今回の「オンコロな人」は、がん情報サイト「オンコロ」で、現役薬学部の学生スタッフとして関わる白石由莉(しらいし ゆり)が担当し、お届けします。

■38歳で慢性骨髄性白血病と診断された久田 邦博(ひさだ くにひろ)さん

白石:がん情報サイト「オンコロ」学生スタッフの白石由莉と申します。今、現役薬学部の学生として、このプロジェクトに関わっています。今日は、よろしくお願いします。まず、自己紹介をお願いします。

久田:久田 邦博(ひさだ くにひろ)と申します。52歳になる会社員です。38歳の時に、慢性骨髄性白血病と診断され、現在も治療中です。

白石:病気が見つかったきっかけを教えて下さい。

久田:以前から血圧が高く病院には通っていたのですが、転勤を機に病院を変えた際の血液検査で、白血球の値が高いことがわかったことがきっかけです。

■医療者(薬剤師)だったから

白石:がんと診断を受けた時、どんな気持ちでしたか?

久田:最初の病院で、白血球の値が高いとわかった時に、新しい病院を先生に勧められました。翌日行ってみると、そこでまた血液検査をし、白血球が30,000という値でした。その時、先生が言った言葉は「久田さん、なんだと思っていますか?」でした。

白血球の値が30,000で見つかるのは凄く初期で、診断されるまでは、自覚症状は全くありませんでした。そして、前日にネットで調べていたので、「まさか違うだろう?とりあえず言って先生に否定してもらおう」という気持ちで、自分で調べた中の最悪の病気である「慢性骨髄性白血病じゃないかと思っています」と言いました。そして、先生の口から出た言葉は「多分そうじゃないかと思います」と。それが告知でした。

軽いサーブを打って強烈なスマッシュで返ってきたような気分でした。そこから1ヶ月間ははっきりとした診断がつくまでぐらぐらと気持ちが揺れ動いて、すごく苦しかったことを覚えています。

白石:ご家族に相談はされましたか?

久田:家族は運命共同体です。相談はできなかったです。自分は製薬会社に勤めていましたし、薬剤師の資格があったため、専門用語は理解できました。他の企業の仲間に耐え切れずしゃべってしまったというのが相談だったかもしれません。いろいろとアドバイスをくれました。この時、本当に必要としたのは辛い自分の気持ちをただ聴いてくれるだけの存在でした。

白石:その後、実際に治療に入ったと思うのですが、当時の様子を教えて貰えますか?

久田さん:診断されたのが14年前で、治療の選択は、延命を目指すインターフェロンの注射か、治癒を目指す骨髄移植の二択でした。様々なリスクも考慮し、インターフェロンを選択し、当時はインターフェロンを自分で毎日打つという状況でした。

初めて自分でお腹に注射を打つ時はなかなかできず、切腹と同じくらい怖かった(笑)。医療の知識があったため、注射を打つ角度、腹内投与になってしまわないかなどとても心配しましたが、看護師さんが、このような不安に共感してくれたため、不安感がなくなり打つことが出来ました。この時の経験から医療者の共感の重要性を改めて感じました。

■辛かったインターフェロンの副作用

白石:インターフェロンの治療はどんなものでしたか?

久田:当初は、夜になると発熱し、解熱鎮痛剤(座薬)を投与し、十分な睡眠が取れないことから、睡眠導入剤なども服用していましたが、これらの副作用も徐々に弱まり、2週間ほどで退院しました。

他には、味覚異常が辛く、食事の時間に、院内食を運ぶカートの音が聞こえるだけでものすごく落ち込んでいました。白いご飯がとても不味く、ふりかけをかけても不味い。その後、妻がマクドナルドを買ってきて、なんとか食べられましたが。入院中の唯一の楽しみである食事がまずく感じるのは非常に辛いことでした。

退院後は、大好きで楽しみにしていた横浜のラーメン屋に行きましたが、これも不味く感じ。味覚がおかしくなった事に気づきました。これは辛かったですね。

私は、当時、製薬企業のMR(医薬情報担当者)として働いていましたが、仕事に復帰後、階段が登るのが辛く、踊り場で息切れするなど、治療前と同じように仕事をすることができませんでした。しかし、課長職でもあり、自分のせいで成績が落ちたら申し訳ないとの思いから、異動するまでの半年間は責任を全うしました。

久田さん④-2

■新薬の登場

その後、会社と話し会い、地元である名古屋に戻り、研修担当者になりました。

ちょうどその時、今では、慢性骨髄性白血病の標準的治療薬であるグリベック(一般名:イマチニブ)という分子標的薬が日本でも使用されるようになってきました。この時期、その後の治療をどうするか本当に悩みました。

骨髄移植にするか治療法には悩みましたが、私がインターフェロン治療を選んだ理由は、息子が20歳になれば、家族を守る役割をバトンタッチできると考えました。そして、10年間生きられる可能性が高いのはインターフェロンだということを自分で調べた上で医師と話し合い決定しました。

名古屋は骨髄移植のメッカでもあり、移植を勧められることに不安を感じていました。新しい主治医は、そんな不安を知っていたのか、もしインターフェロンが効かなくなったときはどうするかと聞いてきました。私はその際は骨髄移植に踏み切ることを伝えました。すると、インターフェロンを長期に使っていると骨髄が十分採取できずに移植ができなくなるケースが多いことを説明してくれて、インターフェロンよりも治療成績が良い新薬を提案してくれました。新薬の長期の成績は不明な状態で、2度目の命の選択をする状況でしたが、患者の気持ちに寄り添った提案により不安が解消され、この先生を信じてみようと覚悟を決めました。

グリベックの治療を開始し、息苦しさは減りましたが、やはり、倦怠感や、下痢などの副作用には悩まされていました。薬剤師仲間や、同じ病気の仲間たちと話し合ったり、情報交換したりすることで、ずいぶん楽になっています。

 

■治療費の心配

白石:新薬というと、高額で、経済的なことを心配される患者さんも多いと思うのですが、久田さんはいかがでしたか?

久田:患者にとって不安なことは、治療による効果、副作用もありますが、質問の通り、経済的な心配もあると思います。

私の場合、3ヶ月に1回通院し、血液検査をし、90日分の薬をもらっています。医療費自己負担の総計は年間120万円になります。しかし、この全てが自己負担になるわけではなく、高額医療費制度があり、かなりの部分が戻って来て助かっています。

治療費が掛かるため、高額療養費制度や会社の制度等を勉強してこのことを知り、経済的負担は何とかなることがわかり、随分安心しました。また、がん保険にも入っていたため、一時金が出たことは辛い中での喜びでした。

■家族・子供のこと

白石:治療を続けるにあたって、奥様、お子さん、家族に対する不安はありましたか?

久田:やはり、家族のことが一番心配で、診断されてからの一年は、何度も落ち込みました。

自分の病気が原因で、家族の生活はどうなるんだろうか?子供たちの進学はどうなるんだろうか?そんな事を考えると、自分の命は惜しくなくとも、どうしても10年は生きなければいけないと思いました。しかし、将来、働けなくなり、家族の生活を脅かすことになったら、家族を守るため自殺することも考えていた時期もありました。

子どもが中学受験の時期でもあり夫婦で相談し、子供には何も話しませんでした。これは一番悔やんでいることです。家族の間で隠し事があるとうまく行きません。結局、子どもたち4人との関係はどんどん悪化しました。成人した長男に最初に伝えましたが、今更言ってほしくなかった、小学校の時に言われたら受け止められなかったなど、と言われました。次男はに伝えた時は、私の様々な活動のことをネットで見て、既に知っていました(笑)。そして、三男も知っていると聞き、伝えましたが、彼はきょとんとしていました。知らなかったようです(笑)サバイバーの後輩には、伝え方を工夫する必要はありますがしっかり伝えて欲しいと思います。

病気のことを話した今は、飲みに行ったり、カラオケに行けるようになった。一緒にいるだけで嬉しいと思える時間です。

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■しあわせです。感謝。

白石:久田さんのFacebookコメントの最後は「しあわせです。感謝」で締めくくられています。感謝したい人は誰ですか?

久田:本当に沢山の人に感謝していますが、家内に最も感謝しています。

辛いときはそばにいてくれて、揺れ動く心を感じさせないようにしてくれた。家内がいなかったらこれまでやってこられなかった。そして、もちろん家族。家族のために生きようと思ったことで、治療に取り組めましたから。

後は、研修担当にしてくれた当時の会社の上司、また、今、がん患者として自分の活動を認めてくれている会社にも感謝しています。そんな会社の中で、必死になり、一生懸命働いたという足跡を残したいと思っています。

そして、FacebookなどSNSでつながっている人たち。死んでもいいと思っていた自分が、いろんな人のおかげで、今、患者として、薬剤師として、もう一度夢をもつことができました。残念ながら、亡くなっていった仲間もいます。そんな仲間にも感謝しています。

■久田さんからのメッセージ

白石:今日は長い時間ありがとうございました。最後に、久田さんからのご自身の体験を通じてのメッセージを頂けますか?

久田:一社会人として、また家族を養う者としてがんを経験しわかったことは、がんと罹患した人が、社会保障の情報やがんの罹患によりどんな問題が生じるかなどの情報が、診断初期の段階で的確に伝わるようになればいいと思っています。

特に、就労世代の人は、がんとの診断から、会社を辞めてしまう人もいる。最近になって、国も「がんと就労」という問題に取り組み始めましたが、この領域での啓発が望まれます。

そして、今、がんと闘っている人や、そのご家族、また、今はがんと無縁に人にも伝えたいことは「がんになっても何も変わらないんだということ」。自分はだめだと落ち込んだとしても、自分の心の持ち方、生き方次第で死と向き合い、そして沢山の人との関わりで強く生きることができました。がんになって、人生の密度が濃くなったと感じています。
がんになったことに心から感謝しています。

しあわせです。感謝。

■インタビュー後記

将来、薬剤師を目指す学生として、命にかかわる病気と闘っている久田さんのお話しは、薬剤師の視点、患者さんの視点と、学校では学ぶことができない、沢山のことを知ることができました。インタビュー以外でも、薬学生としての悩み、将来への不安など、沢山の相談にものって貰い、とても有意義な時間になりました。しあわせです。感謝。

久田さん⑨-2

がん体験談


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