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5度のがん(横紋筋肉腫、舌がん、食道がん、中耳悪性腫瘍)、声帯全摘出を経て働きながら前向きに生きる

[公開日] 2026.10.23[最終更新日] 2026.10.20

プロフィール

お名前
H・S(ニックネーム)
年代
50代
性別
男性
家族構成
妻と子どもとの3人暮らし(子ども1人は独立)
仕事
会社員
がんの種類
横紋筋肉腫、舌がん、食道がん、中耳悪性腫瘍
診断時ステージ
不明
診断年
2012年(横紋筋肉腫)、2021年・2022年(舌がん)、2024年(食道がん)、2025年(中耳悪性腫瘍)
現在の居住地
大阪府
写真はイメージです。(AIによる生成)
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。 2012年に横紋筋肉腫と診断されて以来、H・Sさんは2度の舌がん、食道がん、そして中耳悪性腫瘍と、13年間で実に5度ものがんと向き合ってきました。食道がんの手術に伴う声帯全摘出により大切な声を失い、職場での降格人事や筆談によるコミュニケーションのもどかしさなど、さまざまな困難に直面しながらも、会社員として現在も働き続けています。度重なる試練や大きな喪失という葛藤を抱えながらも、親から授かった命を大切にし、前向きに歩み続ける闘病の経緯と現在の思いについてお話しいただきました。

横紋筋肉腫による長期休職

2012年、首のリンパ節に不自然な腫れが生じたことが、長く続く闘病生活の最初の異変でした。最初は風邪でも引いたのかと軽く考えていましたが、腫れは一向に引かず、気になって1人で地域のクリニックを受診しましたが、腫れの原因がわからず、連携している総合病院への紹介状を渡されました。紹介先の総合病院で妻と同席して診察を受けた際、突然「がん」と告げられましたが、そこでは治療ができないとさらに別の病院を紹介されました。 3つ目の病院では、CTやMRI、そして確定診断のための生検など、さまざまな検査が慌ただしく行われました。 その結果、医師から告げられた病名は横紋筋肉腫という聞き慣れないものでした。筋肉などの軟部組織から発生する悪性腫瘍です。告知を受けた診察室には妻も同行しており、夫婦揃って医師の口から直接説明を受けました。当時の私は、がんに関する知識が乏しく、頭の中には「がん=死」という直結したイメージが強くありました。言葉にならないほどの不安と絶望感が押し寄せ、目の前が真っ暗になったことを今でも鮮明に覚えています。 さらに医師からは、成人にはごくまれな悪性腫瘍で、この病院では前例がなく治療が難しいと説明を受けました。そのため、4か所目の病院を紹介されましたが、そこでもやはり治療の前例がないということで断られ、最終的に5か所目の大学病院で治療をすることになりました。 自分自身の病気が一体どのようなものなのか、どうすれば助かるのかを知りたくて、帰宅後はインターネットや関連書籍を読み漁り、必死に情報収集を行いました。さまざまな情報が飛び交う中でしたが、当時はインターネットから得られた専門的な医療情報が最も参考になり、私の心を支えてくれました。 5か所目の大学病院での治療は過酷なものでした。まずは腫瘍を縮小させるために、複数種類の抗がん剤を組み合わせた強力な化学療法(VAC療法)が行われました。吐き気や倦怠感、脱毛といった副作用に苦しみながら、並行して放射線治療も受けました。そして、腫瘍が十分に小さくなったタイミングで、患部を切除する大がかりな手術を受けました。この一連の治療と体力の回復には長い時間を要し、私は会社員として約9か月間もの長期休職を余儀なくされました。 無事に一連の治療を終え、ようやく職場に復帰できたものの、そこで私を待っていたのは「降格人事」という厳しい現実でした。長期間現場を離れていたため、休職前と同様の役職や責任を担うことは難しいという会社側の判断でした。命が助かったことへの感謝はありましたが、必死に病気を乗り越えて戻った直後の処遇としては、つらくやるせない思いを抱えながらの復職となりました。

わずか一年の間に発症した2度の舌がん

最初の横紋筋肉腫の治療から約9年が経過し、定期検診を受けながらも平穏な日常を取り戻していた2021年、新たな異変が私を襲いました。舌の左側側面に、チクチクとした強い痛みを感じるようになったのです。最初は「ただの口内炎だろう、数日もすれば治るはずだ」と軽く考えていました。 しかし、2週間が経過しても痛みは引かず、むしろ患部が硬くなっているように感じられました。念のため通院していた大学病院の耳鼻咽喉科を受診して組織検査を行ったところ、舌がんと診断されました。幸いにも比較的早期の発見であったため、治療としては舌の左側部分を切除する手術が行われました。舌の一部を失ったことで、術後しばらくは食事の飲み込みや発音に違和感がありましたが、リハビリを重ねることで徐々に日常生活を取り戻していきました。 しかし、試練はそれだけでは終わりませんでした。翌年の2022年、今度は舌の右側側面に前回とよく似た痛みが生じたのです。一度経験している痛みだっただけに嫌な予感はありましたが、「また口内炎であってほしい」と願いながら受診しました。しかし結果は非情にも、2度目の舌がんでした。 医師からは、前回の左側の舌がんが転移したり再発したりしたものではなく、全く別の場所に新たに発生した原発性のがんであると説明を受けました。このときも前回と同様に、舌の右側の腫瘍を切除する手術を行いました。わずか1年の間に舌の両側を切除することになり、食事や会話といった日常の当たり前の動作に少なからず支障が出ましたが、命をつなぐための治療に専念しました。

食道がん手術による声帯全摘出と筆談生活の始まり

度重なるがんを乗り越え、少しずつ前を向いて歩み始めていた2024年、私に大きな試練が訪れました。食事の際に、食べ物が喉につかえてうまく通らなくなるという自覚症状があらわれたのです。最初は固形物が飲み込みづらい程度でしたが、次第に水分すらも喉を通る際に違和感を覚えるようになりました。 不安に駆られて大学病院の耳鼻咽喉科で上部消化管内視鏡検査などの精密検査を受けたところ、食道がんと診断されました。腫瘍が喉頭部に近い場所にあり、食べ物の通り道を塞ぐように大きくなっているとのことでした。治療方針として手術が提示され、担当医からの事前の説明では「腫瘍を取り除くが、発声に関わる声帯は残すことができる」という内容でした。 これまでの治療で舌を部分的に失い、ただでさえ会話に苦労していた私にとって、「声帯が残る」「声を失わずに済む」という言葉は、大きな救いでした。しかし、その希望は手術室の中で打ち砕かれてしまいました。全身麻酔から目を覚ました私は、首元に永久気管孔が開けられていることに気づきました。そして、声を出そうとしても全く音にならないのです。 術後、担当医から告げられたのは、「手術を進める中で、がんの浸潤が想定以上に声帯の近くまで及んでいることが判明し、安全な切除マージンを確保するためには、やむを得ず声帯の全摘出が必要だった」という説明でした。医学的に命を守るために術式が変更されるケースがあることは理解しようと努めました。しかし、事前に「声は残る」と聞いていた分、衝撃は非常に大きなものでした。「なぜ全摘出しなければならなかったのか」という疑問や納得しきれない思い、そして、突然自分の声を失ってしまったことに対するショックは、私の心に暗い影を落としました。声帯全摘出と説明を受けた直後は、死にたい気持ちに襲われ、自殺も考えました。 声を失って以降、日常のコミュニケーションはすべて筆談に頼らざるを得なくなりました。出社しても同僚に朝の挨拶ができない。誰かに助けてもらったとき、感謝の思いがあっても「ありがとう」という言葉を即座に口にして伝えられない。会議や打ち合わせで自分の考えがあっても、とっさに発言することができず、相手に意図が正しく伝わらない。そのようなもどかしさと苦労を日常的に抱えることになりました。特に、電話で会話をすることが物理的に不可能になったため、仕事面でも生活面でも多大な不便と制約を感じる日々がここから始まったのです。

5度目のがん罹患、中耳悪性腫瘍とBNCT療法の実施

声帯全摘出から立ち直る間もなく、翌2025年に、またしても私の体に異変が生じました。今度は左側の耳から慢性的な耳垂れが出るようになり、耳の中に痛みを伴うようになったのです。再び大学病院の耳鼻咽喉科を受診し、MRIやCT、組織生検などの詳細な精密検査を受けた結果、耳の中に発生する中耳悪性腫瘍と診断されました。 13年の間に、実に5度目となるがん告知でした。この中耳悪性腫瘍に対しては、「BNCT療法(ホウ素中性子捕獲療法)」を行うことになりました。BNCT療法は、関西エリアでは特定の大学病院のみで実施しているため、紹介状をいただき治療を受けました。これは、がん細胞に選択的に集まる性質を持つホウ素化合物を点滴で体内に取り込ませ、体外から中性子線を照射することで、がん細胞のみをピンポイントで破壊する治療法です。実際の照射治療にあたっては、正常な組織へのダメージを最小限に抑えることができるため、これまでの抗がん剤治療や大がかりな切除手術と比べても身体的な負担や副作用を大幅に減らすことができたと思っています。5度のがん告知を受け、そのたびに過酷な治療や手術を重ねてきましたが、医療技術の進歩にも助けられながら、今回のがん治療も何とか乗り越えることができました。

生きている奇跡に対する前向きな決意

声を失ったこと、そして休職後に降格人事を経験したことや、現在の職場で円滑にコミュニケーションが取れないもどかしさを抱える中で、「なぜ自分ばかりがこんな目に遭うのか」「不公平ではないか」という葛藤や悔しさが心の中で渦巻くことは何度もありました。 現在53歳となり、会社勤務も34年目を迎えます。退職して新たな道を歩むことも何度も頭をよぎりましたが、年齢と声を失い筆談しかできない身体状態で新しい職を探すことは決して容易ではありません。かつてのように第一線で活躍できない自分に対する「余計なプライド」が邪魔をして苦しむこともありますが、今はさまざまな感情をぐっと飲み込み、我慢を重ねながら現在の職場で勤務を続けています。 思えば、1度目の横紋筋肉腫の発症から現在に至るまで、それぞれのがん治療を担当してくれた3人の医師に診察していただき、強い信頼関係は築いてきました。しかし、13年間という月日の中で5度もがんを経験することになったこれまでの経緯を振り返ると、「これほど頻繁にがんが発症するのであれば、もう少し早い段階でより詳しい検診を積極的に提案してほしかった」という悔恨に近い思いが残るのも偽らざる本音です。 現在は、月に1回のペースで定期通院を続けながら、何とか仕事をこなしています。正直に言えば、今でも「ただ普通に会話がしたい」という切実な思いが胸を締め付けます。しかし、病気や不慮の事故で無念にも亡くなられた多くの方々のことを考えれば、5度もの過酷ながん治療を経験し、大きなものを失いながらも、今こうしてこの世界に生きていること自体が、とてつもない「奇跡」なのだと強く感じるようになりました。なぜ自分だけがと思うこともありますが、親から授かった大切な命です。失ったものを数えるのではなく、今ある命に感謝し、前向きに日々を頑張って生きていこうと心に決めています。

今、がんと向き合っている方へのメッセージ

今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。 親から授かった命を大切にしましょう 度重なる病状の変化や大きな治療に直面すると、「なぜ自分がこんな目に遭うのか」と悩んだり、絶望したりすることがあると思います。私も5度のがんを経験し、試練に打ちひしがれそうになりました。それでも、この命は親から授かったかけがえのないものです。自分が生きている意味を大切に、命に向き合っていきましょう。 今生きている奇跡を噛み締めて、前向きに過ごしましょう 大きなものを失ったり、思い通りにいかない現実に葛藤したりすることもあります。しかし、病気や事故で亡くなる方のことを考えれば、今こうして生きていること自体が奇跡なのだと感じています。置かれた状況の中で過度に自分を責めず、前を向いて今ある時間を丁寧に過ごしてください。

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