写真はイメージです。(AIによる生成)プロフィール
お名前:もーきちさん(ニックネーム)
年代:50代
性別:女性
家族構成:夫と2人暮らし
仕事:患者団体事務局(診断時は派遣社員)
がんの種類:未分化子宮肉腫
診断時ステージ:不明
悪性度:未分化型
診断年:2013年
現在の居住地:東京都
※本体験談は、患者さん個人の経験に基づくものです。治療の経過や副作用には個人差があります。オンコロマイストーリー含め、ネット上の情報には、進行や再発といった厳しい闘病を経験された方の発信が多く残る傾向がありますが、実際には再発なく平穏に過ごされている方も数多くいらっしゃいます。情報の一つとして受け止め、治療方針の決定の際には、必ず主治医や医療従事者にご相談ください。
2013年、もーきちさんは激しい腹痛に襲われ救急外来を受診したところ、子宮に大きな腫瘍が見つかりました。手術で腫瘍を摘出した後の病理検査で、非常にまれな悪性腫瘍である「高悪性度子宮内膜間質肉腫(現行の分類名は未分化子宮肉腫)」と診断されました。当初提示された生存期間は2年程度でしたが、4回の再発や複数回の手術、薬物治療、放射線治療などを経て、現在もがんと共存しています。派遣社員として働きながら病気と向き合ってきた経験や、人工肛門(ストーマ)の造設、希少がんの患者団体での活動、そして余命宣告を受けた経験を通してたどり着いた「予後は数字や統計だけでは語れない」という思いについてお話しいただきました。
突然の腹痛をきっかけに見つかった腫瘍
2013年の7月末のことでした。生理とは関係のないタイミングで、激しい腹痛が起きました。痛みが治まらなかったため、市販の鎮痛剤を服用しましたが効かず、病院へ行くことにしました。最初は家の近くのERがある病院へ行こうとしましたが、夫が救急外来に電話をしたところ、別の患者の対応中で受け入れができないと断られました。そこで夫が消防署の相談窓口に電話をして、受け入れ可能な近隣の救急病院を教えてもらい、自分たちで受診しました。
超音波(エコー)検査の結果、卵巣か子宮に腫瘍らしきものがあるのではないかと言われました。しかし、受診した病院では、CTやMRIといった詳細な画像検査ができる設備がありませんでした。婦人科の医師も不在で、明確な診断がつかないまま痛み止めをもらって帰宅しようとしましたが、医師からは「帰ってもいいけど、また痛くなって再受診になる可能性もある。その場合は対応が二度手間になってしまうので、入院して様子を見たほうがいい」と説明を受け、点滴を受けながら1日入院することになりました。翌日、婦人科の医師の診察を経て、設備が整っている近隣の大きな総合病院を紹介され、すぐにそちらを受診しました。
がんの疑いから手術による診断へ
紹介先の総合病院を受診し、再度エコー検査を受けたところ、医師から悪性の可能性が高いと説明を受けました。総合病院ではCTやMRIの予約が1か月先まで埋まっていたため、すぐに画像検査だけを行ってくれるクリニックを紹介され、2日後に検査を受けました。
画像診断の結果、やはり悪性腫瘍の可能性が高いことがわかりました。しかし、肉腫は画像だけでは診断が難しく、実際に手術で腫瘍を摘出して病理検査を行わないと確定診断がつかないと説明を受け、手術を8月に行うことになりました。
当時私は、子どもを持つことを完全に諦めてはいませんでした。そのため、可能な限り子宮や卵巣を残してほしいと要望していました。しかし、実際に開腹してみると、腫瘍は10cmほどになっており、子宮を残すことは不可能でした。結果として、子宮を全摘出することになりました。手術後、摘出物を夫が写真に撮っており、それを見せてもらいました。一般のがんとは異なり、肉腫は柔らかく崩れやすいと説明を受けましたが、取り出したときは崩れていたのか、形がわかりませんでした。
希少がんの診断とセカンドオピニオン
9月下旬になり、病理検査の結果が出ました。告げられた病名は「高悪性度子宮内膜間質肉腫」という、悪性度が高くまれながんでした(その後、病理分類の変更により、現在は「未分化子宮肉腫」と分類されています)。
夫は診断が出るとすぐに肉腫に詳しい医師に連絡をとってくれ、10月の下旬には大阪の病院までセカンドオピニオンを受けに行きました。大阪の医師の見解も、最初の診断と同じものでした。
その後、地元の総合病院に戻り、腫瘍の悪性度が高く転移のリスクがあることから、残していた卵巣、卵管、リンパ節、大網を追加で切除する2回目の手術を2013年11月に受けました。
予防的な抗がん剤治療を見送り、経過観察を選択
2回目の手術後、医師から再発予防のための抗がん剤治療を提案されました。しかし、私はこの抗がん剤治療を見送りました。
理由はいくつかありました。
お腹の中の目に見える腫瘍はすべて取りきれたと言われ、画像上も他の場所への転移は見当たらない状態でした。そのため、腫瘍が取りきれたと言われたにもかかわらず、抗がん剤治療を行う必要性が当時の私には理解できませんでした。
また、抗がん剤によって体力や免疫力が低下することで、かえって再発のリスクが高まるのではないかという不安もありました。さらに、脱毛などの副作用への不安も大きく、フルタイムで派遣社員として働き続けたいと考えていた私にとって、抗がん剤治療はできれば避けたい選択でした。
私の肉腫は症例が少なく、抗がん剤治療のエビデンスも確立されていなかったことも、治療を見送る理由のひとつでした。抗がん剤治療を受けないという選択は、自分自身の意思で決めたものです。その結果として再発や病状の進行があったとしても、その責任は自分で受け止める覚悟でした。
※抗がん剤による免疫力の低下で再発リスクが高くなるというのは、治療前に患者さんが抱いていた不安や懸念を表したものです。抗がん剤による免疫力の低下が再発リスクを高めることを示す医学的根拠は確立されていません。
短期間での再発と分子標的薬による治療
追加手術の2か月後の2014年2月、直腸付近に最初の再発が見つかりました。このときは、セカンドオピニオンを受けた医師から紹介された別の病院へ転院し、2月に手術を受けました。この手術の際は縫合不全が起こり、1か月半ほどの入院となりました。
その後、2015年1月に仙骨のあたりに2回目の再発が見つかり、手術を受けました。しかし、それから4か月後に、同じ仙骨付近に3回目の再発が判明しました。
3回目の再発までの期間が短かったため、すぐに手術をするのは合併症のリスクが高いと言われました。手術期間を確保するために、これまで選択しなかった抗がん剤治療を受ける決断をすることになりました。私は複数の医師に意見を聞きながら治療法を検討しました。仕事を続けたいという思いや、脱毛を含む副作用への不安なども踏まえ、最終的に分子標的薬のヴォトリエントを選択しました。
ヴォトリエントでつないだ時間、そしてストーマ造設へ
手術までの時間を確保するために始めたヴォトリエントでしたが、結果として1年以上手術を遅らせることができました。ヴォトリエントを服薬する前は24mm程度だった腫瘍は、急激に増大することはなく、手術直前の検査でも32mm程度に留まっていました。しかし、手術前の休薬期間の約2週間を経て実際に開腹手術を受けた際、わずか2週間で5cmを超える大きさにまで急成長していました。休薬した途端に腫瘍が急速に大きくなったことで、ヴォトリエントが少なくとも私には効果があり、それまで腫瘍の増大を抑えてくれていたことがわかりました。副作用はありましたが、仕事を続けながら治療を継続することが私はできました。
ヴォトリエントで腫瘍の増大を抑えることができたことで手術までの時間を確保することができ、2016年8月に3回目の手術を受けることができました。しかし、切除した仙骨の断端に腫瘍が残っている可能性があったため、仙骨への放射線治療を提案され、2016年9月~11月まで放射線治療を受けました。放射線治療を受けてから10年になりますが、仙骨には再発はありません。
それから数年間はヴォトリエントを服薬しながら定期的にCT検査などで経過を観察していましたが、2020年2月に直腸付近に4回目の再発が見つかりました。このときは直腸を残すことができず、3月に手術をしてストーマを造設することになりました。
病気を抱えながら続けた派遣社員としての仕事
肉腫と診断された当時から2020年3月の最後の手術まで、私は派遣社員として働き続けました。その間、派遣先は3社変わりました。最初の派遣先では、肉腫であることを職場に伝えた上で働いていました。当時の職場には、がん治療を続けながら働く正社員の方もおり、治療への理解があったため、病気を隠さずに働くことができました。
しかしその後、部署の責任者が変わり、人員削減が行われた際、私は契約終了となりました。派遣元からの説明では「病気が理由ではない」と言われましたが、それでも、病気を抱えている派遣社員は契約終了の対象になりやすいのではないかという不安が私の中には残りました。同じくがんになった友人が派遣契約を打ち切られそうになったという話を聞いたこともあり、その後に働いた2つの職場では、面接で病気のことを打ち明けることにためらいを感じ、話すことはできませんでした。そのため、腸閉塞などで入院せざるを得ない際も、入院理由を説明するのが大変でした。
ストーマ造設をきっかけに変わった社会との関わり方
このように病気を伏せながら仕事を続けていましたが、2020年3月に直腸への再発に伴い、ストーマ(人工肛門)を造設することになりました。当時の私は、ストーマになった後の生活や生活の質(QOL)が想像できなかったので、初めてストーマを造設する可能性があると告げられた最初の再発時から「もしストーマを造設することになったら、一度仕事を辞めよう」と決めていました。そのため、当時働き始めて2か月ほどだった派遣の仕事は辞めることにしました。
面接では話していなかった病気や治療のことを伝えた後も、2か月ほどしか働いていなかったにも関わらず、派遣先の皆さまからは「戻ってきてほしい」と言ってくださいました。その言葉はとても嬉しかった一方で、術後の状態や復帰時期がわからない私には、その気持ちに応えられないことがとても申し訳なく感じていました。
その後、生活が落ち着いてきた2020年の5月ごろ患者会のつながりから声をかけていただき、患者団体の活動に関わるようになりました。現在もそのお手伝いが、私の主な活動となっています。
ありのままの自分でいられる友人との関係
仕事では病気のことを伏せていた時期もありましたが、プライベートでは、信頼できる友人には病気のことを伝えています。
周りの人たちも、私ががんであることやストーマがあることを知った上で、特別扱いすることなく、これまでと変わらず接してくれます。病気を公表するかどうかは、人それぞれ事情や思い、考え方があると思います。私の場合は、隠さずに伝えたことで周囲も自然に接してくれ、それが気持ちを落ち込ませずに過ごせることにつながっていると感じています。
データだけではわからない、それぞれの予後
最初に病名が確定したとき、医師から渡された学会の資料のコピーには、私の病気について「生存期間の中央値が24か月~26か月」と書かれていました。その部分には、説明を受けている間にボールペンで線が引かれ、何重にも線が重なったことを今でも鮮明に覚えています。
しかし、その告知から10年以上が経ちました。4年が過ぎたころには、夫と「2年と言われたけれど、もう4年過ぎたね」と話したこともあります。私は「24か月~26か月」という数字を、自分自身の未来として実感できていなかったのかもしれません。気が付けば、4年という時間が過ぎていました。
私の友人も、胃がんで余命半年と宣告されていましたが、その後も自分の好きなことを楽しみながら日々を過ごし、1年半という時間を重ねたこともありました。
10年以上経った今振り返ると、そのとき私に示された数字はあくまで過去のデータから導かれたひとつの指標だったと思います。それだけで私自身の残りの人生や時間が決まるものではないと、今はそう感じています。そしてこれからも、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。
今、がんと向き合っている方へのメッセージ
今、がん治療をしている皆さんにお伝えしたいことがあります。
病気について考える時間を減らす工夫をしてください
一人で病気のことを考えていると気持ちが落ち込み、悪い方向へ考えが向いてしまうことがあります。もちろん、病気と向き合うことはとても大切ですが、病気が生活の中心になってしまうと心が苦しくなることもあります。趣味を見つけたり、家族との時間を増やしたり、友人と楽しい時間を過ごしたり、仕事をしたりと、病気以外のことに目を向けられる時間を作ることも大切だと思います。
思いや不安を話せる場所を見つけてください
がんに罹患すると、患者でない家族や友人とは分かち合うことが難しい思いや不安を抱えることがあり、孤独を感じることもあります。そんなときは、病院で開催されているがんサロンや自分の疾患の患者会など、同じような立場の人たちと交流できる場所を探してみてください。同じ病気でなくても、抱えている悩みや不安に共感できることがあります。自分の思いや不安を話せる仲間がいることで、病気と向き合う中で気持ちが少し軽くなることもあります。あなた(患者・家族・遺族)は一人ではありません。
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