プロフィール
- お名前
- ゆうさん(ニックネーム)
- 年代
- 40代
- 性別
- 女性
- 家族構成
- パートナーと2人暮らし
- 仕事
- 休職中(会社員)
- がんの種類
- 卵管がん(高異型度漿液性腺がん)
- 診断時ステージ
- ステージ4A
- 診断年
- 2026年
- 現在の居住地
- 奈良県

きっかけは息切れによる受診
2026年3月ごろから、階段を上る際に少しずつ息切れを感じるようになりました。パーソナルトレーニングジムに通っていたため、体力が落ちているとは考えにくく、年齢によるものだろうと軽く考えていました。しかし4月のある日、仕事に行こうと家を出た途端、歩くことすらしんどくなってしまいました。 異常を感じて近くの呼吸器内科クリニックを受診し、胸部レントゲン検査を受けたところ、医師から「1L以上の胸水が溜まっていて、肺が小さくなっています。よくこんなになるまで放っておいたね」と驚かれました。すぐに再検査を受けたほうがいいと言われ、紹介された総合病院を受診しました。 精密検査を受けた翌日、担当医から「画像を見たところ肺がんで、ステージ4だと思うし、5年生存率はこれくらいだ」と強い口調で断定されました。両親をがんで亡くしている私は「私ももうすぐ死んでしまうんだ」と絶望し、ショックで気分が悪くなりその場で横になってしまいました。「手術になる可能性があるのなら、最初から専門病院に入院できないか」と尋ねましたが、「私に任せろ」と威圧的に返され、恐怖と不安でパニックになりながら言われるがまま、入院することになりました。 「胸水を抜く処置のために動けなくなるし、お風呂にも入れない」と説明されたため、入院前に長かった髪をショートに切るなどの準備をしてから入院しました。入院中、肺がんの疑いであったものの念のため子宮頸がんと子宮体がんの検査も受けました。しかし結果は「婦人科のがんではない」とのことで、医師からは「やっぱり肺がんだね」と告げられたきりでした。具体的な治療は何も行われず、ただ血圧を測るだけの毎日が過ぎました。歩けないまま体力が落ち、「なぜこの医師は何もしてくれないのだろう」と不信感と恐怖が募りました。卵管がんの確定診断に至った理由
パニック状態の私は、会社の総務にだけ直接連絡を入れ「胸水が溜まって入院が必要になったため休職します」と伝えました。サービス業の会社に約20年間勤め、現在はマネージャーとしていくつもの業務を兼任しながら、楽しく働いていましたが、自分が死ぬかもしれないという不安で頭がいっぱいになり、冷静な引き継ぎはできませんでした。自分が担当している、どうしても引き継ぎが必要な業務の関係者にだけ「申し訳ありませんが、これ以上の対応や引き継ぎはできません」とお詫びを伝える一斉メールを送り、直近に予定されていた採用説明会や研修なども代わってもらうようにお願いして、文字通り仕事を放り出す形で休職に入りました。 入院して1週間が経過しても状況が進展せず、私は兄弟に「病状をはっきりさせ、治療を開始したいから大阪の病院を紹介してもらえるよう要求してほしい」と間に入ってもらいました。すると数日後、担当医がやってきて、「県内のがん診療連携拠点病院を紹介するからそちらで手術したほうがいい。転院を決めました」と、一方的に宣言してきました。勝手に決められた不満はありましたが、この医師の下に居続ける不安が勝っていたため、指定されたがん診療連携拠点病院へ転院しました。 転院先のがん診療連携拠点病院の呼吸器内科で、担当医に「本当は大阪の病院を受診したかったので、様子を見て転院をお願いするかもしれません」と正直に伝えました。するとその医師は検査結果や画像をじっくりと見た上で、「確かに胸水はあるが、これだけで肺がんと断定するものではないし、胸水が溜まる他の原因として婦人科系の疾患も疑われるから、今は決めつけずにまずはきちんと検査をしましょう」と、非常に冷静で客観的な言葉をかけてくれました。「肺がんステージ4だ」と決めつけられていた私にとって、その断定しない姿勢はとても信頼できるものに感じられました。 前の病院では画像検査は上半身(胸部)しか行われていなかったため、婦人科系のがんを調べるために腹部を含めた全身のCTやPET-CT検査が行われました。その結果、腹部に腫瘍らしき病変が光って見えましたが、非常に小さかったため、それが腹膜なのか、卵巣なのか、卵管なのかを特定することができませんでした。そのため、原発部位や組織を直接確認するため、検査を目的とした腹腔鏡手術を受けることになりました。お腹の中を見てみると右の卵管に原発巣が見つかり、検査と同時に両側の卵管を切除する処置が行われました。最初のクリニックを受診してから約3週間後に、ようやく「卵管がん(高異型度漿液性腺がん)」という診断が下されました。退院する際になって初めて「実は肺には何も影がなかった。胸水の中にがん細胞があっただけだった」と知らされ、家族全員で驚愕しました。ステージ4でも生きている人はいるという事実
卵管がんと確定した翌日から、胸水を減らすためにTC療法(パクリタキセル、カルボプラチン)を開始しました。しかし、転院してくる間に弱っていた肺がしぼんでおり、検査手術の際に気胸を起こすトラブルに見舞われ、結果的に1か月もの間入院しました。 肺がんではなかったものの、胸水中にがん細胞がみつかっていたため、卵管がんのステージ4Aは確定でした。退院後も「同じステージ4なら、やはり私は助からないのだ」と思い詰めていました。自分が死んだ後に家族が困らないよう、口座が凍結される前に当面の現金を残しておこうと、まるで死の準備をするかのように毎日銀行へ行っては少しずつ貯金を下ろす日々でした。 そんな絶望のただ中で、外来での通院治療に切り替わって受けた2回目のTC療法は輪をかけて過酷でした。家に帰ってから味わったことのない異常なだるさに襲われ、手足のしびれがひどく歩くこともおぼつきませんでした。大好きな料理や家事も一切できなくなり、「どうせ死んでしまうなら、こんなしんどい思いをしたくない。もう手術も治療もやりたくない」と、家で一人声を上げて泣き崩れました。 しかし、そんな絶望から私を救ってくれたのは、散歩の途中で立ち寄った書店での出会いでした。ステージ4のがん告知を受けた患者さんの家族が食事や運動について書き綴った闘病記を見つけ、「ステージ4という絶望的な状況でも生きている人が存在するんだ」という事実を知りました。「ステージ4と診断された人が、すぐに死ぬわけではないんだ」と希望を持てるようになりました。そして、「まずは手術を受けるために体力をつけなければ」と自分を奮い立たせ、バランスの良い食事やヨガなどの運動を取り入れるようになり、前向きな気持ちで3回目の治療に臨むことができました。治療ができない焦りを解消してくれたのは患者会代表者の言葉
3回目のTC療法を予定していた日、血液検査で白血球などの数値が低下する骨髄抑制に引っかかり、治療を1週間スキップしました。翌週になっても数値は十分に戻っていませんでしたが、主治医が「手術前にがん細胞にダメージを与えておきたいから、減量してやりましょう」と判断してくれました。減量のおかげか、3回目の副作用は随分和らいだように感じられました。 そして7月、子宮と卵巣、大網を全摘出する手術を受けました。抗がん剤がよく効いたこともあり、目に見える範囲の腫瘍は綺麗に消え去っていました。主治医が「目に見えるがんがない状態なので、無理にリンパ節を取ってつらい後遺症に悩まされるのは避けた方がいい」と判断し、急遽リンパ節の切除は行わないことになりました。術後の病理検査や腹腔内洗浄液の細胞診検査でも、がん細胞は見つかりませんでした。 手術が成功したのも束の間、術後は予想以上に身体的にしんどく、精神的にも不安になりました。それに加えて骨髄抑制が始まったこともあり、入院中に今後の治療についての不安がどんどん大きくなっていったのです。「できればあんなにつらい抗がん剤はもうやりたくない」という本音がある一方で、「どうにかして免疫力を上げる方法はないか」と、エビデンスの定かではない温熱療法などの情報にすがりたくなっていました。深く迷っていた私は、ネットで知った卵巣がん体験者の会「スマイリー」の代表である片木さんに、思い切ってメールで相談をしました。すると、「不安でしんどい気持ちはわかるけれど、不確かな情報は鵜呑みにせず、主治医と相談したほうがいい。焦らず諦めずにやりましょう」とアドバイスをいただき、少し落ち着くことができました。 しかしその後も白血球の数値が上がらず、予定していた術後のTC療法ができない状態が続きました。「なんとかしてTC療法を受けたい、受けられないのが不安だ」と焦る気持ちを、今度はスマイリー主催のおしゃべり会などで、片木さんや同じ病気の皆さんに相談させていただきました。そこで皆さんに話を聞いてもらいサポートを受ける中で、「白血球が戻っていない今の弱った状態で、焦って無理に強い抗がん剤をして体を壊してしまっては、肝心のがん細胞をやっつけることができない。がん細胞と戦うためには、まず自分の体を休ませて整えることが先決」とハッと我に返ることができました。現状の自分の病態に納得できたことで、それまでの焦りがスッと消えていきました。現在も、患者会の皆様にはたくさんのサポートをいただいています。 結局、主治医と相談して術後のTC療法は中止することになりました。その代わり、9月下旬から血管新生阻害薬のベバシズマブ単独投与を開始し、現在までに2回の治療を終えています。また、手術前のHRD検査でBRCA1/2遺伝子変異陽性であることがわかっていたため、今月末からはオラパリブも併用して維持療法を続けていく予定です。治療方針が定まったことで、今は安定した心理状態で日々を過ごせています。がんはこれからの生き方を見つめ直すきっかけ
仕事については、4月に休職してから半年以上お休みをいただいています。確定診断が出た後、会社には本社と直属の上司ごく数名にだけ報告しました。同僚や部下には、病名を絶対に言わないようにお願いしています。復帰したとき、過剰に気を使われ同情の言葉を浴びせ続けられるのではないかという想像が拭えないからです。会社の上司からは「働き方については柔軟に考えていこう」と言われています。しかし、20年間全力で仕事に打ち込んできたからこそ、以前のようにフルパワーで働けない自分が、同じような熱量で仕事に戻りたいのかどうか、まだ答えが出ていません。 今は自分がどう生きていきたいのかをじっくりと見つめ直しており、その一環として地域の「ピアサポーター」の研修を受ける予定です。これまで手が出せなかった社会貢献といった新しい分野に強く心を惹かれています。復帰するとしても、そうした活動とバランスを取りながら、新しい自分のペースで歩んでいける心の状態が整ってからにしたいと考えており、今は、朝は早く起き、夜はぐっすりと眠るという健やかなリズムを取り戻しています。 がんになったこと自体はつらい経験でしたが、立ち止まる機会を与えてもらったからこそ、家族や有事への感謝の気持ちに気づけ、今の穏やかな日常に、私は心から深い幸せを感じています。今、がんと向き合っている方へのメッセージ
今、がん治療に向き合っている方にお伝えしたいことがあります。 しんどいときこそ一人で抱え込まずに誰かに相談してください 病気を告知されてショックを受けたときや、パニックになっているときは、一人で考え込んでしまいがちです。しかし、そのようなときこそ一人で苦しむのではなく、家族や担当の医師、あるいは患者会やがんサロンなど、頼れる場所を探して相談することが大切だと思います。誰かに話を聞いてもらい、客観的なアドバイスをもらうことで、冷静に考えられるようになります。 情報を鵜呑みにせず納得して治療を選択していくことが大切です 医師にすべてを任せきりにするのではなく、自分でも病気についてきちんと調べ、納得した上で治療を進めることが重要です。インターネット上の情報をすべて鵜呑みにするのではなく、信頼できる人や医師と相談しながら、焦らず諦めずに、自分にとって最善の選択肢を見つけていってほしいと思います。がん体験に関するインタビュー参加者募集中
オンコロでは、がん体験をお話しいただける方を対象としたインタビューを実施しております。応募条件など、詳細は下記の応募フォームをご確認ください。この体験談をきっかけに、治験についてもっと知ってみませんか?
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