心に説明してくれていたのでしっかりと理解をすることができました。そして何より救われたのが「今は昔と違ってがんは治る病気ですから」と言ってくれたことです。この言葉を信じて、まずは手術をする病院を探すことから始めました。
18215996_1836958506557988_1508275618_o (1)-min 告知1週間前の写真 いつもと変わらず友達と遊んでいました

がん専門病院へ

 手術はがん専門病院で受けることにしました。色々な選択肢があったのですが、「一番早く手術が受けられる」という理由で決めました。少しでも早く自分の身体からがんをとって欲しかったんです。

 その病院で改めて色々な検査を行い、自分のがんについて知ることになりました。医師からはあらゆる可能性の説明を受けましたが、それを受け止めることが精神的にとても辛かったです。嘘でもいいから「大丈夫」と言って欲しい精神状態なのですが、病院側の立場上やはりはっきりとは言ってくれませんでした。ですが、何度も医師達と診察を重ねるうちに、言葉に出さなくとも「大丈夫、必ず治します。」というメッセージを、顔つきや口調からなんとなく皮膚感覚で感じ取る様になりました。

 医療現場では手続き的にならざるを得ない事情があると思うのですが、そんななかでも「伝えてくれるメッセージ」が存在するものだと強く感動したことを覚えています。僕が強い気持ちを持って手術に臨むことができたのは、この病院の全スタッフの心遣いのおかげです。本当にいい病院だと今でも思っています。

 手術は成功しました。考えられる可能性のなかでも最も良い状態での成功だったそうです。ですが、手術を受けた本人はあまりの痛みに喜ぶ余裕が全くありませんでした。それから退院まで3週間、ずっと痛みと吐き気に襲われていました。痛みと吐き気が治まったのは手術から約1か月が経った頃だったと思います。

食べることができない

 退院後、ようやく痛みと吐き気が落ち着いてきました。その時頃から意識的に「食べるリハビリ」を始めたのですが、まぁ何も食べられない。食道の下部を切除していることもあって、そもそも喉を通らないことも多かったです。この時は誇張なしで「うどん一本で満腹」という状態でした。その一本が喉を通るために、何十回も噛んで恐る恐る飲み込み、ようやく飲み込んでもお腹が痛くなってしまう。毎回の食事がそんな状況でした。ちなみ一本のうどんを何十回も噛むと、飲み込む頃にはとても不味くなっています(笑)

 また、当たり前なのですが食事をしていないため身体から脂肪と筋肉がどんどん失くなっていきます。58kgあった体重は最も減少したときには41kgまで落ちてしまいました。それにより自分の体力の減少を痛感することになりました。まず極端な寒がりになり、余計家を出なくなってしまいました。冬に寝るときは大量に着込んだうえに厚手の布団のなかに湯たんぽを仕込み、ようやく眠れるという程寒さを感じていました。他には、脂肪と筋肉がないと骨が直接椅子に当たって痛いので硬い椅子には座れなくなりました。外で少し風が吹くとその方向に身体がふらふらっと流れてしまいそうになることさえありました。

 他にもまだまだ体の衰えを感じる現象はたくさんありましたが、この脂肪と筋肉ゼロ生活の時に「さすがにまずい、生きていけない」と思いました。「がん」への不安がとにかく強かったため、何となく棚上げにしていた「リハビリ」と真剣に向き合わなければいけなくなったのです。

食事とフルマラソン

 僕が行った体力を戻すためのリハビリは「走ること」でした。実は手術から1年半が経過した頃にフルマラソンを完走したんです。運動嫌いの僕がなんとフルマラソンを完走したのですが、これには理由があります。

 ひとつは「走ってみたら少し食べることができたこと」です。先程述べた「さすがにまずい」と思った日に、少しジョギングをしてみました。ちなみに50mくらいしか走れなかったんですが、その日にまたいつもの様に「食べるリハビリ」をしたところ、いつもよりも少し多く食べることができたんです。先ほどの例で言うと、1本しか食べれなかったうどんを1本半食べることができた程度だと思うのですが、当時の僕としては物凄い進歩でした。

 だからその日以来毎日食べる前に必ず走ることにしました。そうこうするうちに走れる距離はどんどん延びていき、20kmくらい走るようになり、それに比例して食事量もどんどん増えていき、体重も47~48kgくらいまで増やすことができたのです。「食事への執念」は恐ろしいものですね。

 もうひとつの理由は、「元気になった証明」が欲しかったから。退職した当時、どうやって社会復帰をしようかととりあえず職業安定所に相談にいったことが何度かありました。「昨年胃がんに罹患してしまい・・・」という様な相談の仕方だったものですから「無理はしないでください」という流れになってしまいました。

 今思うと当たり前なんですけど、それが結構ショックでした。これからリハビリを続けて回復したとしても、世間からは回復したとは思われないかもしれない。そう思うと将来が不安になりました。なので、「フルマラソン完走」と言えば誰もが回復したことに納得してくれると思ったんです。それ以来、「食べるため」に加えて、「元気になった証明を得るため」という走る理由が加わりました。

 その2つの理由を糧に最も制限時間が緩い、フラットなコースの走りやすい大会を選んでギリギリのタイムで完走しました。ギリギリであろうと「フルマラソンを完走」という「元気になった証明」を手に入れることができ、食事量と体力の大幅な回復も大きなおまけとして付いてきました。この証明は数年後の再就職活動の際に、最大限に利用することになります。今の時代だと何かわかりやすい「証明」というのはどうしても必要なのかもしれません。

食事の工夫

 ここで、閑話休題として当時僕が試行錯誤していた食事の工夫をいくつか紹介します。興味のない人はさっと読み飛ばしてください。

 胃を切除した人の食事方法は基本的に「良く噛むこと」「ゆっくり食べること」に尽きます。胃の機能は、食べたものを一時的に貯めて、腸に送る前に消化させることなんですが、この機能を口で補わなければなりません。なので食べてはいけない物というのは基本的にはありませんが、良く噛んで口の中で食べ物を消化させることが難しい食べ物は避けるようになります。

 例えばお米を流動食レベルまで噛むことってとても難しいと思うんですけど、パンなら比較的簡単にできると思います。もっと言えばフランスパンなんかは噛みごたえもあって、噛めば噛むほど美味しくなるので僕は胃を失って以来、よく食べるようになりました。また、麺類ではパスタが一番食べやすかったです。うどん、そば、ラーメンに比べても、よく噛んで美味しい麺はパスタでした。「パスタを巻く」行為のおかげで意識しなくてもゆっくりと食べることができるという点でもおすすめです。

 ちなみに良く噛みたくないものとしてはゴーヤが良い例です。噛めば噛むほど苦くなってしまうので飲み込むまでに苦くなりすぎて途中で吐き出したことがあります。このようなイレギュラー食材も世の中には多く潜んでいます(笑)

 手術して間もない喉をなかなか通らなかった時には、そもそも噛まなくて良いソフトクリームや長時間煮込んで麺がかなり柔らかくなったインスタントラーメンなども食べていました。一般的には「身体に悪いもの」という印象かもしれませんが、当時の僕にとっては貴重な栄養源でした。一般常識は全て無視して自分のために食事を選んでいたと思います。
  
 また、飲み物に関してはお腹に空気が溜まってしまう炭酸飲料は飲めなくなってしまいます。ですが、グラスに炭酸飲料を注いで発泡させてからであれば比較的飲みやすくなることがわかりました。よく「ビールが飲めなくなった」という胃を切除した方の(絶望感のある口調での)体験談を聞きますが、最近は炭酸が強くないビールも流行ってますし、飲み方さえ工夫すれば問題なく飲めると思います。(無理に飲む必要はありませんが)

 まだまだ色々ありますが、個人の見解なのでこの辺で終わりとします。

再就職へ向けて

 ここまでは主に治療とリハビリについて書かせていただきましたが、ある程度「治ってから」もまだまだ苦労することがありました。最大の苦労は再就職することでした。

 抗がん剤治療が終わってからは、リハビリの継続の意味も込めて書店でアルバイトをしました。アルバイトの面接だったからか病気のことは特に聞かれないまま採用していただき、シフト制であるため通院もしやすかったです。また、あまり活発に食事や飲み会をしない業界の風土が当時の自分に適していると思ったことも大きな理由でした。このアルバイトで少しずつ社会復帰をしていたのですが、やはり正社員として復帰して自立をしたい気持ちが高まったために就職活動を開始しました。

 罹患当時は実家暮らしであったことや、自分の命が何より惜しかったこともあり、「まずは治療」と考え、新卒で入社した会社を退職する判断をしましたが、実際の就職活動では厳しい現実を経験することになりました。社会人としての経験とスキルをつけずに退職をしたリスクはとても大きなものでした。履歴書上も、「一身上の都合により退職」をしているので「大学卒」という学歴はほとんど意味を持っておらず、退社までの期間の短さなどから、「根性のない若者」と捉えられてしまうことも当然であり、その誤解を解くためには「がん」のカミングアウトが必要だったのです。

 自宅に不採用通知が届く度に自己嫌悪に悩まされましたが、その悩みの相談相手を探すため若年性のがん患者が集まる患者会「Stand Up!!」の交流会に参加しました。そこでは多くの若者が自身の病歴を職場に伝えていることを知り、「がん患者を採用する企業が存在する」という事実を知ることができました。

 その情報から僕は就職活動の面接では自身の病歴を隠さずに伝える様にし、そして伝える際には「術後1年でフルマラソンを完走しました」や「現在のアルバイト先では一度も病欠をしていません」など、「いかに自分が今は元気か」をアピールしたところ、理解を得ることができ、その場で採用をいただくことができました。手術から3年半で、ようやく社会復帰のスタートをすることができるようになりました。

 「過去に大きな病気を経験したことはありますか?」という質問は多くの面接で聞かれたことで、しんどい質問だなといつも思っていましたが、「あります」と答えてもその後の説明次第ではわかってもらえることも多いので、ある程度は受け止めて冷静にアピールすることが大切だと思います。
蜀咏悄_1・亥翠蟾晢シ・min 若年性がん患者患者会「Stand Up!!」のメンバーと

おわりに

 長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただいたみなさまどうも有難うございます。

 僕の体験は「食事をすること」「体力をつけること」「社会復帰すること」が大きな要素で、通常の若者が持っている当たり前の能力を取り戻すために20代のほとんどを費やしてしまいました。ですが、今はそれ程悲観的ではありません。若くして罹患したことで悩むことも多いのですが、若い故に失ったものを取り戻す時間がまだまだ充分あるからです。必ず長生きをして、「生きてて良かった」と思える瞬間をこれから少しでも多く積み重ねていきたいと思います。

 そして罹患以降、病院以外にも多くの「社会」に支えられてきました。再就職の時に相談に乗ってくれた方、患者会のメンバー、病気を気遣わずに飲みに誘ってくれた友人、レストランで腹痛になった時にお湯をくれた店員さん…ここに書ききれないエピソードがたくさんあります。再就職のエピソードでは社会に対してネガティブな面を話しましたが、社会の素晴らしさを感じる機会もたくさんありました。そんな社会に対して、僕の体験談がほんの少しだけでも良いきっかけを与えることができたらとても嬉しく思います。

 読んでいただきありがとうございました。

蜀咏悄_2(蜷牙キ・-min 現在の写真 元気に再就職できました

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