耳下腺・腺様嚢胞がん体験者 浜田 勲さん


  • [公開日]2017.03.31
  • [最終更新日]2017.06.30

年齢:53歳
性別:男性
居住:東京都
職業:会社員
がん種:耳下腺・腺様嚢胞癌

「顔の中に発症したがん」

まさか顔の中にがんが発症するとは…。ほとんどのがんは臓器に発症するものであり、稀に血液、脳、骨、舌などにも発症するものだと思っていましたが、ボクの場合は大唾液腺という唾液を分泌する腺の中のひとつである耳下腺(じかせん)に発症しました。気付いた時には神経に浸潤しており進行度合いはステージ4。がんはかなりの広範囲に広がりを見せていました。顔の中に発症したがんの治療によりQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)の低下とアピランス(容姿)の変化を経験することになりました。

「耳下腺発症の腺様嚢胞癌」

ボクが罹患したがんは「耳下腺原発の腺様嚢胞癌(せんようのうほうがん)」という稀ながんです。名前も難しく過去に聞いたことはありませんでした。神経に沿って浸潤する高悪性のがん種であり、比較的進行は緩やかですが肺に転移する傾向が強く標準治療は手術による腫瘍の切除と術後の放射線治療となります。

耳下腺原発ですので頭頸部がんのくくりになりますが、頭頸部がんに罹患する割合はがん全体の5%程度ということで頻度は少ないです。また、耳下腺がんは頭頸部がんの中でも割合が低いらしいですが、耳下腺に発症するがん種は全23種あることが分かっているそうです。その中のひとつが腺様嚢胞癌ということになりますので希少がんに分類されているのも納得出来ます。

「顎関節症を疑って…」

ボクは2013年秋にがん告知を受けましたが、その5年ほど前から右側の耳の下に異常を感じていました。大したことはないだろうと思い込み病院にも行かずにいたのです。当初は顎関節症を疑い歯科・口腔外科専門の大きな病院で診ていただいたこともありましたが、その時は耳下腺がんに繋がる診断結果を得ることは出来ませんでした。

病院でしっかりと調べてもらおうと思ったきっかけは顔面神経に異常があったことが一番の理由です。このとき既に顔面神経麻痺の影響で右目を完全に閉じることが出来ませんでした。また食事をした際にこめかみから暑くもないのに汗が流れていたことも病院に行く後押しとなりました(この症状は後にフライ症候群と呼ばれているものだとわかりました)。不安になり近所の信頼できる内科医に症状を説明すると某大学病院の耳鼻咽喉科を紹介していただきました。その大学病院で細胞を調べたりや画像検査をした結果「耳下腺がん」に間違いないと診断されたのです。

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※これから入院

「病院との出会い」

大学病院の教授の口から告げられたのはステージⅣの耳下腺がんであるいうことでしたが、こちらの病院ではがんの進行状況があまりにも深刻であり対応することが難しいということから「がん専門」の病院への転院を勧めらました。手に負えないと言った感じでした。それほど自分のがんは良くない状態なのか…とかなりのショックを受けました。このとき自分の余命を意識したことをハッキリと覚えています。

大学病院に勧められた通り病院を転院することに決めましたが、大学病院側はボクにその転院する病院を選び決定するように促されました。大学病院側が推薦してくれるわけではないのか…と、ちょっと戸惑いました。幸いボクは都内に在住のため全国的に有名ながん専門の病院をふたつ知っていましたのでその内のひとつを選び紹介していただいました。

大学病院から紹介状、画像データなどをお借りして早速転院先の病院へ足を運びました。この時、ボクの病気はがんであり一刻を争うものだと考えていましたので少しでも早く診察をして欲しいという思いでした。

転院後、再検査の連続となりました。しっかりとボクのがんを調べてから治療を行うというのがこちらの病院の方針でした。少し時間がかかりましたが転院後約2週間後にようやくボクのがんが腺様嚢胞癌であると判明したのです。それからこのがんの特徴、標準治療方法、術後の生活の変化などについて詳しく説明していただきました。この病院と出会えたお陰でボクは前向きに治療をする気持ちになりました。質問には100%答えてくれる姿勢や、難しい内容に関しては時間をかけて話してくれますし、他の科との完璧な連動など、どれをとっても患者ファーストと思える素晴らしさでした。

この病院にボクの命をお任せしようと思った最大の理由は、ステージ4で半ば諦めていたボクに対して「根治を目指します。一緒に頑張りましょう。」と言ってくれた事です。医師が諦めていないのに患者であるボクが諦める訳にはいかないですよね。本当に心強い言葉でした。

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※手術前日

「治療(手術・放射線治療)」

がんが耳下腺の周囲に浸潤していたためかなり広範囲に渡る切除を余儀なくされ、顔右側の顎骨(一部)、頬骨、顎関節、そして顔面神経を切除し、更には足から肉と皮膚そして血管を移植し皮弁を作りました。顔面神経を切除すると顔の表情が変わってしまうため少しでも自然な表情を保てるように形成再建手術を同時に行い眉と口角のリフトUP、そして、まばたきをケアするために瞼の中に1.6gの金属プレートを挿入する手術を同時に受けました。手術には12時間近くかかったようです。

手術直後の3日間はICUで過ごしました。自分の身体にはいったい何本のドレーン(管)が取り付けられているのか…。また、感染症予防のために気管を切開されカニューレが取り付けられており会話は出来ませんでした。この状態からこのあと回復することが出来るのかとても不安でした。それほどまでに大きなダメージを負っているとICUのベッドの上で感じていました。

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※術後ICU

病棟に戻ってからは日ごとにドレーンが外されて身体も少しずつ楽になっていきましたが、どうしても鏡を見ることが出来ませんでした。鏡をみて変わってしまった自分の顔を見るのが怖かったのです。それでも伸びてきたヒゲを剃る際には鏡が必要で恐る恐る見たことを覚えています。

手術後初めて見た自分の顔はまるで別人の顔でした。まだ術後間もないため顔全体が腫れていることもありましたがショックを受けたことは間違いありません。なんで顔の中にがんが出来たのだろう…とても悔しかったです。それでも時間がたつにつれてだんだんと表情は落ち着いてきました。退院する頃には気持ちの整理もつきましたが、本当に大変なのはこれからだなと思い直しました。

退院してから通院で予備治療として放射線治療を受けました。IMRT=強度変調放射線治療にて66gryの照射を受けました。11月から治療をはじめましたので、クリスマス、お正月を通り越し終わったのは節分の頃でした。放射線治療で感じたことはその副作用の強さです。治療中は口内の炎症、照射部分の脱毛、皮膚炎、味覚障害などの副作用がありました。中でも炎症の痛みは回を重ねるごとに増していき水を飲み込む際でも激痛が走りました。治療の終盤では医療用麻薬に頼らなければ我慢できないくらい酷い状態でした。治療が終了して2週間後くらいから徐々に副作用は楽になり現在では副作用の影響はありません。

化学治療(抗がん剤治療)については腺様嚢胞癌に効果的な抗がん剤が無いと言う理由で、この段階(状態)での病院からの化学治療の提案はありませんでした。

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※手術痕

「QOLの低下とアピアランスの変化」

頭頸部がんは手術後にQOL(生活の質)が著しく低下する場合があります。まさにボクの場合はそうでした。自分の場合は顎関節の切除により食事が困難になるという問題と顔面神経を切除する影響で表情が作れなくなるという2つの大きな問題がありQOLを大きく損なうことが医師からの説明でわかっていましたが、この2つの問題は手術前から心に重くのしかかっていました。

手術前はどちらかというと食べられなくなることが何よりもツラく感じました。好きなものを食べるという行為がもう一生出来なくなるだろうと言われていたのです。お粥、流動食が基本的な食事の形態になると言われていました。だから入院前に好きなモノ、美味しいモノを食べまくりました。入院前日は最期の晩餐として大好きなフライドチキンをお腹いっぱい食べました。

手術後、確かに食事は大変でした。口が半分しか開かない、顎関節が片方しかないためにその影響は著しくやっぱり医師に言われた通りになってしまうのか…と思いながら入院生活を送りました。しかしながら、その食事にもだんだんと慣れてきてペースト状のものから少しずつ形のあるミキサー食、きざみ食へと変化していきました。

現在では食べ方を工夫しながらほとんどのモノを食べることが出来ます。食べにくそうだからといって諦めてしまうのではなく、敢えて食べにくそうなものにでもチャレンジをしています。その結果だんだんと食べられるものが増えてきたという訳です。大好きなフライドチキンは食べにくいですが小さく切って口に入れてしまえば大丈夫です。最後の晩餐だと思ってお腹いっぱい食べたことがちょっと恥ずかしいです。

治療により変わってしまったアピアランス(容姿)に関してはメンタル的な部分をどう自分でコントロール出来るかによってモチベーションが違ってきます。この問題はとても深く難しい問題です。性別、年齢、職業、社会的立場など人それぞれですので考え方に正解はないと思いますが、ボクの場合は容姿が変わっても引け目を気にせずに生活できているのかなと思っています。変わってしまったのだから仕方がないです。この変わってしまった容姿と一緒に上手く付き合っていくことを決意したら少しは気持ちが楽になりましたが、やっぱり顔面神経を切除した影響で100%の笑顔を作れなくなったことはとても辛いと感じています。ボクの表面上の笑顔は50%なんです。でも心の中では100%の笑顔で笑っています。

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※退院日

「同じ経験をしている仲間を求めて」

ボクは退院後に奥さんの勧めで闘病ブログを書くようになりました。「せっかく希少体験をしたのだからブログに残せば誰かの役に立つかも知れないよ」と奥さんがポツンっと言いました。なるほど…確かにそうかも知れないなと思いブログを書くことにしました。

初めは誰にも読まれず反応はありませんでしたが、そのうち耳下腺がんの方、腺様嚢胞癌の方がだんだんと読んでくれるようになりました。治療の体験を細かく書いていますので同じ治療を受けた方やこれから治療を受ける方からのコメントやメッセージをいただくことが多くなりました。いただいたコメントには誠意をもってお答えしました。このやり取りにいつの頃からか喜びを感じるようになりました。「もしかしたら、ホントにボクの経験が人の役に立っているのかも知れない」と思うと、とても嬉しく感じます。

そんな中、ブログはインターネットの中のものでありリアル(現実)ではない…なんとかリアルに仲間と会ってお話しが出来ないものか…と思うようになりました。実際に会うにはどうしたらいいのだろう?その方法を考えたり行動したり失敗しながらようやくリアルに仲間と会うことが出来るようになったのです。ブログの中にいる方とリアルに繋がることが出来た瞬間の感動は忘れることができません。今現在もこの思いは変わらずにいます。

「仲間との出会い」

ボクは「頭頸部がん患者と家族の会Nicotto<ニコット>」という関東を中心とした頭頸部がんの患者会に加入しスタッフの一員としてサポートをしています。昨年(2016年)7月に発足した新しい患者会ですが現在約30名の方が所属しています。この会を通じてたくさんの仲間と出会うことができました。先に触れたように頭頸部がんはQOLの低下とアピアランスの変化をもたらしますが、たとえ障害を抱えていてもこの会に集まる皆さんはとても明るく前向きで病気と向き合い懸命に生きているステキな仲間たちです。この会の仲間たちとの交流はお互いが勇気を与えることが出来ます。この先、頭頸部がんを経験された方の中にはこの患者会が必要な方も出てくると思います。そんな方々を迎えいれるためにNicotto<ニコット>は存在します。これからもこのNicotto<ニコット>を出来る限りサポートしていこうと思っています。

「最後に…TEAM ACCのリーダーとしてやるべきこと…」

ボクが罹患したがんは「腺様嚢胞癌」という名前ですが、英語ではadenoid cystic carcinomaと書き「ACC」と略されます。希少がんであるために情報が少なく罹患された方やご家族の方はこのがんに対する知識の拡大や治療法の模索に悩むことになります。ボクはこの腺様嚢胞癌(ACC)に罹患した方々を結び付け、情報交換や励まし合える環境をつくり、更には体験談をホームページにUPする試みを始めました。

それが「TEAM ACC」です。

患者会とは違い会員制ではありません。全国にいる腺様嚢胞癌(ACC)サバイバーは全てTEAM ACCの一員だと考えています。腺様嚢胞癌(ACC)は希少がんであり治療方法も確立していませんが「ひとりじゃない、一緒に生きよう」をテーマとして言い続けています。

TEAM ACCでは不定期ですが「TEAM ACC CAFE」というイベントを企画しています。腺様嚢胞癌(ACC)サバイバーとそのご家族が集い語り合う場所です。基本的に東京での開催となりますが遠方からいらしてくれる方もいてとても嬉しく思っています。ボクは今後も出来る限りでこのTEAM ACCという企画を続けて行こうと考えています。TEAM ACCの活動を続けることがボクの生きるモチベーションであるからです。LIFE WORKと言っても良いかと思います。

ボクは現在がんが肺に転移しています。現状では効果的な治療方法が見つからないためがんとの共存を選択中です。この先、がんと上手く付き合いながらボクに適した治療方法が現れることを待っています。その間、TEAM ACCのリーダーとして一人でも多くの腺様嚢胞癌(ACC)サバイバーを励ましたいと思っています。


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