写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:雅己さん(本名)
年代:50代
性別:男性
家族構成:妻と2人暮らし
仕事:会社員
がんの種類:男性乳がん(HR陽性HER2陽性、ルミナルB)
診断時ステージ:ステージ3C
悪性度:核グレード1
診断年:2014年
現在の居住地:兵庫県
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。
2014年、乳首の異変を感じた雅己さんは、総合病院を受診し、男性乳がんのステージ3と診断されました。手術後、リンパ節に約20個の転移が見つかり、抗がん剤治療や放射線治療を受けましたが、縦隔リンパ節や骨への転移が判明。しかし、初発時に再発のリスクを覚悟し「一生分泣いた」という雅己さんは、再発の事実を冷静に受け入れ、仕事優先だった生き方を180度転換しました。男性乳がん特有の葛藤を抱えながらも、現在は在宅勤務を続けています。診断からの12年間にわたる治療の経緯や心の変化についてお話しいただきました。
陥没乳頭の自己ケア中の異変と総合病院での乳がん診断
私は元々、陥没乳頭でした。市販の乳首吸引器を使って乳首を引き出そうと自分でケアをしていたところ、徐々に乳首の周りが硬くなっていくのを感じました。週単位で形が変わり、そのうち服が触れるだけでも激しい痛みが走るようになりました。友人たちに冗談半分で「乳がんかもしれないから硬いところを触ってみて」と言っていたこともありました。
あるとき、別の用事で総合病院の内科を受診した際、医師に乳首の症状を相談しました。すると「男性だけれども、念のため乳腺外科に行ってみてはどうか」と勧められ、同じ総合病院内の乳腺外科を受診することになりました。
乳腺外科では超音波(エコー)検査に加え、細胞診を行いましたが、それだけでは詳しくわからず、生検も行いました。その結果、2014年5月に男性乳がんと診断されました。がんのタイプはホルモン受容体陽性、HER2陽性、細胞の増殖能力を示すKi-67の数値は約10%でした。医師からは「吸引器を使ったからがんになったわけではなく、何年も前からあったものが今になって大きくなったのだろう」と説明を受けました。
手術で判明した腋窩リンパ節への転移
最初の診断時、画像検査で縦隔(左右の肺に挟まれた部分)に腫瘍らしき怪しい影があることを指摘されていました。しかし、医師からは「まずは乳がんの治療を優先し、落ち着いてから詳しく調べましょう」と言われました。私自身も怖かったため、深く追求することはしませんでした。
乳がんの治療としては、この時点では遠隔転移はないという診断だったため、まずは手術が行われることになりました。医師からは「男性でも温存もできますが、どうしますか」と聞かれましたが、私は「いいです」と断り、全摘出を選びました。
手術中にセンチネルリンパ節生検を行った結果、陽性であったため、レベル2まで腋窩(脇の下)のリンパ節の郭清を行いました。乳頭と乳輪もすべて切除し、術後の胸には一文字の傷跡が残りました。
限界まで挑んだ術後抗がん剤治療
精神的に一番きつかったのは、この手術後のことでした。私は元々「リンパ節の転移さえなければ助かる」と祈るような気持ちでいました。しかし、術中に腋窩リンパ節を郭清し、その後の詳しい病理検査の結果、摘出したリンパ節20個すべてに転移があったことを後から聞かされたのです。蓋を開けてみれば大量の転移があったという事実を知ったときは絶望し、1か月間泣き暮らしました。
再発のリスクが非常に高い状態であると説明され、ここから徹底的に術後化学療法(抗がん剤治療)を行うことになりました。まずはEC療法(エピルビシンとシクロホスファミド)という抗がん剤を4クール行いました。続いてアブラキサンという薬を使用しました。通常は数クールで終わるところを、私は限界までやることになり、結果的に9クールまで行いました。手の爪や足の爪が剥がれたり、足の爪が歪んで陥入爪 になり何度も出血したりと、これ以上は耐えられないという限界のところまで抗がん剤治療を行いました。巻き爪に関しては、皮膚科で部分抜爪し、フェノールという薬で爪母を化学的に焼灼する処置を受けてようやく収まりましたが、手のしびれは現在も残っています。
アブラキサンの途中からハーセプチンを併用し、その後もハーセプチンを継続しました。ホルモン療法としてタモキシフェンも服用しました。過酷な抗がん剤治療を終えた後、放射線治療を全部で25回、50グレイ照射しました 。
抗がん剤治療による脱毛については、通常であれば治療が終われば生えてくると聞いていました。しかし私の場合は、アブラキサンを限界まで長くやりすぎた影響なのか、治療を終えても髪の毛が元通りに生えてきませんでした。毛根自体は残っているらしいのですが、2、3cm以上は伸びず、その後、2021年に後頭部への放射線治療により、後頭部だけ不自然な長方形のような形で禿げた状態になってしまいました。 髪が生えないこと自体よりも、その不自然な形になったことがコンプレックスとなり、外出時は常に帽子をかぶる生活になりました。
※がんの薬物療法に伴う副作用の出方や程度には、大きな個人差があります。また、現代の医療では副作用をあらかじめ予防したり、症状を抑えたりする対策(支持療法)が非常に進歩しています。体験談の描写に過度な不安を抱かず、主治医や医療スタッフに安心してご相談ください。
「男性で乳がん」という周囲の反応と抱え続けた葛藤
男性乳がんは乳がん全体の約1%と言われており、非常に珍しい病気です。病院選びの際も、女性ばかりの待合室に行くのは抵抗があったため、内科も併設していて男女が混在しているクリニックや、さまざまな科がある総合病院や大学病院を選ぶように気を遣いました。
病気のことは、職場の上司と同僚のごく一部にだけ伝えました。男性が乳がんになるというのは少し恥ずかしい気持ちもあり、大々的に言うことでもないと考えていたからです。しかし、結果的に取引先を含めて誰もが知る状態になってしまいました。言ってほしくなかった相手にまで知れ渡り、過剰に気を遣われるようになったことには不満を感じました。
周囲から「何がん?」と聞かれたときは、正直に乳がんとは言いたくなかったので、「胸の方」とぼかしたり、ときには肺がんとごまかしたりしていました。
また、手術の傷跡を見られたくないため、銭湯や温泉などの公衆浴場に行くこともできなくなりました。最近は少し慣れましたが、それでもタオルで左胸を隠しながら入っています。私自身、自分の胸の傷跡をまじまじと見るのが嫌で、自宅で入浴するときも電気を消して鏡を見ないようにしています。
単身赴任中の腫瘍マーカー上昇と縦隔転移の判明
治療が落ち着いた2015年10月、私は東京へ単身赴任することになりました。ハーセプチンの治療が終わりかけの時期で、東京滞在中は自宅近所にあるクリニックに転院して経過観察を続けていました。
約1年が経過した2016年、そのクリニックの検査で腫瘍マーカーの数値が急上昇していることがわかりました。運良くその直後に「赴任先から戻れ」という辞令が出たため、地元に戻り、関西の大学病院へ転院して詳しい検査を受けることになりました。
大学病院でPET-CT検査や骨シンチグラフィを受けた結果、腰椎や頭頂部など複数の骨への転移が見つかりました。さらに2017年1月、気管支鏡検査を行って縦隔から組織を採取した結果、初診時に指摘されていた縦隔の影が乳がんの転移であることが確定しました。振り返ってみれば、初発の抗がん剤治療後に縦隔の影が一度消えていたため、最初の時点ですでに遠隔転移があったのだと思います。
再発を冷静に受け止められたのは初発時の覚悟
再発が確定したとき、私は涙を流しませんでした。初発時にリンパ節の大量転移を知って泣き暮らした際、すでに「再発は確実だ」と状況を受け入れ、死ぬことも自分の中で覚悟を決めていたからです。
実際に再発が判明したとき、再発時の男性乳がんの生存率や同じ境遇の人のブログなどを調べましたが、目にするのは悪い数字や、途中で更新が途切れるといった情報ばかりでした。それらの厳しい情報を見て「自分も長くは生きられないだろう」と冷静に受け止めていたからこそ、病気発覚から12年も生き続けられている今の状況に、自分でも驚いています。がんの症状や経過は本当に人それぞれだと実感しています。
仕事優先から自分の人生へ180度変わった生き方と現在の生活
がんと診断される前は、イベント関係の仕事で日本全国へ出張し、徹夜も当たり前の生活を送っていました。しかし、病気になり「いつ死ぬかわからない」と覚悟したとき、病院のベッドで天井を見上げながら「あそこに行きたかった」「あの人に会いたかった」と後悔するのは絶対に嫌だと思いました。
そこから私の生き方は180度変わり、仕事を優先する生き方をやめ、自分のプライベートを最優先にするようにしました。海外旅行へ行ったり、好きな歌舞伎やミュージカルを観に行ったりと、いつどうなってもいいように準備を始めました。
再発がわかってからは、主治医に「年単位で悪くなるし、月単位で急変する可能性もある」と言われたため、会社に相談して大きなプロジェクトからは外してもらいました。会社側も安全配慮の観点から気を遣ってくれたのか、現在はほぼ在宅勤務となっています。会社から具体的な仕事を指示されることはなく、自分から社員教育用のマニュアルを作成するなどして、なんとか仕事をしている体裁を保っているような状況です。
後悔しない人生を送るという新たな覚悟
再発後の治療としては、骨転移に対するランマークと、フェマーラというホルモン剤の服用から始まりました。フェマーラが効かなくなってからは、フェソロデックスとイブランスに切り替え、現在まで続けてきました。
しかし最近、左首のリンパ節に腫れが見つかりました。主治医からは今の治療が怪しくなってきており、次は抗がん剤治療へ移るだろうと言われています。
再び抗がん剤治療が始まれば、もう後戻りはできません。今の薬がいつまで効くのか、次の薬は何になるのかが一番気がかりであり、ひとつの大きな節目として新たな覚悟を決めました。
これから先の治療も決して楽なものではないと理解していますが、だからこそ、がんになったときに決めた「後悔しない人生を送る」という思いは変わりません。仕事や周囲の目を気にするのではなく、自分のプライベートや本当にやりたいことを最優先にし、充実した時間を重ねながら、一日一日を大切に生きていきたいと思っています。
今、がんと向き合っている方へのメッセージ
今、がん治療をしている方にお伝えしたいことがあります。
情報に一喜一憂しすぎないでください
がんの進行や症状は本当に人それぞれです。インターネットやブログで他の患者さんの情報を見て、ネガティブな結果に悲観したり、一喜一憂したりする必要はありません。あまり情報に振り回されず、ご自身の体と向き合うことをお勧めします。
後悔のない人生を送ってください
自分の命がいつどうなるかわからないからこそ、「あれをやりたかった」と後悔しないように生きることが大切です。仕事や周囲の目を気にするよりも、自分自身のプライベートや本当にやりたいことを最優先にして、充実した時間を過ごしてください。
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