胃がん体験者 高橋和奈さん


  • [公開日]2015.09.07
  • [最終更新日]2020.03.04

AYA世代の23歳という若さで胃がんになった高橋和奈さん。がんになって失ったものは多かったそうです。でも支えてくれる家族の存在、そして大切な仲間との出会いがあり、前を向いていこうと考えられるようになりました。

「がんになっても諦めなくていいんだ!」そう思えるようになったのには理由がありました。

 

名前 高橋 和奈 さん
年齢 29歳
性別 女性
住まい 神奈川県(住民票群馬)
職業 専業主婦
家族 夫(療養中は実家 父・母・妹・祖母)
時期 23歳で発病
がん種 胃がん
現在 完治(現在は念のため、半年に1度検査を受けている)

■胃がんだと分かった経緯

・胃の具合がおかしい

大学に行っていた22歳のときに、大学のフィールドスタディでカンボジアに行きました。そのときから胃の調子がおかしいと感じ始め、現地の学校の保健室で横になる程体調が悪くなったりもしました。でも、きっと海外だし環境に体調が慣れないだけだろうと思って、帰国後も病院には行きませんでした。それから1年後、胃が痛くなることはたびたびありましたが、しばらくは市販の胃薬でごまかしていました。でも、ついにアルバイト中に立っている事も出来ない程の強い痛みに襲われ、救急病院に行くことにしました。

・胃薬を飲んだけど

夜中に駆け込んだ救急病院では胃薬が処方され、痛みが治まらなかったら近所の病院を受診するようにと言われ帰宅しました。結局、その薬を飲んでも痛みが治まることは無かったので、かかりつけの内科を受診することに。そこでも胃薬が処方されましたが、その薬も効かず、再びその病院に行くと胃カメラの検査を勧められました。

・初めての胃カメラ

かかりつけの内科では胃カメラが撮れなかったので、病院を紹介して貰いました。カメラを飲んだ瞬間に、病院のスタッフの口から「あぁ…」という声が漏れました。そのときは、“がん”とは言われず、「胃潰瘍があるね。」と言われて、その時点では“胃潰瘍だったんだ”と痛みの原因が分かって安心していました。「念のため、生体検査をしますから、1週間後に検査結果を聞きに来てください」と言われ、何かおかしいと思い、「もしかしたらがんですか?」と聞くと、先生の返事は「いや、念のための検査ですから。」というものでした。多分、その時すでに先生はがんを疑っていたんだと思います。

・検査の結果が分かるまでの1週間

身体的に変わりも無かった事もあり、検査結果が出るまでの1週間は特に意識もせずに普通に生活していました。“もしかしてがんなのかな?”と、ちょっと疑ったりもしましたが、自分はまだ23歳だし、“まさか自分ががんになるなんて”っていう気持ちの方が大きかったですね。

・告知

胃カメラの検査から1週間後。生体検査の結果を聞くため、1人で病院に行きました。先生から、「これ、あなたの名前で間違いありませんね?」と一緒にカルテを確認して、自分が“がん”だという事を告げられました。先生の口からは病気の説明やその病院で手術が出来ない事などの説明が続きましたが、もう先生の説明は一切耳に入ってこず、ただガクガクと足が震え、咄嗟に出た言葉は、「え…?早期ですよね?治るんですよね?」でした。

■家族に「がん」を伝えたとき

・悲しませたらどうしよう

告知後、病院を出た時に母に電話をしようと思いましたが、“どう伝えたらいいんだろう?”“泣かれたらどうしよう?”という不安が頭をよぎりました。でも、思い切って母に電話をして「がんだったよ。」と伝えてみると、「なんとなく、そう思っていたよ。1週間後に結果を聞きに行くっていう事で、“もしかしたら”って思っていたし。」と、別段取り乱す事も無く、「神様は乗り越えられない試練は与えないから、あんたなら大丈夫!」と。普段通りの様子で母から言われました。

・いつもと変わらない家族

帰宅後、自分が“がん”だという事を他の家族に言い辛くて。そこでも母が「和奈、がんだったらしいよ。」と、家族に普段通りに話してくれました。家族も、“泣く”とかでは無く、「あぁ、そうなんだ。」という反応でした。私の見えないところで泣いたりする事もあったかもしれません。でも、変に気を遣われるとかじゃなくて、いつも通りだったのが良かったと思います。いつもと変わらない普通の日常。普段通りだった事が1番良かったです。

高橋和奈さん01

■がんの治療について

・がんの状態

大きな病院に転院し、1から検査を受け直しました。最初は、「手術をして、お腹を開いてみるまでははっきり分からないけど。結構深くいっちゃってるから、もしかしたらステージ3くらいかもしれない。」と言われ、「もし、腹膜播種(※1)で散らばっていたら、お腹を切っていても閉じるからね。」とも告げられました。いざ手術を受けて、お腹を開いてみたら、ちゃんとがんを取る事ができ、ステージは2で、深達度はT4まであるうちのT3という状態で、リンパを表すNは0でした。後日、高松の胃がんセミナーに参加したときに、同じセミナーに参加していた先生から「T3でN0って奇跡だね。本当に良かったね!」と言って頂きました。

・治療中の辛かったこと

手術以外の治療では、再発予防のため、TS-1(※2)という飲むタイプの抗がん剤を手術の1ヶ月後から1年間飲みました。胃を切ると、ただでさえ上手く食べられないのに、それに加えて抗がん剤…。“手術して悪いところを切ったのに、まだ治療続くの?”しかも1年間も。そんな思いや、抗がん剤に対して“髪が抜けちゃう”などの、『怖いイメージ』もあって、最初に「えいっ!」と薬を飲むときは勇気がいりました。飲んでみると、最初は副作用などは分からなかったんですけど、何日か飲み続けていくうちに、だんだん吐き気や口内炎、血液中の白血球が減少するなどの副作用が出始めたので、休薬期間がすごく嬉しかったです。

(*1)腹膜播種…胃がん細胞が大きくなり胃の壁を突き抜け、壁の外にこぼれ落ち、腹膜に付着して発育するという転移様式です。 腹膜にがん細胞が広がると、手術で治すことはできません。 そのため、腹膜播種の治療は抗がん剤が中心となりますが、十分に効果のある治療法は未だ確立されていません。

(*2)TS-1…胃癌などに使用される抗がん剤の一種。

■治療費について

治療費については、当時大学生だったこともあり親に払って貰いました。手術代は高額療養費制度を使えたので、戻ってきましたが抗がん剤に関しては特にそういうのが無かったのかな?月に数万円かかりました。抗がん剤の値段を教えて貰っていたわけではないので、初めて薬局に行ったとき、いきなり数万円もの請求額だったので「え?」って驚きました。親に見せたときも、「こんなに高いんだ。」と言って驚いていました。でも、やっぱり“再発予防のためには飲まなきゃいけない”と言われたら、毎月数万円でも飲みますよね。大学も留年したので、1年半分の余分な学費と治療費。口には出しませんでしたが、心の中で、“金食い虫でごめんなさい”って思いました。

■がんと分かってから1番辛かったこと

手術後、“ダンピング症候群”という後遺症があり、食事のときに量に気を付けないで食べてしまうと、吐き気や、冷や汗、低血糖や頻脈などの症状に襲われてしまいます。もともと食べる事が大好きだったので、好きなものを好きなように食べられないのが辛いです。

■がんになって思うこと

がんになって失ったものは多かったけれど、同じようにがんと闘って、同じような経験をしてきた仲間と出会えた事が1番の励みになっています。音楽活動にしても、がんになって無かったら、“またやろう”と思えなかっただろうし。がんになっても、夢や目標を持って生きている仲間たちに出会えたことで、自分も夢や目標を持って生きてもいいんだと思えるようになりました。がんになって夢と希望を持ちづらいと思っている人がいれば、希望を与えられる側にいられるようになりたいです。

高橋和奈さん02

 

■フリーコメント

現在、『STAND UP!!』という若年性がん団体で出会った、坪内雄佑君と「カラーボール」という音楽ユニットを組んでいて、私がヴォーカルで坪内君がギターをやっています。自分たちも、がんになっても夢を持って目標に向かって頑張ろうという思いがあり、2010年に結成して、今もずっと活動しています。

ある日「がん」と言われたら、誰でも驚くし、私もそうでした。でも、仲間と出会った事で、すごく救われて、がんになっても諦めなくていいという事を教えて貰いました。それまでの、“がん=死”というイメージは、医療の進化もあって、私の中にはありません。たくさんのがん経験者が周りにいて、前向きに治療をして前向きに生きています。とにかく、がんになっても諦めなくていいという事です。

『STAND UP!!』のHPはこちらをクリックしてください。⇒ スタンドアップ

 

カラボ②  カラボ①

『カラーボール』のお2人。高橋和奈さんと坪内雄佑さん

 

■インタビューを終えて

実は高橋和奈さんには以前ご来社してもらい講演をして下さった事がありました。その時に「カラーボール」のオリジナルソング「FOR MY DEAR」という曲を歌って頂いたのですが、その美声に多くの社員が虜になってしまいました。私もその内の1人でして・・・。インタビュー中はかなり緊張をしておりました・・・。

今回感じた事、それは家族や仲間の大切さです。その事についてはほとんどの方が気が付いているとは思いますが、自分から歩み寄るのはなかなか出来ないと思います。優しく接してくれる家族や友人に冷たく当たってしまったりするという話もありますし、特に若い世代(AYA世代)の方では多いと聞きます。高橋さんの場合、お母様から教えてもらいなんとなく見た「STAND UP!!」の活動がきっかけだったとの事でした。そこでの出会いが大きな励みとなっているとの事で、情報発信などの「きっかけ」を作ってあげる活動はとても大切であると改めて感じました。

これまで私がお会いしたほとんどの方は何かしらの目標を持っていました。目標は特にないという方もおりましたが話を聞いてみると本人は目標として掲げていないだけで「やりたいこと」はある方でした。目標を持つことは必ずしも必要ではないかもしれませんが高橋さんのお話を聞いて目標を持つことの素晴らしさを感じる事が出来ました。

オンコロでは今後も高橋さんの活動を応援していきたいと思います!!

HAMA

 

 

AYA世代とは?

AYAとは、Adolescent and young Adult(アドレッセント アンド ヤング アダルト)の略であり、「思春期と若年成人」という意味です。AYA世代とは、一般的に15歳~29歳(欧米では39歳)を指します。AYA世代のがん患者は、治療中やその後の生活の中で、就学、就職、就労、恋愛、結婚、出産など人生のターニングポイントとなる様々な出来事と向き合う機会が想定され、大人・高齢のがん患者とは異なるAYA世代特有の問題があるとされています。

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