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食道がんステージ3A、自分で調べて納得して選択した化学放射線治療

[公開日] 2026.09.09[最終更新日] 2026.09.08

写真はイメージです。(AIによる生成)
プロフィール お名前:やまけいさん(ニックネーム) 年代:60代 性別:男性 家族構成:妻と2人暮らし(子ども2人は独立) 仕事:無職(診断時は会社員) がんの種類:食道がん 診断時ステージ:ステージ3B 診断年:2024年 現在の居住地:大阪府
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。 2024年9月、やまけいさんは長引く咳や声枯れをきっかけに食道がんのステージ3Aと診断されました。自ら情報を集めて手術を回避し、化学放射線療法を選択したものの、翌年に骨転移が判明。その後、免疫チェックポイント阻害薬や抗がん剤治療を経て、現在は治験に参加しています。治療による身体の変化と向き合いながら、家族に苦労をかけないために公正証書遺言を作成するなど、自身の状況を冷静に見つめるやまけいさんに、治療選択の経緯や治験への思いについてお話しいただきました。

食道がん診断のきっかけは長引く咳と声枯れ

2024年の8月のお盆明けごろのことでした。盆を過ぎても猛暑が続いていた時期でしたが、なぜか咳がよく出たり、声が枯れたりする症状が続いていました。自分が普段話している声の音域が出なくなったような感覚があり、「この時期にただの風邪だろうか」といぶかしく感じていました。 そんな折、翌月の9月に総合病院での定期健康診断の予定が入っていました。65歳の定年を迎えて会社を退職したばかりの時期でしたが、自分の健康のために、長年会社で受けていた健診をそのまま個人で申し込んでいたのです。自費で8000円程度かかりましたが、継続して受けることにしていました。 本来、その健診では胃の検査としてバリウムを飲む予定でした。しかし、喉の調子や体調にどうにも気持ち悪い違和感があったため、健診の際に「バリウムではなく内視鏡(胃カメラ)に切り替えて、食道から胃までを調べてほしい」と自ら申し出ました。 その内視鏡検査の結果、食道に腫瘍があることが見つかりました。自分から違和感を察知して検査内容を変更したタイミングで見つかったため、このときの発見は不幸中の幸いであったと思っています。

通院しやすい大学病院を選択

食道の腫瘍を見つけてくれた総合病院には、食道がんの詳しい治療に対応できる専門の医師が不在でした。そのため、精密検査や治療を受けるための大きな病院を紹介されることになりました。提示された2つの大学病院の候補のうち、私は自宅からの距離や通院のしやすさを考慮して、府内の大学病院を選択し、紹介状を書いてもらいました。 10月に入り、紹介先の大学病院を受診しました。改めてCT検査を行い、がんの広がりを確認しました。さらに、内視鏡検査で食道から胃にかけての内部を観察し、組織を採取する生検を行いました。 検査の結果、食道がんであることが確定しました。リンパ節への転移は見られませんでしたが、がんが食道の内部だけでなく食道の外側にまで浸潤している疑いがあるとのことでした。遠隔転移はなかったため、診断時のステージは3Bであると告げられました。

手術を避け、化学放射線療法を選択

主治医からは、食道がんの標準治療として、まずは抗がん剤治療を行い、その後に手術でがんを切除するという方針が提案されました。 しかし、私は治療提案があるまでインターネットなどでさまざまな情報を調べていました。同じ食道がんになった医療ジャーナリストの方や、著名な俳優の方が、手術をせずに化学放射線療法でがんを克服したという事例を知ったのです。 食道がんの手術は、食道を全摘出して喉と胃をつなぐなど、非常に体への負担が大きい大手術です。手術をした後の生活では、食事がうまく喉を通らなくなるなど、生活の質(QOL)が著しく低下するという情報を目にしました。私は元々痩せ型だったため、「これ以上食事ができなくなったらどうなってしまうのか」という強い恐怖がありました。 そのため、私は主治医に対して「手術ではなく化学放射線療法をやりたい」と強く申し出ました。大学病院の主治医は驚いていましたが、私が強く希望したため、それ以上に手術を強く勧められることはなく、私の意思を尊重してくれました。

胸が焼けるような痛みに耐えた放射線治療

11月に入り、大学病院に入院して化学放射線療法を開始しました。シスプラチンと5-FUという2種類の抗がん剤を用いる治療に加え、28回にわたる放射線治療を行うというものでした。 この治療で最も過酷だったのは、抗がん剤の副作用よりも、放射線治療による苦痛でした。まるで磔にされ、胸を直接刺されているのではないかと思うほどの激しい痛みに襲われました。放射線を当てた胸のあたりが常に焼けるように痛み、食事が全く喉を通らない状態になってしまったのです。 胃に直接穴を開ける胃ろうなどの処置は行わず、鼻からチューブを入れて栄養を補給する経鼻管栄養でしのぎました。美味しく食事をとることなど到底できず、ひたすら痛みに耐える日々は本当につらいものでした。 治療は、まず11月に入院して、1回目の抗がん剤(4日間)と放射線治療を開始しました。退院後は自宅から通院し、平日に毎日放射線治療のみを受けました。そして治療開始から約1か月経ったころ(第5週目)、2回目の抗がん剤を行うために再び入院しました。全体の治療は、1回目の入院、通院での放射線、2回目の入院を合わせて、約1か月半(6週間)で完了するというスケジュールでした。 ※がんの治療に伴う副作用の出方や程度には、大きな個人差があります。また、現代の医療では副作用をあらかじめ予防したり、症状を抑えたりする対策(支持療法)が非常に進歩しています。体験談の描写に過度な不安を抱かず、主治医や医療スタッフに安心してご相談ください。

骨転移発覚で開始した免疫チェックポイント阻害薬

過酷な入院治療を乗り越え、退院後の2025年春ごろにCT検査と内視鏡検査を受けました。その結果、画像上からがんが見えなくなり、完全奏効に近い状態であると判断されました。これで一安心だと胸をなでおろしました。 しかし、その喜びは長くは続きませんでした。同年5月に次のCT検査を受けた際、恥骨のあたりに影が見つかったのです。私は主治医に「これは別の新たながんができたのでしょうか」と尋ねましたが、答えは「食道がんからの骨転移だと思われる」というものでした。 すぐに恥骨の転移部分に放射線を当てる救済治療を行いました。さらに、全身の治療としてオプジーボとヤーボイという2種類の免疫チェックポイント阻害薬を併用する治療を開始しました。この免疫チェックポイント阻害薬の治療は、私には非常に合っていました。副作用がほとんどなく、日常生活も問題なく送れました。食欲も戻り、元気に過ごすことができたのです。8月ごろには転移したがんもだいぶ小さくなりました。

厳しい参加条件をクリアして治験に参加

しかし、2025年の秋ごろから、骨転移が再び増悪し始めました。オプジーボとヤーボイの併用療法を翌年の1月まで続けましたが、CT検査の結果、がんは全く小さくなっておらず、効果がないという判断が下されました。私は、先生に「見切るのは早いのではないか」と食い下がりましたが、いつどのような副作用が起こるかわからないため、別の薬に変更することになりました。 2026年2月からは、パクリタキセルという抗がん剤による治療が始まりました。これが私には全く合わず、副作用のオンパレードでした。投与開始から3週間ほどで髪の毛はすべて抜け落ち、手足のしびれがひどく、皮膚がめくれ、爪もひどい状態になりました。5月まで約3か月間耐えましたが、限界を感じて悲鳴を上げました。薬の量を減らしたり、投与間隔を1週間から2週間、3週間に延ばしたりして調整してもらいましたが、それでもつらい状況は変わりませんでした。 そんな中、主治医から「がんセンターで実施している治験という選択肢がある」と提案されました。100人受けて10人しか条件に適合しないという厳しいものでしたが、血液を使った遺伝子検査の結果、なんとかその10%の狭き門をクリアすることができました。さらに、がんセンターへ移ってから2回目の検査があり、そこでも50%の確率を通過して、無事に治験を受けられることが決定しました。

長時間の待機を余儀なくされる治験の負担

2026年7月から、がんセンターで治験薬の投与を開始しました。治験薬は約1時間半かけて点滴で投与されます。今のところ、体に明らかな副作用や異変は感じておらず、淡々と治療を受けている状態です。 ただ、これまで通っていた大学病院と、がんセンターとでは、通院の負担や対応に大きな違いを感じています。大学病院では受付から診察、点滴を終えて帰宅するまで3時間程度で済んでいましたが、がんセンターの治験では、朝の10時に採血をすると、点滴を受けて帰るのが夕方の16時ごろになります。6時間から7時間近く病院に滞在しなければならず、体調が悪い中での長時間の待機は非常に堪えます。携帯を見ていてはすぐに充電が切れてしまうので、私はこの待機時間のほとんどを、本を持参してひたすら読んで過ごしています。 また、私が参加している治験では、薬の名称以外の詳しい情報は一切教えてもらえていません。診察室は常に混雑しており、医師も余計なことは話さない雰囲気です。治験コーディネーターの方も、体重や血圧の測定には立ち会ってくれますが、それ以上の情報を積極的に教えてくれることはありません。「突然治験を打ち切られるのではないか」という不安を抱きつつも、私としてはこの薬が効いてくれることを信じ、大きな期待を持って治療に臨んでいます。

予測できない激しい体調の波や感覚の異常

がんになり、身体的な変化も強く感じています。特に恥骨への転移の影響で、歩いたり運動したりするのがつらくなりました。筋肉を落とさないために運動が必要だとはわかっているのですが、無理をして動くと自宅に帰ってから半日ほど寝込んでしまうような疲れが出ます。骨が弱くなっているため、骨折への不安も常にあります。 また、抗がん剤の副作用なのか、味覚が全くわからなくなってしまいました。味がしないため食欲もわかず、生きるために無理やり口に押し込んでいるような状態です。 逆に嗅覚は異常に研ぎ澄まされてしまい、家の中にいる犬の匂いなどにも敏感に反応し、それが吐き気につながることもあります。 日によって体調の波が激しく、朝起きてみないと1日の調子がわかりません。元気な日は日常生活を送れますが、だるさが強い日は半日じっと横になっていることもあります。治療の何日後に体調が悪くなるというような規則性もないため、予定が立てづらい日々を過ごしています。

家族のことを考え、終活を開始

病気になり、死を身近に意識するようになりました。私は2年前に母親を亡くしているのですが、母はとても頑固な性格で、生前にお金や相続の話をしようとすると「私が早く死んでほしいのか」と怒り出す始末で十分な対策ができず、亡くなった後の手続きで非常に苦労しました。 私は息子たちに同じような苦労をさせたくないという思いから、体調の波がある中で税理士や司法書士の事務所へ出向き、公正証書遺言を作成しました。遺産相続の準備や、パスワードがわからなくなるデジタル遺産の整理など、できる限りの手続きを現在進めています。 60代後半という年齢で、まさか自分がこんなにも早く死を意識することになるとは思っていませんでしたが、私は塞ぎ込んだりクヨクヨしたりする性格ではないため、残された時間を冷静に捉え、家族が揉めないように身辺整理を行っています。 終活を進める一方で、決して生きることを諦めたわけではありません。現在受けている治験薬が効いてくれることに大きな期待を寄せながら、塞ぎ込むことなく、自分らしいペースで残りの人生を前向きに歩んでいきたいと思っています。

今、がんと向き合っている方へのメッセージ

今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。 体調の変化を見逃さず、定期的な検査と医師との相談を大切にしてください がんの治療中や経過観察中は、「また何か悪いことを言われるのが怖い」と不安になるかもしれません。しかし、私自身、定期的な検査を欠かさず受けていたからこそ、骨転移を早く発見し、免疫チェックポイント阻害薬や治験参加といった次の治療へとつなげることができました。少しでも日々の体調の変化を感じたら決して放置せず、定期的な検査をしっかりと受け、些細なことでも医師と相談してください。早めのアクションが、あなた自身の可能性を広げることになります。 治験という選択肢があれば、可能性を信じて前に進んでください 治験には厳しい条件があり、私自身も低い確率の条件をなんとか通過して参加することができました。もし可能性が残されているのであれば、前に進む選択をした方が後悔しないと私は考えています。ダメならまた別の方法を考えるという姿勢で、未知の治療であってもチャンスを掴んでほしいと思います。ただし、いろいろな情報には嘘やまやかしも多いと思います。標準治療をベースに必要ならセカンドオピニオンも取り入れて、十分吟味のうえ納得して治療することが大切だと思っています。

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