写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:森進也さん(本名)
年代:40代
性別:男性
家族構成:妻と子ども2人との4人暮らし
仕事:無職(診断時は自営業)
がんの種類:びまん性大細胞型B細胞リンパ腫、骨髄異形成症候群
診断時ステージ:ステージ4(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)
診断年:2023年(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)、
2025年(骨髄異形成症候群)
現在の居住地:愛知県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。
2023年、森進也さんはびまん性大細胞型B細胞リンパ腫ステージ4と診断されました。度重なる再発中に骨髄異形成症候群を発症し、同種造血幹細胞移植の決断をします。自ら情報収集し納得のいく治療を選択してきた森さんに、治療の経緯や病気を経て変化した価値観についてお話しいただきました。
治らない吐き気から救急外来を受診
2023年2月のことでした。吐き気と気持ち悪さが続き、体調が優れない日々がありました。少し前に子どもが胃腸炎のようなものにかかっていたため、最初はそれがうつったのだろうと軽く考えていました。近くのかかりつけのクリニックを受診したところ、そこでも「胃腸炎だろう」と言われ、吐き気止めなどの薬を処方されました。
しかし、数日が経過しても吐き気は治まるどころかむしろ強くなっていきました。「これは明らかにおかしい」と感じたため、妻に促されて総合病院を受診することにしました。午後になっていたため一般診療の受付は終わっていましたが、体調の悪さを訴え、救急外来のような形で診てもらうことができました。
即日入院し治療を開始
総合病院で血液検査やCT検査を受けた結果、医師から「ここでは詳しく診られないから、すぐに血液内科があるがん拠点病院へ行ってください」と言われ、紹介状を渡されました。翌日の朝、隣の市にあるがん拠点病院へ行き、改めて検査などを受けました。
この時点ではまだ詳しい病型は確定していませんでしたが、「悪性リンパ腫」であることは間違いなく、進行が非常に早い状態でした。当時の主治医からは「あと2、3日遅かったら昏睡状態になっていたかもしれない」と言われるほど危険な状況でした。そのため、確定診断を待つ猶予はなく、即日入院して症状を抑えるための治療が始まりました。
入院から1〜2週間後に骨髄検査の結果が出て、病型はびまん性大細胞型B細胞リンパ腫で、ステージは4であることが確定しました。
第一選択薬の変更と長期にわたる抗がん剤治療
初回の治療は、R-CHOP療法よりもさらに強力で、白血球が大きく減少するR-CHASE療法(リツキサン、シクロホスファミド、高用量シタラビン、エトポシド、デキサメタゾン)という治療を1コースだけ受けました。悪性度が高く、進行のスピードを抑えるために強力な治療が必要だったためです。最初の入院中は、白血球がゼロになり、口の中にカビが生えて真っ白になるなど、激しい副作用に苦しみました。熱が出て気持ち悪くても、知識がないため看護師さんにどう伝えていいかわからず、無菌室で一人、眠れない夜を過ごしたのが一番つらかったです。
2コース目からは治療法を変更し、DA-EPOCH-R療法(エトポシド、プレドニゾロン、ビンクリスチン、シクロホスファミド、ドキソルビシン、リツキサン)という治療を5コース受けました。これは薬の量を調整しながら効果を高めていく治療です。さらに、中枢神経再発予防のため、メトトレキサートという薬を途中で2回追加しました。
約3週間入院して治療を受け、白血球が回復したら1週間だけ自宅へ退院し、またすぐに入院するというサイクルを繰り返しました。退院している1週間は体調も回復し、意外と元気に過ごせていたため、家族との時間を大切に過ごしました。当時私はネット通販の自営業をしており、入院中もパソコンを持ち込んで病室で作業をしていましたが、治療に専念するため、扱う商品を絞るなどして事業を縮小していきました。
2023年9月ごろ、約7か月にわたる一連の治療を終え、画像上からがんが見えなくなりました。
CAR-T細胞療法による再発治療
寛解後は経過観察を続けていましたが、翌2024年5月に精巣に腫れが見つかり、再発が確認されました。再発の治療としてCAR-T細胞療法を受けることになりました。この治療は地元のがん拠点病院ではできなかったため、設備のある大きな病院へ転院しました。CAR-T細胞の製造を待つ間は、地元のがん拠点病院で抗がん剤治療を1コース受けて時間をつなぎました。
CAR-T細胞療法は、重篤な副作用であるサイトカイン放出症候群(CRS)などのリスクが高いと聞いていたため、かなり身構えていました。しかし、実際に治療を受けてみると、私の場合は37度台前半の微熱が出た程度でした。もう一つ、肩から頭にかけてピリピリとする神経系の軽い症状が1週間ほど続きましたが、痛みを伴うものではなく、予想していたよりもあっけなく治療を終えることができました。治療の効果もしっかりと現れ、2024年8月にはCAR-T細胞療法による治療を終えて退院しました。
二度目の再発と強力な副作用による治療の断念
CAR-T細胞療法の後も、地元のがん拠点病院で経過観察を受けていましたが、2025年1月のCT検査で副腎に1cmほどの腫れが見つかりました。1か月後の2月にはその腫れが6cmにまで急激に大きくなっていたため、生検を行った結果、二度目の再発であることがわかりました。
次の治療として二重特異性抗体のエプキンリという薬を使った治療が始まりました。この治療は効果があり、大きくなった腫瘍はみるみるうちに縮小していきました。しかし、その分副作用も強烈でした。過剰な免疫反応であるCRSが非常に強く出てしまい、本来であれば定期的に継続するはずの投与が、副作用からの回復を待つために何度も延期になってしまいました。エプキンリは、「病状が進行していない」かつ「重い副作用などにより治療の継続が困難にならない」限り、原則として投与を継続することになっていました。しかし、私には副作用が強すぎて継続が困難であると判断され、4月にはこの治療を断念することになりました。
セカンドオピニオンで同種造血幹細胞移植を決意
エプキンリの治療が困難となったため、次に残された根治を目指す選択肢は、同種造血幹細胞移植でした。しかし、当時の主治医は、悪性リンパ腫に対する同種造血幹細胞移植は過去のデータから関連死(移植による合併症での死亡)のリスクが3割ほどあるとして、非常に否定的でした。
さらにこの時期、血液検査の異常から、新たに骨髄異形成症候群を発症していることが見つかりました。これまでの強い抗がん剤治療の影響で引き起こされた二次発がんの可能性があるものでした。
私は自分で納得のいく選択をするため、リンパ腫の同種造血幹細胞移植を数多く手がけている東京のがん専門病院へセカンドオピニオンを受けに行きました。そこの同年代の女性医師は親身に話を聞いてくれ、「うちの病院であれば関連死のリスクは1割以下に抑えられています。しっかりやれば治る可能性はあります」と力強く言ってくれました。もし結果がダメだったとしても、この医師に委ねて後悔はないと思えたため、東京の病院で同種造血幹細胞移植を受ける決断をしました。
※造血幹細胞移植における治療関連死亡率(非再発死亡率)は、患者さんの年齢、併存疾患の有無(HCT-CIスコア)、病気の状態(寛解期か否か)、前処置の強度、ドナーの種類(血縁・非血縁・ハプロなど)といった個別のリスク要因によって大きく変動します。日本造血・免疫細胞療法学会(JSHCT)等の全国移植データにおいても、リスクの低い条件(若年・併存症なし・HLA一致血縁等)では100日〜1年時点の非再発死亡率は10%未満に抑えられる一方、高リスクな条件では20%以上となる場合があります。本文中の「1割以下」という説明は、あくまで該当患者さんの病状や治療条件に基づいて個別に示されたリスク評価であり、すべての移植患者や該当医療機関の全症例に一律に適用される数値ではありません。
移植治療の過酷さと繰り返す感染症との戦い
ドナーは弟にお願いすることになり、移植の準備を進めました。その間のつなぎとしてPola-BR療法(ポライビー、トレアキシン、リツキサン)を行いましたが、この治療で免疫力が急激に低下し、敗血症を起こしてICUに入るというトラブルもありました。
2025年7月末、東京の病院で同種造血幹細胞移植を受けました。移植前には、抗がん剤や放射線による強い前処置を行いました。移植後の急性GVHD(移植片対宿主病)は皮膚に軽い症状が出た程度で、心配していた下痢などの重い症状はなく乗り切れました。しかし、退院後に慢性GVHDの症状が続き、皮膚の痒みや、口内炎、肺炎などの感染症を繰り返し、度々短期入院を余儀なくされました。現在は皮膚の痒みは落ち着いてきましたが、足のむくみや感染症に気をつけながら、東京と地元のがん拠点病院に通い治療と経過観察を続けています。
納得のいく治療選択を支えた自ら学ぶ姿勢
このように長期にわたる過酷な治療や困難な決断を乗り越えられたのは、私自身の「学ぶ姿勢」があったからだと思います。元々調べ物をすることが得意だったため、病気になってからは徹底的に情報収集を行いました。個人の偏った体験談ではなく、医療従事者が読むような専門的な医学書を購入して読んだり、AIの翻訳機能を活用して海外の最新論文を読み込んだりしました。
また、わからないことがあれば主治医にどんどん質問し、受け身にならずに治療に参加してきました。自分の病気と治療を深く理解しようとするこの姿勢が、セカンドオピニオンの活用や、納得して同種造血幹細胞移植を決断できた大きな理由のひとつだと考えています。
人生の羅針盤を見つめ直し手にした恩返しという使命
そして、病気について自ら深く学び、複数の抗がん剤治療からCAR-T細胞療法、同種造血幹細胞移植に至るまで数々の治療を経験したことは、私の価値観を大きく変えました。以前はもっと稼ぎたい、良い車が欲しいといった物質的な向上心に満ちていましたが、病気を経て、今後の人生の「羅針盤(価値観マップ)」を妻と共に真剣に考えました。
その結果、最も大切なのは家族や友人を大事にすること、そして自分がこれまでに関わってきた医療従事者や支援してくれた方々へ「恩返し」をすることだと気づきました。かなり多くの治療法を経験し、それらについて学んできたこの知識と経験は、これから同じ治療に向き合う患者さんにとって必ず役に立つはずです。自らの経験を伝え、誰かの助けになることが今の私にできる使命であり、これからの人生における大きなやりがいのひとつだと感じています。
今、がんと向き合っている方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
入院中は孤独を避け、話し相手を見つけてください
男性は特に、大部屋に入院していても周囲とコミュニケーションを取らず、一人で殻に閉じこもってしまいがちです。しかし、不安や悩みを自分の中に抱え込んでいると、メンタルが落ち込んでしまいます。私はリハビリの担当者や、臨床心理士の方にお願いして、ただ話を聞いてもらう時間を作りました。話しながら涙を流すだけでも、心は驚くほどスッキリします。ご家族以外にも、気を許して話せる第三者を見つけることはとても大切です。
自分の治療に受け身にならず、知識を持ってください
医師から提案された治療をただ受けるだけでなく、自分でも信頼できる情報源(書籍や公式な医療情報など)から病気について学んでみてください。専門的な知識を持つことで、医師とより深い対話ができ、自分自身が納得して治療を選択するための力になります。
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