写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:めんたいしろたんさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:両親と3人暮らし
仕事:休職中(診断時は会社員)
がんの種類:卵巣がん(明細胞腺がん)
診断時ステージ:ステージ1A
診断年:2011年
現在の居住地:福岡県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。
30代後半で判明した子宮筋腫の経過観察を続けていためんたいしろたんさんは、2011年に受けた開腹手術をきっかけに卵巣がんが判明しました。悪性度の高い組織型である明細胞腺がんと診断され、一度は提示された治療方針に苦悩しながらも、自ら納得のいく医療と医師を求めて転院を決意されました。2度の手術と術後補助化学療法を乗り越えためんたいしろたんさんに、がんの発見から病院選び、治療選択の決断と現在の思いについてお話しいただきました。
子宮筋腫の経過観察から開腹手術への決断
私が自分の体調の変化を意識し始めたのは、30代後半のころでした。自発的に婦人科クリニックを受診して子宮筋腫の検査を受けたところ、約4 cmの筋腫が見つかりました。当時は症状もほとんどなかったため、定期的に経過観察を続けていく方針となりました。
しかし、2010年10月ごろになると筋腫が大きくなり、医師から手術による摘出を勧められました。対応可能な病院を紹介された際、私は体への負担や術後の傷口を小さく抑えたいと考え、腹腔鏡手術を受けることを希望しました。そこで腹腔鏡手術が実施できる病院を2件受診し、診察を受けました。
しかし、どちらの病院の医師からも「筋腫のサイズが大きすぎるため、現時点では腹腔鏡での手術は不可能であり、開腹手術になる」と説明を受けました。そこで、まずは手術前にホルモン療法を行い、筋腫を少しでも小さくしてから改めて判断する方針となり、医師の指示のもとで治療を受けることになりました。
約2か月間にわたりホルモン療法を続け、期待を込めて再検査に臨みました。しかし、医師から言われたのは「大きさに全く変化がありません」という結果でした。腹腔鏡手術への望みが断たれた瞬間は大きなショックを受けましたが、
これ以上引き延ばすことはできないと悟り、開腹手術を受ける覚悟を決めました。
1回目の手術で判明した想定外の病理結果
2011年2月中旬、総合病院で開腹手術を受けました。当初の手術予定は子宮筋腫の切除でしたが、いざ開腹してみると、思わぬ事態が判明しました。片側の卵巣が赤ちゃんの頭ほどの大きさにまで著しく腫れ上がっていたのです。
手術終了後、麻酔から目が覚めた私のもとへ担当医が訪れ、手術中に撮影した写真を見せてくれました。写真に写っていた腫大した卵巣の一部はドス黒く変色しており、医師からは「見立てではあるが、卵巣の一部ががん化している可能性が高い。腹水も溜まっていたため、病理検査の結果を待つ必要がある」と説明されました。この手術では、腫大していた片側の卵巣の摘出と、子宮に存在していた小さな筋腫2個の切除が行われました。
手術から約1週間後に退院し、通常であれば2週間ほどで届くはずの病理検査の結果を待ちました。しかし、3週間が経過しても病院からの連絡はありませんでした。単に検査が混み合っているのだろうと考えていましたが、1か月近くが経過したころ、ようやく病院から電話があり病理検査の結果が出たとのことでした。
一人で検査結果を聞きに行くつもりでしたが、私一人での受診ではなく「結果が思わしくないため、できれば身内の方と一緒に来てください」と告げられました。その言葉に大きな不安を覚え、私は母親に同行を頼んで病院へ向かいました。
診察室で写真を示されながら、腫瘍の一部が悪性化しており卵巣がんであることが正式に告知されました。結果の連絡に1か月もかかった理由は、病院内の病理検査で非常に立ちの悪いがんの疑いが生じたため、確実な診断を得るべく大学病院の専門医へ検体を回して慎重に鑑別を行っていたからでした。
確定した組織型は、卵巣がんの中でも悪性度が高いとされる明細胞腺がんでした。当時は生理痛程度の自覚症状しかなかったため、自分がそれほど重大な病気にかかっているとは信じられず、強いショックを受けました。医師からは「明細胞腺がんは非常に立ちが悪く、再発のリスクが高い。当院はがん専門病院ではないため、専門的な治療を受けられる病院へ転院することを強く勧めます」と伝えられ、紹介状を作成してもらうことになりました。
がんセンターでの対応と主治医への相談
紹介状を手に、私はその日の午後に提示されたがんセンターを受診しました。しかし、担当した婦人科の医師との診察は、私にとって非常につらく不快な時間となりました。
診察室に入ると、その医師は不機嫌な態度で持参した画像データを確認し、「明細胞腺がんですね。うちでは次に抗がん剤治療を行うことになります」と事務的に告げました。さらに、「今日は急患が入って時間がないのに、午後からの出張の予定を潰してまでこの対応をしている」といった不満を私に対して直接口にしました。
提示された治療方針にも困惑しました。医師は「当院での抗がん剤治療は、半年間ずっと入院しっぱなしで行う」といいました。私は事前にインターネットなどで情報を調べ、抗がん剤治療は通院で行うことが主流になりつつあると認識していたため、「なぜ半年も病院に縛り付けられなければならないのか」と強い不信感と不安を抱きました。
医師からは「入院の手続きを進めるので後で連絡するように」と言われましたが、受診を終えて病院を出た直後、到底この医師に命を預けることはできないと直感しました。
私はすぐに、1回目の手術を受けた元の総合病院の担当医に電話をかけました。がんセンターでのやり取りや提示された治療方針、医師の対応に対する不信感を正直に伝えたところ、担当医は「そんなつらい思いをされたのですね」と親身に共感してくれました。そして「それなら別の病院を探しましょう」と提案してくださり、その日のうちに別の総合病院への紹介状を新しく書き直してくれました。私は紹介状を受け取り、すぐさま新たな総合病院へ連絡を入れ、翌日受診することになりました。
根治を目指した2回目の手術
翌日、新たに紹介された総合病院の婦人科を受診しました。担当となった医師は私の話を温かく聴いてくださり、「当院では通院で抗がん剤治療を行えますから安心してください」と説明してくれました。その言葉を聞き、私は心底ほっと胸を撫で下ろしました。
一方で、今後の治療計画については厳しい現実が示されました。医師からは「明細胞腺がんは非常に再発や転移のリスクが高い組織型です。前回の手術では片側の卵巣しか摘出していないため、残っている反対側の卵巣や子宮、大網、周辺のリンパ節も含めて全摘出する再手術を行うことを強く推奨します」と説明を受けました。
子宮や残りの卵巣をすべて摘出するという選択は、妊娠の可能性を完全に失うことや、女性としての身体の変化を受け入れることを意味していました。その事実に葛藤やショックが無かったわけではありません。しかし、それ以上に「再発して命を落としたくない、まだ若くこれからも生きていたい」という思いが上回りました。根治を目指すため、私は2回目の手術を受ける決意を固めました。
2011年5月、2度目となる開腹手術に臨みました。子宮と反対側の卵巣、大網、および骨盤内のリンパ節郭清が行われ、病変部位とその周辺組織が広範に切除されました。摘出組織の病理検査を経て、最終的なステージは1Aと確定しました。ステージ1Aだったことは、不幸中の幸いでした。
術後補助化学療法の副作用
2回目の手術後、約1か月間の入院生活を送りました。入院中に、再発予防を目的とした術後補助化学療法の1クール目を行いました。使用された薬剤は、パクリタキセルとカルボプラチンを組み合わせたTC療法でした。
1回目の点滴投与を行った当日の夜、私は猛烈な副作用に見舞われました。世間でよく耳にする激しい吐き気と全身の強い倦怠感です。看護師に体を支えられながら何度も吐き戻すというつらい体験をしました。幸いにも、この激しい吐き気は投与の翌日には治まりました。
退院後、2クール目以降の術後補助化学療法は通院で実施されました。2回目の投与時には、点滴の針を刺していた部位から薬剤が漏れるトラブルが発生しました。皮膚の色が変わって痛みが走り、看護師から「放置すると組織が壊死する危険があるため慎重に対処しましょう」と説明を受けました。しかし、初回のような激しい吐き気は、2回目以降は出現せず、倦怠感と付き合いながら全3クールの術後補助化学療法を完遂することができました。
リンパ浮腫や更年期症状との向き合い方
2回目の手術でリンパ節郭清を行ったため、術後に担当医からリンパ浮腫の発症リスクについて説明を受けました。リンパ液の流れが滞ることで足が著しく太くなった患者の写真を見せられ、予防や適切な対策が必要であることを教わりました。
退院から約半年が経過したころ、左足にわずかな違和感を覚えるようになりました。見た目には顕著な変化はなかったものの、どこか重だるく、少し膨らんでいるような感覚がありました。定期通院の際に担当医に相談して脚の周径を測定してもらったところ、左右で3〜4 cmの差が生じており、正式にリンパ浮腫と診断されました。
私は病院から紹介されたリンパ浮腫外来を受診しました。そこで理学療法士などからセルフマッサージのやり方の指導を受け、患部を圧迫するための弾性ストッキングを購入して日常的に着用する取り組みを始めました。適切なアプローチを続けた結果、10年以上が経過した現在でも足の左右差は2 cm以内に収まっており、悪化させることなく現状を維持できています。
また、両側の卵巣を摘出したことによる身体の変化として、更年期症状も現れました。術後半年ほどが経過したころ、突然の激しい体調不良と全身からの大量の発汗に見舞われ、外を出歩くこともできず半月ほど寝込む日々が続きました。婦人科の受診を通じてホルモン補充療法などの適切な処置を受けたことで症状は和らぎ、時間をかけて体が変化になじんでいきました。現在では更年期症状は落ち着いています。
職場の支えによる復職と心境の変化
がんの診断を受けた当時、私は会社員として経理の仕事に従事していました。1回目の手術の段階では通常の休暇を取得して対応していましたが、病理検査の結果が出た際、自分自身の今後の働き方や治療について大きな不安に直面しました。
私は直属の上司であった女性の経理部長へ、涙を流しながら事態を打ち明けました。「仕事を辞めたくはないが、今後の治療や精神的なショックでどうしていいかわからない」と相談したところ、上司は「あなたに辞められると困ります。これからもずっと会社で頑張ってほしい」と温かく受け止めてくれました。
当時、その会社には長期間の病気療養を保障する休職制度が存在していませんでした。しかし上司は「良い機会だから会社規定を改定するように働きかけてみます」と動いてくれ、制度を新設して半年間の長期休職期間を認めてくれました。
3か月間に及ぶ治療が終了した段階で復職を申し出ようと考えましたが、上司から「焦らずにしっかりと体調を整えてから戻ってきてほしい」と配慮され、認められた半年間の休職期間をフルに活用して療養に専念しました。こうして万全の状態で職場へ復帰することができました。
復職後は定期的な経過観察を受けながら勤務を継続し、術後5年が経過した時点で再発もなく、無事に経過観察終了を迎えました。その後、病気とは直接関係のない職場環境の不都合を理由に退職しましたが、現在は自分のペースに合わせてパートや派遣などの働き方を選択しています。
がんという命に関わる病気を経験したことで、私の価値観や生き方には大きな変化が生まれました。それまでは先延ばしにしていたことでも、「いつ再発してやりたいことができなくなるかわからないのだから、我慢せずにできる範囲で挑戦してみよう」という前向きな思考が芽生えたのです。我慢するのではなく、自分の気持ちに素直になり、今という時間を大切にしながら日々を過ごしています。
今、がんと向き合っている方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
婦人科を受診する際は卵巣についても相談してみてください
卵巣がんは初期には症状が出にくく、気づきにくいことがあります。女性特有の体調不良や違和感があり婦人科を受診する際には、子宮だけでなく卵巣についても気になる症状や不安を医師に伝え、必要な検査について相談してみてください。
信頼できる医師や医療機関を妥協せずに選んでください
がんの治療においては、医師の技術や知識の高さだけでなく、患者一人ひとりの気持ちに寄り添ってくれる人間性や信頼関係が非常に重要です。受診時に医師の対応や言葉遣いに強い違和感や不信感を抱いた場合は、無理をして我慢し続ける必要はありません。納得のいく治療を受けるために、別の医師や医療機関へ相談する選択肢を持つことが自分自身の身を守ることにつながります。
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